みちのわくわくページ

○ 映画(2010年)

<見た順(降順)>
借りぐらしのアリエッティ、 ベスト・キッド、 ナイト&デイ、 イップ・マン葉問、 SPACE BATTLESHIP ヤマト、 エクスペンダブルズ、 桜田門外の変、 十三人の刺客、 インセプション、 トイ・ストーリー3、 恐怖、 エアベンダー、 アウトレイジ、 クレイジー・ハート、 アリス・イン・ワンダーランド、 ウルフマン、 第9地区、 ゴールデンスランバー、 サロゲート

海洋天堂  海洋天堂 OCEAN HEAVEN
2010年 中国 98分
監督・脚本:シュエ・シャオルー薛暁路
音楽:久石譲
出演:ワン・シンチョン王心誠(ジェット・リー李連杰)、ターフー大福(ウェン・ジャン文章)、リンリン鈴鈴(グイ・ルンメイ桂綸?)、チャイ柴(ジュー・ユアンユアン朱媛媛)、水族館館長(ドン・ヨン董勇)、ターフーの母(カオ・ユアンユアン高圓圓)
ジェット・リーが、ノーヒーロー、ノーアクション、ノーギャラで、挑戦した人間ドラマ。
シンチョンは、水族館の技師として働きながら、21歳になる自閉症の息子ターフーを男手ひとつで育ててきたが、癌に侵され、余命いくばくもないことを医師から宣告される。自分の死後、一人残されるターフーを思い、彼はターフーが自分で身の回りのことができるように厳しく教え始めると同時に、彼を受け入れてくれる施設探しに奔走する。
絵に描いたような難病家族愛ものの設定で、アクションなしのジェット・リーなど、チャンバラなしの時代劇、銃撃なしの西部劇と同様で通常ならパスするところなのだが、上映してくれたのが、シネサロン和光という地元の市民団体、映画館のない和光市で市民ホールを使って定期的に映画を上映してくれているありがたい団体なので、とりあえず見に行ったのだった。
だからアクション映画好きの身からすればあまり期待せずに行ったのだが、これが、大陸的おおらかさというか、ゆるやかで、おしつけがましくなくてよかった。なにより、こうした題材にも関わらず、主演のジェット・リーはじめ、誰も泣かない。隣人のチャイがちょっと涙ぐんだり、ターフーがシンチョンに怒られてちょっとべそをかく程度である。号泣しなくても、悲しみや親の愛の深さは見ている者に伝わってくるのが、ほんとうによかった。
冒頭いきなり、親子心中のシーンで始まる。シンチョンは、海上に浮かんだボートのヘリにターフーと並んで座り、自分と彼の足に縄で重りをつけて飛び込む。が、次のシーンでは二人で家に帰ってくる。一瞬、さっきのシーンはラストシーンの先見せカットだったのかと思ってちょっと暗い気分になったが、実は泳ぎのうまいターフーが縄をほどいて自分も父も助けてしまったことがわかる。
後の方でもターフーを助けに着衣のままプールに飛び込んだシンチョンが逆にターフーに助けられるシーンがある。泳ぎが好きなターフーは、シンチョンの勤務先の水族館館長の好意によっていつもプールで泳がせてもらっているのだ。
この水族館の水槽やプールの映像がとてもきれいで、悲しい話をさわやかなものにしている。
シンチョンが、ターフーに自分は海亀だと言って、わざわざ着ぐるみっぽい甲羅をつくって背負って、そこまでやるのかというくらい滑稽な様子を見せるのだが、これがまたわかっていても、ラスト、水族館の大きな水槽で海亀とともに泳ぐターフーの姿を見てじんときてしまうのだった。
ターフーはすぐぬいぐるみをテレビの上に置く。シンチョンは、テレビの上に置くなと何度も注意する。ターフーを施設に預け、家に一人となったシンチョンは、ぬいぐるみをわざわざテレビの上に置いてみる。そして、シンチョンの死後、ターフーは、テレビの上に置いたぬいぐるみを取って他のところに置く。そうした細部も気が利いている。
水族館の館長、雑貨屋を営む隣人の女性チャイ、水族館で興行したサーカス一座の女ピエロのリンリン、ターフーの恩師の先生などとの交流も人情味があってよかった。(2017.6)


借りぐらしのアリエッティ
2010年 日本 94分
監督:米林宏昌
脚本:宮崎駿
原作:メアリ・ノートン「床下の小人たち」
出演(声):アリエッティ(志田未来)、翔(神木隆之介)、ポッド(アリエッティの父。三浦友和)、ホミリー(アリエッティの母。大竹しのぶ)、スピラー(藤原竜也)、ハル(樹木希林)、貞子(翔の祖母。竹下景子)、ニーヤ(猫)
テレビ放映を録画して見た。
祖母の住む古い家屋に一時滞在している病弱な少年翔と、その家の床下に暮らす小人一家の少女アリエッティとの交流と別れを描いたファンタジー。
“借りぐらし”の小人たちは、人間の住む家の中に“狩り”に出かけ、生活に必要なものをこっそりと“借りて”くるが、人間にみつかったら、引越をしなければならない。
父親とともに初めて狩りに出たアリエッティは、翔に存在を気付かれてしまう。母から小人の話を聞いていた翔は、アリエッティとの接触を図り、アリエッティは禁じられているにも関わらず、翔に興味を抱き、2人の交流が始まる。が、住み込みの家政婦ハルも小人の存在に気付き、彼女はアリエッティの母を捕獲し、金儲けを企む。
郊外にある古いつくりの洋館と草木が生い茂る広大な庭に心が和む。
洗濯ばさみの髪どめ、ガムテープの粘着登攀用具、魚の醤油差しの水筒、マチ針の剣、やかんの船、などの代用が楽しい。水滴が大きな固まりに描かれるのは映画「ミクロキッズ」が最初だったと思うが、ポットの注ぎ口からお茶の雫が固まってポロンと出てくるのはおもしろい。アリエッティが、ダンゴムシをボールのように放り投げて遊ぶのも愉快。
ドールハウスが豪華でつくりもしっかりしていてオーブンも使えると言っておきながら小人たちに使われなかったのは残念だったが、エレガントな老婦人の貞子がドールハウスに残されたハーブの香りで小人の存在に気づくのはよかった。
野生児のスピラーが、アリエッティにキイチゴを差し出すぶっきらぼうなしぐさは、「となりのトトロ」でカンタが、サツキに傘を差し出すしぐさを思い出させる(というかほぼいっしょ)。
一日を無事暮らし終えることの大変さや大切さを味あわせてくれる映画だった。(2013.11)

ベスト・キッド THE KARATE KID
2010年 アメリカ 140分
監督:ハラルド・ズワルト
出演:ドレ・パーカー(ジェイデン・スミス)、汎(はん。ジャッキー・チェン)、メイ(ハン・ウェンウェン)、シェリー・パーカー(ドレーの母。タラジ・P・ヘンソン)、チョン(ワン・ツェンウェイ)、チョンの師
テレビ放映を録画して見た。往年の同名映画をリメイク。主演の子どもはウィル・スミスの息子、師匠はジャーキー・チェンというのだから、私なんかは、隔世の感がする。
父が死に、母の仕事の都合で、アメリカのデトロイトから中国、北京に引っ越してきた少年ドレは、地元の少年チョンたちの反感を買って、連日いじめに会う。カンフーの使い手であるチョンと対決するため、ドレは、アパートの管理人でカンフーの達人である汎の手ほどきを受け、少年カンフー大会に出場する。
ジャッキー・チェンが、カンフーの達人でありながら、悲しい過去を抱えるしょぼくれた管理人を演じて大変いい。スミスはみるからにこまっしゃくれたガキを楽しそうにいきいきと演じている。少女役のウェンウェンが、可憐でかわいかった。
ジャケットを脱いで、掛けて、落として、拾って、着て、と繰り返す訓練が斬新でおもしろかった。日常の動作がカンフーであるというのが興味深い。
ジャッキーが少年たち相手に見せる、受けのカンフーが、みどころ。 (2012.9)


ナイト&デイ KNIGHT AND DAY
2010年 アメリカ 109分
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ロイ・ミラー/マシュー・ナイト(トム・クルーズ)、ジューン・ヘイブンス(キャメロン・ディアス)、フィッツジェラルド(ピーター・サースガード)、ジョージ長官(ヴィオラ・デイヴィス)、サイモン(ポール・ダノ)
録画で見る。
平凡な女が、アクション・ヒーローに遭遇して恋に落ちる。
夢のような話が愉快に楽しく展開する、王道のアメリカ娯楽痛快ラブコメアクション。(2012.9)



SPACE BATTLESHIP ヤマト
2010年 日本(公開東宝) 138分
監督:山崎貴
原作:西崎義展
出演:古代進(木村拓哉)、森雪(黒木メイサ)、沖田十三艦長(山崎努)、真田志郎(柳葉敏郎)、島大介(緒形直人)、徳川彦左衛門(西田敏行)、佐渡先生(高島礼子)、斉藤始(池内博之)、相原(マイコ)、南部康雄(矢柴俊博)、加藤(波岡一喜)、古屋(三浦貴大)、山本(斎藤工)、古代守(堤真一)、藤堂平九郎・地球防衛軍司令長官(橋爪功)、デスラー/ガミラス(声・伊武雅刀)、イスカンダル(声・上田みゆき)
1970年代の有名SFアニメを実写化。
「宇宙戦艦ヤマト」の初回放映時は中学生だった。放映前から小学館の学習雑誌でばんばん紹介をしていて、当時10歳くらいだった弟がかなり盛り上がっていたのでいっしょに見たが、他に見ている友人はほとんどいなくてさびしかった記憶がある。後になって再放送で漸くみんなが盛り上がり始めたころに初回放送を見たと自慢したが、実を言うとめちゃくちゃおもしろいと思ったわけではなかった。が、今回劇場で、冒頭の「無限に広がる宇宙・・・」というナレーションが入る星雲の映像を見たとき、何十年も開けていなかった古い箪笥の引き出しを開けたような、ぞわっとする感覚に襲われた。ワープという宇宙航法のことを初めて知り、波動砲の「エネルギー120%」にびっくりした記憶がよみがえってきた。波動砲を撃つときの「ターゲットスコープオープン」という言葉が、やけにしっくり耳になじんで入ってきた。イスカンダルという語感の良さや、放射能除去装置をもらうために母のような女神のようなスターシャを頼って長い旅に出るという設定を改めて思い出してしみじみとなった。多感な時期に接したものには、意識とは関係なく身体が覚えていて勝手に反応するというか。ヤマト発進の場面では否応なく、血沸き肉躍ってしまうのだった。

さて、どうも本作は、作り手が力を入れた部分とあまり入れなかった部分との温度差が大きいように感じられる。
SFXやCGについては、あまり詳しくなくて、良いに越したことはないがしょぼくても全然かまわない方なので、巷のレビューのように「日本映画にしてはかなりいい出来だ」とか「『アバター』にはまだまだかなわない」といったような評価は到底できないのだが、とてもきれいで見応えがあると思った。ガミラスでのコスモゼロ自由落下のシーンとかかなり好きだ。
第一回目のワープと波動砲については、もう少し丁寧に説明して、もう少しもったいぶった上でやってほしかった。イスカンダルからのメッセージはきちんと見せてほしいと思ったが、これは後でそうしなかった理由が示される。
ガミラスとイスカンダルの設定の変更は、実写化に当たって考えた成果が出ていると思う。デスラーというかガミラスの声が伊武雅刀なのは、やはりぐっとくる。
といった点が、温度が高くて、見応えがあった部分。
一方、ドラマの方はかなり温度が低い。中身を詰めてる感じがしない。
配役では、柳葉の真田技師長、緒方直人の島航海長、池内の斉藤空間騎兵隊隊長、西田敏行の徳川機関長がよかった。佐渡先生を高島礼子にしたことや、森雪の性格が気の強い女パイロットに変更されていることもそれはそれでよいと思った。沖田艦長は評判がよいが、私は年を取りすぎてると思った。それだけ地球にはもう人材がない危機的状況だということなのかもしれないが、あんな高齢のしかも病気持ちに最後の戦艦を任せるのは酷ではないか。
そして主役の古代進は、幾分とらえどころのない人になっている。オリジナルアニメの彼は真面目で正義感の強い青年だが、地味だった。こっちの古代は、かなり派手め、腕の立つエースパイロットで部下から慕われ、上官に平気で食ってかかるやんちゃな熱血漢で、女性に対しても積極的である。ある戦闘がきっかけで除隊して民間人となっていたのだが、ヤマト航海に向けて復隊するや戦闘班長に抜擢、航海中に艦長代理となる。破天荒な性格や過去の辛い事情などで古代君を面白くしようとしているのだろうが、どうもヤマトにそぐわない気がする。スターのキムタクが演じても違和感がぬぐえない。
ということで、あちこち抜かりがあるように見受けられるものの、それでも概ね楽しかった。ちぐはぐながらも男前で存在感のある木村拓哉とSF好きの山崎監督、二人のヤマトへの思いが伝わってきたということだろうか。(2010.12)

<関連作品> (※赤字は当時見たもの。それ以外は未見。)
○テレビアニメ
「宇宙戦艦ヤマト」(1974〜1975年。読売テレビ。監督: 松本零士、監修: 舛田利雄・豊田有恒・山本暎一、企画: 西崎義展・山本暎一)
「宇宙戦艦ヤマト2」(1978〜1979年。読売テレビ。)

「宇宙戦艦ヤマトV」(1980〜1981年。読売テレビ。)
○劇場版アニメ
「宇宙戦艦ヤマト」(1977年。監督:松本零士・舛田利雄。劇場版第1作。)
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年。製作総指揮:西崎義展、監督:舛田利雄・松本零士。劇場版第2作。)

「ヤマトよ永遠に」(1980年。監督:舛田利雄・松本零士、製作総指揮:西崎義展。劇場版第4作。)
「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」(1981年。総監督・製作総指揮:西崎義展、監修:舛田利雄、総監修:松本零士。劇場版第3作。)
「宇宙戦艦ヤマト 完結編」(1983年。チーフディレクター:白土武、監督:西崎義展・勝間田具治、監修:松本零士、総監修:舛田利雄、製作総指揮:西崎義展。劇場版第5作。)
「宇宙戦艦ヤマト 復活編」(2009年。監督・制作総指揮:西崎義展、総監修:舛田利雄劇場版第6作。)
○ビデオ
「YAMATO2520」(1994〜1996年。総監督:白土武)


エクスペンダブルズ The Expendables
2010年 アメリカ  103分
監督:シルべスター・スタローン
出演:バーニー(シルベスター・スタローン)、クリスマス(ジェーソン・ステイサム)、ヤン(ジェット・リー)、ガンナー(ドルフ・ラングレン)、ヘイル・シーザー(テリー・クルーズ)、トール・ロード(ランディ・クートゥア)、ツール(ミッキー・ローク)、チャーチ(ブルース・ウィリス)、トレンチ(アーノルド・シュワルツェネッガー)、サンドラ(ジゼル・イティエ)、ガルザ将軍(デヴィッド・ザヤス)、モンロー(エリック・ロバーツ)、ペイン(スティーヴ・オースティン)、ザ・ブリット(ゲイリー・ダニエルズ)、レイシー(カリスマ・カーペンター)
スタローン率いる民間の傭兵集団「エクスペンタブルズ」が活躍する戦闘アクションもの。
ソマリアで海賊のアジトを襲撃し、人質奪還に成功したエクスペンダブルズ。
彼らに、チャーチと名乗る実業家風の男から、中南米のヴィレーナ島の資源がほしいので、ガルザ将軍による独裁政権を倒してほしいという依頼が来る。リーダーのバーニーは、仲間のクリスマスとともに島を訪れ、現地の女性サンドラの案内で島内を偵察するが、軍側と戦闘になってしまう。このとき水陸両用飛行機で攻撃しながら脱出するシーンがいい。
バーニーは、島で将軍とともにいた謎のアメリカ人の正体から、裏にCIAの画策が絡んでいることを察知し、仕事を辞退するが、島に残ったサンドラの身が気にかかる。単身島に乗り込もうとする彼だったが、そこに仲間たちが加わる。
ひねりも何もないストレートな活劇。めんどうくさくなく、楽しめる。
暴力男から恋人を奪還するナイフ投げの達人クリスマス、家族を養うのには金がかかるとぼやきながら実は独り身のカンフーの達人ヤン、セラピーで精神のバランスを保っているというトール、大型ランチャーを得意とするヘイル、実戦からは退きマネジメントをしている刺青屋のツール、薬物依存症となり仕事を外されたことで敵側につく男前のガンナーなど、仲間の面々はそれぞれユニークでわかりやすい。
チラシやポスターには、エクペンダブルズのメンバーのような感じで後二人ならんでいるが、そのうち、スティーブ・オースティンは敵のアメリカ人モンローの用心棒、ブルース・ウイルスは、シュワルツェネッガーとともに顔見世程度の出演である。
「エクスペンダブル(expendable)」は、「消耗品、使い捨て」の意で、この言葉を聞くと1945年のジョン・フォード監督の佳作「コレヒドール戦記」の原題“They Were Expendables”を思い出さずにはいられない。兵士は消耗品として扱われるという戦争中の非情な国家戦略を批判した物言いなのだろうが、こちらはこれを逆手にとってつけた名称と思われる。「おれたちゃ所詮消耗品」だが、おそろしく耐久性のある「消耗品」というわけだ。(2010.11)


桜田門外ノ変
2010年 日本(公開東映) 137分監督:佐藤純彌
原作:吉村昭「桜田門外ノ変」
出演:関鉄之介(大沢たかお)、岡部三十郎(渡辺裕之)、稲田重蔵(田中要次)、有村次左衛門(板東巳之助)、大関和七郎、海後磋礒之介、黒沢忠三郎、鯉渕要人、斉藤監物、佐野竹之介、杉山弥一郎、蓮田市五郎、広岡子之次郎、広木松之介、増子金八、森五六郎、森山繁之介、山口辰之介、
金子孫二郎(南部奉行。柄本明)、野村常之介(北部奉行。西村雅彦)、有村雄助、高橋多一郎(奥右筆頭取。生瀬勝久)、高橋荘左衛門(須賀健太)、佐藤鉄三郎(小普請。渡部豪太)、
徳川斉昭(常陸水戸藩主。北大路欣也)、武田耕雲斎(榎木孝明)、井伊直弼(伊武雅人)、西郷吉之助(永澤俊矢)、松平春嶽(池内博之)、
桜岡源次衛門(袋田村の庄屋。本田博太郎)、与一(温水洋一)、安藤龍介(水戸藩捕り手、北村有起哉)、
ふさ(長谷川京子)、誠一郎(加藤清史郎)、いの(中村ゆり)、船主(福本清三?)、鳥取藩の剣士イナバ
(※写真は2008年12月に撮った桜田門)
1860(安政3)年に江戸城桜田門の前で起こった大老井伊直弼暗殺を、襲撃者の水戸脱藩浪士たちの側から描く。茨城県、水戸市、地元商店街など地域が主体となって企画された映画。(茨城県出身の私は、高校の同窓会で、先輩の県職員から映画の前売り券と水戸駅南の千波湖畔に建てられたオープンセットの入場券が組になった映画製作協力券を2000円で買っていたのだった。)が、ご当地映画にしては、薩摩の人たちが薩摩弁なのに水戸藩士が茨城弁でなかったのがちょっと残念だった。
これまで教科書や歴史の本では、名もない暗殺集団として扱われていた水戸脱藩浪士たちが、名前を持って登場する。最後までしつこいくらいに、彼ら一人一人の氏名が字幕スーパーで紹介される。見る方が覚え切れないのは承知の上で、彼らにも名前があったのだと訴えてくる。
映画が始まって割とすぐに暗殺は決行される。雪の降りしきる桜田門前で、浪士たちが登城する井伊の行列を待つところはいい。段取りを説明する奉行の声をバッグにそれぞれの配置につく面々の顔と名前が紹介されていく。私は、これまで何の根拠もなく井伊が討たれたのは城からの帰りだとばかり思っていたので、行きしだったのがちょっと意外、彦根藩屋敷から城まではほとんど目と鼻の先なのに大袈裟な行列をなして行くのも意外だった。これだと暗殺も容易ではないと思えるほどの大人数で、襲撃は双方とも血だらけの壮絶な斬り合いとなる。迫力のあるシーンだが、両側に(せっかく?)壕があるのに誰も落ちなかったように思う。
暗殺決行の後は、襲撃に加わった浪士とその関係者の行く末が描かれる。合間に回想形式でこれまでの経緯がちょこちょこ差し挟まれるのでちょっと見づらいが、井伊直弼と水戸藩主徳川斉昭の対立が、外交問題に対する意見が違うというだけでなく、将軍家定の跡継ぎを巡って確執があったことも絡んでいるなど、複雑な事情が丁寧に描かれていてわかりやすい。
主役の関が鳥取で出会った剣客(俳優名がわからない)と一対一で剣を交えるなど、チャンバラとしての見せ場も用意してあるが、映画のほとんどは、それぞれの浪士が逃亡し、自死するか、捕縛されて刑に処されるかまでの様子がたんたんと描かれるばかりである。しかしこれがよくて、見ていてじわじわと来るものがある。(生き延びて新政府に加わった者も2、3名いるが、こちらは最後に字幕で紹介される。)
昔ながらの時代劇の手法は、型にはまっていて堅苦しく感じられる部分もあるが、その律儀さや礼儀正しさが心地よく響くところも多々ある。
そして、関の家族の見せ方がいい。関は、妻子に何も告げず、暗殺決行のため江戸に向かう。彼がその後再び訪れた家は荒らされている。庭先の畑を耕している妻子の姿は、関が見た幻ともとれるほど、美しく曖昧である。昨今は、女性客動員を狙うあまりか、テレビドラマでも映画でもなにかと言えばすぐ宣伝で「家族」を強調し、「家族愛」だの「家族の絆」だのといった言葉を大安売りしているように思う。そうした事態に辟易していた私は、べたべたと暑苦しい言葉を交わすことは一切なく、実にあっさりとした、それでいて情感あふれる家族の描き方に胸のすく思いがしたのだった。

ちょっと前にやはり暗殺を描いた三池監督の時代劇「十三人の刺客」(下記↓)を見たので、どうしても引き合いに出したくなってしまうが、こちらは、十三人の侍たちを全員きちんと紹介しようという意図は感じられなかった。極悪非道の殿様、こんな奴は殺されて当然だ、と見ている者を念入りに説得した上で、周到な準備をして標的を待ち受け、襲撃する。襲撃までの段取りを描き、遂に殺してお終いとなる。殺してからの襲撃者たちの死に様というか生き様を延々と描く「桜田門」とはかなり対照的である。描き方も、「十三人」は、おおざっぱで、でも血気と勢いに満ちているが、「桜田門」は、押さえ気味の引きの画面が多く、壮絶な場面であってもどこか落ち着きがあるというか、丁寧にたんたんと進む。見比べるとおもしろい。(2010.10)

十三人の刺客
2010年 日本(公開東宝) 141分
監督:三池崇史
出演:島田新左衛門(御目付。役所広司)、島田新六郎(新左衛門の甥。山田孝之)、倉永左平太(御徒目付組頭。松方弘樹)、三橋軍次郎(御小人目付組頭。沢村一樹)、石塚利平(新左衛門配下の足軽。波岡一喜)、日置八十吉(御徒目付。高岡蒼甫)、大竹茂助(御徒目付。六角精児)、堀井弥八(御小人目付。近藤公園)、樋口源内(御小人目付。石垣祐麿)、平山九十郎(浪人。伊原剛志)、佐原平蔵(浪人。古田新太)、小倉庄次郎(平山の門弟。窪田正孝)、木賀小弥太(山の民。伊勢谷友介)
松平斉韶(まつだいらなりつぐ。明石藩主。稲垣吾郎)、鬼頭半兵衛(明石藩御用人千石。市村正親)、浅川十太夫(明石藩近習頭。光石研)、出口源四郎(明石藩近習。阿部進之介)、間宮図書(明石藩江戸家老。内野聖陽)、
土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら。江戸幕府老中。平幹二朗)、牧野靭負(まきのゆきえ。尾張家木曽上松陣屋詰。松本幸四郎)、牧野千世(谷村美月)、牧野妥女(まきのうねめ。斉藤工)、三州屋徳兵衛(岸田一徳)、お艶/ウパシ(吹石一恵)、
シネスコで横書きでどーんとタイトルが出るのが気持ちいい。
1963年のオリジナルとほぼ同様の筋書きで、登場人物名もいっしょである。
将軍の弟であり、明石藩主である松平斉韶の蛮行に苦悩した家臣間宮図書が、幕府老中土井の屋敷前で切腹して窮状を上訴する。が、将軍は穏便な処置を所望し、更には斉韶を老中にするという判断を下す。土井はそのまま受け入れる訳にもいかず、その腕を見込んだお目付役島田新左衛門に、斉韶暗殺の密命を下す。
前半は、新左衛門の人集めと参勤交代で国元に向かう斉韶らの一行を追う刺客たちの道中が描かれ、後半は町ごと買い上げた宿場での死闘が延々と繰り広げられる。オリジナルではらはらさせられた、新左衛門と鬼頭の相手の出方を探り合う策術の面白さは、さほど強調されず、待ち伏せていながら襲撃を諦めるシーンも省かれている。オリジナルの30分でも長いと感じた最後の決戦が、こちらはさらに長く、しかも13対200人の多勢に無勢の戦いぶりと聞いた。が、それで身構えて見たせいもあってか、思ったほど長さを感じることなく、最後まで一気に見ることができた。
怒りのあまり笑い出す役所広司、殺陣に不慣れな相手に苛立ちながらも(と監督がインタビューで語っていた)ベテランらしい立ち回りを披露する松方弘樹、ひたすら斬る伊原剛志らは見せ場満載、
沢村一樹の実務面でかなり出来る奴という感じや、古田新太の大らかな槍の名人、「七人の侍」の菊千代をちょっとお下劣にして漫画っぽくした感じのキャラの伊勢谷もいきいきと演じている。山田孝之は、顔が丸くなってからより好きなのだが、古風な二枚目といった顔立ちが時代劇に合っていていい。お艶に別れを告げるところなど、ひどくなつかしい。
しかし、その他の若い人たちがいまいち把握できない。平山の門下である庄次郎(窪田)は、比較的認識しやすく、倒れた彼の目線で平山の最後を追うシーンはなかなかよかった。が、新左衛門のとこの足軽、倉永配下の2人、三橋配下の2人は、最後の戦いで壮絶な死に方をしてもいまいち誰なのかわからなかった。チラシを見れば、あれが高岡蒼甫であれが石垣祐麿だったのかと思うが、ややこしい役職はともかく、役名と顔が一致する場面が前半にあってほしい。彼らはオリジナルでもそうだった。最後まで、名前と顔と役者が一致しないままなのだった。
明石側で奮闘する鬼頭役の市村は熱演なのだが、私にはあまり侍らしく見えなかった。役所との戦い前の対峙の場面など、いいのだが、もっとどきどきしたかった。
そして、虚無感の固まりのような、暴君斉韶である。もの静かに冷ややかに非道きわまりない行為を繰り返す。稲垣吾郎は、普段テレビで見ている彼と同じようにしゃべっているのだが、これが役にぴったり合って、見事な悪役ぶりである。吾郎ちゃんファンでよかったと思えるひとときであった(それほど熱烈なファンではないが、SMAPでは一番好き)。
最後は、オリジナルと違って、新左衛門と斉韶の対決。「おとなしく飾られておればいいものを」という新左衛門のセリフに、「仁義なき戦い」の有名な「御輿」のセリフを思い出した。個人的には、このセリフ、松方が言ってくれればうれしかったがと思いつつ、なかなかいい対決だった。(2010.10)

関連作品:「十三人の刺客」(1963年)

インセプション Inception
2010年 アメリカ 148分
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
出演:コブ(レオナルド・ディカプリオ)、アーサー(ジョセフ・ゴートン=レヴィット)、アリアドネ(エレン・ペイジ)、イームス(トム・ハーディ)、ユスフ(ディリープ・ラオ)、サイトー(渡辺謙)、ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィ)、モーリス・フィッシャー(ピート・ポスルスウェイト)、ブラウニング(トム・ベレンジャー)、モル(マリオン・コティヤール)、マイルズ(マイケル・ケイン)
★ねたばれあります!!★
他人と夢を共有することが可能になった時代。夢の世界の操作において卓越な手腕を持つコブは、ターゲットの夢の中に潜入して情報を盗む違法な産業スパイとして活動していた。国際指名手配犯として追われる彼は、日本の大企業主サイトーから、特殊な依頼を受ける。それは、情報を盗むのではなく、新たなアイデアを他人の心に植え付ける、インセプションという危険な試みだった。サイトーは、強力なライバル会社を倒すため、後継者である社長の息子の夢に潜入し、会社を倒産せざるを得なくなるような「発想」を植え付けてほしいというのだった。
コブは、ミッション実行のためのチームを結成する。相棒のアーサー、夢の世界を設計する設計士に大学生のアリアドネ、夢の中で擬装してターゲットに接触する擬装士のイームス、眠りの深さを調整する調合士のユスフ、そしてオブザーバーとしてサイトーも夢に「同行」する。ターゲットのロバート・フィッシャーが飛行機で移動中の1時間の間に、彼らはミッションを実行する。
夢の世界は現実世界よりも時間が早く過ぎる。さらに、彼らが設計した夢の構造は3階層からなり、階層が深くなるほど時間の流れが速くなる。1番浅い階層での15秒が、次の2階層では20分、3階層では1時間といった感じ。この時間差を活かした、それぞれの夢の階層でのチームメンバーの奮闘を描いたクライマックスは、かなり見応えがあって盛り上がる。
アメリカの映画の父D・W・グリフィスの「最後の救出」の時代から、映画のクライマックスのカットバックで感じる時間差、危機が迫る側の時間と救出に向かう側の時間の流れがどうみても違うだろうという違和感は、アクション映画ファンならおそらく誰でも感じたことがあると思うのだが(それはそれで憎めなくて好きだが)、それをまさに合理的にクリアしてみせたと言う点で画期的である。
第1階層でみんなを乗せたワゴン車がカーチェイスを繰り広げた後、橋から転落。長い長い15秒をかけて海に落ちる。落下の間、車内は無重力状態となるので、その影響を受けた第2階層の夢の世界も無重力となる。ホテルの一室で1人だけ目覚めているアーサーが、無重力状態で夢が崩壊したときに備えて孤軍奮闘する。さらにその下の第3階層では、雪山にある病院に父を見舞うロバートに他のメンバーが同行する。ロバートの周りに張り巡らされた厳重な警護を振り切って、彼と父との面会に介入し、ロバートが瀕死の父から会社をつぶしたくなるような言葉を聞かされるようしむけなければならないのだ(この父の言葉は平凡で目標達成のための確実性に欠けるのではと思えなくもない)。
さらに、これらに「虚無」とされる深層意識の階層がプラスされるので、実際は4階層になる。

夢の共有とそれを使ったスパイ活動、時間軸の異なる何層もの夢の「同時」進行という特殊な設定を、見る者を混乱させることなく、楽しませながら的確に描き切る手腕は見事である。
また、コブが自らの夢の中で死んだ妻モルや別れ際に見た幼い子どもたちの後ろ姿に悩まされ続けていることや、アリアドネが彼を救いたい一心で彼の夢に潜入することや、ロバートが父との確執に悩んでいる青年であることなど、登場人物たちが好意的に描かれていて感情移入しやすい。チームの面々もユニークで面白い。渡辺謙も同監督の「バットマン・ビギンズ」の時のちょい役とは違って重要な役回りでうれしい。
ラストは、上手く行きすぎることに不穏な空気が漂い、コマが止まりそうなところでカットとなるなど、最後の最後まで気が抜けない。(2010.9)


トイ・ストーリー3 Toy Story 3
アメリカ 2010年 103分
監督:リー・アンクリッチ
制作総指揮:ジョン・ラセター
脚本:マイケル・アーント、ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ
音楽:ランディ・ニューマン
出演(声・原語版/日本語版):ウッディ(トム・ハンクス/唐沢寿明)、バズ・ライトイヤー(ティム・アレン/所ジョージ)、ジェシー(ジョーン・キューザック/日下由美)、レックス(ウォーレス・ショーン/三ツ矢雄二)、ハム(ジョン・ラッツェンバーガー/大塚周夫)、ミスター・ポテトヘッド(ドン・リックス/辻萬長)、ミセス・ポテトヘッド(エステル・ハリス/松金よね子)、スリンキー・ドッグ(ブレイク・クラーク/永井一郎)、リトル・グリーンメン(ジョフ・ピジョン)、グリーンアーミーメン、バービー(ジョディ・ベンソン/高野理恵子)、
ロッツォ・バグベア(ネット・ビーティ/勝部演之)、ケン(マイケル・キートン/東地宏樹)、ビッグベビー、ストレッチ(ウーピー・ゴールドバーグ)、ミスター・ブリックルパンツ(ティモシー・ダルトン)、チャンク、トゥイッチ、ブックワーム、チャーターフォン、
トリクシー、バターカップ、ドーリー、お豆三兄弟、トトロ
アンディ(ジョン・モリス/小野賢章)
カウボーイのウッディ、宇宙の戦士バズ、カウガールのジェシーほか、おもちゃたちが活躍するシリーズ3作目。今回は、バービーと、そのボーイフレンド人形のケンも登場。「バービーのそえもの」と言われてもめげない、軟派でナルシーなケンがなかなか愉快。
持ち主のアンディが17歳となり、おもちゃたちは遊んでもらえることもなく、古いおもちゃ箱に入れられっぱなしになっていた。アンディが大学入学のため家を出ることになり、彼の持ち物の行き先は、「大学」「屋根裏」「ゴミ箱」の3つに分かれることになった。
アンディの一番のお気に入りだったウッディは「大学」に分別されるが、ジェシーやバズや他のおもちゃたちは「屋根裏」行きとなる。が、ある手違いから、彼等が入った袋がゴミ捨て場に出されてしまう。なんとかゴミ処理車から逃れたジェシーたちだったが、アンディに捨てられたと誤解し、サニーサイド保育園に「寄付」される道を選ぶ。
保育園で、ジェシーたちは、ロッツォという熊のぬいぐるみをリーダーとする園のおもちゃたちに歓迎される。園でのおもちゃの生活は楽しそうだった。かに見えたのだが、ジェシーたちが配属された「いもむしぐみ」は年少のこどもたちのクラスでおもちゃの扱いは最悪だった。おもちゃを投げ、振り回し、汚し、たたきつける、傍若無人な遊び主たちだったのだ。
やがてロッツォも、そのかわいらしい外見からは思いもよらない、ギャングのボスのごとく凶悪な本性をあらわにする。
アンディへの誤解も解け、ウッディの救援も加わって、彼等は極悪刑務所のような保育園から必死の脱出を試みる。
冒頭はモニュメントバレーらしき岩山を背景とした西部劇アクションアニメで楽しい。
続いて子どもだったアンディが、おもちゃで楽しく遊んでいる様子がビデオで示される。これにより、それがすでに過去であることが証され、現在のおもちゃたちの寂しい状況がそれとなく知らされるあたりから、物語は一部の隙もなく、最後まで見事な展開を見せる。
クライマックスの脱走シーン。扉を開け、敵のパトロールと猿の監視員の目をかわし、ゴミ捨て口から脱出したはいいものの、ゴミ収集車に乗せられ、ゴミ捨て場に捨てられ、流され、地獄の焼却炉までの道程が、怒濤の勢いで一気に描かれる。燃える炎が反映するオレンジ色の光の中、却炉に向かってずるずると滑りゆくおもちゃたちが無言で手を取り合うシーンは、感動的。
アンディとの別れのシーンも圧巻である。(2010.8)

ひと言(No.46):「あばよ、相棒」 “So Long…partner.”

恐怖
2010年 日本 94分
監督・脚本:高橋洋
出演:太田みゆき(中村ゆり)、太田かおり(藤井美菜)、間宮悦子(片平なぎさ)、
雅美(長宗我部陽子)、服部(斉藤陽一郎)、久恵(吉野公佳)、本島(日下部そう)、平沢刑事(高野長英)、理恵子(波多野桃子)、和志(郭智博)、拓巳(松嶋亮太)、
★ねたばれあります!
戦前に満州で行われた脳実験の記録フィルム。幼い姉妹みゆきとかおりは、ある夜、自宅で両親が映写していたそのフィルムから発せられる謎の白い光を見てしまう。
17年後、医者のたまごとなったみゆきは、自殺サイトを通して集まった4人の若者たちとともに、練炭集団自殺に加わる。が、計画の首謀者服部は、女医間宮悦子の部下であり、彼女が行う違法の脳実験の被験者を確保するため、自殺志願者たちを集めていたのだった。
悦子は、病院に運ばれてきた被験者の一人が、長いこと会っていなかった娘のみゆきであることに気づく。が、娘であることなどお構いなしに、彼女は実験を進める。みゆきたちは、死んだと思い込まされ、悦子の手によって開頭手術を施される。シルビウス裂と呼ばれる脳の部分に電気を通され、さらに不気味な金属物を埋め込まれる。悦子によれば、これにより、彼らは、常人には見えないものが見えるようになり、霊的進化を遂げるという。男2人は実験途中で息絶え、みゆきは、自分のほかに生き残った理恵子をつれて、病院を脱走し、姿を消す。
やがて妹のかおりがみゆきのアパートを訪れる。彼女は、みゆきの恋人本島や刑事平沢とともに失踪した姉の行方を追い始める。
と、ここら辺までが普通に見ていて、普通に理解できる部分である。集団練炭自殺がたんたんと行われる様子も、頭を切り開いて脳をむき出しにする手術の様子も、実験のために自殺サイトを利用するという企ても十分怖い。
しかし、やがて話は坂を転がるようにわけがわからなくなっていく。

古い白黒の記録フィルム、母と姉妹という血縁関係にある女たち、練炭集団自殺、病院、脳実験、幽体離脱、失踪した姉を捜す妹、間宮という名の狂気の科学者(片平なぎさが怪演!)、処女受胎、何かの肉を貪り食う女、映像の中からこちらを見る人々、白い光に白い霧、といった、もろもろの異様なものが次々に登場してきて、そこはかとない怖さを醸し出す。
のだが、見えないものとはなんなのか示されることはない。あれだけ不気味な脳手術をしながら、見えないものが見えるとさんざん盛り上げときながら、幽体離脱した自分の姿が見えるだけということはあるまいに、彼らが見ているものとして示されるのは、宙に浮いた己の姿のみである。頻繁に出てくる白い光の正体もわからない。
そして最後の集団自殺者発見シーンが意味不明のとどめを刺す。


ということで、以下は、私の勝手な解釈となります。ねたばれもしまくりです。

ラストは夢落ちという解釈はとりあえず避けたい。監督は「パラレルワールドと思ってくれてよい」と言ったそうだが、できればそれも避けたい。「思ってくれてよい」というちょっと回りくどい言いようが気になるし、パラレルワールドという言葉はSFっぽくてあまり監督になじまないように思う。
で、どうにか思いついたのは、ラストシーンの方が夢だという逆夢落ちパターンである。死者たちが思い描く、自分が死んだ後はこんな感じになるんだろうなという夢の世界、きれいな死に顔のまま発見され警察に収容され、やがて身内に訃報が届くという、平穏な遺体の行く末である。しかし、「恐怖」の現実は、彼らの夢の世界にまでも干渉し、服部の頭部には亀裂が走ってしまったのだった。という塩梅である。
そんでもって、白い光である。
常に近くに在るのに常人には見えない世界ということでパラレルワールドという言葉が出てくるのだと思うが、ホラー映画においては「あの世」「霊界」と考えるのがもっともすんなり行く気がする。が、ここで悦子が娘に繰り返し語ったという吸血鬼の話が引っ掛かってくる。吸血鬼にはあの世がない、ただ消えるだけ、だから人間と違って吸血鬼の死に様は潔いという話だったように思うが、これは、つまりだから人間にはあの世があるということになるのか、それとも逆に吸血鬼と同様、実は人間にもあの世はないということになるのか。曖昧だ。
白い光と高橋監督ということで、私が思い当たるのは、「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」で、彼がラストのインディとマリオンの結婚式シーンで、教会の窓の外に見たような気がしたと言った白い光である(おそらく、彼のほかは誰も見ていない)。彼によれば、それは、同映画前半に出てきた核実験の光なんじゃないかという。となると、白い光とは、核爆発の光、引いては死の光に重ならないか。
ということを考えあわせると、脳手術を受けた人たちが見えるものとは、すべてが死滅した世界ということにならないかしら。しかもそれは、何千年何億年も先の未来の話ではなく、常人には見えないけれども、この世界と平行して常にそこらへんに存在する世界なのである。そう考えると、漸くちょっとぞっとしてくる。白い霧は、その世界のほんの一部が理恵子の胎内から流れ出してきたということか。(この悦子を襲った白い霧は、ジョン・カーペンターの「パラダイム」を思い出させる。同様に得体の知れない怖さを全編に漂わせつつ、結局なんのことやらわけがわからんという映画だった。何かを伝えようとしているが意味不明のビデオの画面もやけに怖かった覚えがある。)
ということで、よほど想像力がないと、こわさが実感できない映画に仕上がっていると思った。このもどかしさは、何十年も昔、初めて江戸川乱歩の「鏡地獄」を読んだときに抱いた思いに似ている。さんざん雰囲気を盛り上げておいて、最後、すべての恐怖は読者の想像力に委ねられる。球形の鏡の内側がどれほど恐ろしいものなのか遂に到達できずじまいだったが、私の乏しい想像力はあのころからほとんど進化していないようで、今回も、見えないけどそこらへんにある世界がどれほど恐ろしいものなのか、究極の恐怖にたどり着くことはできないのだった。(2010.8)

エアベンダー The Last Airbender
2010年 アメリカ 103分
監督:M・ナイト・シャマラン
オリジナル・アニメ・シリーズ:「アバター 伝説の少年アン」AVATAR: THE LAST AIRBENDER(アメリカ ニコロデオン 2005年〜)
出演:アン(ノア・リンガー)、カタラ(ニコラ・ペルツ)、サカ(ジャクソン・ラズボーン)、ズーコ王子(デヴ・パテル)、アイロ(ショーン・トープ)、ジャオ司令官(アーシフ・マンドヴィ)、オザイ王(クリフ・カーティス)、ユエ王女(セイチェル・ガブリエル)
気、水、土、火の国が存在する世界。それぞれの国には、それぞれのエレメントを操るベンダーと呼ばれる人々がいる。その中から4つのエレメントを司ることのできるアバターと呼ばれる者が代々どこかの国に生まれ、精霊と話し、世界の均衡を守る者として、人々から崇められていた。
しかし、アバターとして生まれた気の国の少年アンは、家族も持てずアバターとして生きることの重責に堪えきれない思いを抱き、修行中に脱走する。ほんのちょっと休むつもりで自ら氷の中に閉じ籠もるが、目覚めたのはなんと100年後だった。
アバター不在の間に、世界の均衡は崩れ、火の国の王が戦争を始め、気の国はほろび、土の国の多くは火の国の支配下に置かれていた。
アンは、南の水の国のベンダーの少女カタラとその兄サカによって発見され、彼らとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る。
修行半ばだったアンは、アバターであるにもかかわらず、4つのエレメントのうち、気を操ることしかできなかった。まずは、水を操る術を会得するため、北の水の国に向かう。が、恐れを知らない火の国の王は、北の水の国に棲む月と海の精霊を殺害することを思いつき、北の国の襲撃を企てるのだった。
という、異世界もの冒険ファンタジー。
異能者たちの戦いやドラゴンや精霊や暴君や老師が出てくるのはああまたかという感じだが、登場人物にアジア系が多いことや、ベンダーたちがエレメントを操るときの動きが、カンフーのそれなのが新鮮だった。気の国はいろいろな人種が混じっていそうだったが、火の国はインド系、土の国は中国系、水の国だけ西欧系という印象を受けた。私事でなんなんだが、一年半前から健康太極拳を始めていて、それで思ったのだが、彼らの動きは、太極拳に似ているところが多くあると想った。
父王から追放され、アバターを探して旅を続ける火の国の不遇の王子ズーコを「スラムドッグ$ミリオネア」のデヴ・パテルが好演。彼に付き添う叔父のアイロもしぶい。
私が見たのは、3Dではなく2Dだったが、SFXは見応えがあった。特に、水の国の人たちが操る水の塊はとてもきれいだった。
さて、ところで、シャマラン監督ならではの魅力はというと、本作ではそれはあまり感じられなかった。
ハプニング」の時にも書いたが、私は、一世を風靡した「シックス・センス」はたしかにとてもよい作品だと思うが、むしろ、小規模で特定の地域で起こる現象を描いているうちに話を広げすぎて破綻してしまう「サイン」や「ハプニング」のようなシャマラン映画が好きだ。
一種独特の「空気」に魅了されるのである。空気を魅せる監督が、気を操る少年を主人公にした映画を撮るというのは、なるべくしてなったような気もするが、いかんせん、原作のストーリーに押されたか、尺に余裕がなかったか、これまで見られた、木々のざわめきや風などに込めて魅力を放っていた、シャマラン監督ならではの「気」が描かれていないように思えた。
三部作の一部ということで、アンは、まだこれから土と火の操り方を覚えなければならないし、父王のお気に入りであるズーコの妹がアバター捕獲を王に命じられたところで続くとなっているが、アンが子どもであるうちに完結するのか、ちょっと心配だ。(2010.7)

アウトレイジ Outrage
2010年 日本 オフィス北野 ワーナー 109分 
監督・脚本・編集 北野武
出演:関口・山王会会長(北村総一郎)、加藤・山王会本家若頭(三浦友和)、
池元・山王会池元組組長(國村隼)、小沢・同若頭(杉本哲太)
大友・山王会大友組組長(ビートたけし)、水野・同若頭(椎名桔平)、石原・同組員(加瀬亮)、阿倍・同組員(森永健司)、岡崎・同組員(坂田聡)、江本・同組員(柄本時生)、
村瀬・村瀬組組長(石橋蓮司)、木村・同若頭(中野英雄)、飯塚・同組員(塚本高史)、
片岡刑事(小日向文世)、アフリカ某国大使(?)
暴力団山王会系池元組組長の池元は、兄弟分の村瀬と組んでシャブの売買に手を出して儲けていたが、本家からそのことを諌められる。池元は、村瀬組に直接手を下すことをためらい、配下の大友に対処を命じる。
大友は、村瀬組系の暴力バーに、だまされたふりをして組員を送り込む。呼び込みをした下っ端の飯塚と若頭の木村が詫びを入れに来るが、大友組の仕打ちに恨みを抱いた彼らは、すぐさま報復に出る。これに対し、さらに大友組が逆襲する。
途中手打ちなども入るが、事態は悪化の一途をたどる。本家は、池元組の若頭小沢や大友それぞれに池元の後はお前がシマを継げと焚きつけ、池元はなんとか窮地を脱しようと大友を使って村瀬をつぶしにかかる。
大友の後輩で現職の刑事である片岡は、大友と関係を持ちつつ、本家の加藤とも懇意にしている。腹に一物も二物もある男たちが、交わす言葉とはうらはらに、殺し合いを繰り広げていく。
大友組は、村瀬組がシャブの売買に利用していたアフリカ某国大使館に目をつけ、大使を抱き込んでカジノを始める。大使役の黒人俳優(名前が不明)がのんきにひどい目に遭わされる様子が、笑うに笑えないギャグを交えて、けっこう長く描かれる。石橋蓮司も、この人ならではの役回りでやはりひどい目に遭わされるのだが、口の怪我用の仰々しい矯正器具がやけに似合うのでここはブラックに笑ってしまった。
ハードで陰惨。しかし、勢いに乗って一気に破滅へ向かうという風でもなく、妙に淀むというか、男たちがわめき、痛そうな暴力場面が多発する割には、静かな印象の映画である。暴力を前面に出した同監督の作品群に共通する独特の雰囲気は健在だと思ったし、それが何よりの魅力でもある。
出演者に常連はほとんど見られず、ゴージャスな顔触れが並ぶ。喜々としておっかない男を演じている椎名桔平を見るのは楽しいが、みんないきいきと演っているように見える。言っちゃえば、やっぱ、草食系などとぬかしておらず、男子には時々こうゆう映画でこうゆう役をやってほしいと思うのだった。(2010.6)

関連作品:「アウトレイジ ビヨンド

クレイジー・ハート  Crazy Heart
2009年 アメリカ 111分
監督:スコット・クーパー
音楽: T=ボーン・バーネット、 スティーヴン・ブルトン
出演:バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)、ジーン・クラドック(マギー・ギレンホール)、バディ・クラドック(ジャック・ネーション)、ウェイン(ロバート・デュバル)、トニー(ライアン・ビンガム)、トミー・スウィート(コリン・ファレル)、ジャック(ポール・ハーマン)、
かつてのカントリー・スター、バッド・ブレイクは、いまや人気も下り坂になり、新曲も出さず、飲んだくれる毎日を送っていた。町から町へと愛車ベス(「シボレー・サバーバン・シルバラードのワゴン車」なのだそうだ)で移動しては、小さな店で地元のバンドをバックに歌って生計を立てていた。が、ある日、そうした巡業先の町でジャーナリストの女性ジーンと知り合い、恋に落ちる。離婚歴のある彼女は4歳の息子バディと二人で暮らしていた。バッドは、バディとも仲良くなり、町を去る際、いっしょに来ないかとジーンを誘うが、彼女は彼との恋にいまいち踏み切れない。互いに好意を抱いている大人の男女が、ためらいながらも少しずつ間を詰めていく様子が微笑ましい。
落ちぶれた初老の男が、恋を機に立ち直ろうとする。話としては、あまり目新しくないが、カントリーミュージックと、移動する先々の西部のだだっ広い風景と、そしてジェフ・ブリッジス演じる57歳の飲んだくれ男の、落ち目になっても歌は捨てず、陰気過ぎず、適度にユーモアのある人柄が心地よい。
彼の弟子で今はトップスターになっているトミーをコリン・ファレルが演じているが、以前と立場が逆転した二人が久しぶりに再会する場面がいい。トミーがバッドを尊敬しているのか嫌っているのかすぐにはわかりにくい微妙な感じがあって、ふたりが駐車場でぎくしゃくと話を交わすところがいいし、前座で歌うバッドのステージにトミーが顔を出してデュエットする場面にもちょっとしたサスペンスが感じられたように思う。
バッドの友人ウェインを演じるロバート・デュバルが、釣りをしながらボートで歌を口ずさむのも聞ける。
ちなみにタイトルは、バッドが久々に作った歌(よい曲です)の歌詞に出てくる。字幕では「壊れた心」と訳されていた。(2010.6)


アリス・イン・ワンダーランド Alice in Wonderland
アメリカ 2010年 109分 3D
監督:ティム・バートン
原作:ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」
出演:アリス・キングスレー(ミア・ワシコウスカ)、マッドハッター(ジョニー・デップ)、赤の女王イラスベス(ヘレナ・ボナム=カーター)、白の女王ミラーナ(アン・ハサウェイ)、ハートのジャック(クリスピン・グローヴァー)、トウィードルダム/トウィードルディー(マット・ルーカス)、芋虫のアブソレム(声/アラン・リックマン)、白うさぎ(声/マイケル・シーン)、チェシャ猫(声/スティーヴン・フライ)、ベイヤード(声/ティモシー・スポール)、三月うさぎ(声/ポール・ホワイトハウス)、ヤマネ(声/バーバラ・ウィンザー)、ジャバウォッキー(声/クリストファー・リー)、バンダースナッチ
19歳のアリスが、13年前に訪れたワンダーランドを再訪、国を支配する暴君赤の女王に立ち向かい、怪物ジャバウォッキーを倒す。
3Dの画面は、カラフルできれい。ふわふわ浮かんでくるくる回るチェシャ猫、青い芋虫のアブソレム、時計を持った白ウサギ、巨大な四つ足獣バンダースナッチ、でぶの双子ダムとディー、不本意ながら女王に仕える犬のベイヤード、そしてオレンジ色の髪に金色の眼、エキセントリックないでたちでひょうひょうと登場する帽子屋マッドハッターら、ワンダーランドの住人たちは、みなユニークで魅力的だ。
ディズニーランドのアトラクションを映画館で見たと思えばいいのだろうが。
それにしても話の内容はすかすか。アリスが縮んだり伸びたり、アブサレムと禅問答のような会話をしたり、赤の女王が理不尽なことばっかり指示したりといった原作の持つ独特の持ち味は一応描かれるし、優秀な者はみんな頭がおかしいというアリスの父の教えや白の女王の過剰なお姫様ぶりに多少の変さが垣間見られるものの、映画としての手ごたえはかなり薄い。
スペシャルな剣を見つけて竜を倒し、冒険の後には自立した娘になっているヒロイン、といったものを初めて見る子どもたちがおもしろがるのはそれはそれでいい。だが、大人にとってももっと見応えがあってほしかった。もはや新鮮みのない冒険ファンタジーを、なんで今更アリスがやらなきゃならないのか。「期待しすぎた」という映画ファンの声を何度となく耳にした。見ながらわくわくして、「ここでこう来るか」という手応えがあってこそ、きれいな3Dの画面が生きてくるというものじゃないか。作り手は、志を高く持ってほしいと思った。(2010.5)

このひと言(No.45):「昔の君は、もっと、こう、すごかった。今の君は、すごさがなくなってる。」

ウルフマン The Wolfman
アメリカ 2010年 102分
監督:ジョー・ジョンストン
特殊メイクデザイン:リック・ベイカー
出演:ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)、ジョン・タルボット卿(アンソニー・ホプキンス)、グエン・コンリフ(エミリー・ブラント)、シン(アート・マリック)、アバライン警部(ヒューゴ・ウィーヴィング)、マリーヴァ(ジェラルディン・チャップリン)
満月の夜になると、凶暴な獣人に変身して人々を襲う狼男の悲劇を描く。
1890年代のイギリス。故郷ブラックムーアへ帰ってきた舞台俳優のローレンス・タルボットは、兄を惨殺した犯人を追ううち、狼男に傷を負わされ、自身もまた狼男になってしまう。
激しい襲撃シーンや死体の描写は生々しいが、映画のつくり自体はいたってオーソドックス。19世紀のイギリスの町並みや荒れた洋館やジプシーのキャンプやガーゴイルに爪をかけて遠吠えをする狼男のカットなど、古風な雰囲気が漂う。
主演のトロは、男前でないところがよく、死んだ兄の婚約者グエンへの思いや意志に反して殺人を犯してしまう狼男の苦悩を味わい深く演じている。水辺でローレンスがグエンに水切り(回転をかけて石を投げて水面で石を跳ねさせるあれ)を教えるシーンなど、なつかしくて泣けてくる。
一方、ホプキンスは、自分の身に起こったことをむしろ歓迎している父親狼男を喜々として怪演している。
衆人環視の中での変身やラストの狼男親子対決は、斬新でおもしろいが、全体の印象は、地味ながら雰囲気のあるクラシカルホラーの一品。(2010.5)
オリジナル:「狼男」(1941年アメリカ)監督:ジョージ・ワグナー、主演:ロン・チェイニー・ジュニア
おまけ(映画とは全く関係ない話だが):オリジナルは見ていないが、主人公のローレンス・タルボットいう名前、どこかで聞いたことがあると思った。和田慎二の漫画「スケバン刑事」というか、そのエピソードのひとつとして繰り込まれている、黒ばらのマリアが主人公の「大逃亡」という別作品漫画に出てくる神父さんの名前である。「スケバン刑事」の主要キャラ沼重三の育ての親で、「大逃亡」では鬼保護司だった沼さんが、「ローレンス・タルボット神父!」と叫ぶ大きめのコマがあったので、妙に記憶に残っていたのだ。あの名前は狼男からとったのかと今になって知ったのだった。

第9地区 District 9
2009年 アメリカ・ニュージーランド 111分
監督:ニール・ブロンカンプ
製作:ピーター・ジャクソン
出演:ヴィカス(シャールト・コプリー)、クーバス大佐(デヴィッド・ジェームズ)、クリストファー・ジョンソン(ジェイソン・コープ)、タニア(ヴァネッサ・ハイウッド)
(★後の方で断り書きをしてからねたばれしてます!)
南アフリカ共和国のヨハネスバーグで繰り広げられる、エイリアンと人類の共生問題SF。
20年ほど前、突然巨大宇宙船が飛来し町の上空に停止した。人類は船内で瀕死の状態にあるエイリアンたちを発見し、保護する。やがて、宇宙船が故障して故郷に帰れない彼等のために居住区(第9地区)が設置されるが、見た目が醜悪な上粗暴であまり頭がよくないエイリアンたちは人々から嫌われ、第9地区はスラムと化していく。エイリアンたちは、その姿形から「エビ」という蔑称で呼ばれるようになる。
そして現在、対エイリアン事業を引き受ける国際企業MNU(Multi National United)は、エイリアンたちを町から追い出すため、新たな居住区を作り彼等を移住させる計画を立てる。ヴィカスという、あまり面白みのない中間管理職の男が、計画実行の責任者に抜擢される。
前半は、ヴィカスが第9地区を訪れ、エイリアンたちに立ち退きを命じる様子が、テレビのニュース映像の撮影という形をとってドキュメンタリー・タッチで描かれる。
あるエイリアンの家で、ヴィカスは謎のカプセルを発見し、中に入っていた黒い液体を顔面に浴び、あわててぬぐった左手に炎症を負う。これにより、彼の運命は急転する。
「感染」したヴィカスの肉体に異変が生じていく。貴重な実験材料として、彼はMNUから追われる身となり、クリストファーというエイリアンとその息子が住む家にかくまわれる。
粗末な小屋がたち並び汚物が散らかるスラムを背景に、銃撃によって血や肉やエイリアンの体液が飛び散り、ヴィカスの肉体も爪が剥がれ皮膚が裂けて見るからに痛そうに気持ち悪く変貌していくなど、えぐい部分がたくさんあるので、人によっては見るのが辛いかもしれない。
が、とにかく勢いがある。ヴィカスが追われる身となってからは特におもしろく、多少タッチが苦手だと感じつつも、どんどん引き込まれてしまった。


★以下ねたばれしまくりなので注意!!!

黒い液体は、学識者エイリアンのクリストファーが20年かけて作り出したものだった。エイリアンのDNAが混じっているせいで、ヴィカスの身体はエイリアンに変化しつつあるのだが、クリストファーの目的は、それを動力源として、スラムの地下に隠した指令船を作動させることにあった。
二人はMNUラボを襲撃してカプセルを奪還、第9地区ではMNUの追っ手部隊と地元のギャングを交えた三つ巴の戦いが展開する。ヴィカスの左腕がエイリアンの腕へと変化したことで、彼は腕と銃器が一体化するエイリアン専用の武器を自在に扱えるようになるのだが、この設定はなかなか愉快である。
話はどんどん盛り上がり、ヴィカスとクリストファー親子との間に心の通い合いが生まれつつあると思ったところで、ヴィカスがだめ人間丸出しの自己中ぶりを発揮してしまい、ああ、こりゃ身も蓋もなく終わるかもと危惧した。ところがどっこい、追いつめられたヴィカスは意外な男気を見せ、パワードスーツ(というのか)で応酬。わくわくしながら最後まで見ることができた。
「E.T.」(宇宙人だからだが、スピルバーグだとむしろ「シンドラーのリスト」の方が近いかも)と「ザ・フライ」と「ファイヤー・フォックス」あるいは新しいところで「ブラッド・ダイヤモンド」あたりがチープに入り交じったような、痛快アクションになっていって、ラストはちょっと哀愁も漂う。
ヴィカスが、人間の眼とエイリアンの黄色い眼と、異なる二つの眼で、飛び立つ宇宙船を見送る場面は、感動的だ。(2010.4)


ゴールデンスランバー
2010年 日本 東宝 139分
監督:中村義洋
原作:伊坂幸太郎
音楽:斉藤和義
出演:青柳雅春(堺雅人)、樋口晴子(竹内結子)、森田森吾(吉岡秀隆)、カズ/小野一夫(劇団ひとり)、鶴田亜美(ソニン)、岩崎英二郎/宅配ドライバー(渋川清彦)、轟静夫/花火職人(ベンガル)、凛香/アイドル(貫地谷しほり)、キルオ/通り魔(濱田岳)、保土ヶ谷康志/下水道専門家(柄本明)、青柳一平(伊東四朗)、青柳照代(木内みどり)、佐々木一太郎/警察庁警備局総合情報課課長補佐(香川照之)、小鳩沢/ショットガンを撃つ警察庁警備局総合情報課刑事(永島敏行)、井ノ原小梅(相武紗季)、大杉/宮城県警本部長?(竜雷太)、児島巡査長(でんでん)、樋口伸幸(大森南朋)、矢島/地方テレビ局ディレクター(木下隆行TKO)、エレベーターの男(滝藤賢一)
一人の青年が突然首相暗殺犯に仕立てられ、必死で逃げる様子を描いた良質の巻き込まれ逃亡アクション。題名は、ビートルズの歌のタイトルで「黄金のまどろみ」の意味。
宮城県仙台市に住む30歳独身の宅配ドライバー青柳雅春は、大学時代の友人森田に釣りに誘われしばらくぶりに再会するが、森田は釣りに行こうとはせず、総理大臣がパレードをしている大通りからちょっと外れた脇道に車を止める。そして、たんたんとした調子で、恐るべき陰謀を打ち明け始める。
直後、パレードで大爆発が起きる。森田が車中で話し始めることで点火された物語は、急転直下に進み、あれよあれよという間に青柳は首相を暗殺した凶悪犯として追われる身になっていく。
この手際のよさは気持ちがいい。青柳は、大学時代のサークル仲間や、宅配会社の同僚岩崎(普通のあんちゃんぶりがナイス)や、通り魔キルオ(漫画っぽい不思議キャラ)や病院の患者で下水道専門家の保土ヶ谷(一番怪しげかも)などの協力と信頼を得て危機を脱していくのであるが、彼らとのやりとりは、ひとつひとついちいち気が利いている。何度も挿入される大学時代の思い出のエピソードや窮地を救ったアイドルとの関わりなどに組み込まれた伏線は、やがて次から次へときれいに開花していく。
何も言わずひたすらショットガンを乱射する刑事役の永島敏行、父親役の伊藤四朗、花火職人のベンガルなどおじさんたちの脇役もとてもいい。

★以下ねたばれあります★
が、あまり合点がいかないところはある。長年捨て置かれていた車(今30歳で、車のエピソードが大学4年の時としても6、7年は経っているはず)が、バッテリーを換えただけで動くのかとか、あんな短時間にあれだけの花火を仕掛けられるのか(ていうか1個で十分きれいじゃないか)とか、他にもいくつか。
それと、真犯人は明かされない結末について。本作の主眼はいかにして逃げるかにあり、権力に立ち向かうというのはまた別の話ということではあるのだろう。青柳が逆襲に出るには、例えば「96時間」のリーアム・ニーソンやボーン・シリーズのマット・ディモンばりの、工作員としての卓越した特殊技能などが必要と思われるが、彼の技能は宅配ドライバーのそれで、逃亡においては大変役に立ったが、反撃には役立ちそうにない。幹事長の反対勢力に接触するという手段も考えられるが、しかし、青柳は何が何でも身の潔白を証そうという強い執念や怒りを抱いているようにも思えず、結局生き延びてよしということになる。冒頭とラストの呼応は評判がよいし、青柳と樋口晴子が出会いそうでなかなか出会わないのも上手いと思うのだが、それでも、家庭持ちの元カノにはんこ押してもらってちゃんちゃんでは、「小さくまとまってんじゃないの」と思えなくもないのだった。(2010.2)


サロゲート Surrogates
アメリカ 2009年 89分
監督:ジョナサン・モストウ
出演:トム・グリアー(ブルース・ウィリス)、ジェニファー・ピータース(ラダ・ミッチェル)、マギー・グリアー(ロザムンド・パイク)、ストーン(ボリ ス・コジョー)、キャンター(ジェームズ・クロムウェル)、キャンターのサロゲート(ジェームズ・フランシス・ギンティ)、ボビー(デヴィン・ラトレ イ)、ストリックランド(ジャック・ノズワージー)、予言者(ヴィング・レイムス)
人間の身代わりとなって行動するロ ボット、サロゲートが普及した近未来のアメリカ。人々は、自宅で椅子に寝そべってオペレーターとなり、外に出て実際に仕事や遊びをするサロゲートを動かしていた。サロゲートは、金をかければいくらでも自分の望むような姿にすることができる。当然のように、ほとんどのサロゲートが、若くスリムな美男美女であ る。サロゲートが普及したせいで、犯罪や伝染病や人種差別はほとんどなくなっていた。
が、少数派ながら、サロゲートを拒む人々がいて、彼らは、独立区を形成し、点在するコミュニティで暮らしている。彼らはのリーダーは「予言者」と呼ばれていた。
ある日、サロゲートの発明者キャン ター博士の息子のサロゲートが何者かに襲撃され、彼を動かしていた息子本人までが脳を破壊されて死亡する。未知の武器を用いた殺人犯を追って、FBIのグリアー捜査官とピータース捜査官のサロゲートが捜査を開始する。が、犯人は、サロゲートが立ち入ることを禁止されている独立区に逃げ込む。追跡中に仲間を殺された憤りから、グリアー(のサロゲート)は独立区に侵入して犯人を追い、サロゲートを嫌う独立区住人達の攻撃を受けて破壊されてしまう。
サロゲートを失ったグリアーは、停職処分を受けるが、生身の身体で外に出て独自に捜査を再開する。
サロゲートのグリアーが、やけにつるんとした顔のブルース・ウィリスなのが可笑しい。対して生身の方は、髪が薄く傷だらけで皮膚もちょっとたるんでいて、でも、それがかえってなごむ。久しく 外に出ていなかった彼が、しゃかしゃか歩くサロゲートたちをよけながらよろよろと通りを歩く様子は妙に説得力がある。サロゲートの充電装置が街のあちこちに見られたり、中古屋があるのもおもしろかった。
グリアーのサロゲートが次から次へ と建物に飛び移っては着地してまた飛んでと独立区で犯人を追う場面や、ピータースのサロゲート(中身は別)が車から車へ飛び移って街中の大通りを逃走する場面など、身体能力抜群のサロゲートの追跡劇は、見ていて楽しい。ピータースのサロゲートは、いろいろ中身が変わるが、一貫してブロンドの美女なのがよ い。
サロゲート映像監視ルーム(とでも いうのか)の職員で、生身のままのでぶのボビーもよかった。危機一髪というところで、頭脳の冴えを見せるのが痛快だった。
しかし、グリアーとその妻は幼い息子を亡くしたショックから引きこもりがちになり、サロゲートを使用することになったというのは分かる気がするが、ここまでサロゲートが普及する社会というのはいかがなものか。ジェームズ・ティプトリー・ジュニアのSF小説「接続された女」を思い出したが、あれは容姿に自信のない女が選ばれてこの映画にあるようなオペレーターにさせられるという設定で、ひどく暗く気の滅入る話だったように記憶している。また、パーマンのコピーロボットも思い出したが、あれ は、正義の味方として働いているあいだ、留守番をしてもらうためのものだったので、用途としては全く逆だといえる。ロボットに働かせてその間遊ぶというのならまだしも、健全な人がただ寝そべって指令を出しているというのはどうなんだろう。身体を動かしたいという欲求や、きれいで整いすぎるものに対する違和感は、少数派にとどまらず、もっと多くの人が持つと思う。SFの設定につっこんでみてもしようがないのだが、生身の人間とサロゲートが混在しているくらいがアメリカ映画らしいと思った。ちなみにタイトルの「サロゲート」は、代理人、代用物といった意味。(2010.1)

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