みちのわくわくページ

○ 映画(2016年)

<見た順(降順)>
君の名は、  この世界の片隅に、 手紙は憶えている、 ジェーン、  ジェイソン・ボーン、 ハドソン川の奇跡、 シン・ゴジラ、 涙の数だけ笑おうよ 林家かん平奮闘記、 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男、  殿、利息でござる!、 ズートピア、 レヴェナント:蘇えりし者、 ヘイトフル・エイト、 ブリッジ・オブ・スパイ、 ボーダーライン

君の名は YOUR NAME
2016年 日本 公開:東宝 107分 アニメーション
監督・脚本:新海誠
声の出演:宮水三葉(上白石萌音)、一葉(市原悦子)、宮水四葉(谷花音)、宮水トシキ(てらそままさき)、宮水二葉(大原さやか)、勅使河原克彦(成田凌)、名取早耶香(悠木碧)、勅使河原の父(茶風林)
立花瀧(神木隆之介)、奥寺ミキ(長澤まさみ)、藤井司(島崎信長)、高木真太(石川界人)、瀧の父(井上和彦)
世間で評判になって大ヒットしているので見に行こうかと思っては、予告編を見てその気が萎えるという手順を何度も繰り返してきた。巨大クレーターが連想させる「世界を救う」話も、魂入れ替わりとタイムスリップという昨今のテレビドラマの2大使い古しネタにも、高校生が主役のドラマにも、もうほとほと飽いているし、アニメならではのちょっとためてからの表情描写とかふわっと風が吹く感じとか、クライマックスの掛合い的な叫び合いとか、なんかどうもノレないと思っていたのだが、ついに見にいく。
私としては若干気恥ずかしいところがあるが(せっかくの、最大の見せ場のひとつとも言える三葉と瀧の初めての出会いの場面でのあのやりとりは私には気恥ずかしすぎて見ていられなかった)、危惧していた押しつけがましさや甘ったるさはさほど感じられず、きちんとした物語を、きれいな画面で丁寧に見せてくれる良作だった。最近は何かというとすぐ安易にタイムスリップするドラマが多すぎてちょっと辟易していたのだが、時間ネタSF好きとしてよくできたものを見られたということもあると思う。映画について四の五の言うのは、ほんとに、見てからにしないといけないとつくづく反省した次第である。
魂の入れ替わりの描き方は抑え気味で、時間のずれについては伏線や小道具がよく利いている。組紐を作りながら一葉が語る世の中の「綾」の話、代々繰り返されてきた入れ替わりの夢の話、現代っ子ならドン引きしそうな作り方をするお神酒の口噛み酒、何度も何度も三葉の髪を束ねる組紐、二人が初めて出会う「かわたれどき(彼は誰時)」、そして「糸守」という地名など、いろいろな細部が見事に組み合わさって、まさに「綾」を成す。頻繁に出てくる引き戸の真横のカットは、アニメならではのアングルとも言えて、珍しい。(異世界への出入口などどいう解釈もあるようだが、私としては珍しいものを見たというにとどめておきます。)
時間を隔てた恋は、マシスンの時間ネタ小説「ある日どこかで」などを思い出させるが、時間的に「ある日どこかで」ほど離れていないので、再会可能なのがよく、自分を知らない滝に会う三葉の思いもほどよく切ない。
変電所の爆破、防災無線ジャックという、高校生らによる必死の避難作戦は、せっかくなので、もうちょっと活劇的に盛り上がってほしかった気がする。いろいろ考えたのだろうが、町長に大事を告げるところで終わるのは何とももったいないように思った。(2016.12)

この世界の片隅に
2016年 日本 公開:東京テアトル 126分 アニメーション
監督:片淵須直
原作:こうの史代
声の出演:北條(浦野)すず(のん)、北條周作(細谷佳正)、黒村晴美(稲葉菜月)、黒村径子(尾身美詞)、北條円太郎(牛山茂)、北條サン(新谷真弓)、水原哲(小野大輔)、浦野すみ(潘めぐみ)、白木リン(岩井七世)、澁谷天外(?)
太平洋戦争下の広島県呉市を舞台に、厳しい状況の中で、明るくひたむきに生きる若い女性すずの姿を描く。
広島市の江波で生まれ育った18歳のすずは、突然持ち上がった縁談によって、隣の呉市の北條家に嫁ぐ。のんびりした性格のすずは、与えられた環境の中で一生懸命働き、新しい家族との暮らしを営んでいく。が、戦争によって生活はどんどん苦しくなり、やがて呉は頻繁に空襲を受け、広島には原爆が投下される。
大変評判の良い作品である。良くできているし、のんの声の出演もだいぶいいと思うが、しかし、申し訳ないことに、釈然としないものが残ったというのが私の正直な感想である。
若い人たちがこれを見て戦争について知ったり考えたりするのはよいことだと思うが、逆に例えば、私のようにちょっとでも戦争の影響を受けた世代、戦時中の経験はなくても、子どものころ親にとって戦争は直近の過去であり、戦争の跡は日常の様々なところに残されていて、朝ドラにもマンガにも戦争は当然あったものとして組み込まれていた、そんな世代にとってはどうなのかと思ったのだが、知り合いの同年代の男性でこれを見た人は、だれもかれもが称賛しているのだった。
でも、わたしにとって、このほわほわした作風は口当たりがよすぎる。そしてその口当たりのよさの裏に隠されたものを読み取ろうとすると、底なし沼にはまってしまう。
例えば、すずの置かれた状況は空襲が始まる前から過酷である。見知らぬ家に嫁ぎ、義母が病気がちなため家事や農作業など一切の労働をこなさなくてはならなくなった。朝から晩まで、好きな絵を描く時間もなく、ハゲができるほどのストレスを抱えて。他人の家の台所がいかにわかりにくいものか、妊娠したと思ったら間違いだったとわかった時の義父母に対するバツの悪さがいかほどのものか。原作は読んでいないが、作者は女性なのでそうした女性目線の細部がいろいろあるような気がするが、映画ではハゲができたことや妊娠が勘違いだったことは一見笑い話にしかなっていない。当時の嫁はみんなこんなものだったし、すずはのんびり屋だからそれでも楽しくやっていけているのだということですませ、やがて起こる凄惨なできごとと対比して、「おだやかな日常」とか「つましくも心豊かな生活」的な物言いをされているのが、なんだか釈然としない。映画全体を通して、辛い状況を少しでも明るく見せるために、すずはのんびり屋だからという性格設定におもねすぎていないか。
また、周作が、水原とすずを夜二人きりにすることについて、水原に嫉妬を抱きつつもすずの気持ちを気遣って複雑な思いであのような行動に出たという見解が、レビューなどでよく見られる。原作を読んだ人は、実は、周作はリンの客で、疚しさを感じた周作があのような行動に出たという見方もあるようなのだが、映画ではそうした関わりは出てこないので、それはないものとしてみれば、周作は、すずへの気遣いだけでなく水原への気遣いもあったと思う。水原はこれから戦地へ赴く兵士である。生きて帰ってこられないかもしれない最後の夜に、家族や仲間と過ごさず、わざわざすずの嫁ぎ先を訪ねたのは、どうしてもすずに会いたかったからではないか。文官で戦地に行かない周作は、多かれ少なかれ引け目を感じ、水原のためにすずとの時間を与えたとは考えられないか。監督は私と同い年である。子どものころは、昭和だったはずで、昭和の大人たちのがちゃがちゃした感じ、暑苦しく、デリカシーの欠片もない感じ(けなしているつもりでないし、もちろんそんな人たちばかりだったわけではない)はたぶん知っているのではないかと思うのだが、呉の北條家の人たちは、みんなおだやかで、紳士的だ。義姉の径子もきっぱりした性格ではあるが、基本的に気配りのある人だ。みんないい人すぎるというよりは、なんか記憶にある昭和の人の顔をしていない。平成生まれの若い人たちが入りやすいようにそうしたのだろうか。それとも私が知っているのは関東(茨城)の方の気質で、関西はもっとおだやかだったのだろうか。でも、昭和の顔はしていなくても、価値観は昭和初期だから、嫁が朝から晩まで働くのは当たり前だと思っているのだが、その辺りははっきりは示されない。それが却って意地悪く思えてしまう。
火垂るの墓」がしばしば引き合いに出されているが、見たことがあれば当然思い出す映画である。戦争の酷薄さを訴え、悲惨な状況をストレートに表していて、観た後にはなんともやりきれない思いが残る。希望はあった方がいいが、しかし、言いにくいことをストレートに伝えている「火垂るの墓」の方がわたしはむしろ心が落ち着く。本作のオブラートに包んでやさしく伝えてくれるような手法には、どうも乗り切れなかった。(2016.12)

手紙は憶えている REMEMBER
2015年 カナダ・ドイツ 95分
監督:アトム・エゴヤン
出演:ゼヴ・グットマン(クリストファー・プラマー)、ルディ・コランダー(1番目。ブルーノ・ガンツ)、ルディ・コランダー(2番目。ハインツ・リーフェン)、ジョン・コランダー(ディーン・ノリス)、ルディ・コランダー(4番目。ユルゲン・プロフノウ)、マックス・ザッカー(マーティン・ランドー)
アウシュヴィッツ捕虜収容所の生き残りである老人2人が、家族を殺した収容所の区画責任者を探し、復讐を果たそうとする。
計画を立てたのは、アメリカの高齢者介護施設で暮らすマックスだが、彼は体の自由が利かず、同じ施設にいる90歳のゼブが実行役を引き受ける。しかし、ゼヴは認知症による記憶障害のため眠るたびに記憶を失ってしまう。そこでマックスは、計画の細かい内容を記した手紙を書き、ゼヴはその手紙を頼りに、施設を抜け出して復讐を果たすための旅に出る。仇の男オットー・ヴァリッシュは元ナチであることを隠し、名前をルディ・コランダーと変えて暮らしているとのことだが、同じ名の男が4人いるため、ゼヴは、彼らを一人ずつ訪ねていく。
この4人の復讐相手候補者が四人四色というか、ヴァリッシュ本人以外の3人もいろいろな立場からかつてのユダヤ人収容所に絡んでいて、ゼヴが新たな候補者を訪ね、正体のわからない相手と対峙するたびに緊迫する。
ゼヴは身の回りのことはちゃんとできるが、その旅はどうにも危なっかしい。認知症の老人の一人旅というだけではらはらさせられるが、さらに目的は復讐である。ゼヴが、「手紙を読む」と自らの手にメモするあたりで、心配は募り、マックスの指示に従って拳銃(グロック)を入手し、それを所持してカナダとの国境を越えなきゃならなくなったり、わざわざ半そでシャツを買うという伏線の後にナチスの信望者に腕に残された囚人番号を見られたりするなど、サスペンスがいろいろ散りばめられている。ぜヴはピアノを弾けるので、何度となくピアノを弾いてみせる。音楽が緊迫感を和らげ、ほっともするのだが、彼がの選曲もまた伏線となっているのだった。
ラストは後味のいいものではないが、しかし、ハッピーエンドでさわやかに終われる題材でもないように思われる。アウシュヴィッツの生き残りということで言えば、こうした話が現代劇として成立するには、今がぎりぎりの時期ということなのだろう。老人の執念が果たす復讐劇を鮮やかに描いていると言えるが、結末を知ってから思い返すと、かなり痛烈なものがある。
[引用]
マックスの手紙:我々は、収容所のあの区画の最後の生き残りだ。我々の家族を殺した男の顔が分かるのは、私以外には君しかいない。
Max Rosenbaum: [in letter to Zev] We are the last living survivors from our prison block. Besides me, you are the only person who could still recognize the man who killed our families.


ハドソン川の奇跡 SULLY
2016年 アメリカ 96分
監督:クリント・イーストウッド
出演:サリー/チェズレイ・サレンバーガー(トム・ハンクス)、ジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)、ローリー・サレンバーガー(ローラ・リニー)、ラリー・ルーニー(クリス・バウアー)、エリザベス・デイヴィス(アンナ・ガン)、マイク・クレアリー(ホルト・マッキャラニー)、チャールズ・ポーター(マイク・オマリー)、ベン・エドワーズ(ジェイミー・シェリダン)、ダイアン・ヒギンズ(CA。ヴァレリー・マハフェイ)、シェイラ・デイル(CA。ジェーン・ガバート)
2009年冬、アメリカ、ニューヨークで、エンジントラブルに見舞われた旅客機が、機長の英断によってハドソン川に不時着水し、乗客全員が無事生還するというニュースがあった。この映画はその事実を題材としている。
映画は90分台がいいと思っている身にとっては、うれしい長さの良作である。飛行機事故に焦点を絞っているので、飛行機映画好きとしてもうれしい。
マスコミにより英雄と持ち上げられた機長のサリーは、しかし、事故後の航空会社の調査により、その判断の正否を問われることになる。映画は、事故の様子を何回となくたどるとともに、公聴会で結論が出るまでの、サリーの思いや周辺の人々の彼への様々な接し方を描いていく。
2009年1月15日、155人の乗客を乗せてニューヨークのラガーディア空港を飛び立った旅客機は、離陸後まもなく飛鳥によって両翼のエンジンが故障してしまう。管制塔からは、直近の空港へ着陸するよう指示が出るが、急速に高度を下げていく機内にあって、サリーは空港までは持たないと判断し、眼下を流れるハドソン川への着水を決行する。
トラブル発生後、管制塔とのやり取りがあって、サリーが判断を下し、機内でCAが不時着水に備えた体勢をとるよう指示を出し、乗客は不安と恐怖を抱えつつも指示に従い、サリーと副機長のジェフが飛行機を無事着水させ、川を運航していた海上保安庁的なところの船が飛行機に気づいて応援を呼ぶとともに乗客の救出に駆け付ける。
この一連の、それぞれの立場の人たちの緊急事態への対応が実にてきぱきと描かれている。脱出の際にはぐれた息子の名前を呼び続ける老父や、レスキューにヘリで救出される大柄な女性客、朗報を聞いて喜ぶ管制官など、役名もわからない人たちに見入ってしまう。
後半の公聴会のシーンは、裁判劇のようになる。「人間の決断」について語り、反撃するサリーの言葉には、決定的な証言により判決が覆った法廷ドラマと同様の爽快感を覚えるが、全体を通して、ミステリの様相を呈していると思う。
映画はいきなり事故後から始まる。鏡の中の自分の顔を見て、「おれも歳をとったな」などと思っているであろう中年男サリー。自分の顔を鏡で見た時点で、彼はハードボイルドの主人公たりうる。さらに、経験を積んだその道のプロで、気脈の通じた相棒(副機長のジェフ)もいる。とっさの判断で発砲して犯人を撃って市民を救ったが、その判断が正しかったか否か、警察の内部審査を受けているベテラン刑事てな展開と、シチュエーション的にはほとんど同じだ。美談の衣をまとってはいるが、これは、いい仕事をやり遂げた男の、味わい深いハードボイルド・ドラマとして私は見た。(2016.10)
この一言(No.68):「墜落ではない。不時着水だ。」


シン・ゴジラ SHINGODZILLA
2016年日本 東宝 120分
総監督・脚本・編集:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
准監督・特技総括:尾上克郎
音楽: 鷺巣詩郎、伊福部昭
★ネタバレあり。注意!!★



出演:矢口蘭堂(内閣官房副長官、巨大不明生物特設災害対策本部事務局長→同副本部長、特命担当大臣。長谷川博己)、赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官→内閣官房長官代理。竹野内豊)、カヨコ・アン・パタースン(米国大統領特使。石原さとみ)、志村祐介(内閣官房副長官秘書官。高良健吾)、
大河内清次(内閣総理大臣。大杉漣)、東竜太(内閣官房長官。柄本明)、花森麗子(防衛大臣。余貴美子)、財前正夫(統合幕僚長。国村隼)、里見祐介(農林水産大臣→総理大臣。平泉成)、泉修一(保守第一党政調副会長→内閣総理大臣補佐官。松尾諭) 、内閣危機管理監(渡辺哲)、内閣府特命担当大臣(中村育二)、国土交通大臣(矢島健一)、 総務大臣(浜田晃)、文部科学大臣(手塚とおる)、
尾頭ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課課長補佐。市川実日子)、森文哉(厚生労働省医政局研究開発振興課長・医系技官。津田寛治)、安田龍彦(文部科学省研究振興局基礎研究振興課長。高橋一生)、間邦夫(生物学者。国立城北大学大学院生物圏科学研究科准教授。塚本晋也)、
統合幕僚副長(鶴見辰吾)、タバ戦闘団長(ピエール瀧)、東部方面総監幹部幕僚長(橋本じゅん)、東京都知事(光石研)、東京都副知事(藤木孝)、警察庁長官官房長(古田新太)、警察庁刑事局局長(モロ師岡) 、防災課局長(諏訪太朗)、外務省官僚・臨時外務大臣(嶋田久作)、外務省官僚・新政務担当総理秘書官(神尾佑)、資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長(野間口徹)、警察庁危機管理担当要員(加藤厚成)、消防庁危機管理担当要員(阿部翔平)、原子力規制庁監視情報課長(黒田大輔)、経済産業省製造産業局長(吉田ウーロン太)、官邸職員(片桐はいり)、消防隊隊長(小出恵介)、自衛隊員(小林隆、斎藤工、KREVA、石垣佑磨)、生物学者(原一男、犬童一心 、緒方明)、ジャーナリスト(松尾スズキ、川瀬陽太、三浦貴大)、避難者(森廉、前田敦子ほか)、牧悟郎博士(岡本喜八。写真のみ)、野村萬斎(ゴジラ、モーションキャプチャ)
(※出演者の氏名・役職については映画を見ただけではとても把握しきれず、映画.com、ウィキペディアなどを参照しました。)

東京湾に突如として現れた巨大不明生物ゴジラ。
未曽有の特殊災害に直面し、政府関係機関の人々は必死の対策を試みる。対応は後手に回り、そのくせすぐに事態を楽観するやつがいるとはいえ、てきぱきと早口で発言していく官僚の人々はけっこう有能そうである。
いったん水中に引き返したゴジラは、進化を遂げさらに巨大化した姿を現し、鎌倉に上陸して武蔵小杉を通って東京に向かう。自衛隊の攻撃は効果がなく、日本政府はアメリカ軍に救援を求めるが、ゴジラは放射性物質のビームを放出して町を破壊する。(わたしは「エヴァンゲリオン」は全く知らないのでそれを思わせる要素はわからないのだが、進化前の芋虫のようなゴジラの瞳孔の開いた目はトトロとか猫バスのそれに似ているように感じられ、ゴジラが放つレーザービームは昔のゴジラの火炎放射というよりは「ナウシカ」の巨神兵みたいで、ジブリっぽいところはあると思った。)
ゴジラは、東京の街を破壊し汚染しながら丸の内までやってくるが、エネルギーを使い果たして東京駅の前で休眠状態に入る。
その際、霞が関から退避を試みた総理大臣を初めとする閣僚を乗せたヘリがゴジラの襲撃を受け、内閣は壊滅状態となる。急遽農林水産大臣が総理代理にしたてられ、臨時の新内閣が発足する。
ゴジラを「駆除」できなかったため、アメリカは国連に話を持ち込み、国連安保理は熱核攻撃を決議し、ゴジラが休止している2週間のうちに東京都民360万人の避難を要請してくる。
しかし、その一方、巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)は、ゴジラの血液を凍結させる作戦(「ヤシオリ作戦」※と命名)の準備を進めていて、国内における(広島・長崎に続く3度目の)核攻撃を断固阻止せんとする日本政府は、国連軍への参画を遅らせるようフランスを説得し、アメリカの協力を得て、同作戦の決行に臨む。
前半は、現状把握と対策の検討を行う内閣の会議の様子が延々と続く、ポリティカル・アクション風。後半は、東京、丸の内を舞台としたゴジラ対日本人の戦いとなる。
伊福部昭の「宇宙大戦争マーチ」が満を持して鳴り響く中、無人戦闘機による攻撃で丸の内の高層ビルが次々と破壊されてゴジラに崩れかかり、無人新幹線爆弾がその足元をすくう。倒れたゴジラの口元にすかさずこの作戦のためだけに急造されたであろう特殊重機が押し寄せ、氷のような血液凝固剤をゴジラの口中に噴射する。ゴジラが動くと、電車攻撃第二弾の無人在来線爆弾が発射される。わたしは特に鉄道ファンではないのだが、この「無人在来線爆弾」には、その秀逸な命名とともに、今回最もぐっと来てしまった。映画の冒頭からゴジラ出現場所の地名や登場人物の役職・氏名の字幕を事細かく挿入してきたのは、この漢字七文字のスーパーを出したいがためだったのではないかと思いたくなるくらいだ。冷静に考えるとばからしいことを大真面目にやる、怪獣映画というか少年冒険ロマンというか、最新技術を駆使したゴージャスな映像の中にアナログな活劇の魅力を追及する、筋の通った強固な信念が感じられるのだった。
メインキャスト以外にも、数々の俳優たちや映画監督らがこぞってちょっとの出番に顔を見せる、膨大なアイウエオ順の出演者クレジットに、国民的映画の醍醐味を感じた。 (2016.8)
※注)「ヤシオリ」は、「日本書紀」に出てくる「八塩折之酒」の「八塩折(やしおり)」、須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するときに飲ませた酒の名前だそうである。(ウィキペディアより)
関連作品:「GODZILLA ゴジラ」(2014)、「ゴジラ・モスラ・キングキドラ大怪獣総進撃」(2001)「ゴジラ」(1954)

涙の数だけ笑おうよ 林家かん平奮闘記
2016年 日本 オフィル・シマ 85分
監督・編集:竹藤恵一郎
音楽:大野恭史
出演:林家かん平、海老名香葉子、江戸家猫八、江戸家小猫、橘家竹蔵、古今亭八朝、林間楽語会
ナレーター:津川雅彦

1990年、40代初めに脳溢血で倒れ、右半身に麻痺が残りながらも、厳しいリハビリをして高座に復帰した落語家林家かん平師匠の、最近の1年を追ったドキュメンタリー。
劇映画であれば、この展開は今一つとか、あのセリフはよかったとか、好き勝手が言えるのだが、ドキュメンタリーの感想はほんとうに書きづらい。人の人生をどうこう言う立場にはないと思ってしまうし、しかも、私は落語のことはよくわからなくて、林屋かん平師匠についてもあまり知らなかったのだからなおさらである。でも、せっかく見たので、とりあえず書いておきます。
車椅子で生活するかん平師匠は、ヘルパーさんの助けを借りながら、寝たきりの高齢の母親と二人で暮らしている。毎年故林家三平師匠の追善の寄席で高座に上り、また地元で彼を支える林間楽語会主催の落語会に出演する。映画はそうした会と会に出るまでの、かん平師匠の日常生活やリハビリ、落語の練習、新作に取り組む様子などを映し出す。
自力で歩くことは無理、首は右に傾いだままで、右手も思うようには動かないし、しゃべりもやはり聞きづらいところがあるのは否めないが、監督がおずおずと発する質問に対して、かん平師匠が答える言葉は、内容にまったく淀みがなくて心地よく、NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」に出てきた「がんばっていれば神様がご褒美をくれる。」というセリフが好きだと彼が言えば、その言葉が聞いているこちらの身中にもすらすらっと流れ込んでくるように思えるのだった。昨今は、「がんばれ。」と言われるのはNGだけど、「よくがんばったね。」と言われるのは大好き、他人からほめてもらいたくてしようがない輩が私の周辺にもネットにも見受けられ、なんでみんなそんなにほめてもらいたいのだと、常々ちょっと呆れている次第なのだが、かん平師匠のいう「ご褒美」はそうしたものとは、まるで次元が違っているように思えた。
タイトルを見るとお涙ちょうだいものっぽいが、涙は出てこない。そこが非常によい。師匠が自らの状況を受け入れて奮闘している様は、厳しくも、淡々としてほんわかとして、ファンタジーぽい印象さえ残る。これは竹藤恵一郎監督の持ち味も利いているのだと思う。
余談だが、師匠が落語家になったきっかけについて訊かれ、高倉健が好きで、彼の着物姿がかっこよくて、自分も着物を着る仕事がしたいと思ったからだと答えるところがある。部屋の一角にある棚の何段かを占めて健さんの任侠映画のDVDがシリーズでずらりと並んでいた。健さんファンの私としては、たいへんうれしかった。(2016.9)

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 TRUMBO
2015年 アメリカ 124分
監督:ジェイ・ローチ
原作:ブルース・クック「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
出演:ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)、アーレン・ハード(ルイス・C・K)、イアン・マクレラン・ハンター(アラン・テュディック)、
クレオ・トランボ(ダイアン・レイン)、二コラ・トランボ(エル・ファニングほか)、クリス・トランボ(ミッチェル・サコックスほか)、ミッツィ・トランボ(メーガン・ウルフほか)、
ジョン・ウェイン(デヴィッド・ジェームズ・エリオット)、ヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)、サム・ウッド(ジョン・ゲッツ)、ロイ・ブリューワー(ダン・バッケダール)
エドワード・ロビンソン(マイケル・スタールバーグ)、バディ・ロス(ロジャー・バート)、ルイス・B・メイヤー(リチャード・ボートナウ)、
フランク・キング(ジョン・グッドマン)、ハイミー・キング(スティーブン・ルート)、カーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)、オットー・プレミンジャー(クリスチャン・ベルケル)
冷戦時代のアメリカ。共産主義者ということでハリウッドで赤狩りの標的にされた脚本家ダルトン・トランボの苦難の日々を描く。
彼は、公聴会で証言を拒否したために議会侮辱罪で実刑判決を受け収監される。ブラックリストに載り、出所してからも仕事を干されるという憂き目に遭うが、偽名で脚本を書き続け、やがて表舞台に返り咲くのであった。
映画は1940〜50年代の赤狩りの時代に的を絞っているので、トランボは既に有名な脚本家となっているところから始まり、「ジョニーは戦場へ行った」の脚本を手掛ける前で終わる。青少年時代とか妻との出会いとかも一切描かれず、潔い。
トランボは、ひたすら脚本を書き続ける。左右の人差し指でタイプライターのキーを打ち、風呂場で湯に浸かりながら原稿を切り貼りする(この切り貼りが、小説家でなくて脚本家たるところなのだななどと思った)。受難者としての苦労はあっても、クリエイターとしてスランプに陥るなどの苦悩は描かれていないので、いくらでも書ける人という感じである。
映画ファンにとっては、「ローマの休日」「スパルタカス」他数々の映画のシーンや、名の知れた監督やスターが登場するのがうれしい。
主人公がトランボなので、非米活動委員会始め体制側は敵、圧力に屈した業界人は裏切り者、共産主義者やトランボに協力するものは味方である。
元女優でコラムニストのヘッダ・ホッパーは憎々しい敵として一身に恨みを買う役回りだが、ハリウッドで身を立てるために業界の男たちに数々の屈辱を味わわされてきた恨みをここぞとばかりに晴らしているのではないかと思わせるところもある。
ジョン・ウェインは敵で、演ずる俳優がなんとなくその感じはあるがあまり似ていず、なんだか小物っぽいので、トランボが彼にくってかかるシーンでも国民的大スターにこんなこと言っちゃうなんてすごく度胸がある男だという感じがいまいち伝わらないように思った。
カーク・ダグラスは、よく似ていると評判である。たしかにジョン・ウェインより似ていると思うが、少々甘目で精悍さや鋭さに欠けると感じた。でも、それまで気が強い女の子として描かれてきたトランボの長女二コラや、レストランで彼を見つけた若い娘たちが憧れのまなざしで彼を見るのは、さすがスターという感じでよかった。
オットー・プレミンジャー監督と、ひたすら大衆娯楽映画づくりにいそしむキング・ブラザースが出てくるところは、愉快で楽しかった。(2016.8)

殿、利息でござる!
2016年 日本 公開:松竹 129分
監督:中村義洋
原作:磯田道史「穀田屋十三郎」(「無私の日本人」文藝春秋所収)
主題歌:RCサクセション「上を向いて歩こう」
出演:穀田屋十三郎(造り酒屋。阿部サダヲ)、菅原屋篤平治(茶師。瑛太)、浅野屋甚内(造り酒屋・金貸し。妻夫木聡)、とき(竹内結子)、遠藤幾右衛門(肝煎。寺脇康文)、千坂中内(大肝煎。千葉雄大)、穀田屋十兵衛(味噌屋。きたろう)、早坂屋新四郎(雑穀屋。橋本一郎)、穀田屋善八(小間物屋。中本賢)、遠藤寿内(両替屋。西村雅彦)、なつ(篤平治の妻。山本舞香)、音右衛門(十三郎の息子。重岡大毅)、加代(十三郎の娘。岩田華怜)、きよ(草笛光子)、先代・浅野屋甚内(山崎努)、萱場杢(出入司。松田龍平)、橋本権右衛門(代官。堀部圭亮)、伊達重村(仙台藩主。羽生結弦・友情出演)
 
★ネタばれあります!!★

江戸時代中期、仙台藩の宿場町吉岡宿で、町人たちが町を救うため、ある突飛な計画を思いつく。
吉岡宿は宿場町であるがゆえに、お上から伝馬役という馬による荷物運搬のお役目を仰せつかっていたが、報酬はなく費用はすべて地元持ちであった。百姓や町人は貧しい生業の上に伝馬役の負担を強いられ、生活は苦しくなる一方、夜逃げをする者もいた。
町を思う造り酒屋の穀田屋十三郎は、知恵者の菅原屋篤平治がぽろっと口に出した話に乗り気になる。それは、藩に大金を貸し、その利息を伝馬役の費用に充てるというものだった。そのためには千両(3億円)もの金を工面しなければならず、十三郎は仲間に声を掛け、資金集めに奔走する。
篤平治の思惑とは逆に、肝煎、大肝煎もこの話に乗り気になる。彼らは数年かけて千両を集め、ついに藩に願い出る。申し出は藩の出入司(会計係)である萱場にあっさり却下されるも再び試み、やっと通ったと思ったら思わぬ相場の落とし穴が待ち受けている、など計画は最後の最後まですんなりいかないのだった。
真面目だが深刻すぎず、ほどよいユーモアと泣ける話を交え、町の再生計画の立案から実行までを描いて、口当たりのよい集団人情話となっている。
しかし、集団劇とはいえ、これほどでしゃばった人物がいない映画も珍しい。阿部サダヲと瑛太の名前が最初に挙がるのだろうが、肝煎※の寺脇も、若い大肝煎の千葉も、居酒屋の女将の竹内も、代官の堀部も、みんなそれぞれにいい人ぶりを見せている。両替商の西村は金儲けしか考えない商人根性丸だしのせこいやつ、藩の会計係の松田はクールで無表情な融通のきかない役人だが、いずれもユーモラスに憎めない感じで描かれている。後半は、ごうつくばりの高利貸しだと思っていた浅野屋の面々が実はとてもいい人たちに大逆転、妻夫木演じる目の不自由な美青年はまるで仏様のように神々しい笑みを人々に向けるのであった。そして最後は羽生結弦のさわやかな若殿さまが登場する。
みんなが同じくらいにいいところを見せる、この目立ち度均等ぶりはそうあるものではない。日本人好みなのかもしれないが、やっぱり目立ちたがりのヒーローが出てくるチャンバラ映画の方が個人的には好きだなと思った。(2016.6)
 ※肝煎は、江戸時代の村役人。西日本では庄屋、東日本では名主、東北・北陸では肝煎といったらしい。大肝煎は、いくつかの村 を集めた地域の代表。(ウィキペディアより)

ズートピア  ZOOTOPIA
2016年 アメリカ ディズニー 108分
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
制作総指揮:ジョン・ラセター
声の出演(オリジナル/日本語吹替):ジュディ・ホッブス(ウサギ。ジニファー・グッドウィン/上戸彩)、ニック・ワイルド(アカギツネ。ジェイソン・ベントン/森川智之)、ボゴ署長(水牛。イドリス・エルバ/三宅健太)、クロウハウザ(チータ。ネイト・トレンス/高橋茂雄)、ライオンハート市長(ライオン。J・K・シモンズ/玄田哲章)、ベルウェザー副市長(ヒツジ。ジェニー・スレイト/竹内順子)、フラッシュ(ナマケモノ。レイモンド・S・バーシ/村治学)、ヤックス(ヤク。トミー・チョン/丸山壮史)、ミスター・ビッグ(ネズミ。モーリス・ラマーシュ/山路和弘)、ボニー・ホッブス(ウサギ。ボニー・ハント/佐々木優子)、スチュー・ホップス(ウサギ。ドン・レイク/大川透)、ガゼル(ガゼル。シャキーラ/Ami)、マイケル狸山(日本版オリジナルキャラクター。芋洗坂係長)
2D日本語吹替版を見る。
象からネズミまで、サイズもタイプも様々な種の動物が共生する世界。田舎育ちのウサギのジュディは、警官になって世の中をよりよくしたいという夢を持っている。彼女は、体の小さなウサギは警官になれないという世間の常識を覆し、努力して史上初のウサギの警官となり、あこがれの大都会ズートピアに赴任する。
夢と希望を抱いて訪れたズートピアには、しかし、華やかな見た目とは違った厳しい現実があった。
ジュディはウサギの警官を認めないボゴ署長に半端仕事ばかりさせられていたが、ある日、キツネの詐欺師ニックと知り合い、ともに失踪したカワウソの行方を追うことになる。二匹は、連続肉食動物失踪事件の裏に隠された陰謀を暴いていく。
住民の多くが草食動物である中で、人口の1割を占める肉食動物に対する差別問題が大きなテーマとなっている。
同様に、アメリカ社会を如実に表しているものとして、ジュディが繰返し口にする「この街ではだれでもなんにでもなれる(anyone could be anything)」という言葉がある。かつてアメリカン・ドリームを表すために使われたフレーズで、私は「打撃王」という映画で初めて耳にした。これは「ヤンキースの誇り」(映画の原題である)と呼ばれたメジャーリーガー、ルー・ゲーリックの伝記映画で、サム・ウッド監督、ゲイリー・クーパー主演の1942年の作品である。貧しい家に生まれた少年ゲーリッグに、母親が「この国では、だれでもなりたいものになれるのよ。」と言い聞かせていたのを覚えている。自由の国アメリカでは、身分や出自に関係なく誰にでも機会は均等にあり、努力と才覚でのし上がっていくことができるのだといったような意味である。
それともう一つ、アメリカ映画で聞いたことのある、希望を表す言葉が出てきた。意気消沈してアパートの部屋に戻ってきたジュディが部屋でつぶやく言葉は、「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラがラストに言う超有名なセリフだ。「明日になればいいことがある」というような意味で、吹替版での正確な日本語訳は忘れてしまったが、IMDBで確認したところ、やはりあれは“Tomorrow's another day.”だったようだ。このあと、隣の住人が薄い壁越しに「もっと悪くなるかもよ!」みたいなチャチャを入れてくるタイミングが絶妙である。
アメリカの光と影と言われる部分がカラフルな動物アニメの世界に取り入れられ、前向きでまっすぐな気性のジュディと、差別されて育ったせいで皮肉屋で陰がありつつも基本的には気のいいやつのニックという高感度の高い主役二匹が小気味よく動き回る。ミスター・ビッグと呼ばれるちっこいネズミのマフィアのボスや、動作がものすごくスローなナマケモノのフラッシュや、ぶんぶん虫にたかられながら記憶力がやたらいいヤクのヤックスなど脇役もユニーク。「夜の遠吠え」という伏線も効いている。口当たりのよい、良質の活劇アニメなのだった。(2016.5)
※見終わった直後、館内を出て廊下を歩いていると、前を行く4、5歳くらいの女の子が「ニック、しゅき(好き)。」と何度も母親に言っていたのがかわいかった。

レヴェナント:蘇えりし者 THE REVENANT
2015年 アメリカ 156分
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ
撮影:エマニュエル・ルベツキ
音楽:坂本龍一、カーステン・ニコライ
出演:ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)、ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)、ジム・ブリジャー(ウィル・ポールター)、アンドリュー・ヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)、ホーク(フォレスト・グッドラッグ)、エルク・ドッグ(ドウェイン・ハワード)、ポワカ(メラウ・ナケコ)、ヒクックHikuc(アーサー・レッドクラウド)

★あらすじの説明あります!!★
「リメインズ 美しき勇者たち」(1990年)という千葉真一監督、真田広之主演の熊退治の小気味よいアクション映画があって、なんとなくタイトルが似ているし、内容もかぶるなと思ったのだが、本作でディカプリオが闘う相手は、熊というよりは怪我と酷寒の大自然である。映画の大半を、彼はまともに歩くことなく、横たわるか地面を這いずって過ごす。
なんの予備知識もなく、ディカプリオ主演で、「バードマン」のイニャリトゥ監督によるアカデミー賞受賞作だからと思って見に行くと、血と傷と痛さと死体の多さとあまりの寒さにショックを受けるかもしれない。でも、こういう映画だと腹を括っていったら、手ごたえは素晴らしかった。個人の嗜好を超えて、そのパワーに圧倒される数少ない映画のひとつだと思う。(というか、私はどうもこういうパワフルな姿勢の映画に弱いのだなと改めて気づかされた。)
1823年、アメリカ、ロッキー山脈。狩猟チームのガイドをしていたヒュー・グラスは、大きな灰色熊(グリズリー)に襲われ、瀕死の重傷を負う。足を折られ、背中を爪でえぐられ、喉を裂かれるなど、この襲撃シーンはすさまじく、痛い。
アラカワ族に追われ、雪山の険しい斜面を行かなければならず、ヘンリー隊長は担架に横たわったグラスを連れていくことを断念し、ベテランのハンターであるフィッツジェラルドと若者ブリジャー、およびグラスの息子でポーニー族とのハーフであるホークの3人に彼を看取るよう託していく。が、フィッツジェラルドは、いつまでたっても死なないグラスを厄介に思い、ブレジャーの見ていないところでホークを殺し、アラカワ族の追手が迫っていると嘘をついてブレジャーを説得し、まだ息のあるグラスを墓穴の中に半ば埋めたままにして去る。
残されたグラスは、地面を這いずり、木や草を食べ、やっとたどり着いた川辺でエルク・ドック率いるインディアンの一団に追われて川の中に逃れ、急流を流される。なんとか岸にたどり着いた彼は、通りすがりのはぐれインディアン、ヒクック(IMDBにHikukとある、日本語表記が見つからず)に出会い、バファローの肉を分けてもらい、二人で旅をすることに。吹雪の夜、何もない荒野で、ヒクックは高熱に苦しむグラスのため枯れ木の枝を切って急ごしらえのテントを作ってやる。が、ヒクックは、フランス人の毛皮商人一行に殺され、その一行もエルク・ドックらの襲撃を受ける。グラスはヒクックの馬を奪い返して逃げるが、馬ともども崖から落ちたうえに再び吹雪に見舞われ、馬の死体から内臓を掻き出しその体内に入って暖を取り一夜を過ごす(この件り、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」冒頭の氷の惑星でのハン・ソロによるルーク救出を思い出す)。
グラスは狩猟チームのいるカイオワ砦にたどり着き、幽霊を見るような目で迎えられる。仇敵フィッツジェラルドは姿を消していて、グラスは隊長とともに彼を追う。
宣伝では、復讐劇ということになっているが、映画のメインは、グラスの壮絶なサバイバルである。セリフは少なく、ディカプリオの息遣いばかりが耳に残る。ドアップのあまり、彼の息で画面が白く曇ったりもする。彼は大概低い位置にいるので、木々を見上げる主観ショットがやたら入るのも印象的だった。時折挿入される幻想的な夢のシーンが、「バードマン」の監督であることを思い出させる。
荒野で遭遇したグラスとヒクックが、バファローの死体を挟んで生のレバーを貪りながら、お互いの顔をじっと見据える。このシーンがすごくよかった。(2016.5)
<ヒュー・グラスらについて>
西部劇ファン仲間で西部史に詳しい筑紫哲児氏から教えてもらった。
氏によれば、ヒュー・グラスは実在の人物で、熊に襲撃されながらも生還したマウンテン・マンとしてアメリカでは名の知られた男であり、伝記や小説が数多く書かれているという。
熊に襲われて大けがを負い、仲間に置き去りにされながら、6週間かけて6マイル(320km)先にあるカイオワ砦に戻ったというのは事実らしい。フィッツジェラルドとブリジャーは実在したが、グラスがポーニー族の女性と結婚し、息子を設けたというのはフィクションだということだ。ちなみに、当時19歳の若者だったジム・ブリジャーは罪を許され、のちにロッキー越えのパスを発見した一員となったり、砦を建てて開拓民を助けたりしてアメリカ西部のマウンテン・マンの代表的存在となったそうである。
リチャード・ハリス主演「荒野に生きる」(1971年)は、グラスの名は使われていないが、同じ題材を用いた映画。



ボーダーライン SICARIO
2015年 アメリカ 121分
監督:ドゥニー・ヴィルヌーヴ
出演:ケイト・メイサー(FBI捜査官。エミリー・ブラント)、アレハンドロ(謎のコロンビア人。ベニチオ・デル・トロ)、マット・グレイヴァー(国防総省捜査官・特殊チームリーダー。ジョシュ・ブローリン)、レジー・ウェイン(ケイトの相棒。ダニエル・カルーヤ)、マニュエル・ディアス(ソノラ・カルテルの幹部。ベルナルド・サラシーノ)、ギレルモ(ディアスの兄。エドガー・アレオラ)、ファウスト・アラルコン(麻薬王。フリオ・セサール・セディージョ)、シルヴィオ(マキシミリアーノ・ヘルナンデス)
SICARIOは、スペイン語で「暗殺者」の意味。
FBIの捜査官ケイトは、人質救出のためアリゾナで誘拐犯のアジトを襲撃するが、そこで麻薬戦争絡みの無惨な死体を多数発見する。特殊チームのリーダー、マットは、メキシコの麻薬組織ソノラ・カルテル壊滅のための作戦実行にあたり、ケイトをチームにスカウトする。彼女は、国境を挟んだ麻薬戦争の最前線で、法規など意味を持たない過酷で衝撃的な実態を目の当たりにするのだった。
国境を超えることのできる秘密のトンネル内での攻防など、緊迫感にあふれてはいるが、メキシコとの国境で繰り広げられる麻薬戦争、チームに加わる女兵士、ということで期待した映画とは違った。いい映画なんだろうが、社会派なのですかっとはしない。ケイトが有能な戦闘員ぶりを見せるのは、最初の方だけで、話が進むに連れてどんどん精彩を失い、マットらに利用され、アレハンドロに脅され、信念を貫けず、活躍することなく終わる。
後半の主役は、徐々に正体を現す謎のコロンビア人、アレハンドロである。麻薬王に妻子を殺された元検事の彼は、復讐の鬼と化し、情け容赦がない。
合間合間に挿入されるメキシコの警官シルヴィオの家庭での場面で、サッカーをする息子とのやりとりが描かれるが、そのシルヴィオもアレハンドロはいともあっさり撃ち殺す。ラストシーンは遺された彼の息子がサッカーの試合をしているところで終わる。いわゆる「報復の連鎖」を暗示していると見えなくもない。(2016.4)

ブリッジ・オブ・スパイ Bridge of Speis
2015年 アメリカ 142分
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本: マット・シャルマン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン
出演:ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)、ルドルフ・アベル(ソ連のスパイ。マーク・ライランス)、トーマス・ワッターズ(判事。アラン・アルダ)、ホフマン(CIAエージェント。スコット・シェパード)、ブラスコ(CIAエージェント。ドメニク・ランバルドッツィ)、
ウルフガング・ヴォーゲル(東独の弁護士。セバスチャン・コッホ)、フランシス・ゲイリー・パワーズ(米軍パイロット。オースティン・ストウェル)、フレデリック・プライヤー(アメリカの学生。ウィル・ロジャース)、イワン・シスキン(ソ連KGB高官。ミハイル・ゴアヴォイ)、
メアリー・ドノバン(妻。エイミー・ライアン)、ロジャー・ドノバン(長男。ノア・シュナップ)、キャロル・ドノバン(長女。イヴ・ヒューソン)、ペギー・ドノバン(次女。ジリアン・レブリング)、ダグ・フォレスター(ドノバンの部下。キャロルのデート相手と思われるが、はっきりとは示されない。ビリー・マグヌッセン)
★ネタバレあります!★
1950〜60年代の冷戦下の米ソ。ソ連のスパイ、アベルの弁護を引き受けた民間の弁護士ドノバンが、ベルリンの壁が作られた直後の東ベルリンで、米ソのスパイ交換の交渉に挑む。(あらすじを手短に説明できる映画は、久しぶりで気持ちがいい。)
先に見た家人から、「基本的に、ETだ。」と聞かされていた。つまり、たまたま知り合った異邦の友を、無事故郷へ帰してやるという話だという意味なのだが、そのせいか、ソ連のスパイである初老の物静かな男アベルが、ETに見えてしまってしかたがなかった。彼の置かれた苦境を思ってドノバンが「恐くないか?」と尋ねるたびに、「それが役に立つか?」とクールに返す彼の、ギョロ目できょとんとしたたたずまいが、どうにもETなのだった。
保険会社の顧問をやっているドノバンが、死刑求刑を受けたアベルの助命のため、判事の家を訪ねて説得するところがよい。彼を生かしておく理由として、「保険」を持ち出すところが、すごくアメリカ人的だと思った。これほど合理的な危機管理の観念は、日本人にはあまりないのではと思った。
交換が成功したとしても、当のスパイたちにはどのような未来が待っているのか。捕まる前に死ねと言われていたのに毒を飲めず捕虜となったアメリカ空軍のパイロット、パワーズは、友に抱擁で迎えられるが、帰りの機内の様子からはとても歓迎されているように見えない。
アベルは、別れ際にドノバンに言う。自分の行く末はソ連側の者が「抱擁で迎えるか、だた私を後ろに座らせるかでわかる。」と。ドノバンが見ていると、アベルを迎えに来た男は抱擁せず、彼を車の後ろの座席に座らせる。これを見て、観客もドノバン同様、「抱擁じゃなかった。彼は処刑されるのだ。」と思ってとても残念な思いをする。はずなのだが、なぜか、ここで私は、ひょっとして抱擁の方が「死」を意味していたのではないかと「気づいた」。理由はわからないが、スピルバーグの演出がそう思わせたとしか言いようがない。だから、最後に字幕でアベルが無事だったことが報告されても「え?」とは思わず、やっぱりなとうなづいたのだった。
タイトルのブリッジは、スパイ交換が行われたグリーニカー橋のこと。(2016.1)

<セリフ>
ドノバン:怖くないか?
アベル:役に立つか?
James Donovan: Aren't you worried?
Rudolf Abel: Would it help?

アイルランド系アメリカ人のドノバンが、いけすかない態度をとるドイツ系アメリカ人のCIAエージェント、ホフマンに、法とは何か、憲法の意義とは何かを説くところ。
James Donovan: My name is Donovan, Irish, on BOTH sides of father and mother. I am Irish, you are German. But what makes us Americans? Just one thing, a one, a... The rulebook. We call it the Constitution and agree to the rules, and that's what makes us Americans. It is everything that makes us Americans.




映画ページ扉に戻る

トップページへ戻る