みちのわくわくページ

○ 映画(2013年)

<見た順(降順)>
エンド・オブ・ホワイトハウス、 アナと雪の女王、 ウルヴァリン:SAMURAI、 パシフィック・リム、 グランド・イリュージョン、 モンスターズ・ユニバーシティ、 Seventh Code セブンス・コード、 蜩ノ記、 小さいおうち、 そこのみにて光り輝く、 永遠の0、 ゼロ・グラビティ、 ペコロスの母に会いに行く、 天心、 42〜世界を変えた男〜、 飛べ!ダコタ、 地獄でなぜ悪い、 エリジウム、 許されざる者、 ホワイトハウス・ダウンワールド・ウォーZ、 ローン・レンジャー、 
風立ちぬ、 リアル〜完全なる首長竜の日〜、 あれから、 
グランド・マスター、 ルパン三世vs名探偵コナン、 名探偵コナン 絶海の探偵(プライベート・アイ)、 藁の楯、 
ジャンゴ 繋がれざる者、 レ・ミゼラブル、 アウトロー、 96時間リベンジ

エンド・オブ・ホワイトハウス OLYMPUS HAS FALLEN
2013年 アメリカ 120分
監督:アントワーン・フークア
出演:マイク・バニング(ジェラルド・バトラー)、ベンジャミン・アッシャー大統領(アーロン・エッカート)、アラン・トランブル下院議長(モーガン・フリーマン)、ルース・マクミラン国防長官(メリッサ・レオ)、リン・ジェイコブス長官(アンジェラ・バセット)、エドワード・クレッグ陸軍参謀総長(ロバート・フォスター)、ローマ(コール・ハウザー)、フォーブス(元捜査官。カンの仲間となる。ディラン・マクダーモット)
コナー(大統領の息子。フィンリー・ジェイコブセン)、マーガレット(大統領夫人・アシュレイ・ジャッド)
カン(テロ組織KUFのリーダー。リック・ユーン)、リム(KUFの技術者。マラーナ・リー)
リア・バニング(ラダ・ミッチェル)
北朝鮮のテロ集団の攻撃を受け、一瞬のうちに占拠されたホワイトハウスから、大統領を救出すべく、単身で乗り込む元シークレット・サービスの活躍を描く。マイク・バニングを主人公とする痛快とんでもアクション第一弾である。
「ダイ・ハード」のホワイトハウス版といった感じだが、バニングはホワイトハウス内部を熟知している点で有利である。同じくホワイトハウスのことを熟知している大統領の息子コナーも壁の裏の秘密の場所に逃げ込んでいて、バニングが彼をみつけて救出させる場面はいい。
本作で大統領代理となって下院議長トランブルは後に大統領となる。(2020.2)
関連作品:「エンド・オブ・キングダム」(2016)、「エンド・オブ・ステイツ」(2019)


アナと雪の女王  FROZEN
2013年 アメリカ 102分
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー
原案:アンデルセン「雪の女王」
主題歌:「Let it go 〜ありのままで」唄:メイ・J、(吹替:松たか子)
声の出演(/日本語吹替版):アナ(クリステン・ベル/神田沙也加)、エルサ(イディナ・メンゼル/松たか子)、クリストフ(ジョナサン・グロフ/原慎一郎)、オラフ(ジョシュ・ギャッド/ピエール瀧)、ハンス(サンティノ・フォンタナ/津田英佑)
地上波放送でやっと見る。
氷のCGがすごくきれい。雪だるまのオラフが、ディズニー映画にお決まりの非人間キャラの狂言回しで、いい味を出している。つららを追って遠眼鏡にするアイデアは秀逸。
クリストフは、顔も似てるし、絶対ハンスの兄弟だと思っていたのに、ほんとにただのマウンテンマンだった。
超有名なあの曲が、かなり早めに出てきてびっくりした。
エルサの氷の力は無敵すぎるが、子どものころ読んで怖かった「雪の女王」とはだいぶイメージも話もちがう。(2019.1)

ウルヴァリン:SAMURAI  THE WOLVERINE
2013年 アメリカ 125分
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ローガン/ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、シンゲン(真田広之)、マリコ(TAO)、ユキオ(福島リラ)、矢志田(ハル・ヤマノウチ/(青年時)ケン・ヤマムラ)、ハラダ(ウィル・ユン・リー)、ノブロー(ブライアン・ティー)、ドクター・ヴァイパー・グリーン(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)、ジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)、チャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)、マグニートー(イアン・マッケラン)
ローガン」の公開を控え、DVDで見る。
太平洋戦争中に長崎で日本軍の捕虜となっていたウルヴァリンは、原爆投下の日、近くに居合わせた若い日本兵矢志田の命を救う。矢志田は感謝の印に所持していた日本刀をウルヴァリンに渡す。
それから70年近く経ち、カナダの山奥で暮らしていたウルヴァリンは、大物実業家となった矢志田から日本に呼ばれる。病に倒れ余命わずかの矢志田は死ぬ前に命の恩人であるウルヴァリンに会いたかったというのだが、彼にはほかにもくろみがあった。
日本に渡ったウルヴァリンは、矢志田家の争いに巻き込まれる。謎の武装集団に命を狙われる矢志田の孫娘マリコとともに、彼は東京から長崎に逃れる。矢志田の葬儀が執り行われた東京の増上寺での戦いから、新幹線の屋根の上での無名の最強やくざとの疾走感に満ちた列車アクションを経て、長崎へ。この一連のアクションシーンはおもしろい。
増上寺、ラブホテル、パチンコ屋、新幹線、長崎、箸、浴衣、と日本文化がいろいろ出てくる。真田広之は、刀でウルヴァリンと対決する。最後はロボットスーツも登場する。
NHKの大河ドラマで見た覚えのある福島リラが、矢志田に拾われたみなしごのユキオという設け役で登場、不思議な存在感を見せるが、ほかの日本人たちは、あまりいいところなしの役回りである。
ヒュー・ジャックマンは、ほとんど服を着ている間がなく、上半身裸で筋肉を見せつける。長崎に来たとたん、倒木が道を防いで往生する地元の人たちを助ける、という絵に書いたような展開がほほえましかった。(2017.5)
関連作品:「X−MEN2」(2003)、「ローガン」(2017)

パシフィック・リム Pacific Rim
2013年 アメリカ 131分
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:ローリー・ベケット(チャーリー・ハナム)、スタッカー・ペントコスト(イドリス・エルバ)、森マコ(菊地凛子、芦田愛菜[幼少期])、チャック・ハンセン(ロブ・カジンスキー)、ハーク・ハンセン(マックス・マーティーニ)、ニュートン・ガイズラー博士(チャーリー・デイ)、ハーマン・ゴッドリーブ博士(バーン・ゴーマン)、ハンニバル・チャウ(ロン・パールマン)、ヤンシー・ベケット(ディエゴ・クラテンホフ)
テレビ放映を録画したものをやっと見る。
アクションものとしておもしろかった。巨大ロボットの操作は、2人の人間の脳波をシンクロさせて行うので、ペアでなければならないことが、物語をいろいろ面白くしていた。マコ役の菊地凛子がよかった。
でも、怪獣対ロボの戦いの場面では、何がどうなっているのかよくわからない部分もあり、巨大ロボにはそんなに思い入れがないこともあってか、延々とつづく戦闘シーンはけっこう飽きてしまった。
パシフィック・リムの「リム」の意味がやっとわかった。海底の深淵からくる怪獣というのはいい。(2017.4)

グランド・イリュージョン NOW YOU SEE ME
2013年 フランス・アメリカ 116分
監督:ルイ・ルテリエ
J・ダニエル・アトラス(ジェシー・アイゼンバーグ)、メリット・マッキニー(メンタリスト。ウディ・ハレルソン)、ヘンリー・リーブス(アイラ・フィッシャー)、ジャック・ワイルダー(カードマジシャン。デイヴ・フランコ)、ディラン・ローズ(FBI捜査官。マーク・ラファロ)、アルマ・ドレイ(インターポール捜査官。メラニー・ロラン)、アーサー・トレスラー(大富豪。マイケル・ケイン)、サディアス・ブラッドリー(元マジシャンのマジック種明かし家。モーガン・フリーマン)
「フォー・ホースメン」と名乗る4人のイルージョニスト・チームが、ラスベガスのステージにいながら、遠く離れたパリの銀行を襲うという、前代未聞のショーを披露する。実際に金庫からは大金が奪われる。FBIとインターポールの合同捜査チームは、4人を逮捕するが、証拠不十分で釈放せざるとえない。
前半は、4人各自の仕事ぶりと、彼らが謎の招待を受けてチームとなり、富豪のトレスラーの支援を得てラスベガスで銀行強盗ショーをやるまでが描かれる。が、そのあとの展開は目線が4人から捜査チームへと移り、彼らを追うFBI捜査官のディランとインターポールから派遣されてきたアルマが話の中心となる。銀行強盗の種明かしは、元マジシャンで、最近はマジックの種明かしをして稼いでいるブラッドリーによってディランらに示される。2度目の犯罪ショーでは、スポンサーのトレスラーの口座から、会場にいる被災者などの観客の口座へ金が振り込まれる。これも追う側のディランの目線で描かれる。
4人へ同調していたところを、捜査側の視点に放り出されるのが、ちょっと遺憾で、ずっとイルージョニスト側から見ていたかったという欲求は残るし、結局、犯人は内部にいるというミステリで、このタイプの謎解きはいつもだまされた感が否めなくて個人的にはあまり好きではない。
だが、イルージョンによる犯罪というのはおもしろいし、そこが楽しかったから、よかったかと思う。 (2016.9)


モンスターズ・ユニバーシティ MONSTERS UNIVERSITY
アメリカ 2013年 103分
監督:ダン・スカロン
声の出演:マイク・ワゾウスキー(ビリー・クリスタル/田中裕二)、サリー/ジェームズ・P・サリバン(ジョン・グッドマン/石塚英彦)、スクイシー(学生サークル「ウーズマ・カッパ(OK)」のメンバー。5つ目のぷにゃぷにゃボーイモンスター。ピーター・ソーン)、ドン・カールトン(OKのメンバー。吸盤つきのタコのような手足を持つ社会人学生のおじさんモンスター。)、テリとテリーのペリー兄弟(OKのメンバー。2頭1身の双子の一つ目モンスター。)アート(OKのメンバー。紫の毛むくじゃらモンスター。)ジョニー・ワーシントン(ロアー・オメガ・ロアーというグループのボス的存在。バファロータイプのモンスター。ネイサン・フィリオン)、ランディ/ランドール・ボッグス(カメレオンタイプのモンスター。スティーヴ・ブシェミ)、ハードスクラブル学長(蝙蝠の翼をもつムカデのようなモンスター。史上最恐、伝説の怖がらせ屋。ヘレン・ミレン)、ナイト教授(アルフレッド・モリナ)
テレビ放映で見る。
モンスターズ・インク」の前日談。モンスターズ・インクは、人間の子ども部屋にモンスターを送り込み、子どもたちの怖がる悲鳴を集めてエネルギーに交換し、モンスターの世界へ供給することを業務とする会社である。同社で一流の怖がらせ屋として活躍しているとサリーとそのよき相棒マイクの学生時代を描く。
怖がらせ屋になることを夢見て、難関の「モンスターズ・ユニバーシティ」に合格したマイクは、田舎から大学にやってくる。やる気はまんまんで努力家のマイクは、学科ではトップクラスだが、その丸っこくてかわいい容貌から、「恐がらせ屋にはなれない」と学長に宣告される。
一方、由緒正しい家に生まれた坊ちゃんのサリーは、見た目だけでも怖がらせ屋の資質十分だが、努力しないで遊んでばかりいて、これまた大学から見放される。
2人は、地味で温厚な学生らのサークル「ウーズマ・カッパ」のメンバーと組み、大学の怖がらせコンテストに挑む。学長は、二人のチームが優勝すれば、マイクとサリーの在学を認めると約束したのだった。
勝ち残った最終決戦で、思わぬ事態が発生し、マイクとサリーは思わぬ底力を見せるが、しかし、それはやってはいけないことだった。二人のその後の活躍を知っているから安心して見ていられるが、本作自体の結末はハッピーエンドとはいかず、人生はそう甘くないけど、がんばろうというところで終わる。
カラフルでユニークなモンスターたちがたくさんでてきて楽しい。
ビジョンをはっきり持っていて努力家なのに肉体的に報われないマイクと、肉体的に恵まれていながら意欲に欠けるサリー、二人の対照が見た目にも性格的にもすごくわかりやすい。マイクの報われない思いに共感する若者は多いのではないかと思った。(2016.4)
関連作品:「モンスターズ・インク」(2001年)


Seventh Code セブンス・コード
2013年 日本 公開:日活 60分
監督・脚本:黒沢清
企画:秋元康
出演:秋子(前田敦子)、松永(鈴木亮平)、シャオイェン(アイシー)、斉藤(山本浩司)
前田敦子のシングル「セブンスコード」のミュージック・ビデオとして製作された中編作品。
ロシア、ウラジオストクの町。秋子は、東京で知り合った男松永を追いかけて、はるばるやってくる。しかし、松永はとりあわず、見知らぬ町に放り出された秋子は男たちに襲われ、行き当たりばたりに入った食堂で住み込みで働くことに。松永はマフィアらしき男たちと関わり、怪しげな取引をしていた。秋子は彼を追って廃工場へ向う。
ゆきずりの男を追って、ロシアくんだりまでやってくる日本人の若い女性という設定自体が突拍子もないのだが、黒澤監督作品なので、そんなものかと受け入れていると、後半、正攻法というか、実は彼女の正体はって感じで反撃され、だってその辺の普通の娘がこんなことするわけないじゃんと言われたようで、虚を突かれたというか、えっ、こっちが迂闊だったの?と少々欺かれたような思いがするのだった。それが悪いというわけではなく、逆に良く言う「良い意味で裏切られた」と言うほどのことでもないのだが。
秋子がでっかいスーツケースを引きずりながら走るのと、食堂の経営者斉藤とともに松永の後を延々と走って追うのは、よかった。秋子がいきなり攻撃に出てめちゃくちゃ強い戦いぶりを見せる場面は、どう見ても力がなさそうで効いているとは思えないのだが、動きがちゃんとしていたのでよかった。
「核爆弾クライトロン」という命名もそれをあっさり踏みつぶすのも多分可笑しいのだろうが、そんなには笑えなかった。フレームの端から端へ、手前から奥へ車や人が移動するのを延々と撮っている画面は懐かしい感じがした。ロシアの風景はたいへんきれいだった。(2015.12)

蜩ノ記(ひぐらしのき)
2013年 日本 公開東宝(2014年) 129分
監督:小泉堯史
原作:葉室麟「蜩ノ記」
出演:戸田秋谷(しゅうこく)(役所広司)、壇野庄三郎(岡田准一)、戸田薫(堀北真希)、戸田織江(原田美枝子)、戸田郁太郎(吉田晴登)、水上信吾(青木崇高)、松吟尼(お由の方)(寺島しのぶ)、大殿(兼道)(三船史郎)、慶仙和尚(井川比佐志)、中根平右衛門(串田和美)
地元和光市の映画サークル「シネサロン・和光」主催の上映会で見る。
藩主の世継ぎ争いに巻き込まれ、お家存続のため、側室との不義密通という覚えのない罪を自らかぶり、十年後の切腹を言い渡された武士戸田秋谷。田舎の家で幽閉の身となり、切腹の日まで、家譜(かふ。藩史のようなもの)編纂の業務を命じられる。幽閉と言っても、家の敷地から外に出てはいけないだけで、編纂の仕事をし、畑仕事をし、村人たちと交わり、家族とともに普通に暮らしている。3年後に切腹を控えたある日、監視役として、若き武士壇野庄三郎が送り込まれてくる。寝食を共にするうちに、質素で清廉な一家の暮らしぶりと、秋谷の立派な人柄に感じ入った庄三郎は、事件の真相を解き明かそうとする。が、真相は、庄三郎が元側室の松吟尼を訪ねて話を聞くだけでわかってしまうので、謎解きというほどのものではない。
フィルム撮影だそうで、画面が美しい。山門越しに見える寺の参道の急な石段がいい。庄三郎と秋谷の娘薫が寺にいる松吟尼を訪ねるシーン。あまりの急傾斜ゆえ、庄三郎は薫に手を差し伸べるが、薫ははばかり、辺りを見回したうえで、不承不承という感じで庄三郎の手を取る。
秋谷とその家族はみんなこんな感じである。武士としての、武士の家族としての道理をわきまえ、礼儀正しく、つつましく穏やかである。あまりにみんな立派すぎて、悟ったようなことばっかり言うので、私は少々鬱陶しくさえ思えてしまった。
しかし、それでも、寺島しのぶの松吟尼が話すところはよかった。
秋谷の息子の郁太郎も、武士の子としての自覚や潔さを持っているのだが、子どもなのでやんちゃなとこがあってよかった。
最初の方、庄三郎が一家にやってくるあたりは、よそ者を迎える田舎の家族という構図が、ちょっと西部劇風で「シェーン」ぽかった。郁太郎は、ジョーイ少年に雰囲気が似ていないこともなく、庄三郎が、腕の立つ剣士で、郁太郎に剣を教えたり、家の裏で薪割りをしたりするのも、西部劇ぽいといえないこともなかった。ただ、世話になる家の主が、助けを必要とする開拓者ではなく、とんでもない人格者なのだった。
庄三郎は、最初は野良仕事を見下していたのに、いつのまにか秋谷といっしょに畑を耕すようになっているのが、セリフの説明なしで描かれているのはよかった。
思ったより立ち回りのシーンが多かったのも、楽しめた。
が、巷で評価の高い「静謐さ」が、私にはあまりよいものとして感じられなかった。静かな中にも、主の死を待つ一家の、ぴりりとした緊張感のような、覚悟のようなものがあってほしかった。また、熱のこもった部分があることで、静謐さも際立つと思う。例えば、中根に一矢報いるため、庄三郎と郁太郎が中根の屋敷に乗り込んだと知り、秋谷が馬で駆け付けるシーンなどは、もっともっと迫力があってほしかった。
中根が取ってつけたように改心するのも説得力がなかった。
ラストにかけても、刻々と死が近づいてくる感じがしない。みんなあそこまで微笑まなくったっていいんじゃないかと思った。(2015.5)

小さいおうち
2013年 日本 公開松竹  136分
監督:山田洋次
原作:中島京子「小さいおうち」
音楽:久石譲
出演:平井時子(松たか子)、布宮タキ(黒木華/賠償智恵子)、平井雅樹(片岡孝太郎)、板倉正治(吉岡秀隆)、平井恭一(市川福太郎/秋山聡/米倉斉加年)、柳社長(ラサール石井)、小中先生(橋爪功)、小中夫人(吉行和子)、貞子(麻布のおばさま。室井滋)、荒井健史(妻夫木聡)
テレビ放映を録画したものを見た。
昭和初期の東京。東北の農村で生まれ育った娘タキは、おもちゃ会社の重役である平井恭一の一家が住む赤い屋根の「小さいおうち」に女中奉公にやってくる。タキの目を通して、当時のサラリーマン家族の生活の様子や、戦争が進むにつれて不穏になって行く社会情勢が描かれる。
妻の時子は、夫の部下である芸術家肌の青年板倉に心ひかれていく。タキは二人の道ならぬ恋に気づく。時子に憧れ、自身も板倉に対し淡い思いを抱いているタキの心は複雑であった。
巷で評判のタキ役の黒木華は確かにいいが、やはり映画は美しくてエレガントな奥様を演じる松たか子のものであろう。
当時の雰囲気、たたずまい、ちょっと上流の女性の立ち居振る舞いなどがさもありなんとばかりに描かれていて、画面が非常にきれいである。小さいおうちも見た目がかわいい。
ひっきりなしに流れる郷愁を誘うような音楽や、独特の色合いの画面が、しかし、私にはどうもあまり心地よく感じられなかった。昭和の時代への懐古や老人の回想という形式も、最近その手のものが多いせいか、またかという感じ。私の中では、そう思って見ようと思っても倍賞千恵子と黒木華がどうにもつながらなかった。ベテランが贅を尽くして撮った行き届いた画面だとは思うのだが、ここがすごくいい、というところはなかった。(2015.3)

そこのみにて光輝く
2013年 日本 公開東京テアトル 120分
監督:呉美保
原作:佐藤泰志「そこのみにて光輝く」(1989年の作品)
脚本:高田亮
出演:佐藤達夫(綾野剛)、大城千夏(池脇千鶴)、大城拓児(菅田将暉)、中島(高橋和也)、松本(火野正平)、大城和子(伊佐山ひろ子)、大城泰治(田村泰二郎)
キネ旬ベストテン、第1位映画鑑賞会と表彰式で見る。
夏の函館。
達夫は、職場の事故が原因で仕事を離れ、函館のアパートで鬱々とした日々を過ごしていた。ある日、パチンコ屋で保護観察中の若者拓児と知り合い、彼が家族と暮らす海辺の粗末なバラックで拓児の姉千夏と出会う。千夏は、家族を養うため売春をし、拓児の勤め先の上司とも関係を持っていた。
過酷な日々を過ごす千夏と失意の中にあった達夫。二人は、恋に落ち、生きる希望を見出していくが。
無国籍映画と呼ばれるものがあるが、これは年代不詳の映画である。原作は1989年の小説だが、映画が持つ暗さや閉塞感は昔のATG映画みたいだ。千夏はこの世の不幸を一身に背負っているような不幸な娘で、達夫は見ている方の首が痛くなるくらいずうっと猫背でうなだれている。一方、拓児の軽快さ、白々とした明るさや人なつっこさは平成の若者っぽい。そのせいなのかどうかはわからないが、描かれる貧困や絶望感が私にはどうにも作り事めいて見えてしまった。
煙草を吸うシーンもすごくよく出てくる。やるせない思いの若者が二人、一方は弟のためパワハラ親父に身を任せた女に惚れている男、もう一方は姉を苦しめた男を刺して警察に追われる男、アパートの外廊下のコンクリートにしゃがみ込んで煙草を吸う。こうした絵は、個人的にはめちゃめちゃ好みなのだが、しかし、いまどきこのようなシーンが撮られていいものかどうか。と、私が思う事じゃないけど、思った。
最後の光が撮りたかったんだろうけど、光は美しかったけど、それまでの絶望的な状況があっての光の美しさというように私の中ではうまくつながらなかった。ある意味、非情に甘い恋愛映画とも言える。(2015.2)

ゼロ・グラビティ
2013年 アメリカ 91分
監督・脚本:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン)、マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)、ヒューストン(NASAジョンソン宇宙センター)からの声(エド・ハリス)

★ねたばれ的な言及あり★
事故によりスペースシャトルから切り離され宇宙空間に取り残された女性エンジニアが、必死の生還を試みる。
91分で、そのことだけを描く。SFXを駆使した3D映像は素晴らしく、それが売りでもあるのだろうが、基本精神はシンプルでストレート、切れ味のよいアクション映画である。
ライアン・ストーン博士は、宇宙での初めてのミッションの最中に事故に見舞われ、ベテラン宇宙飛行士のコワルスキーとともに、宇宙空間に放り出される。
この重力のない宇宙空間の、空漠とした、広さと暗さと静かさに圧倒される。
登場人物はほぼライアンとコワルスキーの2人のみ、しかも大方はライアンの独壇場である。が、彼女を助けようとするコワルスキーの心意気にも彼の突然の再登場(とその後)にも泣ける。 (以後ちょっとネタバレ) 彼には彼女の声が聞こえていたのだ、ミッションの1週間ひっきりなしにしゃべり続けていたという彼がこのとき沈黙を保ったのは、ライアンのためなんじゃないか、などと想像を広げて楽しむ余地のある映画でもある。 (2013.12)
■コワルスキーのセリフ2つ: (このひと言No.61)
Matt Kowalski: Houston, I have a bad feeling about this mission.
スター・ウォーズの定番のセリフで、「バトルシップ」でも使われた「いやな予感がする。」という物言いが、ここでもされている。
Matt Kowalski :Sit back, enjoy the ride, you gotta plant both your feet on the ground and start living life. Hey, Ryan, it's time to go home.
「座り直して旅を楽しめ。両足を地に据えて人生を再開するんだ。ヘイ、ライアン、家へ帰る時間だ。」
あまりにも過酷な状況に陥り全てを諦めて死を受け入れようとするライアンを、コワルスキーがなんとか立ち直らせようとする。これだけ読むと、例えば西部劇や戦争映画などで、窮地に陥ったルーキーをベテランのスカウトや上官が元気づけているような場面と考えても、全然違和感がない。が、この映画の場合、「両足を地に据えて〜」が、文字通り行われるところがまたいい。


ペコロスの母に会いに行く
2013年 日本 113分
監督:森崎東
原作:岡野雄一「ペコロスの母に会いに行く」(エッセイ漫画)
製作:村岡克彦
主題歌:一青窈 『霞道(かすみじ)』
出演:岡野ゆういち(岩松了)、岡野みつえ(赤城春恵/原田貴和子)、岡野さとる(加瀬亮)、岡野まさき(大和田健介)、ちえこ(原田知世)、本田(竹中直人)、喫茶店のマスター(温水洋一)、ケアマネージャー(上原由恵)、ホーム施設長(根岸季衣)、ホームの職員(長澤奈央)、ホームの職員(松本若菜)、本田まつ(本田の母。佐々木すみ江)、洋二郎(ホームのセクハラ老人。穂積隆信)、ユリ(ホームの老人。正司照枝)、ホームの老人(白川和子)、みつえの妹たち(島かおり、長内美那子)、雄一の叔父・さとるの弟(澁谷天外)、少女合唱団の指揮者(宇崎竜童)、スナックの歌手(志茂田景樹)
★ネタばれあります★
長崎を舞台に、60代独身で“はげちゃびん”の息子ゆういちと、痴呆症が進行しつつある80代の老母みつえの日常を描く。
ゆういちは、小さな広告会社の営業をしつつ漫画を描き、ギター片手に歌を歌って飄々とした生活を送っている(子どもがいるので結婚歴はあるのだろうが、妻の遺影はないのでたぶんバツイチだと思われる)。ボケの始まった母のみつえと息子のまさきと、坂の途中の古い家で暮らしている。
ぼけ始めたみつえは、駐車場の奥に座って、何時間もゆういちの帰りを待つ。ただゆういちを待っていたいのだというみつえの気持ちが伝わってくる。
みつえの症状がひどくなり、ゆういちは施設に入れる決心をする。いっしょに家に帰ろうとするみつえをホームに置いていくときのゆういちの罪悪感、母が自分のことがわからなくなったときのゆういちの悲しみが伝わってくる。
みつえは、長い人生における過去のできごとを思い出す。子どものころに亡くなった妹のたかよのこと、長崎に嫁ぎ病死した親友のちえこのこと、夫のさとると初めて我が家にやってきたときのこと、酒乱だったさとるの行動に悩まされたことなど。ゆういちは、その断片しか知らない。家族でも思い出を共有できない、人の孤独さと切なさが伝わってくる。
が、祭りの夜、ゆういちらとはぐれて人ごみの中をさ迷っていたみつえは、眼鏡橋の上で死んだ人たちに再会する。ゆういちとまさきがみつえを見つける。彼らは、みつえに寄り添うさとるとちえことたかよの姿を目にする。メディアの大安売りにより言葉の価値が暴落しつつある「家族の絆」ということを、いっさい言葉を用いず、画面だけで表した瞬間だと思った。
森崎東監督の映画に出ると、俳優さんがことごとく田舎もんに見えてくる。と、私はかねてより思っていた。往年の「女シリーズ」だけでなく、「時代屋の女房」の渡瀬恒彦も夏目雅子も、「美味しんぼ」の佐藤浩市も、土着的で愛すべき庶民と化す。かっこよくて洗練されたイメージの人たちがことごとくそのへんにいるご近所の人のような感じになってしまうのだ。
老人ホームでてんでんばらばらに過ごす老人たちや、スナックに集まって飲めや歌えで盛り上がる年配の酔客たちのシーン、雑然としながら人々が同じ場に居合わせている感じ、好きとか嫌いとかじゃなくてただ顔見知りの人たちがごちゃごちゃいる感じが、いまとなっては珍しくて、楽しかった。(2013.12)

天心
2013年 日本 配給:マジックアワー 122分
監督:松村克弥
美術:池谷仙克
主題歌:石井竜也「亜細亜の空」
出演:岡倉天心/覚三(竹中直人/大和田健介)、横山大観(中村獅童)、菱田春草(平山浩行)、下村観山(木下ほうか)、木村武山(橋本一郎)、菱田千代(キタキマユ)、九鬼隆一男爵(渡辺裕之)、九鬼波津子(神楽坂恵)、狩野芳崖(温水洋一)、船頭(本田博太郎)、アーネスト・フェノロサ(イアン・ムーア)、根本記者(石黒賢)

明治維新後、文化の急激な西欧化によって日本の伝統的な美術が廃れつつある中で、日本の文化を信じ、日本画の再興と発展に貢献した岡倉天心とその弟子たちの苦難を描く。
岡倉天心生誕150周年・没後100周年記念映画であるとともに、茨城の復興支援映画でもある。映画の企画は震災前からあったが、震災によって北茨城市の五浦海岸に立つ天心所縁の文化財「六角堂」が流失し、これを復元しての撮影になったという。
天心は、東京美術学校(後の東京藝術大学)の校長として若い才能の育成に努めたが、西洋画派との対立やスキャンダルなどによって同校を辞し、その後日本美術学校を立ち上げる。が、やがて東京を追われ、茨城県北部の景勝地五浦海岸沿岸部に日本美術学校第一部(絵画部)を移設する。彼を慕う4人の弟子、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らがこれに従う。日本美術院が五浦の地にあったのは、1906(明治39)年からわずか4、5年のことだったらしいが、この地で彼らが貧困生活にあえぎながら絵の創作にいそしむ様子を描く場面が、映画の中で大きな部分を占めている。
五浦海岸の景観と、数々の名画(狩野芳崖の「悲母観音」、横山大観の「屈原」、武山の「阿房劫火」、菱田春草の「賢首菩薩」など)が実に美しくて見応えがある。
私は、美術に詳しいわけではなく、岡倉天心の名は聞いたことがあるが、画家でもないみたいだし、実際に何をした人かはよく知らなかった。映画でも、だいぶはしょっているので、細かいいきさつなどよくわからないことも多いが、日本近代美術界の思想家、鑑定家、評論家として優れた能力を発揮した人であり、釣り師の格好をして船頭と船を浮かべるなどけっこう変な人だったらしいということはわかった。
輪郭線を廃した無線描法を用いた大観や春草の画法は、「朦朧体」と揶揄されたという。天心に「霧の向こうを見たい」と言われ、春草が、色彩点描技法を用いて「賢首菩薩」を描きあげるところなど、何か大きな仕事をやったということがひしひしと伝わってくる。
実際、美術に詳しくない人には話がわからないという感想もあるようで、私も天心や弟子たちの経歴や、「無線描法」や「色彩点描技法」という用語などは映画を見た後に検索して知ったのだが、個人的には映画はこれくらい説明不足な方が、むしろ好きである。貧しいながらも想像力がかきたてられ、わからなかったところは自分で検索して調べることでより理解が深まるように思う。
天心が建てた六角堂は、地元の名所だったこともあって、故郷に住んでいたころに何度か観に行ったことがある。海岸の際に立っていて、足下に波が打ち寄せてくる、四畳半ほどの広さの赤い六角形の東屋である。所有管理している茨城大学によって復元された真新しい六角堂は、映画の中では天心が建てたばかりのそれとして登場する。これを何に使ったんだろうと、子どものころは思ったものだが、竹中直人の天心が寝転がって思索に耽っているのを見ると、こんなんしてたんだと思って想像が膨らんだ。
ほかでも、「復元」とか「再現」といったことを感じさせる映画である。
一葉の写真がある。おそらく、美術に詳しい人たちの間では有名な写真なのだろうと思う。五浦の日本美術院の明るいだだっ広い製作室で、4人の弟子たちが絵を描いているところを撮ったものだ。弟子たちはみな白装束に身を包み、床においた白い紙の前に横一列に並んで座っている。手前の武山が前かがみになって絵筆を手に何か描いていて、奥の3人、春草、大観、観山は、紙を前に正座している。春草だけがカメラの方に顔を向けている。この写真が撮影されたときのシーンが出てくる。なんということなく、ゆっくりと首をめぐらせてカメラの方を見る春草、その瞬間が写真となって固定される。
歴史上の人物を写した有名な写真の撮影現場を、伝記映画やドラマで再現するということはさほど目新しいものではないし、私はこの写真の存在を全く知らなかった。それにも関わらず、ある時代のある刹那を記録にとどめるために写真が撮られ、その写真を手がかりに、逆に当時の建物や人々の様子が再現され、それを目にすることができる、このシーンはそうしたことに対する興奮を改めて覚えさせてくれた。(2013.11)
件の写真は、こちらで見られます。
http://eiga-tenshin.com/official/archives/category/about_tenshin

42〜世界を変えた男〜 42
2013年 アメリカ 128分
監督:ブライアン・ヘルグランド
出演:ジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)、レイチェル・ロビンソン(ニコール・ベハーリー)、レオ・ドローチャー(ドジャース監督。クリストファー・メローニ)、ピーウィー・リース(ショート。ルーカス・ブラック)、ラルフ・ブランカ(ハミッシュ・リンクレイター)、ディクシー・ウォーカー(ライアン・メリマン)、カービー・ヒグビー(投手。ブラッド・バイアー)、エディ・スタンキー(ジェシー・ルケン)、ハロルド・パロット(T・R・ナイト)、ウェンデル・スミス(記者。アンドレ・ホランド)、ベン・チャップマン(アラン・テュディック)

白人選手しかいなかったメジャー・リーグに登場した黒人選手ジャッキー・ロビンソンの孤独な戦いを描く。
1945年、ブルックリン・ドジャースのGMリッキーは、周囲の猛反対を押し切って、ニグロ・リーグの選手ロビンソンをドジャース傘下の3Aリーグのチーム、モントリオール・ロイヤルズに入団させる。逆境の中で実績を残し、1947年、ロビンソンはドジャーズと契約し、背番号42をつける。
(この背番号は、1972年にドジャースの永久欠番とされ、1997年にはMLB全球団の永久欠番となった。)
ロビンソンは、様々な差別待遇や嫌がらせを受けながら、リッキーの「やり返さない勇気を持て」という言葉を支えに、屈辱に耐え、プレーに集中して野球選手としての能力を発揮することで、チームメイトや世間からの信頼を勝ち取っていく。
予告編から予想される通りの展開ではあった。
が、ロイヤルズで初めてプレーした後、路上で一見いかにも差別主義者らしい白人のおじさんが寄って来て「誰だろうと実力がある者はみとめられるべきだ」と、意外にもロビンソンを応援する言葉をかけたり、駅で見送る黒人の子どもに動き出した汽車からロビンソンがボールを投げてやったり、敵チームの監督チャップマンがあまりに口汚くロビンソンを罵るので味方チームのメンバー(スタンキー)がロビンソンに同情して抗議したりするところなどは、気が効いていてよかった。
ロビンソンと守備位置がかぶっていたリースが、自分の故郷で試合をする際、地元の人から脅迫状を1通受け取ったことでリッキーに相談をしにやってきて、ロビンソンにはそれよりずっと過激な内容の脅迫状が大量に届いていることを知り、試合の日、地元球場のグラウンドでロビンソンに走り寄って肩を抱いて話をする様子を地元の観客に見せるのもよかった。
ロビンソンが、ホームランをばんばん打つスラッガーというわけでなく、ロイヤルズでもドジャースでも、盗塁をねらって投手をかく乱するという地味な能力を見せるのもよかった。盗塁の成功は打者の士気を高める。2塁ベースから離れ、腰を低くして3塁をねらう彼の姿が、印象に残る。(2013.11)
<セリフ>
Jackie Robinson: You want a player who doesn't have the guts to fight back?
Branch Rickey: No. I want a player who's got the guts "not" to fight back.
Jackie Robinson: You give me a uniform, you give me a number on my back, I'll give you the guts.



地獄でなぜ悪い Why don’t you play in hell?
2013年 日本 129分
監督・脚本・音楽:園子温
主題歌:星野源「地獄でなぜ悪い」
出演:武藤大三(國村隼)、池上純(堤真一)、武藤ミツコ(原菜乃華/二階堂ふみ)、武藤しずえ(友近)、平田純(長谷川博己)、橋本公次(星野源)、佐々木(坂口拓)、手持ちの谷川(春木美香)、フィックス横移動の御木(石井勇気)、木村刑事(渡辺哲)、田中刑事(尾上寛之)、すみだ(北川会系の組長。諏訪太朗)、ヤクザ(菊池英之)、吉村みつお(永岡佑)、看板屋(板尾創路、襄ジョンミン)、警官(水道橋博士)、もぎりのおばさん(江波杏子)、映写技師(ミッキー・カーチス)、プロデューサー(石丸謙二郎)、中華料理店の主(でんでん)、居酒屋店主(深水元基)、じゅんこ(神楽坂恵)、まさこ(岩井志麻子)、平田がくどく女の子(成海璃子)、スクリーンにアップで映る男(麿赤児)

血みどろの映画づくりもの殺し合い娯楽アクション・コメディである。
ヤクザの組長武藤は、服役中の妻しずえの出所祝に、娘のミツコを主演にした映画を製作しようとする。しずえは、十年前、襲撃してきた男たちを一人で返り討ちにして殺しまくったのだった。が、ミツコは失踪し、映画制作は頓挫する。一方、十年前からの因縁が続く池上組との間に再び抗争が持ち上がり、組は一触即発の事態に陥る。
子分が、映画製作と殴り込みを同時にやっちゃいましょう!と無謀な提案をすると、武藤はそれに乗って、子分たちにミツコを捜させる一方、機材をかき集めさせ、即席のスタッフチームを結成する。武藤はミツコを見つけ、ミツコの咄嗟の嘘で通りがかりの青年公次は映画監督という立場に追い込まれ、たまたま連絡先を知った自主映画制作グループ「ファック・ボンバーズ」の平田に協力を求める。ハイテンションな映画青年の平田はただで35ミリで映画が撮れるという話に大いに盛り上がる。それがヤクザの作る自主映画だと知ってもなんら臆することがなく、相手方組長の池上を訪ね、撮影の段取りを決めてくる。かくして映画はクランクインし、殴り込みの現場で撮影が開始される。凄惨な殺し合いの中、カメラは回り続ける。
平田とその仲間たち、ブルース・リーの衣装をまとったアクションスター志望の佐々木、太めの男女のカメラマン、手持ちの谷川と横移動の御木ら「ファック・ボンバーズ」の面々がいい。
佐々木がバイトしているの中華料理店なのもその親父のでんでんも、映写技師のミッキー・カーチスなどもよく、他にも映画に根ざした気の利いた細部にあふれているが、いちいち書くと長くなるのでやめる。
(あ、でもひとつだけ追加すると、電話ボックスで電話している公次のとこにミツコが押し入り恋人同士を装って追っ手から逃れるというシーンがあるのだが、最近たまたまDVDで見た石井輝男監督の「黄線地帯(イエロー・ライン)」(1960年)にも同様のシーンがあった。こっちは追われる殺し屋の天地茂が恋人に電話中の三原葉子のところに押し入る。いまどき公衆電話ということで、公次は「携帯なくしちゃった」と親に電話しているという丁寧なシチュエーションの説明までつけてある。)
途中ちょっと淀む感もあるが、包丁を持ったしずえの殺戮、不良の喧嘩も血まみれのヤクザも喜々として撮影する平田らの映画バカぶり、ミツコがだめな男と交わす痛そうな別れのキス、佐々木と平田らの仲間割れの取っ組み合いなど、とにかく、いちいち、めちゃくちゃで、勢いがある。
そして最初から既に絵に描いたようにファンタジーな映画の世界のヤクザたちは、日本刀と銃と機材を手に、討ち入りに臨む。
前半からちょこちょこと登場人物の妄想がさしはさまれているせいで、実際の斬り合いや撃ち合いなのか、映画中映画の演出なのか、誰かの妄想なのか、混乱する戦いの画面を見ている方の頭の中も混乱する(のがよい)。で、最後は結局こういうオチ?と思っていると、画面が再びフィルムを抱えて疾走する平田のカットに戻るので、ダークな気分で安堵する。
血みどろの殺し合いの後、ここぞというところで、再び映画のタイトルがどかんと出る。
「地獄でなぜ悪い」
思わず、”WHY NOT!?”(悪かねえ!!)と叫び返したくなる。ここに及んでタイトルの絶妙さを知るのであった。(2013.10)


エリジウム
 ELYSIUM
2013年 アメリカ 109分
監督・脚本:ニール・ブロムカンプ
出演:マックス・ダ・コスタ(マット・ディモン)、フレイ(アリシー・ブラガ)、マチルダ(エマ・トレンブレイ)、スパイダー(ワグナー・モーラ)、フリオ(ディエゴ・ルナ)、クルーガー(シャールト・コプリー)、デラコート防衛長官(ジョディ・フォスター)、カーライル(ウィリアム・フィクトナー)、パテル総裁(ファラン・タヒール)

2154年の近未来が舞台。
地球は荒廃し、地上では多くの人々が貧困にあえいでいた。少数の富裕層は、宇宙に美しいコロニー「エリジウム」を築き、優雅で豊かな暮らしを送っていた。そこには、どんな病気やけがでも一瞬で治してしまう医療ポッドがあって、人々は病気やけがに煩わされることがなかった。
マックスは、地上にあるアーマダイン社の工場で働いていた。彼は自動車泥棒などの前科を持ち、保護観察の身だった。ある日、ドロイド製造過程の事故で致死量の「照射」を受けてしまい、余命5日と宣告され、工場を解雇される。
マックスは、知人のスパイダーにエリジウムへ密航させてくれるよう頼む。スパイダーは、地上に住む人々を違法にエリジウムに送り込む組織のリーダーで、マックスに借りがあった。スパイダーは、アーマダイン社の経営者でエリジウムの設計者であるカーライルの脳内にある機密データの入手を条件に、マックスの依頼を引き受ける。マックスは、友人のフリオとスパイダーの仲間とともに、カーライルの誘拐を試みる。
一方、エリジウムのデラコート防衛長官は、地上にいる傭兵クルーガーに、マックスらを阻止するよう指令を出す。
カーライルの脳内データはマックスの脳にダウンロードされるが、そこにあるのは、クーデターを企むデラコートがカーライルに要請したエリジウムの再起動プログラムだった。これを始動し、市民の設定を変えれば、地球上に住む人々もすべてエリジウムの住人として登録することができるのだ。
設定がいろいろあって、その説明をしながら、汚さやグロさも含めた豪勢なCGによる近未来風景の中で激しいアクションが展開される。見応えがあって楽しいのだが、頭も目もけっこう疲れる。
マックスが、少年時代に幼馴染の少女フレイと天空に美しく輝くエリジウムを見上げ、いつかあそこに連れていくと約束するところは、静かでよかった。
犯罪者集団とレジスタンスが入り混じったような地下組織とそのヒゲ面のリーダーというのは、たいへんよくあるパターンだが、本作のスパイダーは、リーダーシップと大雑把さとあくどさと憎めなさを適度に併せ持っていて、よかった。ブラジルの俳優ワグナー・モーラ(ワグネル・モウラ)が好演している。
痛い思いをしてマックスが身につけたエクソ・スーツは、いまいちすごさがわからなかった。
説明に時間を割いた割には、マックスもスパイダーもあっさりエリジウムに行けてしまう。防衛体制の脆弱さに対する前フリはあったが、無防備すぎてあっけなかった。ドロイドたちを使った機械制御の非情さが、マックスらに良くも悪くも働くのが、興味深かった。
目的は達成されるが、ヒーローは報われず、なんとなく釈然としない結末は「第9地区」と共通する。が、手放しのハッピーエンドよりもその方がこの監督の作風に合っているようで、これはこれで味があると思えるのだった。(2013.10)


許されざる者
2013年 日本 135分
監督:李相日
出演:釜田十兵衛(渡辺謙)、馬場金吾(柄本明)、沢田五郎(相楽優弥)、なつめ(忽那汐里)、お梶(小池栄子)、大石一蔵(佐藤浩市)、秋山喜八(近藤芳正)、北大路正春(國村隼)、姫路弥三郎(滝藤賢一)、堀田佐之助(小沢征悦)、堀田卯之助(三浦貴大)
クリント・イーストウッド監督・主演による1992年の同名の西部劇を、舞台を日本に、銃を刀に置き換えてリメイク。
かつて凄腕のガンマンだった男は、子どもたちと共に田舎でひっそりと暮らしていたが、自給自足の暮らしは苦しく、一家は貧困にあえいでいた。舞い込んできた賞金稼ぎの話に乗り、男は再び銃を手にする。ターゲットは娼婦の顔を切った男。懸賞金を出すのは、娼館の女たちである。町には、凄腕の保安官がいて、無法者たちを厳しく取り締まっていた。
というのがオリジナルの筋書き。
南北戦争後も元北軍と元南軍の間に残る対立、インディアンへの差別と迫害、辺境の無法の町、町の入口で武器を預かる保安官、新天地を求めてやってくる入植者たちといった西部劇でおなじみの要素を、西部開拓時代と同時期にあたる明治12年(1880年)という時代を背景に、戊辰戦争後も薩長(西軍)と幕府方(東軍)の間にくすぶる対立(さらには薩摩と長州の間の確執)、アイヌの人々への差別と迫害、北の果ての町、廃刀令、北海道開拓民など、日本の歴史に実にうまい具合に置き換えている。十兵衛がアイヌの女性を妻にしたことも、スコウマン(インディアンの妻を持つ白人の男)の日本流という感じだ。
だが、やはり、オリジナルに比べると弱い。1992年の「許されざる者」は、画面も話も暗いと、西部劇オールドファンの間ではいまひとつ人気がないが、イーストウッドが、「1992年に俺が西部劇を撮るとはどういうことか」をとことんとことん突き詰めて撮った作品だと私は思っている。ものすごい気迫を感じるのだ。
そうした比較を置いといても、十兵衛の思いがどこにあるのかが、いまひとつはっきりしない。酒を断った男が再び酒を飲む場面は示されたが、刀を捨てた男が再び刀を手にする、そこんとこのめりはりがいまひとつはっきりしなかった。十兵衛の、金吾を殺した連中への怒りは伝わるが、なつめや女郎たちへの気持ちがわかりにくい。これは別にべらべらしゃべってくれということではない。
逆に金吾はしゃべり過ぎ説明しすぎだと思った。甲高い声が味わい深い老人というと、先だって亡くなった大滝秀治を思い出すが、柄本明がそうした境地に達するのはこれからという感じがする。佐藤浩市の警察署長も、国村隼も悪くはないが、さほど強烈ではない。
五郎は、オリジナルのジェームズ・ウールヴェットよりは、むしろ「七人の侍」の三船敏郎、「荒野の七人」のホルスト・ブッフホルツのような役回りにくわえ、アイヌとのハーフであるという設定が効いていて、なかなかよかった。顔を切られる女郎なつめも健気そうでかわいかった。
ところどころにゆるさが感じられる。たとえば卯之助が殺され、残る佐之助を十兵衛が殺そうと狙っているのを知っていながら、警察側はどうして見張りを一人もつけず、彼を一人で外に出したのか。
十兵衛が店に乗り込んでからの見せ場のアクションも、動きがぶつ切りで、マヌケな間がある。十兵衛の刀がすぐに折れてしまい、このたち回りの間、彼は一貫した武器を手にすることがない。敢えてもたつかせたのかもしれないが、あまりすかっとしなかった。
とは言っても、これはこれでこれだけ見れば、だいぶおもしろい。
北海道の美しい大自然に、渡辺謙の顔と、相楽と忽那の若々しさが映える映画である。(2013.9)
関連作品:「許されざる者」(1992年アメリカ)


ホワイトハウス・ダウン WHITE HOUSE DOWN
2013年 アメリカ 132分
監督:ローランド・エメリッヒ
出演;ジョン・ケイル(チャニング・テイタム)、ジェームズ・ソイヤー大統領(ジェイミー・フォックス)、キャロル・フィナティ(特別警護官。マギー・ギレンホール)、イーライ・ラフェルソン(下院議長。リチャード・ジェンキンス)、エミリー・ケイル(ジョーイ・キング)、マーティン・ウォーカー(ジェームズ・ウッズ)、エミール・ステンツ(ジェイソン・クラーク)、ドニー(ホワイトハウス・ツアーのガイド。ニコラス・ライト)、ハモンド副大統領(マイケル・マーフィ)、メラニー(ラシェルー・ルフェーブル)
★ネタバレあり!!★
ジャンゴ 繋がれざる者」で、黒人奴隷ジャンゴを演じたジェイミー・フォックスがアメリカ大統領を演じるというキャスティングからしてすでに痛快。
ソイヤー大統領が、中東から軍を撤退させ和平を目指す方針を表明した直後、ホワイトハウスは謎の武装集団に襲撃される。
下院議長の警護についている議院警察官のジョン・ケイルは、大統領のファンで政治オタクの11歳の娘エミリーの気を引くため、彼女のために入場許可を取り2人でホワイトハウスに入る。ジョンは、エミリーを待たせ、大統領付きシークレット・サービスになるための面接を受けるが、不採用となる。その後親子で館内ツアーに参加し、そこで襲撃に巻き込まれる。
はぐれたエミリーを捜すジョンは、襲撃者から逃れ単身で館内にいた大統領と遭遇、大統領を一人で守るはめになる。軍隊経験がなく、当初は銃を撃つのもためらっていた大統領だったが、ジョンとともに戦ううちにやがて走行する車からロケットランチャーをぶっ放すほどの活躍ぶりを見せる(ぶっ放した直後に落っことしてケイルに呆れられるのだが。文末に原文引用)。大統領と一介の議院警察官が、力を併せて襲撃者に立ち向かう様は派手で豪快。2人のやりとりも愉快だ。
冒頭、エミリーが学校の発表会で旗振りをしたと母親が語り、どういう発表会だと思ったが、この旗振りを始め、随所で伏線が効いてくる。ワシントンやリンカーンのような大統領になりたいというソイヤーは、リンカーンの懐中時計を所持していて、これも「荒野の1ドル銀貨」ネタへとつながるのだった。
久々にスクリーンでジェームズ・ウッズを見た。年老いて穏やかな退役老人役かと思いきや、ジェームズ・ウッズらしい役回りで出番もたくさんあってよかった。(2013.9)
原文:(Imdbより)
President Sawyer: I lost the rocket launcher.
Cale: You lost... How do you lose a rocket launcher?

ワールド・ウォーZ WORLD WAR Z
2013年 アメリカ 116分
監督:マーク・フォースター
原作:マックス・ブルックス「WORLD WAR Z」
出演:ジェリー・レイン(ブラッド・ピット)、カリン・レイン(ミレイユ・イーノス)、レイチェル・レイン(アビゲール・ハーグローヴ)、コニー・レイン(スターリング・ジェニンズ)、ティエリー(国連事務次長。ファナ・モコエナ)、セガン(ダニエラ・ケルテス)、スピーク(アメリカ特殊部隊隊長。ジェームズ・バッジ・デール)、バート・レイノルズ(元CIA捜査官。デビッド・モース)、ユルゲン・ヴァルムブルン(モサド高官。ルディ・ボーケン)、ハビエル(WHO研究所所長。ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)、ブリット(WHO研究員。ピーター・キャパルディ)、ケリー(WHO研究員。ルース・ネッガ)、アンドリュー・ファスバッハ(ウィルス学者。イライアス・ゲイベル)
ブラッド・ピットがゾンビと対決、一人で世界を救う映画だと聞いて、衝動的に見たくなって見た。
謎の疫病の発生により、感染した人がゾンビ化して人を襲い、襲われた人もまたゾンビとなって人を襲う。あっという間に、凶暴なゾンビが増殖し、世界各地で都市が壊滅する。
元国連調査官のジェリー・レインは、アメリカ海軍の軍艦に収容された家族の安全と引き換えに任務に復帰し、疫病の発生源を追う。
韓国の米軍基地で元CIA捜査官から情報を得たジェリーは、イスラエルのエルサレムへ飛ぶ。エルサレムの周囲には、モサド(イスラエル諜報特務庁)の高官ユルゲンの発案によりゾンビの襲撃を防ぐための高い壁が張り巡らされていた(この壁はちょっと「進撃の巨人」を思い出させる)。が、音に反応するゾンビらは、壁の内側から人々の大合唱が聞こえてくると、壁際に押し寄せ、自らが積み重なって足場をつくり、壁の内側に侵入する。
ゾンビ襲撃の場に何度も居合わせたジェリーは、やつらが目もくれずに素通りする人間が何人かいたことに気付き、その共通点とは何かを考える。野生の動物は病気の獲物を食べないという発想から、自分達に害をもたらすある種の病原菌を持った人間は襲わないのではないかという仮説を立て、直近にある研究機関を目指し、警護役の女兵士セガンとともに民間航空機に乗り込む。が、ゾンビは機内にも潜入していた。機内はパニックに陥り、ジェリーの投げた手榴弾により機体は破損し、墜落する。なんとか助かったセガンとジェリーは、WHOの研究所を訪れ、ゾンビに対抗するためのワクチンをつくることを提案する。
冒頭、ジェリーが妻と娘2人を乗せた車が渋滞に巻き込まれるや、ゾンビ襲撃によるパニックが発生、映画は最初から最後までゾンビとの攻防に終始する。
レイン一家が住むフィラデルフィアの町中でのパニック、韓国米軍基地での襲撃、エルサレムでの壁の中での戦闘、航空機内での攻防と派手なアクションが続くが、最後は、研究所内でウィルスのストックを手に入れ、自らの身体にウィルスを打つジェリーのいちかばちかの挑戦という、比較的地味なサスペンスとなる。
ブラピの長髪はどうも似合うとは思えず、なじめなかった。最後の勝利は地味なとこが私はよかった。「宇宙戦争」を思い出させる結末だが、世界中に蔓延した被害を止めるには、こういう手しかないだろうと思われる。(2013.9)

リアル〜完全なる首長竜の日〜
2013年 日本(公開:東宝) 127分
監督:黒沢清
原作:乾緑郎「完全なる首長竜の日」
主題歌:Mr.Children「REM」
出演:藤田浩市(佐藤健)、和淳美(綾瀬はるか)、相原栄子(中谷美紀)、沢野(オダギリジョー)、高城(染谷将太)、米村(堀部圭亮)、晴彦(淳美の父。松重豊)、真紀子(浩市の母。小泉今日子)
★ネタばれしてます。注意!! 見てない人にはわからないことも書いてます。
まずは、最先端医療により昏睡状態に陥った恋人の意識下に入っていく青年の話である。
浩市は、自殺を図って昏睡状態にある恋人の淳美を目覚めさせるため、「センシング」と呼ばれる最先端医療技術で、淳美の意識の中へ入っていき、淳美と再会する。漫画家である淳美は、二人が暮らすマンションの一室でひたすら漫画を書いていた。淳美は、浩市に「首長竜の絵を見つけて」と頼む。それは、小学生のころ、2人が島で暮らしていた時に淳美が描いて浩市にプレゼントしたものだというのだが、浩市にはそのような絵の記憶が全くないのだった。
淳美は締めきりに追われ、彼女のウリである不気味な絵柄のホラー漫画を描き続けるが、部屋には漫画に描かれた水死体が突如現れたり、床が浸水するなどの異変が起こる。浩市は、部屋から出ようとしない淳美を外へ連れ出そうとするが、外の世界は朦朧として霧に包まれていた。
やがてセンシングの副作用として、浩市は現実世界でも幻影を見るようになる。ずぶぬれの運動着姿の少年を何度も目にし始める。
ということで、前半は、不可思議な淳美の脳内世界と、徐々に現実に侵入してくる不気味な幻想とが入り混じっていく神経症的SFホラー・ミステリの様相を呈しているのだが、浩市は、恋人を救おうとする健気な青年でありつつ、母の再婚により家族と疎遠になっている息子というホームドラマ的な役回りや、リゾート開発に失敗して荒廃した島の住民である淳美の父に糾弾される開発会社社員の家族という社会派ドラマの加害者側にもなったりして、なんだか話が散らかってくる。
と思っていると、いきなり逆転が生じる。そこここに散りばめられていた違和感から何となく予感できるので逆転自体にはさほど驚かないのだが、まだ中盤なので、そこからも話が続いて、そして首長竜との対決となる。
この映画のおもしろさはどう言えば伝わるのだろう。
佐藤健を丁寧にきれいに撮っていて、前半、淳美のために献身的に動く彼の姿はとても好ましく、切ない。
逆転後は視点ががらりと変わってしまって戸惑うが、佐藤健に替わって今度は綾瀬はるかが活躍、有刺鉄線を張った柵を乗り越えるアクションなどを見せてくれる。
中谷美紀演じる女医というか研究者の、終始人の神経を逆撫でするようなねっとりとした話し方が世界が仮想か現実かとかお構いなしに全くぶれていないのがすごい。
「フィロソフィカルゾンビ」と化したオダギリジョーらはおかしい。
風とか水とか銃とか水死体とか迷路のようなマンションの通路とかジオラマのような遠景とか細部も行き届いていて面白く見ることができる。
が、私としてはやはり首長竜である。
「完全なる首長竜の日」といういかにも芸術作品っぽいタイトルから、インテリSFの精神世界の話で、仮想世界と現実世界が入り混じってよくわからなくなって、結局曖昧で釈然としない終わり方をするんじゃなかろうかと思っていた。「首長竜」ってあるけれども、これも象徴的なもので、首長竜そのものは出てこないんだろう、もし出てきても一瞬イメージが重なるとかそんなような程度のものだろうと思っていた。
ところが、「ジュラシックパーク」を愛する監督(知人からの伝聞情報による)はそんなものでは済ませなかった。
博物館の骨格標本が出てきた時点で、あ、ちゃんと出てきたと思ったのだが、島の入江のシーンでは化石でない生きている状態の首長竜が海の中からざばっと現れたので驚いた。が、このときはほぼ姿を見せただけですぐ去ってしまい、まあこんなものかと思いつつ、モリオ、それでいいのか!?と少々物足りなく感じてもいた。
そしたら、その後またも首長竜が登場、今度は愛し合う恋人達を、特に男(浩市)の方を徹底して襲撃する。ペンダントを渡しただけであっさり引きさがるのはやはりちょっと物足りないが、モリオは和美のことが好きだし、子どもだし、なんといっても、モリオの死に責任を感じている浩市の意識の中なので竜をやっつけるわけにはいかないのだろう。しかしながら、この怪獣映画さながらの展開は、実に天晴れ!!と私は思った。(2013.6)

あれから
2013年 日本 映画美学校 63分
監督:篠崎誠
出演:吉村祥子(竹原綾)、小野寺正志( 礒部泰宏)、本田真実(太田美恵)、河本大輔(木村知貴)、小野寺仁志(川瀬陽太)、滝口信子(杉浦千鶴子)、渡部直子(伊沢磨紀)
篠崎誠監督が映画美学校フィクション・コースとのコラボレーション作品として制作。
「被災地から遠く離れた東京の、静けさを取り戻して行く日常に反して、激しく揺れるヒロインの心情を確かな演出力で活写。」(映画の公式ページより)
「被災地の恋人と、遠く離れた東京で連絡がとれなくなってしまった女性を主人公にすることで、3月11日直後の、足元が覚束なく、心と体が、寄る辺なく、ずっと微かに震え続けていたようなあの感触を捉えたいと思いました。」(篠崎監督の言葉。クラウドファンディングプラットホーム、motoion gallery http://motion-gallery.net/projects/arekara311より)

震災の映像を一切出さずに、東日本大震災が人々の心に及ぼしたものを描くという試みには、強く心を引かれた。
余震のシーンや、音、祥子の目の動き、正志の手の震えにそうした人々の不安やおぼつかなさを感じたという感想が見られる。
しかしながら残念なことに、私は、この映画をみて、あまり震災をイメージすることができなかった。震災を直接的に物語るのは、主に登場人物の言葉と余震である。余震が震災の象徴のように描かれ、震災自体が観念的なものとして伝えられていると思うのだが、そうした手法になじめなかった。それは、私が期待していたものとは少々違ったということなんだと思う。
被災地に家族や知人がいる人間でなくとも、あのとき東京にいた人間が見聞きし感じた非日常はいろいろあった。しかし、そうしたことを思い出させるような細部があまり示されなかった。直子叔母が公衆電話から電話をかけてきたこと、祥子が被災地に向かうのが桜の咲くころであることに、かろうじてリアリティを感じるに留まった。
「案ずるより産むが易し」という言葉がある。何をもって「易し」というかは難しいところだが、出産した経験から言えば、間違いなく産む方が難儀だ。案じるだけなら全然痛くないのだから、痛いのがいやなら好きなだけ案じていればいい。東京にいて被災地を思う人たちの精神状態とは、この「案ずる」状態ではないのだろうか。自分に直接関係ないけど、あまりにもショッキングなできごとなので、被害に遭った人たちの身の上を思いやらずにいられない、あるいはそうしたことが自分たちにも起こり得るということを考えずにいられない。監督が言うところの「足元が覚束なく、心と体が、寄る辺なく、ずっと微かに震え続けていたようなあの感触」だ。だがこうした感覚は、自分本位で、被災地あるいは被災者から隔たっている。
被災者が祥子の肉親ではなくて関係が薄れつつある恋人であり、被災地が自分の故郷ではなくその恋人が住む地であるという設定は、そうした距離感をよく現しているんじゃないかと思った。正志は祥子のことを思っているが、震災前の祥子は正志から心が離れつつあり、この温度差が、被災者と東京の人間との差に重なるようにも見えた。
祥子の正志への思いは、震災によって蘇えったのだろうか。案じているより産む方がある意味楽な部分が確かにある。もやもやとしたものをすっきりさせたいという願望が、痛みへの恐れよりも強くなったら、人は産もうとするのかもしれない。だから、祥子は被災地に行く決心をしたのか。
桜のころになったのは、桜の花の思い出に合致するが、実際、それくらいの時期にならなければ、道路は復旧せずガソリンも手に入らなかったと思う。そういう意味で、このタイミングはリアルだ。
靴ひもを結んできっと正面を見据える祥子の姿に、「あれから」というよりは「これから」だと思った。というのではだめかしら。(2013.6)


グランド・マスター 一代宗師 THE GRANDMASTER
香港 2013年 123分
監督:ウォン・カーウァイ
武術始動:ユエン・ウーピン
出演:葉問<イップ・マン>(トニー・レオン。詠春拳の宗師)、宮若梅<ゴン・ルオメイ>(チャン・ツィイー。八卦掌六十四手の使い手)、一線天<カミソリ>(チャン・チェン。八極拳の宗師)、馬三<マーサン>(マックス・チャン。形意拳の達人)、宮宝森<ゴン・パオセン>(ワン・チンシアン。八卦掌の宗師)、イップマンの妻(ソン・ヘギョ)
★ネタばれ(あらすじ説明)あり!
1930年代の中国。北の八卦掌の宗師パオセンは、南部の佛山にある娼館“金楼”で引退試合を行い、詠春拳の宗師イップ・マンに、中国拳法の南北統一という悲願を託す。
パオセンの弟子マーサンと娘のルオメイはこの決定に不服を抱く。ルオメイは、“金楼”にイップ・マンを呼び出し、唯一人父から受け継いだ八卦掌奥義六十四手でイップ・マンに勝つが、戦いを通して、彼女はイップ・マンに強く心を魅かれる。
やがて日中戦争がはじまり、流派間の抗争は中断される。
イップ・マンは、佛山で家族と共に裕福な暮らしを送っていたが、日本軍によって屋敷を追われ、貧困生活に陥る。
八極拳の使い手カミソリは、中国国民党の刺客として日本軍から追われる身となる。
マーサンは日本側につき、満洲国奉天の協和会長に就任する。パオセンは、そんなマーサンの人格を問題視して彼を破門するが、逆上したマーサンに殺されてしまう。ルオメイは父の復讐を誓い、雪の降る大晦日の夜、駅のホームでマーサンに戦いを挑む。
カンフー・シーンは、血沸き肉踊るというよりは、美しさに主眼を置いて描かれている。
拳士の手や足(靴)のアップや、スローモーションが多用されている。タランティーノだったら盛大な血しぶきが上がるであろうシーンで、大量の雨の滴や、防寒着の詰め物の白い綿が、透明なあるいは白い血のように美しくスローに飛び散る。美しすぎてあまりアクションシーンを見ている気にならない。等倍速で組み手を見せるカットの方が、断然カンフーを見ている気になる。
掌の上の雀が飛べないという話は、健康太極拳教室で聞いたことがある。飛ぼうとする瞬間に掌を下に引くとスズメは飛べない。飛ぶための反動を得られないからだという。太極拳では、相手の力を利用する。直進してくる敵の動きを円運動に変えてかわす。だから、鶴のように痩せた老人が大勢の敵を相手にできるのだと太極拳経にある。
そうしたことを聞いていると、流派は違うが、パオセンの「退くことも大事だ」という言葉にも、チャン・ツィイーが大の男相手に立ちまわる姿にも説得力があるのだった。
戦争が入ることで話は散乱する。
1950年代に入り、イップ・マン、ルオメイ、カミソリは、それぞれが香港に流れ、そこでの生活を送る。カミソリはかっこいいが、彼の話は直接本筋には絡まない。ルオメイはイップ・マンと再会し、思いを打ち明ける。それまで強気な女拳士だった彼女が、叶わぬ思いを胸に生きてきた女として描かれ、実際このシーンの彼女が一番きれいだと思った。
通常のカンフー映画のように最後にイップ・マンと誰か大物とが対決して締めとはならない。だから活劇を期待するとちがうが、ドラマとして見れば、もの静かないい終わり方である。 (2013.6)
このひと言(NO59.)「功夫(クンフー)には、縦か横かしかない。」
類似題材の映画:「イップ・マン」(2010年。主演:ドニー・イェン)


藁の楯  わらのたて
2013年 日本(公開ワーナー) 125分
監督:三池崇史
原作:木内一裕「藁の楯
出演:銘苅一基(警視庁、警部補。大沢たかお)、白岩篤子(警視庁、巡査部長。松嶋奈々子)、奥村武(警視庁、警部補。岸谷五朗)、神箸正貴(警視庁、巡査部長。永山絢斗)、関谷賢示(福岡県警、巡査部長。伊武雅刀)、大木(警視庁、警部、銘苅の上司。本田博太郎)、清丸国秀(殺人犯。藤原竜也)、由里千賀子(タクシーの運転手。余貴美子)、蜷川隆興(資産家の老人。山崎努)
財界の大物である老人蜷川は、幼い孫娘を殺した指名手配中の容疑者清丸に莫大な額の懸賞金をかける。清丸を殺害した者には10億円を支払うという広告が新聞に掲載される。
福岡に潜伏していた清丸は、身の危険を感じて福岡署に出頭する。
清丸は取り調べのため警視庁まで移送されることになり、懸賞金目当ての襲撃者を警戒した当局は、警護チームを編成する。警視庁警備部警護課4係(SP)の銘苅と白岩、同捜査一課刑事の奥村と神箸、そして福岡県警刑事の関谷の5人がメンバーとなる。
清丸を乗せた護送車の他に4台の同型の護送車を用意し、周囲を警備隊が取り囲むという、大がかりで物々しい警備の中、一行は高速道路を出発する。が、ネット上で「清丸サイト」というサイトが公開され、清丸の乗った車両がマーキングされるという事態が起こる。
銘刈らは、高速道路を下り、列車での移動に切り換える(この新幹線のロケは、台湾の高速鉄道で行ったそうだ。走行する列車は、日本の700系新幹線を改良した700T型)。が、やがて、清丸サイトには、清丸の乗る列車の車両が示され、一行は列車に乗っていた男たちの襲撃を受ける。
清丸をかくまっていた男、病院の看護師、警備隊員、暴力団風の男たち、中小企業の社長など、一般人とプロが入り乱れて様々な襲撃者が清丸を殺そうとする。銘刈らは、プロらしく事態に対処していくが、列車で神箸と関谷が脱落、残る銘刈・白岩・奥村の3人と清丸は、山間の駅で列車を降り、徒歩と車での移動となる。
清丸の位置の情報を漏らしているのは誰なのか。そして清丸国秀は守るに値する人間なのか。
この二つの点に的を絞ったため、話はすっきりと明快に、そしてハードにぐいぐいと進む。
情報漏洩者の追及をめぐって、5人の警護者たちは仲間を疑わざるを得ない状況に陥る。
幼い少女を無惨に殺し、出所してすぐまた蜷川の孫娘を殺した清丸は、下劣で突飛な言動を繰り返す。藤原竜也の憎まれ演技は適度にスパイスが利いていて、警護チームのメンバーの憎悪を駆り立てていく。しかも、銘刈は無謀運転による事故で妻を亡くしていて、白岩は女手ひとつで小学生の男の子を育てていて、神箸は被害者の少女の無残な遺体を捜査現場で目にしている。彼らは清丸もしくは清丸のような男をより憎みやすい立場にある者たちなのだった。清丸を殺した方がいいのではないかという言葉は彼ら自身の口から何度となく発せられる。
人の顔のアップが多すぎると思わないでもなかったが、仲間を疑い、任務にも疑問を感じるような状況に陥った警護チームの面々の逼迫した気持ちを表しているのかもしれない。
犯人の人権という問題もあまり説教くさくなく描かれ、エンターティンメントとして楽しめる映画になっていると思う。 (2013.5)

おまけ:犯罪者の護送中に懸賞金目当ての人々の襲撃を受けるという設定は、アメリカ映画の「S.W.A.T.」(2003年。監督:クラーク・ジョンソン、出演:サミュエル・L・ジャクソン、コリン・ファレル)に似ている。こちらは、護送される麻薬組織の幹部が、テレビの報道で「自分を逃がしてくれたら1億ドル払う」という宣言をする。

レ・ミゼラブル LES MISERABLES
2012年 イギリス 158分
監督:トム・フーパー
原作:小説「レ・ミゼラブル」ヴィクトル・ユゴー
   ミュージカル「レ・ミゼラブル」クロード=ミシェル・シェーンベルク
出演:ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)、ジャベール警部(ラッセル・クロウ)、ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)、コゼット(イザベル・アレン(少女時代)/アマンダ・セイフライド)、マリウス(エディ・レッドメイン)、マダム・テナルディエ(ヘレナ・ボナム・カーター)、テナルディエ(サシャ・バロン・コーエン)、エボニーヌ(サマンサ・バークス)、アンジョルラス(アーロン・トヴェイト)、ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)、司教(コルム・ウィルキンソン)、軍士官(ハドリー・フレイザー)
★ねたばれというか、具体的な内容に触れてます。
フランスの世界名作文学を原作とする舞台ミュージカルを映画化。
19世紀のフランス。1本のパンを盗んだ罪で19年間の囚人生活を送ったジャン・バルジャンは、仮出獄後も危険人物として監視され続けていた。一宿一飯の恩を受けた教会で盗みを働いた彼だったが、司教の寛容な愛に感動し、姿をくらまし、別の人物として人生をやり直す。やがて、地元の名士となるが、しかし、彼を執拗に追うジャベール警部と再会、警部はジャン・バルジャンの正体に気付き始める。一方で、ジャンは不幸のどん底で亡くなった女性ファンティーヌに幼い娘コゼットを託され、彼女を引き取り娘として育てる決心をする。成長したコゼットは、若者マリウスと恋に落ちるが、彼は仲間の学生らとともに革命を企てていた。
ミュージカルとは、ふつうにお芝居があって、感極まったところで登場人物が歌い踊り出すというイメージがあったのだが、この映画ではずうっと歌いっぱなしである。
「シェルブールの雨傘」という映画があってずっと歌いっぱなしだったが、あれは恋に浮かれ別れに嘆く若い二人の話だからずっと気持ちが高揚しているのもうなづけるし、つくりもコンパクトなのでついて行けた。が、本作は、長大な人間ドラマである。
この歌による話の進行に乗れるかどうかで、評価は変わってくると思われる。どうも私はものすごい感動というところまではいきつくことができなかった。が、たいへん興味深いものを見たという感じだ。
船を人力で引きあげさせられる冒頭の囚人たちの歌、旗を持ってこいと言われて重たそうな支柱ごと旗を運んで力持ちぶりを発揮しながら身の上を嘆くジャン・バルジャン。このあたりのつかみはよかった。
のだが、ジャン・バルジャンの身の上話、ファンティーヌの身の上話、ジャベール警部の執念、いかがわしいホテルの小悪党テナルディエ夫妻の愉快な悪事自慢、コゼットとマリウスの恋、片思いの女の子エボニーヌの切ない胸のうちなど、次々に畳みかけられ、饒舌を通り越した過剰な情報提供の嵐に、どうにもたじたじとなってしまった。
歌はセリフではなく、状況説明であり、心情暴露である。みんながみんな、何の溜めもなく、思ったことをそのまま口にしてさらけ出す。一方的に自分の言いたい事を訴える場面が多い。舞台ならきっとそれが迫力があっていいのだろうが、映画の場合どうなのか。
歌は心の声なのかとも思ったが、聞いて反応する人もいるので、他の人にも聞こえているのだろうが、歴然とした対話以外はどうもみんなあまり人の話(歌)は聞いていないようだ。
ジャベールとジャンの対決シーンは、それが功を奏している。ジャンの正体を知って詰め寄るジャベールと逃れようとするジャン。敵対する二人の男が、相手の言葉を聞く耳持たず、それぞれ違う歌を歌って心情をぶちまけながら、戦う。この相手ととことんかみ合わいのがよかった。
(執念の刑事の元祖のようなジャベール警部は、幼少のころ「ああ無情」という邦訳のついた児童文学全集で読んだ時から印象深いキャラクターである。今回はラッセル・クロウが好演、高所の淵を歩くのもいい。)
人々はしかし、革命前夜の「ワン・デイ・モア(One Day More)」、「民衆の歌(The People's Song)」でついに唱和する。革命は人の心をひとつにするということか。
で、そのあと、初めて沈黙が訪れる。戦闘の後、広場に並べられた若者たちの死体を前に、ジャベールは文字通り言葉を失くす。続く下水道のシーンも静かだ。ジャンは負傷したマリウスを抱え、汚物まみれになって脱出を図る。ここも歌ってる場合じゃないということか。
最後はあの世での「民衆の歌」の大合唱。さすがにじんと来る。気持ちは高ぶるのにそこはかとなく悲しいエンディングである。 (2013.2)


アウトロー JACK REACHER
2012年 アメリカ 130分
監督:クリストファー・マッカリー
原作:リー・チャイルド「アウトロー
出演:ジャック・リーチャー(トム。クルーズ)、ヘレン・ロディン(ロザムンド・パイク)、アレックス・ロディン(リチャード・ジェンキンス)、エマーソン(デヴィッド・オイェロウォ)、チャーリー(ジェイ・コートニー)、ゼック(ヴェルナー・ヘルツォーク)、ジェームズ・バー(ジョセフ・シコラ)、サンディ(アレクシア・ファスト)、キャッシュ(ロバート・デュヴァル)
ピッツバーグ郊外で起こった5人の男女無差別射殺事件。犯人として検挙された元米軍スナイパーのジェームズ・バーは、犯行を認める署名を求められると、代わりに「ジャック・リーチャーを呼べ」と書く。
ジャック・リーチャーとは何者かわからず探しあぐねていた当局の前に、本人がいきなり姿を現す。
彼は、元米軍の秘密捜査官で、今は身分を証明する手立てを一切放棄し、文字通り「法の外」(アウトロー)に生きる男となっていた。
バーの弁護士ヘレンは、リーチャーに協力を求める。リーチャーは、軍にいたころにバーが起こした狙撃事件の捜査をしていたことがあり、バーが犯人である可能性は充分高いと認める。が、捜査を進めるうちに疑問を抱き、やがて無差別殺人に見せかけた陰謀を暴いていく。
トム・クルーズは、強くて頭の回転がよくて常に冷静な男前を悠悠と演じている。運転免許がないからバスで移動するのだが、激しいカーチェイスの果てにあっさりバスで逃走するのがいい。
銃を捨てて殴り合いをする、という男と男の対決のパターンをすごく久しぶりに見た。
ロバート・デュバルが、もと海兵で射撃場主の老人キャッシュを演じる。クライマックスでライフルを持ってジャックを援護するという役どころで活躍する。
敵の黒幕を演じるのは、船が山に登る映画「フィッツカラルド」などで知られるドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォーク。闇に立つ彼の姿はたいへん不気味だ。
ジャックと直接渡り合う敵の雇われ殺し屋チャーリーを演じるのは、「ダイ・ハード ラスト・デイ」でブルース・ウィリスの息子を演じたジェイ・コートニー。
演出はもたつき気味で軽快さに欠けるが、ボルトアクションの銃の操作を丁寧に見せるなど、銃の扱いはよかったのではないだろうか。
雨の中、チャーリーとの最後の対決で、銃を捨てて殴り合いをするというのも、ひさしぶりでよかった。(2013.2)


96時間リベンジ TAKEN 2
2012年 フランス 92分
監督:オリヴィエ・メガトン
製作:リュック・ベンソン
出演:ブライアン・ミルズ(リーアム・ニーソン)、キム(マギー・グレイス)、レノーア(ファムケ・ヤンセン)、ムラド(ラデ・シェルベッジア)、サム(リーランド・オーサー)、ケイシー(ジョン・グライス)、バーニー(D・B・スウィーニー)、ジェイミー(ルーク・グライムス)
誘拐された娘を救出するため、元凄腕秘密工作員のブライアン・ミルズがひたすら犯人一味を追い詰めてやっつけまくった痛快アクションの続編。1作目ほどの猪突猛進ぶりは見られないが、第2弾としての工夫がいろいろ施されていて楽しかった。
映画はアルバニアの山の斜面にある墓地から始まる。何人もの死者が埋葬されるが、彼らは、前回ブライアンに殺された人身売買チームの面々である。家族たちがその死を悼む。愛する息子を殺された父親のムラドは復讐を誓う。前作を見ていない人が目にしたら、ブライアンはどんだけ悪い奴なんだと見紛うばかりの悲しい葬儀のシーンである。以前、マイク・マイヤーズのパロディ・スパイ映画「オースティン・パワーズ」(1997年)でヒーローにばたばたとやっつけられる手下たちの死を近親者たちが延々と悼むというギャグがあったが、ついそれを思い出してしまった。シニカルな出だしである。
1作目では、パリのホテルの部屋から誘拐犯に襲われつつある娘のキムがロサンジェルスにいるブライアンに電話で助けを求める。ブライアンは、冷静に状況を判断し、キムに「おまえはこれから拉致される」と宣告し、キムからできる限りの情報を引き出し、できる限りのアドバイスをしたのだった。
今回は、イスタンブールを旅行するブライアンと元妻のレノーアとキムが復讐をもくろむ敵に狙われる。ブライアンとレノーアがバザールで敵の襲撃に遭う。ブライアンは、ホテルに一人残っているキムに電話して「パパとママはこれから拉致される」と告げる。そして、やはり冷静にキムに大使館へ行けと指示するが、キムは果敢にも救出の手助けを申し出るのだった。
拉致されたのちも、ブライアンはキムと連絡をとり、てきぱきと指示を与える。最初は戸惑い怯えていたキムも、やがて手榴弾を投げるのにためらわなくなり、運転免許取得中にも関わらず派手なカーチェイスをやってのける。
大暴れして車ごとアメリカ大使館に突っ込んでおきながら、友人のサムへの電話一本で放免となる安易さもまた持ち味だなと思った。 (2013.1)
関連作:「96時間」(2009年)、「96時間レクイエム」(2014)

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