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西部劇

<2010年代の西部劇>制作年降順
マグニフィセント・セブン、 ジェーン、 レヴェナント 蘇えりし者、 ヘイトフル・エイト、 荒野はつらいよ〜アリゾナより愛をこめて〜、 ローン・レンジャー、 ジャンゴ 繋がれざる者、 宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ、 ブラックソーン ブッチ・キャシディ 最後の決闘、 トゥルー・グリッド

マグニフィセント・セブン The Magnificent Seven
2016年 アメリカ 133分
監督:アントワー・フークア
出演:サム・チザム(賞金稼ぎ。デンゼル・ワシントン)、ジョシュ・ファラデー(ギャンブラー。クリス・プラット)、ヴァスケス(流れ者。マヌエル・ガルシア=ルルフォ)、グッドナイト・ロビショー(スナイパー。イーサン・ホーク)、ビリー・ロックス(暗殺者。イ・ビョンホン)、ジャック・ホーン(ハンター。ビンセント・ドノフリオ)、レッドハーベスト(戦士。マーティン・センスマイヤー)、
エマ(ヘイリー・ベネット)、テディ・Q(ルーク・グライムス)、バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード)
※7人のガンマンの俳優名の前にあるのは、宣伝チラシなどに載っていた肩書きだが、ちょっとずれてるかもと思う部分もなきにしもあらず。
1879年、アメリカ、ローズ・クリークの町。
金鉱会社を経営する実業家のボーグは、事業の邪魔になる開拓民たちを町から追い出そうとして無茶な立ち退きを提案し、さらに用心棒のガンマンたちを使って教会に火をつけ、反発した住民を撃ち殺すという暴挙に出る。夫を殺されたエマは、開拓民仲間のテディQとともに、ボーグに対抗するため、すご腕のガンマンを探す旅に出る。
州をまたぐ犯罪取り締まりの委任執行官サム・チザムの仕事ぶりを見たエマは、サムに話をもちかける。サムはボーグを倒す仕事を引き受け、一緒に行く仲間を集め始める。酒好きで女好きのアイリッシュのギャンブラーでニ丁拳銃のファラデー、お尋ね者のメキシコ人ヴァスケス、元南軍の狙撃手で南北戦争の英雄だったグッドナイトと、彼に付き従う東洋人の若きナイフ使いビリー、巨漢の猟師ジャック、はぐれアパッチの若者レッドハーベストらが集まる。
言わずと知れた、「七人の侍」(1954年)の西部劇版リメイク「荒野の七人」(1960年)のさらなるリメイクである。
「マグニフィセント」って一体何だと思った人は多いだろうが、「壮麗な」という意味の形容詞である。中学生のころ、「荒野の七人」の原題を調べた際に初めて知ったが、後にも先にもそこでしか見たことがない英単語である。この邦題は直訳ですらない、原題のカタカナ読みなのである。
「荒野の七人」は、昔、テレビで見て以来、とても好きな映画だ。(なぜか「流しの公務員の冒険」という本の感想でも書いたのだが、)私は子どものころテレビの洋画劇場で映画を見て育った世代である。当時、テレビでは毎晩何かしらの洋画をやっていて、西部劇も多かった。中でも、「荒野の七人」はたいそう盛り上がったものの一つである。そして、気持ちが高揚しているところに、親からオリジナルの「七人の侍」がいかに優れた映画であるか、それに比べたら「荒野の七人」はだめだめだということを言われ、せっかくの気分を台無しにされるという辛い思いをしたものだが、同じ経験をした同年代の人は少なからずいるのではないだろうか。「七人の侍」は確かに素晴らしい映画だと思うが、「荒野の七人」は、7人それぞれにしっかりとした個性と魅力があり、特に侍たちには見ることのなかった合理的で俗物的で憎めない男ハリー(ブラッド・デクスター)が7人の中に含まれている点がアメリカ映画ならでは、敵の山賊カルベラ(イーライ・ウォラック)にも彼なりの男気があるのが往年の西部劇の悪役ならでは、さらに広大でからっとした西部の自然を反映した軽快さ・明るさなどもあって、いろいろ行き届いたよい映画だと私は思っている。
さて、56年の歳月を経てのリメイクである。7人は、オリジナルの面々に必ずしも一致はしない。リーダーは黒人、ナイフ投げは韓国人、そして最後に加わるのは弓矢の名手のインディアンと、人種のるつぼアメリカを前面に出した人物設定である。が、しかし、それでおもしろくなっているかというとこれが特にそういう様子でもないのである。たしかに、クリス・プラット演じるファラデーは、昨今希少な陽気で頼りになる西部男、個人的には久方ぶりのどストライクのキャラクターで大いに魅了された。また、狙撃手としてのトラウマにさいなまれるグッドナイトと彼を慕うビリーの2人組もなかなかよかった。世間的にはエマが好評のようで、夫を殺された不幸な未亡人から銃を手にして毅然とした女になっていく様子もなかなかよい。が、ヴァスケスやジャックやレッドハーベストについてはもっと人となりを見たかったし、町の人とのやりとりももっとちゃんと描いてほしかったし、なによりチザムについては、最後のネタばらしによって彼が何を思ってここまできたのか判断がつかなくなって戸惑う。また、ボーグが山賊でなく実業家なのもだいぶ残念である。ということで、物足りないところはある。
銃撃戦はかなり気合が入っていた。また、7人それぞれの銃や武器の扱い方がバラエティに富んでいて、おもしろい。(ちなみにファラデーのニ丁の銃の挿し方は、右側が通常の抜き方で抜ける向き、左側は逆向きになっているが、これはまず右手で右の銃を抜いて撃ち、弾がなくなったら左側の銃を右手で抜いて使うためだそうです。byトルネード吉田。)しかし、敵の数を増やせばいいというものではない(同様のことは「十三人の刺客」のリメイク版でも「ジェーン」でも思った)。多すぎる敵に対しては予め爆弾をしかけておいて出鼻にできるだけ大勢倒すという方法くらいしかない(「ジェーン」でもやっていた)。それと、ボーグが「あれを出せ。」と言うのを聞いたときも、それまでなんの前振りもなかったが、まさかまたあれかと思ったら、やっぱりガトリング銃だった。「続・荒野の用心棒」での初登場の際はかなり強烈な存在感を放っていたが、昨今はあちこちで見かけすぎて、もういいよという感じだ。(「ジャンゴ 繋がれざる者」で出さなかったタランティーノはさすがである。)敵の顔が見える適度な人数による銃の撃ちあいが西部劇の味ではないかと思うのだ。
最後の最後でなつかしいテーマ曲が流れたのはうれしかった。ここで来るかという感じ。1人1人の顔が順々に映し出されるクレジットも、よかった。(2017.1)


ジェーン JANE GOT A GUN
2016年 アメリカ 98分
監督:ギャヴィン・オコナー
出演:ジェーン・ハモンド(ナタリー・ポートマン)、ダン・フロスト(ジョエル・エドガートン)、ビル・ハモンド(ノア・エメリッヒ)、ジョン・ビショップ(ユアン・マクレガー)、ヴィック・ビショップ(ボイド・ホルブルック)、フィッチャム(ロドリゴ・サントロ)、メアリ(パイパー・シート)
★あらすじバラしています★
1871年のアメリカ西部を舞台にしたナタリー・ポートマン主演の西部劇。
ジェーンは、幼い娘と夫のハム(ハモンド)とともに暮らしていたが、ある日、ハムは銃撃を受け瀕死の重傷を負って帰宅する。ハムは、かつてのボス、一帯を牛耳るジョン・ビショップの手下たちと争いになり、相手を倒したものの自分も撃たれてしまったのだ。仲間を殺されたビショップは、追っ手を差し向けてくる。ジェーンは、娘を知人宅に預け、南北戦争の英雄で元恋人のダン・フロストに助けを求める。ダンは、最初は彼女をつけ放すが、やがて手を貸すこととなる。ジェーンとダンとハムは、荒野の真ん中に立つ家で、ビショップ一味を迎え撃つ。
愛する夫と娘を守るため、ヒロインは銃をとった、という謳い文句となっている。が、娘の出番はほとんどなく、家族ものというよりは、一人の女と二人の男の恋愛ドラマといった感じである。
ジェーンは婚約者だったダンの子を身ごもっていたが、ダンは南北戦争に出征して終戦後3年が過ぎても戻ってこなかった。彼は死んだものと思ったジェーンは、幼い娘を連れ、新天地を目指して西部に向かうが、旅の途中でビショップの世話になったことから、彼に目をつけられる。娼館に追いやられるところを、彼女を好きになったハムによって救出される。が、娘はビショップの手下の不注意から川で溺れ死んだと知らされる。ハムとジェーンはビショップ一味から逃げ、荒野に家を建てて暮らし始め、やがて2人の間に娘のメアリが生まれた。一方、南軍の捕虜になっていたダンはそんな事情も知らず、自分を裏切ったジェーンを恨んでいたのだった。
3人の男女の関係が丁寧に描かれている。通常の西部劇であれば、ハムかダンが主役となるところを、ジェーンが主役になっているため、女性目線なのが興味深い。負傷する夫を守るため、昔の恋人(嫌いになって別れたのでなく、好き合っているのに離れ離れになってしまったというのが大事)とともに戦う、大変な状況ではあるが、ある意味女冥利につきる話だとも言える。ジェーンだけでなく、ダンの側からの描写もけっこうあって演じるエドガートンがなかなかいいのだが、ハムについてはほぼジェーンの説明だけにとどまっているので彼自身が語るのをもっと聞きたかった気がする。
ビショップらを迎え撃つ直前の夕暮れ、家の前でジェーンとダンが話をする。いいシーンなのに、画面が暗すぎると思って見ていたら、クライマックスの銃撃戦は夜なのでさらに暗かった。
ダンのしかけた爆弾が爆発し、多くの敵を一気にやっつける際に炎が燃え上がり、生き残った敵との銃撃戦では、家の壁のふし穴ごしに銃撃の火花が散るのが闇の中に浮かび上がる。それはそれで見せるのだが、ほぼ音と炎で表される銃撃戦の様子は観念的というか、私としてはあまりしっくりこなかった。ビショップが家の中に入ってきてからのやりとりも、いたって凡庸である。
最後はめでたしめでたし。でも、もうちょっとなんかほしかったという思いは残る。(2016.10)

ヘイトフル・エイト THE HATEFUL EIGHT
2015年 アメリカ 168分
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:マーキス・ウォーレス少佐(サミュエル・L・ジャクソン)、ジョン・ルース/首吊り人(カート・ラッセル)、デイジー・ドメルグ(ジェニファー・ジェイソン・リー)、クリス・マニックス(ウォルトン・ゴギンズ)、ボブ(デミアン・ビチル)、オズワルド・モブレー(ティム・ロス)、ジョー・ゲージ(マイケル・マドセン)、サンディ・スミザーズ将軍(ブルース・ダーン)、OB(ジェームズ・パークス)、ジョディ(チャンニグ・テイタム)
ミニー・ミンク(ダナ・グーリエ)、シックス・ホース・ジュディ(ゾーイ・ベル)、エド(リー・ホースリー)、スウィート・デイヴ(ジーン・ジョーンズ)、チャーリー(キース・ジェファーソン)、ジェマ(べリンダ・オウィノ)、チェスター・チャールズ・スミザーズ(クレイグ・スターク)
ナレーター(クエンティン・タランティーノ)
★ネタバレあり!!★
タランティーノ監督によるミステリ仕立ての密室西部劇。
アメリカ、南北戦争後のワイオミング。レッドロックに向かう駅馬車が、吹雪のため、荒野の中にぽつんと立つロッジ(ミニーの紳士洋品店)に立ち寄る。馬車の乗客とロッジの先客、いわくありげな男女8人が、ともに一夜を過ごすことになったのだが・・・という話である。
駅馬車に乗っていたのは、賞金稼ぎのルース、彼に連行されている賞金首の女犯罪者ドメルグ、途中から乗車した元北軍の賞金稼ぎウォーレス、やはり途中乗車の自称レッドロックの新任保安官マニックス、御者のOB。ロッジにいたのは、ミニーに頼まれて店を預かっているというメキシコ人のボブ、死刑執行人のモブレー、カウボーイのゲージ、元南軍のスミザーズ将軍らである。数えると9人になるが、どうやらOBはごくまっとうな人で「ヘイトフル」ではないらしく、人数に含まれないようである。
いつもロッジにいる女店主ミニーの姿はなく、彼女が面倒を見ている車いすの男デイブの姿もない。ボブの説明に不審を抱いたルースは、ロッジにいる男たちの誰かがドメルグの仲間で彼女を絞首刑から救うために奪還しに来たのではないかと疑う。やがて、何者かがコーヒーに毒を入れ、殺人事件が発生、ロッジは、銃撃と血にまみれた修羅場と化す。
70ミリのフィルムで撮影されたにも関わらず、ほぼ密室劇である。駅馬車が行くワイオミングの雪景色は美しいが、最初の方しか出てこない。駅馬車内でも、ロッジでも延々とおしゃべりが続き、人物紹介がなされる。(駅馬車内と中継所での人間模様という意味ではジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)と同様の素材のはずだが、タランティーノがやるとこうなるのかということで、激しく違うものになるのだった。)
この会話を退屈と感じるかどうかと、最後の修羅場をどう思うかで、映画の評価が分かれるかと思う。私は3時間と聞いて見に行くのを躊躇したのだが、見始めたら面白かった。
ウォーレスが「リンカーンの手紙」を持っているのはよかった。(文脈からわかると思うが、「メアリー・トッドが呼んでいる。床につく時間だ。」の「メアリー・トッド」はリンカーンの奥さんである。)
ルースが、疑心暗鬼となり、ロッジにいる男たち一人一人と話をするところでは、吹雪の中のテストという状況設定もあって、「遊星からの物体X」(1982年)で、カート・ラッセル演じる隊員が南極基地でやった「血液検査」を思い出した。
コーヒーに毒が盛られていることが分かってから、ギターを弾くドメルグとその向こうでコーヒーを飲もうとする人間が、いちいち律儀にピン送りされて撮られているのが、面白かった。
ジョディがいきなり床下から飛び出たのにはびっくりした。こうした登場からしても、最後の殺戮は、撃たれて血が出て、みんな死んで・・・と惨劇として受け止めるより、タランティーノのいつものクライマックスのお祭りだと思ってみた方が気が楽である。血もあれだけ出ると作り物めいて見える。毒だとは思うし、こんなもの見たくないという気持ちもわかるが、至って健全というか、ストレートな毒だと私は思った。
キル・ビル2」でも感じたことだが、時間が戻って殺戮前の場面になるところがある。本作では、ルースらが到着する前に、ロッジで何があったのかが、時間を遡って示される。もう、観る者はみんな何があったか察しがついている。これから惨劇が起こることを予め知っていて、そのシーンを待つ、このはらはらドキドキ感はなかなかよい。(2016.3)


荒野はつらいよ アリゾナより愛をこめて A MILLION WAYS TO DIE IN THE WEST
2014年 アメリカ 116分
監督:セス・マクファーレン
出演:アルバート・スターク(セス・マクファーレン)、アナ(シャーリーズ・セロン)、クリンチ(リーアム・ニーソン)、ルイーズ(アマンダ・セイフライド)、エドワード(ジョヴァンニ・リビシ)、フォイ(ニール・パトリック・ハリス)、ルース(サラ・シルヴァーマン)、ルイス(エヴァン・ジョーンズ)、ジョージ・スターク(アルバートの父。クリストファー・ヘイゲン)、コーチーズ(ウェス・studiスタディ)、リンカーン(ギルバート・ゴッドフリート)、ドク(クリストファー・ロイド)、ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)、カウボーイ(ユアン・マクレガー)
かわいい見かけとは裏腹な過激なギャグで人気を博したそうな熊のぬいぐるみが主人公の映画「テッド」で知られるセス・マクファーレン監督・主演の西部劇コメディ。(「テッド」は観ていません。)
原題は直訳すると「西部における百万の死にざま」となり、邦題より断然こっちの方が格好いい。そしてこのタイトルの通り、主人公の気弱な羊飼いの青年アルバートは、西部開拓時代のアメリカがどんなにひどいところか、人の死に方は百万通りもあり、生き延びるのは本当に大変だ、西部はつらいよ、とその時代の人間とは思えぬ価値観でもって、おのれの生まれついた時代を呪い、ぼやき続ける。
下ネタとエロ・グロ場面満載という評判や「こんな汚い映画初めて見た」という知人のジェントルマンの感想を耳にしていたので、どれだけ見るに堪えないものが出てくるのかと腹を括って劇場に行ったのだが、さほどじゃなかったというか、肩すかしというか、これよりもっとえげつないものが出てくる映画は過去にいくらでもあったし、この程度で引いちゃだめだ、そんなにお上品になるな、日本人、と思った。(でも、ママ友や娘とは見に行かないけど。)
マカロニ・ウエスタンが、60年代くらいまでの古き良きアメリカ正統派西部劇に対する暴力的なアンチテーゼだとすれば、これは、下ネタと軽口による比較的平和的なアンチテーゼというか。
オープニングは、シネスコでモニュメント・ヴァレーの景観を延々と楽しめ、クレジットのロゴもレトロ調だった(できれば、モニュメント・ヴァレーは空撮でなく、地上から撮ってほしかったが)。酒場のシーンの殴り合いは迫力があるし、パーティでみんながカントリーダンスをするシーンは楽しかった。他にも銃の手ほどきや馬ならぬ羊の群れに紛れての逃走など、西部劇でよく目にするような場面が多く見られ、下ネタやおちゃらけの部分もあるけど、基本的には、しっかり撮られていたと思う。
私の勝手な憶測だが、マクファーレンは、きっと西部劇が好きだ。だけど、正義のヒーローが悪い奴らをやっつける、まっストレートな西部劇をいまどき撮るのはちょっとなあというすかした現代感覚とかっこいいヒーローは柄じゃないという思いから、下ネタやアイロニーで煙に巻くという戦法に出たのじゃないだろうか。
不満なのは、うん○やエログロではなく、ちゃんとした撃ち合いシーンがないことだ。アルバートは平和主義で気弱な羊飼いなので、多少銃を扱えるようになっても、基本的には戦いを避けて逃げる。最後の決闘も凶悪なアウトローに勝つため、いろいろ工夫を凝らした展開となり、真っ向勝負とはいかない。銃を撃ちたがらない主人公は、それはそれで筋を通しているとも言えるが、西部劇ファンとしてはやはりそんなにすっきりはしない。
リーアム・二―ソンがよかった。彼が演じる西部の極悪ガンマンを見られてうれしかった。しかも、お尻を出して失神し、デイジーの花まで添えられる。あっぱれな役者ばかぶりにじんときた。
バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ジャンゴ」(本ページ後出)など他の映画のパロディも楽しかった。
このひと言(No.64.)「祭りでは、人が死ぬ。」“People die at the fair.”

ローン・レンジャー  THE LONE RANGER
2013年 アメリカ 149分
監督:ゴア・ヴァービンスキー
出演:トント(ジョニー・デップ)、ジョン・リード/ローン・レンジャー(アーミー・ハマー)、レベッカ・リード(ルース・ウィルソン)、ダン・リード(ジェームズ・バッジ・デール)、ダニー・リード(ブライアント・プリンス)、レイサム・コール(トム・ウィルキンソン)、ブッチ・キャベンディッシュ(ウィリアム・フィクトナー)、フランク(ハリー・トレッダウェイ)、レッド(ヘレナ・ボナハム=カーター)、ウィル(メイソン・クック。ローンレンジャーの格好をした少年)、シルバー
★ネタバレあり★
「ローン・レンジャー」は往年(1949〜57年)のテレビ西部劇シリーズ。元々はラジオドラマだったらしい。これまでにも何度か映画化されているようである。「ハイヨー、シルバー!」という馬への掛け声と、「インディアン嘘つかない。」という有名すぎるセリフの出どころである。トントが友を呼ぶ「キモサベ」という言葉も、なんとなく聞き覚えがある。
1869年のアメリカ西部。
東部で法律を学び郡検事となったジョン・リードは、列車で故郷の町コルビーに向かっていた。
列車には、町で絞首刑にされるため護送中の無法者ブッチ・キャベンディッシュも乗っていたが、仲間の列車襲撃により、脱走を図る。ジョンは、乗り合わせていたコマンチ族のトントとともに、暴走する機関車を止めるが、キャベンディッシュを逃してしまう。
町では、レンジャーのリーダ―であるジョンの兄ダンが追跡隊を組み、ジョンもそれに加わる。が、敵の待ち伏せに会い、隊は壊滅、ダンはキャベンディッシュに惨殺され、ジョンも瀕死の重傷を負う。通りすがったトントは、聖なる力でジョンを蘇らせる。兄の形見の服でつくったマスクをして「ローン・レンジャー」となったジョンは、トントとともにキャベンディッシュ一味を追う旅に出る。
白馬シルバーはスピリット・ホース(魂の馬)、トントは死者を蘇らせる悪霊ハンター、ジョンはスピリット・ウォーカー、キャベンディッシュは人の心臓を食らうウェンディゴ(悪霊)ということで、最近ありがちなホラーファンタジー風味の西部劇になっているのかと思ったが、実はそうでもない。
トントは、心に深い傷を負ったはぐれコマンチ、変な人っぽいが、あまりインディアンには見えない。ジョンは銃ではなく法による正義を貫くという、西部では腰ぬけと思われがちな信念を持ち、兄の妻となっているレベッカに昔と変わらぬ思いを寄せている。兄と弟のレベッカを巡る複雑な思いも描かれる。
といっても、軽快でコミカル、重たい設定なのに、だいぶのほほんとしている。
ジョンがローン・レンジャーと言えばこれという「ハイヨー、シルバー!」をやればトントが「二度とやるな。」といい、キモサベ(「信頼できる友人」の意らしい)の意味をジョンに訊かれると「出来の悪い弟という意味だ。」と答えるなど、ぴりっと笑わせる細部もある。
悪役は、インディアンでもエイリアンでもモンスターでもなく、強欲な白人であるのが潔い。
銃撃もあるが、見どころは列車のアクション。冒頭の悪党脱走劇もさることながら、クライマックスで延々と続く2つの列車並走アクションが、楽しい。
映画を見ているというより、ショウやアトラクションといった方が合っているようにも思う。
導入とエンディングが、1933年、サンフランシスコの遊園地であることが、また作り物めいて見せる。
作中、モニュメント・ヴァレーの風景がふんだんに出てきて目を楽しませてくれる。ラストのクレジットに重なって、赤茶けた岩に向かって延々と歩くトントの後ろ姿はよかった。(2013.8)



ジャンゴ 繋がれざる者 DJANGO UNCHAINED
2012年 アメリカ 165分
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)、ドクター・キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)、ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)、カルビン・キャンディ(レオナルド・デカプリオ)、スティーブン(キャンディの執事。サミュエル・L・ジャクソン)、モギー(デニス・クリストファー)、ビリー・クラッシュ(ウォルトン・ゴギンズ)、ブッチ・プーチ/エース・スペック(ジェームズ・ラマー)、コーラ(ダナ・ミッチェル・ゴーリアー)、ララ(ローラ・カユーテ)、ダルタニヤン(アトー・エッサンドー)、ビッグ・ダディ(ドン・ジョンソン)、アメリゴ・ベセッピ(フランコ・ネロ)、サン・オブ・ガンファイター(ラス・タンブリン)、オールド・マン・カルカン(ブルース・ダーン)、鉱山会社の従業員の1人(クエンティン・タランティーノ)
★ネタバレあり!! 長いです
タランティーノの「ジャンゴ」である。
ちまたでは復讐劇と言われているが、というよりは奪還劇である。
ドイツ人のシュルツがジャンゴに話してきかせるジークフリートの物語そのままの、ヒーローがヒロインを救出する話となっている。
ジェイミー・フォックスがヒーローを演じて、実にかっこいい。

1858年、南北戦争直前のアメリカ南部。
黒人奴隷のジャンゴは、奴隷市場で売られ、買い取り先に届けられる途中で、歯医者で賞金稼ぎのドイツ人ドクター・キング・シュルツにより自由の身となる。
シュルツは、お尋ね者のブリトル3兄弟を追っていたが、彼らの顔を確認するため、同じ農園で働いていた奴隷を捜していたのだった。
シュルツとジャンゴは3兄弟のいる農園に乗り込み、彼らをしとめる。シュルツはジャンゴが有能なことを知り、二人はコンビを組んで賞金稼ぎを続けることになる。
シュルツは、ジャンゴが生き別れた妻のブルームヒルダを探していることを知ると、彼女が売られていった農場を突き止め、農場主のキャンディを欺いて彼女を奪還する計略を立てる。
二人は、キャンディに会い、架空の取引を持ちかける。うまくいきそうに思われたが、狡猾な奴隷頭スティーブンにより、計略は暴かれてしまう。
シュルツがキャンディを撃ち殺し、キャンディの用心棒がシュルツを撃ち殺し、邸は血みどろの銃撃戦の舞台となる。ここぞとばかりに白人を撃ち殺しまくるジャンゴだったが、多勢に無勢でついにはとらわれの身となる。
が、地獄の鉱山へ送られる道中、ジャンゴは護送係の白人をだまして武器を奪い、ブルームヒルダを取り戻すため、再び農場に乗り込むのだった。

「用心棒」「荒野の用心棒」「続・荒野の用心棒」、最近では「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」まで共通していた、対立する2つの悪の陣営を煽って共倒れさせるという「血の収穫」ネタは、完全に取り払われている。
棺桶もガトリング銃も出てこない。
「続・荒野の用心棒」の冒頭、ぬかるんだ泥道を棺桶を引きずって歩いてくるヒーロー登場のシーンはかなり強烈だったが、こちらのジャンゴは奴隷ゆえ足かせをはめられ、鎖をひきずって登場する。重いものを引きずって歩いているという点が共通するといえなくもない。

黒人の奴隷は馬に乗れない。常に徒歩だ。だから、ジャンゴが馬に乗って現れるとみんなが見る。騎乗するとだいぶ目の位置が高くなる。ジャンゴは、白人たちを見下ろす。
最後の殴り込みでは、鞍も手綱も取り払った裸馬(白馬)に乗っていく。
覆面を被った男たちによる襲撃のシーンがある。「続・荒野の用心棒」では赤い覆面で、襲うのは白人のジャンゴである。こっちは、白い覆面で黒人を襲うのでKKKの本来の活動っぽいが、南北戦争以前の話なので、彼らはKKKの前身であるらしい。覆面といわず「袋」(bag)と言い、「前が見えねえ」「邪魔だから今日はなしにしよう」「だめだ、かぶれ」と、袋に関わるぐだぐだとしたやりとりはタランティーノらしくて、可笑しい。
血しぶきが飛び散る銃撃シーンは、マカロニ・ウェスタン同様、苦手な人も多いようだが、「キル・ビル VOL.1」などと比べれば、おとなしめだと思う。
一番憎らしい敵であるキャンディ(デカプリオが嬉々として悪役を演じている)を倒したのは、シュルツが袖に隠し持っていた小さな銃で胸にぽつっと小さな穴が空くのみ。
これが、盛大な血しぶきへのきっかけとなる。
シュルツは、穏やかなインテリであると同時にかなり危ない奴でもある。ジャンゴがキャンディの言動に腹を立て撃鉄に手をかけては我慢するシーンが何度かあったあとで、我慢しきれなかったのはシュルツの方だというのが、かなりいい。

アクションシーンには当然力が入っているが、タランティーノは、言葉にもこだわる。
最初の方、ブリトル3兄弟の最後のひとりが逃げるのを見て、ドクがジャンゴに言う。(※以下の会話は、大体の内容で、正確な収録ではありません。)
「やつだと断定できるか?」
「わからない。」
「わからないだと?」
「『断定』の意味が。」
「確かかってことだ。」
「確かだ。」
こういうやりとり好きだ。
このやりとりで、シュルツは、ジャンゴが言葉や表現をよく知らないだけで、ものごとをきちんと見極めて判断できるやつだと認め、相棒としてつかえると思ったのだ。たぶん。
で、ジャンゴにいろいろと言葉を教える。ジャンゴの名の綴りがDJANGOで、Dは発音しない字(黙字)だということも教えたのだろう。「D?」「このDは発音しないんだ。」「なんでだ?」「そういう字なんだ。」「じゃ、なんのためにあるんだ!?」てな会話が交わされたんだろうなということが容易に想像がつく。だから、彼は名前のスペルを聞かれると、一字一字答えたあとで「Dは発音しない」と得意げに付け足すのだ。
シュルツの遺体に向かって、“auf wiedersehen”(アウフ・ヴィーダーゼーエン)とドイツ語で別れを言うのもいい。その前に、シュルツがキャンディ(デカプリオ)に、「ドイツ語のさよなら(auf wiedersehen)は、また会うときまでという意味だが、おまえにはもう会いたくないから、グッド・バイと言おう。」と言っていたので、非常にわかりやすく泣ける。

フランコ・ネロ以外にも、ラス・タンブリンとかブルース・ダーンと言った名前がクレジットに出てくる。
パンフレットを読んだ人の話によれば、主役二人の馬の名前は、往年の西部劇スター、ウィリアム・S・ハートとトム・ミックスの愛馬の名だとか、手配書にエドウィン・S・ポーターの名が載ってたとか(罪状はもちろん列車強盗)、隠しネタがいろいろあるそうだ。
シュルツが、キャンディに対し、三銃士について語るところがあるが、これも二人の役者がともに三銃士の映画に出演経験があることと無関係ではあるまい。(デカプリオは「仮面の男」(1998)でルイ14世とその双子の兄弟フィリップ役を、ヴァルツは「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」(2011年)のリシュリュー枢機卿を演じている。)
知れば知ったで楽しいことがいろいろあるのだろうが、知らないなら知らないで全然いいように映画はできている。(2013.3)

このひと言(NO.58):「Dは発音しない。」

宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ  HATFIELDS & MCCOYS
(ブルーレイ題名:ハットフィールド&マッコイ 実在した一族 vs 一族の物語)
2012 年 アメリカ テレビ・ミニ・シリーズ 105分×3話
監督: ケヴィン・レイノルズ
製作: ケヴィン・コスナー、 ダレル・フェッティ
脚本: テッド・マン
出演:“デビル”・アンス・ハットフィールド(ケヴィン・コスナー)、ジム・ヴァンス(トム・ベレンジャー)、レヴィシー・ハットフィールド(サラ・パリッシュ)、ジョンジー・ハットフィールド(マット・バー)、キャップ/ウィリアム・ハットフィールド(ボイド・ホルブルック)、グッド・ライアス・ハットフィールド(グレッグ・パトモア)、エリソン・ハットフィールド(ダミアン・オヘア)、コットントップ(ノエル・フィッシャー)、ウォール/ヴァレンタイン・ハットフィールド(アンスの兄。判事。パワーズ・ブース)、
ランドール・マッコイ(ビル・パクストン)、サリー・マッコイ(メア・ウィニンガム)、ロザンナ・マッコイ(リンゼイ・パルシファー)、ファーマー・マッコイ(マイケル・ジブソン)、トルバート・マッコイ(サム・リード)、ジム・マッコイ(トム・マッケイ)、バド・マッコイ(タイラー・ジャクソン)、カルヴィン・マッコイ(マックス・ディーコン)、ナンシー・マッコイ(ジェナ・マローン)
“バッド”・フランク・フィリップス(賞金稼ぎ。アンドリュー・ハワード)
ペリー・クライン(弁護士。ロナン・ヴィバート)
南北戦争後、アメリカで実際にあった2家族間の抗争を描く。
※ハットフィールド家とマッコイ家の争いは、主に1878年から1891年まで、アメリカ合衆国ウェストバージニア州とケンタッキー州にそれぞれ川を隔てて住んでいた、ハットフィールド家とマッコイ家の間で起こった実際の抗争。転じて、一般に対峙する相手との激しい争いを表す、隠喩表現となった。 (ウィキペディアより)
“デビル”・アンスと呼ばれるハットフィールド家の家長と、州境をはさんだところに住むマッコイ家の家長ランドールは、南北戦争をともに戦った戦友同士だったが、アンスは途中で離脱して故郷に逃れ、終戦まで戦ったランドールは無事帰郷するも心に傷を負っていた。戦争中に逃亡したアンスを快く思わないランドールは、アンスの叔父ジム・ヴァンスが、ちょっとした諍いから自分の弟ハーモンを殺したことを知り、両家はいがみあうようになる。
そんな中、アンスの長男ジョンジーとランドールの長女ロザンナが恋に落ち、状況はより複雑になる。町のイベントの折、またも両家でちょっとした諍いが起こり、アンスの弟エリソンが仲裁に入るが、ランドールの3人の息子たちが彼を殺してしまう。怒ったアンスは、彼らを捕え、法に委ねることなく、自分達の手で彼らを処刑する。
「これで終わらせるつもりだった」というアンスだが、このことはランドールの憎しみをかきたて、彼は、弁護士のペインと凄腕賞金稼ぎのフランクを味方につけ、ケンタッキー州の判事に訴えて息子たちを勝手に処刑したアンス家の面々をお尋ね者として手配するよう法的手続きをとる。
抗争は、1888年の「グレープヴァインの戦い」と呼ばれる戦闘でピークを迎える。ハットフィールド家の者が何人も逮捕され、ランドールの娘を射殺したエリソンの息子コットントップが絞首刑にされる。戦いを終結させるため、アンスは、知的障害を持つ若者コットントップを生贄として捧げたのだった。
延々と続く殺し合いは、陰々滅滅として気が滅入る。
アンスは、やり手の実業家で、頭もよく、人望もあるが、やくざの親分なみに暴力的手段に訴えるやつである。これに対し、ランドールは一貫してどうにも分が悪く見える。二人とも、抗争の中心にいるのだが、全体にドラマの描き方がたんたんとしすぎていて、相手に対する燃えるような憎しみがいまひとつ伝わってこない。この事態はまずいとか、こんなこと望んでいなかったのにこうなってしまったとか、坂を転がるような強烈な悲劇的な展開というものも感じられない。なにかというとすぐ人を殺したがる男たちが馬鹿者どもに見え、感情移入しづらい。
めちゃくちゃならめちゃくちゃで徹底してくれればそれなりに面白く見られるのだが、殺そうとしておきながら逡巡したり、なかなか死ななかったり、リアルな分、余計見ていて気が滅入る。そういう意味では、ジム・ヴァンスと若い隻眼のキャップのコンビはあらくれぶりが一貫していた。が、一番わかりやすく潔かったのは、父ハーモンをヴァンスに殺され、ハットフィールド家への復讐に生きるナンシーだった。彼女とフランクのカップルは危ない感じでなかなかよかった。
法律家としてまっとうな道を説くアンスの兄ウォールの揺るがない信念と、若いジョンジーとロザンナの恋が救いと言えば救いだが、ウォールは自ら望んで収監され、ロザンナはジョンジーと別れて悲運のうちに短い生涯を終える。両家の争いを嫌うジョンジーはまともな神経を持ち合せている若者として描かれているが、軟派すぎていまいち説得力に欠ける。が、終わり近く、戦いに疲れてきつつも不穏な面持ちのアンスが、水辺でジョンジーの話に耳を傾けるところは悪くなかった。(2013.4)


ブラックソーン ブッチ・キャシディ 最期の決闘  BLACKTHORN
2011年 フランス、スペイン、アメリカ、ボリビア   98分
監督:マテオ・ヒル
出演:ジェームズ・ブラックホーン(サム・シェパード)、エドゥアルド・アポダカ(エドゥアルド・ノリエガ)、サンダンス(ポードリック・ディレーニー)、キャシディ(ニコライ・コスタ=ワルドー)、エッタ(ドミニク・マケリゴット)、マッキンレー元ピンカートン社探偵(スティーヴン・レイ)、ヤナ(マガリ・ソリエル)
※日本では、2011年11月に京都ヒストリカ国際映画祭においてデジタル上映されたのみ。今回、知人が開催した西部劇研究会でDVD上映をしてくれたので見る機会を得たのだが、英語字幕だったので、細かい内容は把握できていない。
明日に向かって撃て!」に登場した西部のギャング、ブッチ・キャシディが、ボリビアで名前を変えて生きていたという話。
 1928年、ボリビア。ジェームズ・ブラックソーンと名乗り、地元の女性ヤナと静かな生活を送っていたブッチは、かつての相棒サンダンス・キッドの恋人エッタ・プレイスの息子に会うため、アメリカに帰る決心をする。
その旅の途中でエドゥアルドという若者に出会う。彼は、炭鉱から金を奪って逃走している最中だった。ブラックソーンが失くした金をエドゥアルドの追手が手に入れたと聞き、彼はエドゥアルドと手を組むことにする。
途中、若い頃のブッチとサンダンスとエッタの様子が挿入される。やりたい放題の武勇伝、エッタと別れてボリビアに向かう2人、そして迎える1908年のボリビア軍との対決。
一方、現在におけるブラックソーンとエドゥアルドの道行きは、激しい銃撃を交えつつも、淡々と進む。かつてブッチらを追っていたピンカートン社の探偵マッキンレーがなかなかいい味を出している。やがて、追手の正体を知ったブラックソーンは、苦渋の決断を下すことになるのだった。
どうも最近の西部劇の傾向のひとつとして、物静かで、渋く、すかっとしない結末、というのがあるように思う。本作もそんな感じだった。味わい深いが、苦い。
ボリビアの塩湖ウユニ湖で繰り広げられる追跡劇が圧巻である。どこまでも続く真っ白な塩の原に、逃げる側と追う側の騎影だけが、浮かび上がる。自然の背景なのにシュールで、美しい。(2012.7)
関連作品:「明日に向かって撃て!」「新・明日に向って撃て!
おまけ:ウユニ塩湖(スペイン語:Salar de Uyuni)は、ボリビア中央西部の高原地帯(アルティプラーノ)にある塩の大地。標高約3,700mにある南北約100km、東西約250km、面積約12,000キロ平方メートルの広大な塩の固まり。正しくは、塩湖ではなく、塩原。(ウィキペディアより)

トゥルー・グリット True Grit
2010年 アメリカ 110分
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
原作:チャールズ・ポーティス「トゥルー・グリット」(「勇気ある追跡」改題)
出演:マティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルド/エリザベス・マーヴェル)、ルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)、ラビーフ(マット・デイモン)、トム・チェイニー(ジョシュ・ブローリン)、ラッキー・ネッド・ペッパー(バリー・ペッパー)、クインシー(ポール・レイ)、ムーン(ドーナル・グリーソン)、ヘイズ(ブライアン・ブラウン)、ハロルド(ブルース・グリーン)、熊男(エド・コービン)、コール・ヤンガー(ドン・ピール)
★ネタばれ多少あり★
ジョン・ウェインがアカデミー賞を受賞したことで知られる1969年の西部劇「勇気ある追跡」のリメイク。少女が父の復讐を果たす物語である。
牧場の使用人チェイニーに父親を殺された14歳の少女マティ・ロスは、彼を捕えるため、連邦保安官ルースター・コグバーンを自費で雇う。父親に牧場の経理を任されていたらしいマティは、ビジネスと法律に詳しく、口が達者で、大人相手に一歩も退くことなく、てきぱきと駆け引きを行う。コグバーンは、ベテランらしいが、老いて、飲んだくれている。テキサスレンジャーのラビーフが加わり、3人はチェイニーが合流した無法者ネッドの一味を追ってインディアン居留地に足を踏み入れて行く。
「父の仇をわたしは取る!」という、「ワンピース」のルフィばりに明確で強固なビジョンを持った少女マティ・ロスに、凄腕保安官も誇り高きテキサスレンジャーもそして観客もぐいぐいと引っ張られていく。
クライマックスの1対4の対決は、オリジナルでジョン・ウェインが見せた馬上で手綱銜えて片手にライフル片手に拳銃というのとはさすがに違い、ブリッジスは馬上で二丁拳銃だったが、旧作のシーンを彷彿とさせる見せ場であった。
敵方のリーダー、ネッドの印象もオリジナルに近いものがある。悪党ながら割と紳士的で言動に筋が通っているという、昔懐かしい西部劇の無法者のボスの雰囲気を漂わせている。「ノーカントリー」であれだけ不気味な殺し屋を登場させたコーエン兄弟であるだけに、このあたりに彼らのオリジナルに対する敬意がこめられているようにも感じた。
というふうに、コーエン兄弟らしい乾いたケレン味がちらほら見受けられるつつも、骨太でストレートな西部劇に仕上がっている。
やたらと高い木につるされた死体を下ろすため、マティがやたらと高い木に登るシーンがとてもいい(高い所と木登りがが好きだからかもしれないが)。
エピローグは、25年後。39歳になったマティが、ウエスタン・ショーのテントを訪れ、コール・ヤンガー(ジェシー・ジェームズ率いる銀行強盗団の一員だった実在の無法者。服役していたが赦免されショーの興業をしていた。)からコグバーンの死を告げられる。マティは、亡き父の後を継いで大変苦労して牧場をきりもりしてきたらしく、見るからにこわそうなおばさんになっていて、コールの隣にいたフランク・ジェームズ(ジェシー・ジェームズの兄)をクズよばわりして去っていく。小生意気とはいえ、お下げ髪の可憐な少女だったマティの変貌ぶりがちょっと悲しいが、このあたりのハードボイルドな展開はコーエン兄弟の味か。(2011.4)
<追記>
機会があってもう一度映画館で見た。
1回目では気がつかなかったことがあったので、ちょっとメモ程度に追記しておく。
・最初と最後に柩を送るカットが同じような感じで入る。最初は、マティの父フランク・ロスの遺体を運ぶため。そうして最後は、マティがコグバーンの遺体を引き取って家の近くに埋葬するため。
・死体を置き去りにするシーンがいくつかあるが、それらがマティの視点でのトラックバックで撮られている。最初は、小屋の前にクインシーやムーンたちの死体を置いて行くとき。埋葬しないことを気にしていたマティは、馬上から遠ざかる死体をずっと見ている。ラスト、コグバーンが蛇に噛まれたマティを運ぶとき、射殺したネッドたちの死体が横たわる中を馬で進んでいくが、このときも運ばれるマティの視点で死体が遠ざかっていく。そして最後は、コグバーンが撃ち殺した馬のリトルブラッキーの死体。なんだかんだ生意気なこと言っているが、死体を置き去りにすることに痛みを覚える少女の思いが表されていると同時に、見送ることが彼女の追悼の気持ちを表しているのではないかと思ったりもした。(2011.4)

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