みちのわくわくページ

○ 映画(2019年)

<見た順(降順)>
ザ・ファブル、 アラジン、 ようこそ映画音響の世界へ、 キングダム、 ミッドサマー、 名探偵コナン紺青の拳、 翔んで埼玉、 パラサイト 半地下の家族、 リチャード・ジュエル、 フォードvsフェラーリ、 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け、 カツベン!、 エンド・オブ・ステイツ、 ジョーカー、 ラスト・ムービー・スター、 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド、 アルキメデスの大戦、 荒野の誓い、 ゴールデン・リバー、 ザ・テキサス・レンジャーズ、 ある町の高い煙突、 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ、 闇の歯車、 サッドヒルを掘り返せ、 運び屋、 グリーンブック、 エア・ストライク ミスター・ガラス、  

ザ・ファブル
2019年 日本 公開松竹 123分
監督:江口カン
原作:南勝久「ザ・ファブル」
出演:佐藤明/ファブル(岡田准一)、佐藤ヨウコ(木村文乃)、清水ミサキ(山本美月)、
海老原(安田顕)、浜田会長(光石研)、クロ/黒塩(井之脇海)、小島(柳楽優弥)、砂川(向井理)、フード(福士蒼汰)、コード(木村了)
田高田(佐藤二朗)、貝沼(好井まさお)、ジャッカル富岡(宮川大輔)
ボス(佐藤浩市)

2作目を録画予約したので、それを見る前に1作目をアマプラで見る。
原作マンガを最近全巻通して読んで、とてもおもしろかった。
ファブルはじめ、小島、砂川、フード、海老原、登場人物がみんなイケメンになっていて、なるほど、映画だとこういうことになるのかと思った。
岡田は悪くないが、やはりもうちょっと若くてもうちょっとイケメンじゃない方が原作の、どう見ても凄腕殺し屋には見えない男のイメージに合うと思った。他のキャラも、マンガでは、小島は関わりたくない外道のチンピラ、砂川は関わりたくないヤクザのおっさん、フードは口元がだらしない二流の殺し屋、海老原は押し出しのあるヤクザの幹部という感じだったが、映画では、小島は壊れた危ないイケメン、砂川は中間管理職のイケメンヤクザ、フードはおたくっぽいイケメン殺し屋でちょっと小島のキャラとかぶり、海老原はマンガの海老原より痩せていてインテリヤクザっぽい。
マンガではいろいろあったいきさつが省かれ、テンポよく後半のアクション場面へと続く。アクションシーンは盛り上がるが、敵の人数が多すぎて、ファブルの動きが早すぎてなにがどうなっているのかよくわからないことしばしばであった。(2022)
関連作品:「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」(2021)

アラジン  ALADDIN
2019年 アメリカ 128分
監督:ガイ・リッチー
音楽:アラン・メンケン
出演:アラジン(メナ・マスード)、ジャスミン(王女。ナオミ・スコット)、ジーニー(ランプの精。ウィル・スミス)、ジャファー(大臣。マーワン・ケンザリ)、サルタン(王。ナヴィド・ネガーハン)、ダリア(ジャスミンの侍女。ナシム・ペドラド)、ハキム(隊長。ヌーマン・アチャル)、アンダース王子(ビリー・マグヌッセン)、アビー(猿)、空飛ぶ絨毯
録画で見る。カラフルで楽しい実写版。「ムトゥ 踊るマハラジャ」あたりのインド映画の影響を受けているような気もする。
ウィル・スミスのジーニーの独壇場とも言える。(2021.10)


ようこそ映画音響の世界へ MAKING WAVES: THE ART OF CINEMATIC SOUND
2019年 アメリカ 94分
監督:ミッジ・コスティン
出演:(音響技師)ウォルター・マーチ、ベン・バート、ゲイリー・ランドストロームほか多数
(監督・製作者)ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、フランシス・フォード・コッポラ、バーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォード、デビッド・リンチ、アン・リー、ソフィア・コッポラ、ビーター・ウィアー、クリストファー・ノーラン

映画における「音」の重要性と音響技術の歴史についてのドキュメンタリー。
サイレント映画から、エジソンが果たせなかった映像と音の組み合せが実現したトーキーへ、ひとつのトラックから16ものトラックでの録音へ、そしてモノからステレオへさらに5.1チャンネルサラウンドへと、音響技術が進化してきた様子や、セリフ、効果音、音楽の3つの「音」のそれぞれの効果と技術などを素人にもわかりやすく紹介している。技術についての説明、技師や監督やスタッフのインタビューのあと、それに即した様々な有名作品の場面を挿入して、次から次へとテンポよく語られるので、とても興味深く、飽きることなく一気に見られた。
往年の西部劇の銃撃カットが立て続けに映ってそれが全部同じ銃声だとか、ラジオドラマの経験からオーソン・ウェルズが「市民ケーン」では反響音を駆使したとか、ヒッチコックは効果音のみを用いて「鳥」の襲撃シーンの怖さを強調したとか、バーブラ・ストライサンドが「スター誕生で」初のステレオ音響に自費で挑んだとか、「ゴッドファーザー」では前衛音楽家を採用して「軋み」音で感情を表現したとか、「地獄の黙示録」では銃撃音、船のエンジン音、ヘリコプターの音など、音ごとに担当が決まっていたとか、「スター・ウォーズ」のR2D2の「話し声」に苦労したとか、ぱっと思い出すだけでも興味深い内容がいくつもあった。最後はハン・ソロとチューバッカがファルコン号でワープして消える音で終わるのが(個人的には)よかった。
<紹介される映画>
※ほんの一瞬だけのものもあり(「七人の侍」とか)。「スター・ウォーズ」と「地獄の黙示録」の出番が多かったように思うが、とにかく次から次へといろいろな映画の場面が出てきて楽しい。
「スター・ウォーズ」「THX-1138」「ワンダー・ウーマン」「ブラックパンサー」「2001年宇宙の旅」「イージー・ライダー」「風と共に去りぬ」「勝手にしやがれ」「キング・コング」「ブレイブハート」「第七の封印」「市民ケーン」「トップガン」「七人の侍」「アルゴ」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「わたしに会うまでの1600キロ」「リバー・ランズ・スルー・イット」「普通の人々」「プライベート・ライアン」「エレファント・マン」「イレイザーヘッド」「ゴッドファーザー」「ファニー・ガール」「地獄の黙示録」「インセプション」「ダークナイト・ライジング」「スター誕生(1976)」「ジョーズ」「ジュラシック・パーク」「ロスト・イン・トランスレーション」「ブロークバック・マウンテン」「ROMA/ローマ」「スパルタカス」「ナッシュビル」「マトリックス」「鳥」「東への道」「ジャズシンガー(1927)」「赤い河」「トイ・ストーリー」「ルクソーJr.」ほか



キングダム
2019年 日本 東宝、ソニーピクチャーズエンタテイメント 134分
監督:佐藤信介
原作:原泰久「キングダム
出演:信(山崎賢人)、エイ政/漂(吉沢亮)、河了貂(橋本環奈)、
昌文君(高島政宏)、壁(満島真之介)、
楊端和(長澤まさみ)、バジオウ(阿部進之介)、タジフ(一ノ瀬ワタル)
王騎(大沢たかお)、騰(要潤)
成キョウ(本郷奏太)、竭氏(石橋蓮司)、肆氏(加藤雅也)、魏興(宇梶剛士)、左慈(坂口拓)、ランカイ(阿見201)、朱凶(深水元基)、ムタ(橋本じゅん)、
里典(六平直政)
人気漫画の実写映画化。原作はすべて読んでいて、新巻が出たら買って読むくらいにはファンである。原作に登場するかなり重要な人物、女刺客のキョウカイが出てこないと聞き、彼女が出てこないキングダムなど、関羽のいない三国志のようなものだと思い、劇場公開時には見に行かなかったが、テレビ放映したので録画して見た。
なかなかよかった。キョウカイが出てこないのは、いるはずなのにいないことにしたのでなく、彼女が出てくる前の話だったからのようだ。
山崎賢人の信と長澤まさみの楊端和が思ったよりよかった。本郷奏太の成キョウは顔の歪め具合が原作の成キョウによく似ていた。
テンポよく、アクションも躍動感があってわくわくしながら見た。原作より漂に思い入れが感じられた。最初に信の戦いぶりを見たエイ政が、信が高く跳躍したところで「いざというときは信におつかまりなさい。信はだれよりも高く飛ぶ」という漂の言葉(原作にもあるが出し方はちがう)を思い出すところはよかった。(2020.6)

ミッドサマー MIDSOMMAR
2019年 アメリカ・スウェーデン 147分
監督:アリ・アスター
出演:ダニー(フローレンス・ピュー)、クリスチャン(ダニーの恋人。ジャック・レイナー)、マーク(クリスチャンの友人。ウィル・ポーター)、ジョシュ(クリスチャンの友人。ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)、ペレ(クリスチャンの友人。ホルガ出身の留学生。ヴィルヘルム・ブログレン)、サイモン(アーチー・マデクウィ)、コニー(エローラ・トーチア)、ウルフ(ヘンリク・ノーレン)、シヴ(グンネル・フレッド)、マヤ(イサベル・グリル)、イングマール(ハンプス・ハルベリ)、ダン(ビョルン・アンドレセン)
アメリカの大学生ダニーは、精神障害を持つ妹による心中事件で両親と妹を一度に失くす。彼女の恋人クリスチャンは、同情しつつも彼女への気持ちは冷めかけていた。が、男子学生だけで行くはずだったスウェーデン旅行に彼女を誘い、結局みんなで行くことになった。彼らが向かったのは、仲間の一人である留学生のペレの生まれ故郷である、スウェーデン奥地の小さな集落ホルガだった。そこでは、90年に一度の夏至祭の儀式が行われることになっていて、学生たちは卒業論文の題材になるのではという期待も抱いていたのだ。村には、他にも外部の学生カップルが招待されていた。
日没のない百夜の季節、緑あふれ、色とりどりの花が咲き乱れる村では、白い衣装に身を包んだ村の老若男女が、彼らを笑顔で迎え歓待してくれた。しかし、儀式は何日間にもわたって続き、次第に異様さを増していく。外部から訪れた若者たちは、一人また一人と姿を消していくのだった。
ダニーが、彼氏に思ったことをはっきり言えずそのくせずっとわだかまっているという少々面倒くさい女の子であり、彼氏のクリスチャンはけっこう自分本位でしかもそのことを自覚していないというか気にもかけていない青年である。この二人の性格がわかりやすく描けていると思った。
楽園のような村で、ファンシーな装いとは裏腹に行われるおぞましく残酷な儀式。しかし、そうした設定にあまり目新しさは感じず、えぐい展開も予想の範囲を超えなかった。
血塗られた儀式が厳かに執り行われていく様子は、最近あまり見ないが、昔見た芸術系のヨーロッパ映画っぽい感じがして、たまにはこうゆうのを観といてもいいかなとは思うが、そんなに好きではない。
強いて言えば、ずっと白昼というのがよかった。(2020.4)


翔んで埼玉
2019年 日本 公開:東映 106分
監督:武内英樹
原作:魔夜峰央「翔んで埼玉」
出演:壇ノ浦百美(二階堂ふみ)、麻美麗(GACKT)、阿久津翔(伊勢谷友介)、
壇ノ浦建造(東京都知事。中尾彬)、五十嵐春翔(成田凌)、埼玉県人の青年(間宮祥太郎)、下川信夫(加藤諒)、おかよ(益若つばさ)、壇ノ浦恵子(武田久美子)、西園寺宗十郎(麿赤児)、神奈川県知事(竹中直人)、埼玉デューク(京本政樹)
菅原好海(ブラザートム)、菅原真紀(麻生久美子)、菅原愛海(島崎遥香)
地上放送を録画して見る。
魔夜峰央は、中高生のころにデビュー作から「パタリロ」あたりまで読み親しんだ漫画家で、かなり独特だったけど、きらいではなかった。
東京都民に差別される埼玉県民、千葉県民。東京への通行手形制度撤廃を目指して、埼玉県は東京都と戦おうとし、千葉県は取り入ろうとし、埼玉県と千葉県が対立するも、やがて手を組んで東京都に立ち向かう。大仰さとばかばかしさに徹していて、カラフルで派手な衣装や幟や旗などビジュアル的にも見ごたえがあり、気持ちよく見た。
東京都知事の息子(どう見ても娘なのだが)の百美、隠れ埼玉県人の帰国子女麻美麗、都知事に仕えつつ通行手形撤廃を目論む千葉県人のリーダー阿久津の主演3人を、それぞれの役者が真面目に演じているのがとてもよい。
現代編?の車で東京に向かう菅原親子3人のシーンは、不要な気がした。(2020.2)


パラサイト 半地下の家族 PARASITE
2019年 韓国  132分
監督:ポン・ジュノ
出演:キム・ギテク(父。ソン・ガンホ)、キム・ギウ(息子(兄)。チェ・ウシク)、キム・ギジョン(娘(妹)。パク・ソダム)、チュンスク(母。チャン・ヘジン)
パク・ドンイク(IT企業の社長。イ・ソンギュン)、パク・ヨンギョ(パクの妻。チョ・ヨジョン)、パク・ダヘ(パクの娘(姉)。チョン・ジソ)、パク・ダソン(パクの息子(弟)。チョン・ヒョンジュン)
ムングァン(家政婦。イ・ジョンウン)、グンセ(ムングァンの夫。パク・ミョンフン)
ミニョク(ギウの友人の大学生。パク・ソジュン)
アカデミー受賞発表直前に見る。
韓国映画は、ほとんど見たことがなく、「シュリ」「グエムル」に続いて3本目くらい。切ないはずなのになんとも愉快でとぼけた感じの家族の描き方が「グエムル」に似ているなと思ったら、同じ監督だった。
息子ギウが豪邸に住むIT企業の社長パクの娘ダヘの家庭教師になったのをきっかけに、妹のギジョンは小学生の息子ダソンの絵の教師兼セラピーに、父ギテクはパクの運転手に、母チュンスクは家政婦にと、お互いの関係を隠して、一家全員が金持ちの家に「寄生」していく前半から、彼らの悪だくみで不当に追い出された元家政婦ムングァンの乱入による意外な展開、大波乱、そしてエピローグへと、めちゃくちゃそうだが、実はかっちりした作りになっている。
スマホの送信ボタンが、まるで銃のような武器代わりになるところが可笑しかった。韓国でも、北朝鮮の女性アナウンサーの物まねが受けることがわかって新鮮だった。
ダソンが幽霊を見たこととインディアンとキャンプにかぶれていることとモールス信号を知っていることはなんらかの展開につながるのかと思ったが、なにもなかった。
大雨のシーンはすごかった。迫力があった。
ギウが山水景石の岩を持ち歩くのがよかった。
半地下の家の劣悪な住環境が画面からは今一つ伝わってこないのがちょっと残念だった。
最後にひとこと。最後のカットはない方がいいというのが家人の意見で、わたしもない方が間違いなくいい、余韻が全然ちがうとは思うが、ないとあれをあのまま受け取られるかもしれないという危惧からああしたのではないかと思うし、実際、そうしたらあれをあのまま受け取る観客は多いのではないかと思うのだがどうだろう。(2020.2)


リチャード・ジュエル RICHARD JEWELL
2019年 アメリカ 131分
監督:クリント・イーストウッド
出演:リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)、ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)、ボビ・ジュエル(キャシー・ベイツ)、ナディア(ニナ・アリアンダ)、トム・ショウ(FBI捜査官。ジョン・ハム)、キャシー・スクラッグス(記者。オリヴィア・ワイルド)
1996年、アトランタ・オリンピック会期中、野外コンサート会場で起こった爆弾テロ事件を題材とする、実話に基づいたドラマ。
コンサート会場の警備員リチャード・ジュエルは、コンサートの夜、ベンチの下にある不審なリュックに気づく。中には爆弾がしかけられており、爆弾を発見して多くの人々の命を救った彼は、一躍ヒーローとしてマスコミの脚光を浴びる。が、FBIは、捜査の過程で第一発見者の彼を容疑者として疑い始める。逮捕前にも関わらず、そのことを知った新聞記者のスラッグスは、彼を容疑者とする特ダネ記事を書く。ヒーローから一転、犯罪者とみなされたリチャードは、マスコミの一斉攻撃を受け、全国民の非難の的となる。いっしょに暮らす母と、以前の職場で顔見知りとなった弁護士のワトソンが、彼の無実を信じ、味方となる。ワトソンだけでなく、老いた母のボビがリチャードを助けるため、大きな役割を果たすこととなる。
英雄から糾弾される側になってしまった男の窮地というと、「ハドソン川の奇跡」と同じ設定であるが、あの映画の主役の機長は社会的地位も人望もある人だったのに対し、リチャードはどうも分が悪い。彼は、警察官にあこがれ、独学で法律を勉強し、一時期郡だか州だかの保安官補を務めたこともあり、オリンピックの前は大学の警備員をしていたが、学生に対する過剰な態度が原因で解雇されてしまったのだった。彼なりに強い正義感を持っているのだが、世間とうまく折り合えない、一生懸命なんだけど困った人という感じだ。やたら銃器をため込んでいる銃器オタクで、見た目もとても太っていて鈍重そうである。この人に感情移入できるだろうかとちょっと不安になるような人である。それが見ているうちに、肩入れしていってしまうからさすがだ。リチャードは、自分を陥れようとしているFBI捜査官に対してさえ、あこがれと羨望の念を抱いていて、そういうところはなかなか複雑だ。ワトソンがいないところで彼らに乗せられて犯人の言葉をそのまま言って録音することに応じてしまうところなど、かなりはらはらした。FBIのやつらにへこへこするなとワトソンに喝を入れられ、強気に出るラストの取り調べのシーンは、クライマックスとしては、かなり地味なのに、痛快である。
立派な警官にあこがれる不器用なやつということで、リチャードと体形はちがうが「スリー・ビルボード」に出てきたちょっと過激な警官のことを思い出した。不器用ゆえに思いが空回りして変な方向を向いてしまうところが似ていると感じたのかもしれない。役者の顔もあまりはっきりとは覚えていなかったのだが、後からその役をやったのが今回ワトソンを演じたサム・ロックウェルだと知ってちょっと不思議な気がした。今回は、孤立無援のリチャードを助ける、冷静で一本筋の通ったベテラン弁護士を気持ちよさそうに演じていてよかった。(2020.1)


フォードvsフェラーリ FORD V FERRARI LE MANS '66
2019年 アメリカ 153分
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:キャロル・シェルビー(マット・デイモン)、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)、
モリー・マイルズ(カトリーナ・バルフ)、ピーター・マイルズ(ノア・ジュープ)、フィル・レミントン(レイ・マッキン)、
リー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)、ヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)、レオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)、エンツィオ・フェラーリ(レモ・ジローネ)
表題通り、ル・マン24時間レースの常勝車フェラーリにフォードが挑戦して、見事優勝を果たすまでの顛末を実話に基づいて描く。レースのことも車のこともほとんど何も知らないが、楽しめた。
1960年代後半。ル・マンで優勝経験のある唯一のアメリカ人レーサー、キャロル・シェルビーは、心臓疾患のため引退し、スポーツカーの製造会社を運営していた。ある日、フェラーリ社の買収に失敗したフォード社から、ル・マンで優勝できる車を造ってほしいという依頼がくる。シェルビーは、かねてより気になっていたイギリス人ドライバー、ケン・マイルズに声をかけ、二人はともにフォード車でのル・マン優勝を目指す。
引退を余儀なくされ裏方に回ったかつての花形レーサーのシェルビーと、ドライバーとしても技師としても際立つ能力を持ちながら人づきあいが苦手で性格に問題のあるケン・マイルズの、二人のぶつかりあいと友情だけでなく、フェラーリの創業者エンツォに田舎者呼ばわりされて激昂奮起するヘンリー・フォード二世や、その下で辣腕を振るうアイアコッカ(後のフォード社社長)、シェルビーの会社のスタッフたちなど、働く男たちの意地が随所に見られる。久々の、壮快な男騒ぎの映画である。
腕はたつけど人として問題があるやつが上層部と対立するも理解者に助けられるという構図はよく見られるが、映画の中では嫌われ者という設定でも、観客はたいていそいつに共感するものである。クリスチャン・ベールが演じるケン・マイルズもその部類で、ちまたでもベールの演技は絶賛の嵐である。しかし、それでも敢えて言えば、わたしは、あの癖のある演技には終始なじめなかった。そこだけが残念である。
シェルビーとマイルズが家の前の植え込みで殴り合いをしたあと、コーラの瓶で乾杯をして仲直りをするという、アメリカ映画らしい粗野で能天気なシーンがある。マイルズの妻のモリーは、椅子を出してきてすわりくつろいだ様子で男たちの殴り合いが終わるのを待っている。こんなようなシーンは、昔はいくらでもあったものだが、今のご時世において、どう受け止められるのか気になった。それでざっとネットのレビューなどを見てみたのだが、若い映画好きの人たちにも概ね好評を得ているようである。女性からはモリーが称賛されている。であれば、アメリカ映画は、こういうシーンをもっと作って、見せて、西部劇から続くアメリカ映画におけるからっとした男気の文化をいい感じで継承していってほしい。いまならまだ間に合うかもしれない。
ほかにも、試乗中に起こった炎上事故の直後にマイルズの息子のピーターがシェルビーの仕事仲間のフィルにレーサーの事故死について尋ねるシーン、レース前夜にシェルビーとマイルズがサーキットで話すシーン、フォード車の指示に逆らうメッセージをレース中のマイルズに伝えるためボードを持ってシェルビーがずんずんとスタンドを歩いていくシーンなど、気が利いていて気持ちのよいシーンがたくさんあった。(2020.1)


カツベン!
2019年 日本 東映 127分
監督:周防正行
出演:染谷俊太郎(成田凌)、粟原梅子/沢井松子(黒島結菜)、山岡秋聲(永瀬正敏)、茂木貴之(高良健吾)、内藤四郎(森田甘路)、浜本祐介(成河)、定夫(楽隊。徳井優)、金蔵(楽隊。田口浩正)、耕吉(楽隊。正名僕蔵)、青木富夫(竹中直人)、青木豊子(渡辺えり)、安田虎夫(音尾琢真)、橘重蔵(小日向文世)、橘琴江(井上真央)、木村忠義(警官。竹野内豊)
二川文太郎(池松壮亮)、牧野省三(山本耕史)、
「南方のロマンス」ヒロイン(シャーロット・ケイト・フォックス)、「金色夜叉」お宮(上白石萌音)、「椿姫」アルマン(城田優)、「椿姫」マルギュリット(草刈民代)

無声映画が活動写真と呼ばれた大正時代。カツベン(活動弁士)を目指す青年俊太郎の奮闘を、レトロな背景満載で描いた、良質のコメディ。
子ども時代の俊太郎と梅子の出会いで映画は始まる。二人が遭遇する活動写真の撮影現場で、監督をしているのは、日本映画の父牧野省三だ。
俊太郎は、子どものころからカツベンに憧れ、売れっ子の山岡秋聲の真似をして独学でカツベンの技術を身に着ける。悪い仲間にだまされ、偽カツベンとして悪事に加わるも、仲間から逃れ、盗んだ金の入ったトランクを持ったまま、地方の映画館青木館に雑用として住み込みで働くことに。青木館には、女性に大人気のカツベン茂木がいたが、ライバルのタチバナ館は彼の引き抜きを企んでいた。館主の橘は金儲けのためなら手段を選ばない男で、俊太郎がいた窃盗団のリーダー安田とつながっているのだった。青木館には、俊太郎が憧れていた山岡秋聲もいたが、落ち目の山岡はいつも飲んだくれて昔の面影は微塵もなかった。ある日、彼のピンチヒッターとして、俊太郎はついにカツベンの技を披露する機会を得る。
良く練られた脚本により、話は無駄なく小気味よくすいすいと進む。
二つの部屋の境目にあるタンスのギャグや、タチバナ館での梅子奪還のための大男との格闘、大金の詰まったトランクの遍歴、ラストの映画館での騒動からの自転車2台と人力車による追いかけと、無声映画を意識したドタバタがいろいろと盛り込まれていて、楽しい。
破れたスクリーンの向こうで去る2人がすっぽり映画の画面にはまったり(これはやりすぎという感じがしないでもないが)、梅子の蜘蛛嫌いや思い出のキャラメルがここぞというところで出てきたり、駅のホームで梅子に声を掛けた監督は二川文太郎でその時脚本を持っていた映画「無頼漢」は、のちに阪妻(阪東妻三郎)主演の「雄呂血」となり、クレジットでは「雄呂血」の画面が流されるなど、心憎いアイデアが次から次へと繰り出される。
敢えて言えば、洒脱すぎて熱っぽさに欠ける気もするが、初めから終わりまで楽しませてもらった。(2019.12)

エンド・オブ・ステイツ  ANGEL HAS FALLEN
2019年 アメリカ 121分
監督:リック・ローマン・ウォー
出演:マイク・バニング(ジェラルド・バトラー)、トランブル大統領(モーガン・フリーマン)、カービィ副大統領(ティム・ブレイク・ネルソン)、サム・ウィルコックス主席補佐官(マイケル・ランデス)、ジェントリー(ランス・レディック)、ヘレン・トンプソンFBI捜査官(ジェイダ・ピンケット・スミス)、ラミレスFBI捜査官(ジョセフ・ミルソン)、リオ・バニング(パイパー・ペラボ)、クレイ・バニング(ニック・ノルティ)、ウェイド・ジェニングス(ダニー・ヒューストン)
大統領付きの凄腕シークレット・サービス、マイク・バニングを主人公とするアクション・シリーズ第3弾。前の2作は見ていないのだが、楽しめた。
シークレット・サービスとして能力を発揮してきたバニングだが、身体を酷使したツケが回ってきて体調不良に悩まされていた。仕事先や家族に内緒で鎮痛剤を常用するようになっていて、シークレット・サービスの次期長官として期待されていたが、自身では引退を考えているのだった。
そんなある日、湖で釣りをしている大統領を、ドローンの一群が襲い、激しい爆撃をしかけてくる。警備要員は、バニング以外全員即死、大統領はバニングのガードのおかげで一命をとりとめるが、昏睡状態に陥ってしまう。さらに、バニングは大統領暗殺未遂容疑でFBIに拘束されてしまう。現場や自宅で彼を犯人とする決定的な物的証拠が発見されたのだった。
罠に落ちたバニングは、逃亡しながら、真犯人に立ち向かう。彼を追うFBI捜査官のトンプソンは、その有能さゆえにやがてバニングを犯人とすることに疑問を抱き始めるが。という、ありがちなストーリーだが、話は小気味よくアクション続きで進むので、どきどきわくわくしながら見た。
ふっくらほっぺのおじさんのバトラーが、ものすごく強いのがいい。ガソリンスタンドで素人に毛が生えたような民兵の男たちに見つかって銃を向けられるが、はなからこいつら全然おれの敵じゃねえという顔をして余裕綽綽なのが、痛快だった。
バニングが頼る老いた父親役で、白髪白髭のニック・ノルティが登場。ベトナム帰還兵で心を病み、妻子を捨てて、山奥の小屋で隠遁生活を送っている孤独な老人だが、地下に抜け道のトンネルを掘り、小屋の周囲には爆弾をめぐらすなど、戦う気まんまんである。彼が最後まで活躍するのはよかった。
見る端から忘れていくような、豪快なアクションばか活劇。やはり、個人的には、「ジョーカー」とかより、こうゆう方がよほど好きなのだった。(2019.12)
関連作品:「エンド・オブ・ホワイトハウス」(2013)、「エンド・オブ・キングダム」(2016)


ジョーカー JOKER
2019年 アメリカ 122分
監督:トッド・フィリップス
出演:アーサー・フレックス(ホアキン・フェニックス)、マレー・フランクリン(ロバート・デ・二―ロ)、ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)、ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)、ランドル(グレン・フレシュラー)、ゲイリー(レイ・ギル)、トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)、ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ・オルセン)
「バットマン」シリーズに登場する悪役ジョーカーがいかにして生まれたかを描く。
ゴッサム・シティの貧民街で、病弱な老母と二人で暮らす青年アーサーは、コメディアンになる夢を持ち、芸人を派遣する事務所に所属し、ピエロに扮して営業に出て日銭を稼いでいた。彼は以前は入院していたようだが、今は退院して、市の福祉支援サービスによって定期的にスタッフと面談している。
「ジョーカー」と言えば、古くはジャック・ニコルソン、新しくはヒース・ジャレットが演じ、いずれも評判となった強烈な悪役である。“悪い”ピエロがひょうひょうとおどけ踊る姿は、鬼気として迫力があった。
が、心の病を抱えて7種類の薬を飲んでいるとか、笑いだすと止まらない病気の症状が出て本人は全然笑いたくないのに延々とひきつった笑いを続けなきゃならないとか、母親にも自分にも妄想癖があるとか、心優しい青年がひどい環境の中で追い詰められて精神を病んでいく様子が描かれ、そんなようなことが「ジョーカー」の背景にあったのだと言われても、なんだかなあというのが正直なところである。
混乱する路上で車上に立ち暴徒の喝采を浴びるピエロの扮装のアーサー、これぞ「ジョーカー」誕生の瞬間なのだろうが、そしてホアキン・フェニックスの立ち回りは確かにとてもかっこいいのだが、わたしには、それほど突き抜けるものが感じられなかった。このジョーカーが、これまで見たジョーカーたちのように悪意に満ちた笑顔で、警察陣やバットマンに向かって、おどけてみせる姿はあまり想像できないのだ。
やがてバットマンとなる少年ブルース・ウェインも登場する。こちらは、終始にこりともしない陰気な様子が、大人になってからの彼を彷彿とさせていた。
この映画はだいぶヒットしているようである。映画全体を通して現実とアーサーの妄想との境界があいまいに描かれているのが興味深く、ラストの方、ピエロ姿のアーサーがパトカーで護送される際に街で暴徒化するピエロたちの群れを目にするシーンは印象的で、そうした作劇的に秀逸なところが評価されているのならいいのだがと思う。(2019.11)
関連作品:「ダークナイト」(2008)


ラスト・ムービー・スター
THE LAST MOVIE STAR / DOG YEARS
2017年 アメリカ 公開ブロードウェイ 2019年 104分
監督・脚本:アダム・リフキン
出演:ヴィック・エドワーズ(バート・レイノルズ)、リル・マクドゥーガル(アリエル・ウィンター)、ダグ・マクドゥーガル(クラーク・デューク)、シェーン・マカヴォイ(エラー・コルトレーン)、スチュアート・マッカラー(アルジャレル・ノックス)、フェイス・コール(ニッキー・ブロンスキー)、ビヨルン(ジャストン・ストリート)、クラウディア・シュルマン(キャサリン・ノーラン)、ソニー(チェヴィー・チェイス)
バート・レーノルズが、かつて映画スターだった老人ヴィク・エドワーズを演じる。
豪邸に一人で住むヴィクが、愛犬の死を悲しんでいたところに一通の招待状が届く。国際ナッシュビル映画祭で賞を授与するというもので、これまでの受賞者には、イーストウッドやデ・ニーロなど有名俳優の名前が並んでいた。最初は渋っていたヴィクだが、親友のソニーの勧めもあり、招待を受けることに。しかし、それは有名な「ナッシュビル映画祭」とは別の、映画ファンの若者たちが知り合いの経営するバーを会場にしてささやかに開いているめちゃくちゃマイナーで貧乏な映画祭だった。これまで受賞者たちに受賞の連絡はしたが、招待に応じた俳優は今まで一人もいないのだった。彼氏と電話で喧嘩ばかりしている若い女リルが運転手するゴミだらけの車に乗せられ、安ホテルに泊まらされ、バーの別室の狭い会場の急造スクリーンで彼が主演した古い映画が上映された。気分を害した彼は酔っぱらって暴言を吐き、つぶれる。
翌日、授賞式をすっぽかし、リルの運転で空港へ向かったヴィクは、途中で「ノックスビル」の行き先案内版を見つけた。ノックスビルは彼の生まれ故郷だった。ヴィクは、リルを運転手に故郷の町で思い出の場所巡りを始めるのだった。
リルは、ホラーな絵ばかり描く画家志望で鬱を患い常に薬を飲んでいて浮気性の彼氏に悩まされている。そんな彼女とかつての大スターのやりとりが可笑しい。ヴィクの生家やホテルなど、ところどころでヴィクが人々からスターを見る目で見られることに驚き、うれしそうになるリルはかわいい。ヴィクは、生涯で5度結婚しながら、自分が有名になる前に結婚した最初の妻だけを愛し、再会を望む。老人ホームで会った彼女はヴィクが誰かわからず、リルは二人を思い出の場所である波止場に連れて行く。このあたりの展開は割とふつうで特に新鮮味は感じなかったが、そのあと映画祭授賞式のシーンになったのはよかった。
老いた今のヴィクの傍らに、若いときのヴィクが、全盛期のバート・レイノルズその人の姿で出てきて会話をするのがよかった。若い時のバート、実に男くさくてセクシーだ。
ヴィクの大ファンでヴィクを尊敬しながらもお粗末な対応しかできない映画祭のオタクな若者たちにも好感が持てた。(2019.9)


アルキメデスの大戦
2019年 日本 東宝 130分
監督・脚本:山崎貴
原作:三田紀房「アルキメデスの大戦」
出演:櫂直(海軍少佐。菅田将暉)、山本五十六*(少将。舘ひろし)、田中正二郎(少尉。柄本佑)、永野修身*(海軍中将。國村隼)、藤岡喜男(造船少将。山崎一)、宇野積蔵*(海軍大佐。戦艦長門艦長。小日向文世)、尾崎鏡子(浜辺美波)、大里清(笑福亭鶴瓶)、大角岑生*(海軍大臣。小林克也)、嶋田繁太郎*(海軍少将。橋爪功)、平山忠道(造船中将。田中泯)、高任久仁彦(海軍中尉。奥野瑛太)
1945年、戦艦ヤマトは撃沈された、という誰もが知っている歴史的事実を前に、それを阻止しようとした若き天才数学者の図面と計算による戦いを描く。菅田将暉がとてもいい。
映画の冒頭、いきなり大和の沈没シーンが迫力たっぷりに描かれ、知ってる人もひょっとして知らない人も、「戦艦ヤマトは沈む」ことを強烈に目の当たりにさせられる。
その12年前の1933年、海軍では、嶋田少将らの大鑑巨砲主義と、山本五十六少将、永野中将らの航空主兵主義が対立していた。山本は、平山中将の出した大鑑製造費の見積もりが低額すぎることに目を付け、その欺瞞を暴露しようと、東大を中退した若者櫂直を海軍に呼び、大鑑建造費の算出をさせようとする。櫂は、軍隊嫌いで、何を見てもすぐ長さを計ろうとする変人だったが、数学に関しては類まれなる才能を持っていた。
船の図面どころか資料も手に入らない状況で平山の設計した戦艦の実際の建造費を算出するため、櫂は、造船の本を読み、ちょっとでも役に立ちそうなデータをかき集め、平山の引いた設計図を再現し、あげくに建造に使われる鉄の総重量から建造費を算出する公式を作り出す。この漫画原作っぽい、荒唐無稽さを受け入れられるかどうかで評価が変わるかもしれない。
が、戦争になるのを防ぐため、若く純粋な正義感を持って、大角海軍大臣や島田少将ら老獪な幹部連中に挑む櫂、特に狂気の技師平山との対決を、わたしはたいへんわくわくしながら見た。結局は撃沈される大和だが、それまでにどのような経緯があったのかという興味をもってみる映画。
最初は呆れつつ、次第に櫂の卓越した能力にほだされていく田中少尉や、嫌味なく彼を慕い協力するお嬢さんの鏡子、にこやかな笑みを浮かべつつ冷徹な面を見せる山本少将など、脇もまた魅力的である。(2019.9)
<年代>プロローグ:1945年大和沈没、本編:1933年、エピローグ:1942年大和出航

ザ・テキサス・レンジャーズ  THE HIGHWAYMEN
2019 アメリカ Netflix 132分
監督:ジョン・リー・ハンコック
出演:フランク・ハマー(ケヴィン・コスナー)、メイニー・ゴルト(ウディ・ハレルソン)、リー・シモンズ(ジョン・キャロル・リンチ)、テッド・ヒントン(トーマス・マン)、グラディス・ハマー(キム・ディケンズ)、ヘンリー・メスバン(W・アール・ブラウン)、ヘンリー・バロー(ウィリアム・サドラー)、ミリアム・ファーガソン(テキサス州知事。キャシー・ベイツ)、ボニー・パーカー(エミリー・ブロブスト)、クライド・バロー(エドワード・ボッセルト)
一度感想を書いたはずなのだが、文のデータが見当たらないので、思い出しながら書く。
かつて腕利きのテキサスレンジャーとして活躍したハマーは、テキサス州知事の要請により、世間を騒がせているカップル強盗、ボニーとクライドを追うこととなる。元相棒のメイニーと再びチームを組むが、二人とも老いて、かつてのように動けるか自信がない。
二人は、ボニーとクライドの故郷の町で家族や旧知の人々を訪ね、捜査を進めていく。
一方、ボニーとクライドは、その間も仲間を脱走させ、強盗を働き、世間からは英雄のように扱われる。が、映画はボニーとクライド側の様子を描くことはなく、機関銃を乱射するボニーの姿が影のように登場するばかりである。ハマーとメイニーは、まるで凶悪な熊の足跡を追うマタギのように、地道にふたりに迫っていくのだった。
エピローグ。それまで絶対メイニーに運転をさせなかったハマーだが、彼が運転席から降りて助手席に回って運転を変わる様子が、静かに遠景で映されるのが印象的である。(2019.7・2020.1)


ある町の高い煙突
2019年 日本 エレファントハウス=Kムーヴ 130分
監督:松村克弥
原作:新田次郎「ある町の高い煙突」
出演:関根三郎[関右馬充](井出麻渡)、関根兵馬(三郎の義理の祖父。仲代達矢)、関根恒吉(伊嵜充則)、ふみ(関根家女中頭。小林綾子)、深作覚司(入四間村村長。六平直政)、平林左衛門(篠原篤)、孫作(左衛門の弟。城之内正明)
加屋淳平[角弥太郎](日立鉱山庶務係。渡辺大)、加屋千穂(淳平の妹。小島梨里杏)、木原吉之助[久原房之助](日立鉱山開業者。吉川晃司)、大平浪三[小平浪平](日立鉱山水力発電所所長。石井正則)、如月良之輔(日立鉱山診療所医師。渡辺裕之)、八尾定吉(日立鉱山補償係。蛍雪次郎)、志村教授(政府御用学者。大和田伸也)、権藤(日立鉱山株主。斎藤洋介)
私は茨城県日立市の出身である。「大雄院(だいおういん)の煙突」は、子どものころからよく目にした。日立市街へ出て山の方を見れば、いつも山の斜面に直立していて、そこにあるのが当たり前のものだった。煙突の絵を焼き付けた「東洋一」という名の瓦煎餅があって、私はそれで「東洋一」という物言いを知ったものだ。東京に住むようになってだいぶ経った1993年、「大煙突がぽっきり折れた」というニュースを見た。久々に大煙突のことを思い出すとともに、ことのほかショックだったことを覚えている。
日立に「だいおういん」という地名はないのに、なぜか煙突とセットになって使われていた。どういう字を書くかも知らなかった。今になって調べて、初めて大雄院という古いお寺の跡地に、日立鉱山の精錬所が建てられたのだと知った。
前置きが長くなったが、この映画は、明治の終わりから大正にかけて、煙害対策のために、企業(日立鉱山)と地元住民(入四間村の農家)がすったもんだのあげくに協同して大煙突を建てる話である(煙突の始動は1915年)。新田次郎の小説にもなったので、全国的に有名な話かと思ったら、どうやらそうでもないようだ。ご当地映画のようになっているが、地元住民と企業との共同による公害対策というテーマは一般的なものであり、その先駆けと言える大煙突建設はそのアナログな手法も含めて興味深い題材だと思うので、この映画でその歴史的事実が多くの人の知るところとなればと思う。
小説はだいぶ前に読んだので細かい部分は覚えていないのだが、精錬所が出す亜硫酸ガスを含んだ煙によって田畑に大きな被害を受けた農家の人たちのため、旧家の青年(映画では関根三郎)が進学をあきらめて村の代表として鉱山会社と交渉を行い、会社側もそれに応じて、ただ補償金を払うだけでなく、煙害を失くすための策を講じるようになっていき、ついに世界一の(当時)大煙突を立てるという大筋は映画と同じだ。合間に、主人公と結核の女性(映画では知恵)との恋等が差しはさまれる。
映画では(小説でもあったのかもしれないが)、そうした交渉の前に、死に瀕した村の長老の往診に鉱山会社の診療所の医師が駆けつけたり(渡辺裕之演じる医者がしぶい)、土砂崩れにあった鉱山会社の施設に青年隊が救助に向かったりなどと両者のやりとりがあった。
三郎は、入四間村の代表として村の衆と鉱山会社の間に立って奮闘するが、交渉を重ねるにつれて鉱山会社の庶務係加屋淳平と親しくなっていく。対立関係の中で芽生える友情がなかなかいい。
村の若者たちが猟銃を持って会社に殴り込んだり、煙道により被害がさらに大きくなって三郎に八つ当たりしたりする暴力的な場面や、総力挙げての大煙突の工事現場の場面など、男たちが躍動するシーンは面白く見たが、合間にさしはさまれる、三郎と加屋の妹知恵との出会いやデートもどきのシーンは正直だいぶ気恥ずかしかった。(知恵が結核で茅ケ崎の病院に入院し、一目会おうと三郎がはるばる訪ねて行って、海岸の散歩の際に二人が距離を隔てて再会と最後の別れをするシーンは、これはこれでよかった。)
鉱山会社の煙害対策は、百足煙道、あほ煙突という苦い経験を経て大煙突にたどり着く。
国策に逆らう大工事のため、開業者の木原が政府を説得して、承認を得る。映画では、木原(吉川晃司)はただ鉱山会社のオフィスで背中を見せ黙して語らずの男だったが、吉川晃司演じる木原が政府を説得する様は、見たかったように思う。
ちなみに、水力発電所所長で有能な電気技師として登場する大平浪平は、日立製作所の創業者(小平浪平)である。また、今でも日立の山に咲く桜はほぼ山桜で、これは煙害に強い桜を移植したことの名残りだという。(2019.7)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ  GODZILLA: KING OF THE MONSTERS
2019年 アメリカ 132分
監督:マイケル・ドハティ
音楽:ベアー・マクレアリー
出演:マーク・ラッセル(カイル・チャンドラー)、エマ・ラッセル(ヴェラ・ファミーガ)、マディソン・ラッセル(ミリー・ボビー・ブラウン)、芹沢猪四郎(渡辺謙)、アイリーン・チェン/リン・チェン(チャン・ツィイー)、スタントン(ブラッドリー・ウィットフィード)、ヴィヴィアン・グレアム(サリー・ホーキンス)、アラン・ジョナ(チャールズ・ダンス)
ゴジラ、キングキドラ、モスラ、ラドン
キングコング、ムートー、ベヒモス、シラ、メトシェラ
「GODZILLA ゴジラ」から5年後。
「キングコング 髑髏島の巨神」でも出てきた特務機関モナークは、すごい組織になっていて、世界各地に基地を設置し軍隊並みの兵器を備え、怪獣たちを見守っている。
怪獣と交信する装置「オルカ」を開発中の科学者エマは、娘のマディソンとともにモナークの基地がある中国雲南省に居住し、モスラの孵化を見守っていたが、ある日、オルカを狙う環境テロリストのジョナらによって拉致され南極に連れていかれる。そこにはモンスターゼロと呼ばれる3つ首龍の怪獣(キングキドラ)が眠っていた。他にも、バミューダ海峡にあるモナークの基地「キャッスル・ブラボー」で芹沢博士らがゴジラを見守り、メキシコの火山島イスラ・デ・マーラの活火山にはラドンが眠っているのだった。
「GODZILLA ゴジラ」でもそうだったのだが、どうもこのシリーズのゴジラものではドラマ部分で眠くなってしまい、その間にいろいろ話が進んで細かい設定がわからないまま見終わってしまう(チャン・ツイィーが双子役という設定なども見逃してしまった)。
怪獣たちが登場する画面は、それぞれの目覚めのシーンでも、格闘シーンでも、豪華絢爛で凝っていて、たいへん見ごたえがあって、これこそまっとうな意味での目の保養という感じがした。映画というよりは、動く怪獣絵図を鑑賞しているようだった。
芹沢博士の渡辺謙は前作に引き続き、「ゴ・ズィーラ」ではなく「ゴジラ」と発音し、オキシジェン・デストロイヤーを持って突っ込む。
エンドロールでは、ゴジラのテーマ曲もモスラの歌も流れるし、最後に出る献辞は、2017年に亡くなった坂野義光氏と中島春雄氏両名へ捧げるものだった(坂野氏は「ゴジラ対へドラ」(1971)の監督で「GODZILLA ゴジラ」のエグゼクティブプロデューサー、中島氏は初代ゴジラのスーツアクターだそう)。原点への敬意やこだわりが随所に見られ、ディープなファンにとってはありがたいのだろう。
私はそこまでではないのだが、それにしても、この歳になっても怪獣を見るとわくわくする。ゴジラが咆哮してあの背びれを見せて海に潜った後に巨大な尾が振り上げられて水面をバッシャーンとたたいて去る様に高揚する。子どものころの怪獣体験が染みついているのか、私が割と爬虫類好きだからなのか、それとも人にはそういうものを好む性質が備わっているのか、不思議な気がする。(2019.6)
関連作品(モンスターバース作品):「GODZILLA ゴジラ」(2014)、「キングコング 髑髏島の巨神」(2017)
※モンスターバース (MonsterVerse) とは、アメリカのレジェンダリー・ピクチャーズが日本の東宝と提携して製作し、ワーナー・ブラザースが配給する、怪獣映画のシェアード・ユニバース作品のこと。さらに、シェアード・ユニバースとは、「共有された世界観」の意味で、小説や映画などのフィクションにおいて、複数の著者が同一の世界設定や登場人物を共有して創作する作品のこと。

闇の歯車
2019年 日本 東映ビデオ配給 92分
監督:山下智彦
脚本:金子成人
原作:藤沢周平
出演:左之助(瑛太)、伊兵衛(橋爪功)、井黒清十郎(浪人。緒方直人)、仙太郎(若旦那。中村蒼)、弥十(カラクリ師。大地康夫)、きえ(近江屋の女中。蓮佛美沙子)、おくみ(石橋静河)、繁蔵(酒亭「おかめ」の主人。中村嘉葎雄)、奥村(津嘉山正種)、同心(高橋和也)

☆ラストのネタばれあります!

時代劇専門チャンネルで録画したのを見る。同局開局20周年記念作品で、放映に先駆け、期間限定で劇場公開したらしい。
居酒屋「おかめ」には、それぞれに事情を抱えた男たちがやってきて、酒を飲んでいく。
独り身の若者左之助は、ヤクザの奥村から脅しの仕事を請け負って日銭をかせいでいたが、おくみという女と暮らすようになり、奥村と縁を切ろうと思っている。
脱藩して病気の妻と暮らす浪人井黒、美しい婚約者との結婚を控えていながら馴染みの遊女お絹と縁が切れずにいる商家の若旦那の仙太郎、手先は器用だが身を持ち崩している老人弥十。
そして、つねに笑みを浮かべおだやかに人と接する老人伊兵衛。彼は、実は、素人集を集めて夕暮れ時に犯行に及ぶという手口で、押し込み強盗をやってきた罪人だった。島流しから江戸にもどってきた伊兵衛は、久しぶりに仕事をしようと、飲み仲間の4人の男に話をもちかける。
彼らは、近江屋に集められた金七百両を奪う計画を立て、逢魔が時(黄昏時)に決行する。
5人は金を手に入れ、無事逃げおおせた。が、金が、ほとぼりが冷める2年後にみなに渡すという約束で、伊兵衛がどこかに隠してしまったのだった。
近江屋で犯行中に、伊兵衛と左之助は女中のきえに会う。彼女はかつて左之助と暮らしていた女だったが、顔も見られたため、伊兵衛は左之助にきえを殺せと命じ、自らも手を下そうとする。左之助はきえを守るため伊兵衛を見張り、伊兵衛がきえに斬りつけようとするのを止めるが、その騒ぎで伊兵衛は捕縛されてしまうのだった。きえが左之助が強盗犯であることを否定したため、彼は捕縛されずにすんだ。
が、その後、左之助も、他の3人の仲間も、それぞれの事情で悲惨な状態に陥っていく。
つくりはしっかりしていて、いろいろ丁寧な感じがする。
「逢魔が時」という情趣ある言葉をキーワードにしているのも乙である。
瑛太は、陰のある、腹の座った男前の若者左之助をいい感じで演じている。橋爪功の笑顔を絶やさない悪党老人もなかなか不気味である。ほかの仲間のおとこたちもよい感じだ。
居酒屋に集まる顔見知りの、でも他人同士の男たちをやばい仕事に誘うというのも、おもしろい。
が、犯行後の展開はなにかおもしろくない。みんなが押し込み強盗の件とは別の事情でひどいことになっていくという展開はわかるが、それが型通りというか、仙太郎の件などびっくりだが、女の情念を感じるよりはけっこう無理やりな感じもするし、最後に意気込む瑛太、ヤクザの群れに突っ込むところでのストップモーションは、頑張っているし、こういうのを初めてみる者にはなかなか刺激的だろうが、過去に同様のエンディングを何度となく見ていると、時代劇のドラマとしてはもうちょっと違うものでいってほしいと思ったりもするのだった。(2019.5)


サッドヒルを掘り返せ SAD HILL UNEARTHED
2017年 スペイン 86分
監督:ギルレモ・デ・オリベイラ
出演:
<「続・夕陽のガンマン」スタッフ>
セルジオ・レオーネ(監督)、エンニオ・モリコーネ(作曲家)、クリント・イーストウッド(ブロンディ)、エウヘニオ・アラビソ(編集者)、セルジオ・サルヴァティ(撮影助手)、カルロ・レバ(美術助手)、スペイン軍の兵士たち
<「続・夕陽のガンマン」のファン>
アレックス・デ・ラ・イグレシア(映画監督)、ジェームズ・ヘットフィールド(ヘヴィメタバンド「メタリカ」のボーカル)、ジョー・ダンテ(映画監督)、クリストファー・フレイリング(映画研究家)、カナダのファン2人組
<サッドヒル文化連盟のメンバー  Asociacion Cultural Sad Hill>
ダヴィッド・アルバ(バー経営者。*車で30分。)、ディエゴ・モンテロ(宝くじ売り、地元の恐竜発掘チーム員。*近くの村。)、セルジオ・ガルシア(ホステル経営者。アマチュア劇団員。*車で30分。)、ヨセバ・デル・ヴァレ(教師。祖父がエキストラで出演。父が本事業活動初日に他界。*車で2時間) 
*は各人の住まい、あるいは住まいからサッドヒルまでの所要時間など

セルジオ・レオーネ監督による1966年のマカロニ・ウエスタン(イタリア製の西部劇映画)「続・夕陽のガンマン」のファンたちが立ち上げたオープンセット再現事業の経緯とそこで行われた撮影50周年記念イベントの様子を、映画関係者などのインタビューを交えて描いたドキュメンタリー。
タイトルの「サッドヒル」とは、映画のクライマックスの舞台となる墓地の名称。中央に円形の石畳の広場があり、その周辺に同心円状に何千もの墓標(十字架)が立ち並ぶ。その墓のひとつに、20万ドルの黄金が埋められていて、3人の男(クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック)が争奪戦を繰り広げ、最後は円形広場で3人が三角形をなす形に向かい合って立つ、有名な三角決闘の場面となる。
サッドヒルのオープンセットが造られたのは、スペイン北部ブルゴス郊外のミランディージャ渓谷。撮影から50年が経ち、円形広場は20センチの土に埋もれ、雑草が茂っていた。タイトルは、その土を取り除いて石を敷き詰めた広場を掘り起こす作業を指す。比較的近くに住む映画のファンの男たち4人が「サッドヒル墓地」の再現を目指し、サッドヒル文化連盟を立ち上げ、ネットで世界中のファンに呼びかけ、墓地に建てる墓を売って資金を集める(墓の持ち主は、墓標に名前を書いてもらえるのだ)。各国からファンが鋤や鍬を持って集まりながらも、作業量は膨大で難航する。が、ついに広場に石の表面が現われ、周囲に2000もの墓標が立てられ、「サッドヒル墓地」が再現される。
事業の経過を追う中に、ヘヴィメタバンド「メタリカ」のジェームズ・ヘットフィールドや映画監督のジョー・ダンテや映画研究家など著名人のファンや、映画に関わった様々な人々のインタビューが挿しはさまれる。モリコーネの登場もうれしいが、レオーネ監督がスパゲティを食べながら映画について語るところでは非常に希少なものを見る思いがした。橋の爆破や墓地の建設に駆り出されたフランコ政権下のスペイン軍兵士だった老人も二人出てきて当時について語る。そんな中、不意にイーストウッドが現れる。この現れ方はよかった。
ファンの情熱は伝わってくるし、関係者の話も聞けて興味深かったが、しかし、ドキュメント映画としてはどうももったいない感じが残る。「ファンの情熱」「映画愛」がよかったというレビューがネットに寄せられているが(フィルマークスなど)、そこには「そのよさはわたしにはわからないけどね」という思いも隠されているように思えないではない。このドキュメンタリーを見ても「続・夕陽のガンマン」のよさはよくわからない。「名作」であることや、モリコーネの音楽が素晴らしいことは伝わるが、映画の内容についての説明や引用は少ない。橋の爆破シーンがあったことと最後の決闘シーンがちょこっと紹介されるだけである。元々は、サッドヒル事業のことを知ったオリベイラ監督が、YOUTUBEに流そうかというくらいの気持ちで現場に映像を撮りに行ったそうで、基本的にはわかる人にわかればいいという姿勢だ。でも、ドキュメンタリー映画として作品にする以上は、ただ讃えるだけでなく、もうちょっと「続・夕陽のガンマン」がどんな映画で、どういうところが人を魅了するのかについて示してほしかったように思う(三人三様の男たちの魅力とか、イーストウッドとウォラックの危うくも愉快な関係とか、橋の爆破についてもアル中の大尉の存在とか爆破に至るまでの経緯とかがいいのだし、ほかにもいろいろある)。
ところで、メタリカのことは全く知らなかったが、なんの予備知識もなくライブに行ってオープニングにいきなり大音響で「黄金のエクスタシー」がかかって、墓場を走り回るイーライ・ウォラックの映像がスクリーンに映し出されたら、(わたしだったら)さぞかし盛り上がるだろう。でも、最後のクレジットでずっとメタリカの曲が流れるのはいかがなものか。メタリカのファンはうれしいだろうが、ここはいったんヘットフィールドの顔を立てつつも、やっぱりモリコーネで締めるのが筋だろうと思う。(2019.4)


運び屋 THE MULE
2018年 アメリカ 116分
監督:クリント・イーストウッド
出演:アール・ストーン/タタ(クリント・イーストウッド)、
フリオ(イグナシオ・セリッチオ)、サル(ポール・リンカーン・アレイォ)、レイトン(アンディ・ガルシア)
メアリ(アールの元妻。ダイアン・ウィースト)、アイリス(アールの娘。アリソン・イーストウッド)、ジニー(アールの孫娘。タイッサ・ファーミガ)、
コリン・ベイツ(麻薬取締局(DEA)捜査官。ブラッドリー・クーパー)、トレヴィーノ(同。マイケル・ペーニャ)、ベイツらの上司(ローレンス・フィッシュバーン)
実在した90歳の麻薬の運び屋に着想を得て、88歳のイーストウッドが監督・主演。
アール・ストーンは、たった1日しか開花しないデイリリーというユリに魅せられその栽培にいそしんで園芸家として脚光をあびていたが、家庭を顧みず、別れた妻や娘とは疎遠になっていた。やがてインターネットの普及により、商売は落ち目、家も土地も手放すことになってしまった彼は、結婚を控えた孫娘の婚約パーティに出ようとして、娘のアイリスに冷たく追い返されてしまう。が、そのときパーティに来ていたメキシコ系の男から仕事を紹介される。それは、トラックで、ある荷物を運ぶ仕事だった。やばそうな仕事だと悟りつつも、大金が手に入るため、アールは「運び屋」としての仕事を重ねていく。
アールは、90歳の老人だが、機転が利いて軽口をたたくのがうまく、若いころは男前でさぞかしもてたろうと思わせる。外に出て人と会うのが好きで、家庭に落ち着くことなんて考えもしなかったような雰囲気がぷんぷんとする。地味そうな奥さんはつらい思いをしたろうし、それを見ていた娘が嫌うのも、直接被害にあっていない孫娘だけが慕っているのも、容易に合点がいく。
古いぼろぼろのトラックから、ピカピカの黒いトラックへと買い替え、アールはブツを運ぶ。アメリカ中西部に広がる荒野の中の一本道を悠々と走り、カーラジオから流れる歌を口ずさむ。
監視役としてアールのトラックの後を追うメキシカン・マフィアの二人、フリオとサルが、マイクを通して車に流れてくる曲とアールの歌声を聞かされるはめになるのが愉快だ。二人は気ままなアールに振り回され続けるが、やばくなったときはアールの機転に助けられる。フリオとアールは徐々に心を通わせていく。
一方、DEA(麻薬取締局)の捜査官ベイツは、正体不明の運び屋「タタ」(スペイン語で「老人」の意)を追っていた。彼とアールが、モーテル近くの店で朝食を取りながら言葉を交わすところも、逮捕時に再会するところもとてもよい。
アールは、フリオやベイツに対しついアドバイスしてしまうのだが、説教くさくなくていい。こうしたアールと男たちとのやりとりこそ、アメリカ映画の、立場の違う、男と男の交情(恋愛感情のことではない)というものだ。思えばこういうのが好きでアメリカ映画を好きになったのだが、最近はこういうシーンをあまり見なくなったような気がする。(2019.4)


グリーンブック  GREEN BOOK
2018年 アメリカ 130分
監督:ピーター・ファレリー
出演:トニー・リップ/バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)、ドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)、ドロレス・バレロンガ(リンダ・カーデリー)、オレグ(ディミテル・D・マリノフ)、ジョージ(マイク・ハットン)
アカデミー賞を受賞した、黒人と白人のおじさんのアメリカ南部道中記。
1962年のアメリカ。ニューヨークのナイトクラブで用心棒をしていたトニーは、店が改装で休業したため職を失ってしまう。新しい仕事は、黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーの運転手兼用心棒だった。ドクは人種差別の甚だしいアメリカ南部へのツアーを行うため、腕っぷしの強いトニーを雇ったのだった。「グリーンブック」は、黒人が南部を旅するにあたってのガイドブックで、黒人専用の宿などが紹介されている
学があっておしゃれで品行方正のドクと、がさつな大食漢でかけ事や喧嘩が大好きなイタリア系のトニーのやりとりは、ちぐはぐで愉快である。
トニー役のヴィゴ・モーテンセンと言えば「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのさすらいの王子アラゴルン役で有名であるが、私としては、アラビアを舞台にした「オーシャン・オブ・ファイヤー」で、砂漠で行われる過酷なレースに挑むアメリカのカウボーイ、フランク・ホプキンス役が印象的である。いずれにしてもしゅっとした男前のヒーローの役であり、この作品のチラシを初めて見てむっちりと太ったヴィゴを目にしたときはびっくりしたものだ。巨大なピザを折りたたんで食らい、ケンタッキー州に入るやケンタッキー・フライドチキンをバケツで買って車を運転しながら貪り食っては骨をぽいぽいと窓から投げ捨てる。服を脱げばお腹がでっぷり出ている。役作りとはいえ、あのストイックなフランクはどこに?と思ったが、ちょっとした間に見せる憂い顔などはまごうかたなきヴィゴ・モーテンセンで、ああ、よかったと思うのだった。
がさつとはいえ、トニーはイタリア系の親族や仲間がたくさんいて、家族思いの頼れるやつである。マフィアのボスに目をかけられているが、金に困ってもやばい仕事は断る良識も持っている。
妻のドロレスに言われて不器用ながら手紙を書くが、見かねたドクが知恵を貸し、文面は途中からロマンチックなものとなる。ドロレスは手紙を読んでうっとりするが、実はちゃんとわかっていたことがラストで明かされる。
南部でドクはさまざまな人種差別に遭い、トニーは黒人の実情を目の当たりにする。
トニーは、貧困さから言えば自分の方がずっとブラックだとドクに言い、ドクは、黒人でもない、白人でもない孤独を訴える。
ツアーを終え、クリスマスの夜に地元に戻った二人は、それぞれの家に帰る。トニーの家ではにぎやかなクリスマス・パーティが宴たけなわであるが、一方、ドクはカーネギー・ホールの上の豪華マンションに一人さびしくたたずむ。「淋しい方から言わないと」というトニーの言葉に従い、ドクが勇気を出してトニーの家の玄関口に現れるラストは、ほのぼのとする。
ほどよく品のある、バランスの取れた良品だが、私としては口当たりがよすぎて少々物足りない気がしないでもない。(2019.3)

エア・ストライク 大轟炸 Da hong zha AIR STRIKE
2018年 中国 96分
監督:シャオ・フォン
美術コンサルタント:メル・ギブソン
撮影コンサルタント:ヴィルモス・ジグモンド
出演:ガンタウ(リウ・イエ)、ジャック・ジョンソン大佐(ブルース・ウィルス)、ミンシュン(飛行兵。ソン・スンホン)、チャン(飛行兵。ウィリアム・チャン)、トラックに乗り込んでくる男(?)、保母あるいは女性教師(マー・スー)、女性ジャーナリスト(?)、鳥かごを抱えたおじさん(ウェイ・ファン)、動物学者(ガン・ウー)、スティーヴ(エイドリアン・ブロディ)、佐藤(日本軍航空兵・零戦操縦士。渋谷天馬)、日本軍司令官(大村波彦)
1941年、日中戦争下の中国。中国軍は日本軍の猛攻により劣勢にあった。最後の砦である重慶は度重なる爆撃を受け、壊滅の危機に瀕していた。米軍のジョンソン大佐は、中国空軍の若い飛行兵たちを指揮し、活路を見出そうとする。
広報では、ブルース・ウィルスやエイドリアン・ブロディがアピールされているが、彼らの出番はだいぶ少ない。主な登場人物の顔と役名と役者名が一致せず、IMDBで見ても発音がわからず、はっきり書けない。
話がちらかっていて、把握するのに時間がかかるが、概ね3つの話からなる。
日本軍の攻撃により仲間や肉親を失い復讐に燃える若い飛行兵ミンシュンらの話と、暗号解読機を運ぶトラックを護衛するという密命を帯びた休養中の飛行兵ガンタウらの逃避行と、そのトラックの運転手の伯父と重慶に住む人々の戦時下の暮らしの様子が、入り乱れて描かれる。
トラックで基地を目指すガンタウの一行に謎の男、動物学者、幼い子どもたちを連れた保母(教師?)と、どんどん人が加わっていくのはおもしろかった。
ミンシュンが美人のジャーナリストと恋に落ちる辺りは今風だった。ラブシーンで窓が開いて風が吹き込んでくるところは「静かなる男」を思い出した。
甥の死を知って悲しむおじさんがそれまで大事にしていた鳥を悲しみのあまり世話ができないと言って解き放つところや、不発弾を抱えていくところがよかった。せわしい中でも、このおじさんが出てくると心が落ちつく感じがした。
重慶の防空壕での生き埋めのシーンは、迫力があった。突然鬼気迫るものが湧いて出て、圧倒された。
空中戦はゲームのようだった。
とにかく空中でも地上でも、そこここで派手に爆発しまくっていた。
ラスト、ミンシュンの乗った戦闘機の車輪が片方しか出ず、ガンタウがトラックで滑走路を疾走して戦闘機の真下に入っていき、車の上にタッチダウンさせる着陸シーンは、ありえなさそうだが、なかなかよかった。「サンダーバード」で3台の車に機首と両翼の先を載せて着陸させるシーンがあったように思うが、それを思い出した。ブルース・ウィルスも、飛行場を走るジープに乗って大きく手を振って合図するが、あまり役に立っているように思えない。
「LOCO DD 日本全国どこでもアイドル」(2017)の第3話「富士消失編」で渋いガンマンを演じた大村波彦が日本軍司令官の将校役で顔を見せている。(2019.3)

ミスター・ガラス  GLASS
2018年 アメリカ 129分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ケヴィン・ウェンデル・クラム/パトリシア/デニス/バリー/ヘドウィグ/ビースト/他(ジェームズ・マカヴォイ)、デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)、イライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)、ケイシー・クック(アニヤ・テイラー=ジョイ)、ジョセフ・ダン(スペンサー・トリート・クラーク)、イライジャの母(シャーレイン・ウッダード)、エリー・ステイプル医師(サラ・ポールソン)
★注意! 本作だけでなく、「アンブレイカブル」や「スプリット」についても、いろいろネタバレしてます! 結末についても書いてます!★

「アンブレイカブル」(2000年)のデヴィッドとイライジャ、「スプリット」(2016年)のケヴィン(他多数の人格)が再登場する。
「アンブレイカブル」は見ていないので見てから行きたかったのだが、時間がなかったのでやむを得ず内容をざっと検索してあらすじや登場人物を知ってから見た。「スプリット」は公開時に見たので、まだけっこう覚えている。ケヴィンは、子どものころ母から虐待され自身を守るために多数の人格を生み出してしまった多重人格者である。人格が表に出ることを「照明」が当たると言い、オリジナルの人格であるケヴィンはめったに出てこない。24人の人格があるらしいが、主に出てくるのは、パトリシアという女性、潔癖主義者のデニス、陽気でおしゃれなバリー、永遠に9歳のヘドウィグなど、そして、凶悪な誘拐殺人犯、半獣半人のビーストがラストに登場する。
デヴィッドは、不死身の強い身体を持つだけでなく、犯罪者に触れただけでその罪を感知するという能力も持つ。彼は、息子のジョゼフ(「アンブレイカブル」の子役によく似ていると思ったら、大人になった本人が再び同じ役で出演)の協力を得て、犯罪者を見つけて密かにやっつけるという地味なヒーロー活動をしていた。ある日、ヘドウィグと路上ですれ違って接触したデヴィッドは、彼(ビースト)が監禁した若い女性たちを殺すビジョンを見る。彼は女性たちの監禁場所に侵入してビーストと対決するが、警察が駆け付け、二人はフィラデルフィアのとある施設に収容される。
精神科医のエリー・ステイプルは、二人を対象にスーパーヒーローについての研究を進める。彼女は、デヴィッドとビーストが自分をスーパーヒーローだと思っているのはすべて妄想で、スーパーヒーローなど存在しないという持論を証明しようとする。このエリーがもうちょっと魅力的かおもしろければよかったのに、そうでもないので彼女の話は退屈である。
そしてその施設には、薬を投与され、廃人のようになったイライジャも収容されていた。(「アンブレイカブル」のあらすじによると、イライジャは、とてつもなく高い知能を持つが、全身の骨が非常に弱く、ちょっとした接触によっても骨折してしまうという異常体質に生まれついていた。コミックコレクターであり、スーパーヒーローの存在を信じる彼は、デビッドが不死身であることを証明するため、列車事故を起こすという犯罪を犯し、収監されていたのだ。)タイトルの「ミスター・ガラス」はガラスのような身体を持つイライジャのことである。
異能者と異能者の対決、デイヴィッドの子ども時代の事故によるトラウマ、多重人格者の目まぐるしい人格の入れ替わり(「スプリット」同様、マカヴォイが文字通りのひとり舞台で怪演している)、虐待されて育ったもの同士の心の通い合いなど、いろいろな要素が入り混じってきて、さらにケヴィンの亡き父親についての新事実が発覚し、この映画は一体どこへ行きたいのかと戸惑い始めたころ、実は廃人のふりをしていたイライジャが目覚めたように行動を開始する。
彼は、デヴィッドとビーストを解き放つ。新設されたタワーで派手に対決だと言いながら、しかし、タワーに行きつくどころか、施設の前の芝生広場で、デヴィッドとビースト、警察を交えた戦いが始まり、ジョゼ、ケイシー、イライジャの母も駆けつけ、彼らの目の前で、乱戦が繰り広げられる。
最も暴れるのは、最強の力を持つビーストだが、彼を止めるのはデヴィッドではなく、「スプリット」における事件の被害者の少女の一人だったケイシーである。彼女は自分自身も叔父から虐待を受けていたので、ケヴィンに深い共感を抱いていた。暴れるビーストに、母によるアイロン型の火傷の跡が見られるのが切ない。彼女の腕の中で、ケヴィンとして息を引き取るシーンは、唐突に涙を誘う。
デヴィッドは苦手な水で攻められ、イライジャはビーストに全身の骨を折られ、二人とも悲惨な最期を迎える。
ステイプルは、世の中の力の均衡を乱すスーパーヒーローは必要ないと主張する謎めいた団体に所属していた。結果的に3人を葬り去ったことで彼女の使命は果たされたかに見えたが、しかし、イライジャは生前にネットでの反撃を仕組んでいたのだった。
スーパーヒーロー映画なのに出てくるのはおじさんとおじいさんでみんな陰気で、みんな心に傷を負っていて、みんな死んでしまう。映画が迷走の果てに着地したのは、スーパーヒーローはいるのだという訴えということになるのだろうか。シャマランらしい、変に散らかった、このすっきりしなさぶりを楽しめれば、かなりおもしろい映画だと思う。(2019.1)
関連映画:「アンブレイカブル」(2000年)、「スプリット」(2016年)



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