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○ 本 歴史(日本) 幕末

幕末年表・人物一覧

<作家姓あいうえお順>
西郷盗撮(風野真知雄)、 草莽枯れ行く(北方謙三)、
燃えよ剣、龍馬がゆく(司馬遼太郎)、 猫背の虎 動乱始末(真保裕一)
鞍馬天狗1角兵衛獅子(大佛次郎)、 清水次郎長−幕末維新と博徒の世界(高橋敏)、
コルトM1851残月(月村了衛)、
それからの海舟、幕末史(半藤一利)、 次郎長三国志(村上元三)、 暁の旅人(吉村昭)

西郷盗撮
風野真知雄著 新人物往来社(1997年)
西郷隆盛の写真は一枚も現存していない。
教科書や資料に載っている写 真は写 真ではなく、イタリアの画家キヨソネが描いた肖像画、それも西郷の死後、顔の上半分を弟の西郷従道、下半分を従兄弟の大山巌をモデルにして描いたものであるという。上野の銅像が完成したとき、銅像を見て西郷未亡人が「宿ンしは、こげんなお人じゃなかったこてえ!」と叫んだという逸話は知る人は知っている有 名な話らしい。
ということを踏まえて、なぜ西郷隆盛の写真が残っていないのか、という謎に 挑戦した歴史小説。
西郷隆盛を盗撮せよという密命を受けた東京の写真師見習い志村悠之介は写真 道具一式を背に単身、西南戦争前夜の鹿児島に赴く。
桜島の見える宿に身を落ち着けた悠之介は、自分より前に東京からやってきた写真師がいて、彼が殺害され たことを知る。やがて謎の女写真師が西郷盗撮の話を持ちかけてくるが、彼女は何者かに襲われ、悠之助にも刺客の手が伸びる。
西郷盗撮の指令を出した新政府、そして彼の仕事を阻む一味の思惑とは? 
写真師見習いの地味な活躍を描く作品と思って読んでいたのだが、活劇として結構盛り上がる。
悠之介は、北辰一刀流の元剣士で、最後には西郷の腹心桐野利秋 (=人斬り半次郎こと中村半次郎)との対決まで用意されている。
なかなか読み応えがある一品。筆者が「龍馬暗殺」とペアのイメージとなって浸透してほしい ということでつ けたというタイトルもずばっと潔くていい。(2006.1)


草莽枯れ行く
北方謙三作 (1999年)  集英社
幕末。高い志を抱きながら、非業の死を遂げる赤報隊の相楽総三と、清水の次郎長との交流を描く。
二人を中心に、黒駒の勝三、新門辰五郎、大政、小政など次郎長ものでお馴染みの博徒らと、山岡鉄舟、勝海舟、土方歳蔵、西郷隆盛、坂本竜馬、板垣退助といった幕末の人物らが登場。 薩摩藩のスパイ伊牟田尚平、殺し屋中村半次郎、狂言回し的に益満休之助も絡む。
岩倉具視が殺しても死なない妖怪なみに扱われているのが興味深い。(2003.4)


燃えよ剣
司馬遼太郎著(1964年)  新潮文庫(上下)
新選組副長土方歳三の半生を描く。
土方は、武州多摩の農民の子で、石田村のバラガキ(乱暴者の意)と呼ばれていた。幼馴染みの近藤勇は江戸小石川小日向柳町にあった天然理心流の道場の跡目 を継いでいた。土方は、甲源一刀流門下の者たちといざこざを起こすが、このとき相手方の剣士七里研之助との間にできた因縁は後々まで続くことになる。
清河八郎の呼びかけに応じて、土方らは将軍警護のお役目のため京都に赴く。が、京都に到着すると清河は趣意を一転、幕府に対抗する尊皇攘夷派である本性を 明かす。しかし、近藤と土方は幕府の警護隊という当初の目的を貫くことを望み、会津藩に働きかけて「新選組」を結成する。
池田屋事件を始め、新選組は、幕府の敵である尊皇攘夷の志士たちを次から次へと斬り、京の町を震撼させる。隊の規律を守るため、志を異にする仲間、芹沢 鴨、山南敬介、伊藤甲子太郎、藤堂平助らをも手にかけ死に追いやっていく。土方は、大業物和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)を手に、斬って斬って斬りま くる。
やがて、世の中の情勢は倒幕へと傾く。大政奉還、江戸城明け渡しと続く中、土方は鳥羽・伏見の戦いで奮闘して破れ、近藤とともに出向いた甲州進撃では板垣 退助率いる官軍に遅れを取る。土方は、流山屯営地で近藤と別れ、北上して宇都宮城を落とし、会津若松から仙台へ進んで、艦隊を率いた榎本武揚と合流する。 海賊の襲撃さながらの宮古湾海戦を仕掛けて失敗し、最後は、五稜郭で官軍を迎えての攻防となる。
新選組の名が知られるに連れ、近藤は、幕府の役人や名士たちと交わり、政治に関心を持つようになる。が、土方は、ただ新選組を強くすることだけを考え、戊 辰戦争に突入してからは、一度仕えた主である幕府を裏切ることは男子のとるべき道ではないという信念だけで幕軍として戦う。天下国家を論じることには一切 興味を持たず、ひたすら戦闘に明け暮れる。敵地や敵軍の情報を得て、地図を書き、戦略を練る。途中、差し挟まれる何人かの女性との出会いや俳句を詠んだり 実家の薬屋の薬にこだわったりという件りにより、土方という人間の描き方に幅ができているので、ひたすら実直に無骨に喧嘩をして人を殺してという男である にもかかわらず、息苦しさはあまり感じられない。何度となくある斬り合いや戦闘の場面は、緊迫感があってはらはらどきどきして、盛り上がる。
派手好きで楽天家の近藤との対照が面白い。親友であるにも関わらず、土方は、近藤の言動を常に辛辣に分析しているのだが、時折近藤の長所に触れてにんまり する様子などは微笑ましくてよい。また、大勢の人間を殺しておきながら天使のような笑顔を見せ、やがて病に倒れる沖田総司の存在は、切ないながらも、重苦 しい状況を和らげる一陣の清風となっている。(2009.2)


竜馬がゆく
司馬遼太郎著(1963〜1966) 文春文庫1〜8巻
幕末の志士坂本龍馬の19歳から33歳までの半生を描く。
幕末、江戸で剣術修行をした龍馬は、動乱の兆しで世が騒然となりつつある 中、故郷の土 佐を捨てて脱藩。尊皇攘夷を掲げる志士たちとは別に、幕臣勝海舟に弟子入りして操船術を学び、独自の路線で倒幕を目指す。
刺客に会えば北辰一刀流免許皆伝とい う剣の腕をふるうが、基本的に殺しは好まない。
茫洋とした所作で人を煙に巻き、なかなか動こうとはしないが、やがて機は熟す。
海運業で地盤を固め外国の襲撃に備えようとする一方、巨藩の首脳を相手に単身政治交渉に臨む。
その言動のあまりの痛快さに、文庫本8巻がぜんぜん長くない。最終巻では読み終わってしまうのが切なかった。(2006.3)

<各巻内容>
1巻 黒船来航〜江戸剣術修行
2巻 安政の大獄〜土佐勤皇党結成〜竜馬脱藩
3巻 寺田屋騒動〜生麦事件〜勝との出会い〜おりょうとの出会い
4巻 神戸軍艦操練所開設〜七卿落ち〜武市投獄〜北海道屯田兵計画〜さなこに片袖を渡す〜熊本行き
5巻 池田屋の変〜蛤御門の変〜西郷と会う〜神戸軍艦操練所閉鎖〜第一次 長州征伐〜海軍会社設立構想
6巻 亀山社中設立〜薩長連合の工作・失敗〜長州の軍艦購入斡旋〜薩長連 合締盟〜薩摩旅行〜第二次長征
7巻 勝の幕長戦争止戦交渉〜中岡の土佐藩勤皇化工作〜竜馬、後藤象二郎 と会う〜海援隊・土佐藩提携〜いろは丸事件〜三条・岩倉提携〜四賢侯会議〜大政奉還案と船中八策
8巻 大政奉還を説く〜長崎英兵斬殺事件〜竜馬土佐入り〜倒幕詔勅降下の 宮廷工作〜大政奉還〜竜馬暗殺

幕末年表・人物一覧

鞍馬天狗1 角兵衛獅子
大佛次郎著(1927〜8年、少年倶楽部) 小学館文庫(2000年)
鞍馬天狗が、時代劇のヒーローであることは、こどもの頃から知るとはなしに知っていたが、幕末を舞台とした勤皇派の志士であることや、敵が新撰組で あることを知ったのはだいぶ後になってからだった。
今更、感想を書くのもひどくおこがましいようで気がひけるのだが、
「さっきの時雨は、いま、東寺のあたりを降っているらしい。」
という出だしの文で一気に引き込まれ、読みふけってしまった。
杉作少年の身の上を始め、憐憫の情を誘う表現がいささか強いのはいかにも昔の少年誌掲載読み物をいう感じがして微笑ましく思ったが、鞍馬天狗が出てくる と、その颯爽とした立ち姿が目に浮かぶようで、危ない状況でもついうっとりしてしまう。
風や雲や月の描写を交えた斬り合いの場面が、とても味わい深く、こういうものは時々読んだ方がいいのじゃないかと思った。最後に近藤勇との一騎打ちがある が、どうあっても対立するしかない敵との認め合いという王道が描かれていて、気持ちよい。

2008年1月から3月にかけて、NHK木曜時代劇で「鞍馬天狗」が放映された。これまで何度も映画 化やドラマ化され、特に嵐寛十郎主演の映画が何本も撮られているようだが、私が見たのは、1990年代初期に東京12チャンネルの30分ドラマで目黒裕樹 が演じていたものくらいで、アラカンの天狗は、テレビのスペシャル番組で紹介されたときなどにほんの一部を垣間見ただけで1本も見ていない。彼を知るオー ルドファンにはあまり好評ではなかったようだが、私は、野村萬斎の鞍馬天狗はなかなかよかったと思う。切れ長の目に華奢な体つきという外見も、原作の鞍馬 天狗に共通する。(2008.12)

清水次郎長−幕末維新と博徒の世界
高橋敏著(2010年) 岩波新書
次郎長の養子天田愚庵の著作「東海遊侠伝」をメインの資料として、清水の次郎長と維新前後の政情との関わりについて論じている稀少な一冊。前半は、次郎長の生い立ちと、一家を構えてからの抗争、仇敵黒駒の勝蔵との生涯に渡っての確執などについて説明し、後半は、幕末から明治維新にかけて、博徒がどのように政局に関わったかを資料に基づいて検証している。
勝蔵は、尊攘派の志士として官軍に加わるが、次郎長は、山岡鉄舟とのつながりからどちらかというと佐幕寄り、しかし基本的には中立を通す。幕府瓦解後の戊辰戦争において、博徒はその武力を評価され、あちこちの部隊に加わって参戦する。勝蔵が官軍として戦いながら後に逮捕され処刑の憂き目に会ったのとは対照的に、次郎長は駿府町差配役の浜松藩家老伏谷に登用され、やがて富士山南麓の開墾を依頼されるまでになる。裏街道の無宿者であった博徒の親分から、公に奉仕する地元の有力者へと転身を図るが、情勢が落ち着くや、新政府は博徒の一斉摘発を始め、次郎長も過去の罪状を理由に逮捕、投獄される。
その次郎長を救い出すため、養子愚庵によってしたためられたのが、次郎長の名を一躍有名にした「東海遊侠伝」であるという。1868年の清水港の咸臨丸事件で、湾に放置された幕軍兵士の死体を、駿府藩がどうすることもできずにいるときに、次郎長が独断で回収して弔い、侠気を見せたというエピソードがある。同作の最大の山場として描かれているというが、これには、戊辰戦争で家族を失った愚庵の強い思いが込められていると、筆者は言う。
次郎長が、山岡鉄舟を師と仰ぎながらも、かなり厚かましいお願いをしたときの拙い平仮名の手紙や、それに気持ちよく応じて同様の平仮名の返事を返した山岡との書簡のやりとりなども興味深く読んだ。(2010.6)


それからの海舟
半藤一利著(2003年) ちくま文庫/筑摩書房
筆者は、生粋の徳川家(とくせんけ)贔屓である。官軍・賊軍と呼ばず、徹底して西軍・東軍と呼ぶ。そして勝海舟の熱烈なファンである。そうした視点から描いた勝海舟の「それから」を追った、歴史書である。
「それ」とは、もちろん、江戸城無血開城を指す。最初の章をだいぶ使って、この偉業が達成されるまでの経緯を説明している。表では、西郷隆盛と会談しながら、その裏で英国大使パークスと会い、万一の折には、慶喜のイギリス逃亡の約束を取り付けていたなど、興味深い。
新政府が誕生し、旧幕臣らが駿府へ移住してからは、勝海舟は、無禄移住の約一万四千人もの人間を食べさせていくための算段をすることになる。新政府からは、外務大丞やら兵部大丞やらの役職を任命されるが、それを固辞し、ひたすら慶喜の謹慎解除を要請し続ける。慶喜の謹慎が解け、西郷が新政府に加わると、勝もようやく新政府の一員となる。が、新政府の面々とはうまくいかず、大した活躍もせずに退いている。
西南の役の後、西郷が逆賊として非難されていた時代にその墓を建てるなど、西郷に対する勝の思いの深さは心を打つ。
また、君主の助命や身の解放のためにあれだけ尽くしたにも関わらず、当の慶喜とはそりが合わず、何度も辛い思いをしたということをさんざん読まされた後、最後に和解の話が出てくるのはなんとも嬉しい。
福沢諭吉が勝を批判した「痩我慢の説」や、これに徳富蘇峰が猛反発したこと、坂口安吾が勝を探偵にして推理小説を書いていたこと(「明治開花安吾捕物帖」)など、知らないこともいろいろあっておもしろかった。(2010.11)


幕末史
半藤一利著(2008年) 新潮社
慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC、慶應義塾の社会人教育機関)において2008年に開催され た特別講座の内容をまとめた講義録。1853年のペリー来航から1877年の西南戦争、翌1878年の参謀本部創設までの幕末史が、話し言葉で書かれてい て、非常に読みやすい。
1930年東京生まれの筆者は、のっけから「反薩長史観」という捉え方を示すが、この一貫したスタンスが潔く、「維新」ではなく徳川家の「瓦解」という言 葉を用いた文豪の表現を好ましいとする。
個人的には、幕末には、歴史の授業よりも小説で興味を持った。ずっと生きていたということでまず「勝海舟」(子母沢寛著)を読んだが、勝海舟は幕臣だし途 中隠居したりするので薩長での細かい動きがよくわからない。で「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)を読むと、竜馬の言動ととともに薩長の動きはよく分かるが、 彼は大政奉還直後に死んでしまうので話もそこで終わってしまう。「燃えよ剣」(司馬遼太郎著)では新選組の土方の目線から戊辰戦争までが描かれたが、西南 戦争や新政府の内情についてはよくわからない。ということで、どれを読んでもどこかが抜けるし、1868年以降の新政府の内部事情についてはわからないと ころが多々あった。
この本は、ペリー来航時の幕府側の対応や四侯と呼ばれた松平春嶽、伊達宗城、山内容堂、島津久光についての説明や将軍になるまでとなってからの徳川慶喜の 言動など、私が読んだ小説ではあまり詳しく描かれていなかった空白の部分を埋め、維新後の新政府の込み入ってごたついた様子を丁寧に解説してくれているの で、なんとなくこんな感じかなあともやもやしていたものがすっと解きほどかれていくようで大変気持ちがよかった。(2009.4)


次郎長三国志
村上元三著(オール読み物で昭和27年6月号から23回連載。1983年文春文庫)
角川文庫(上下)
清水の次郎長(山本長五郎)が、個性豊かな乾分たちと出会い、喧嘩の仲裁をしたり、旅に出たりして、 親分としての貫禄をつけていく様子が描かれる。
次郎長の活躍を伝えるものとしては、歌人天田愚庵(一時期次郎長の養子となり、山本五郎と名乗った)著の「東海遊侠伝」と講釈師神田伯山による「清水次郎長伝」(後に浪曲 師二代目広沢虎三によっても知られる)があるそうだが、この小説のもとになっているのは前者の方。天田愚庵(五郎)と神田伯山は、本作品の最後に登場する。
話は、次郎長が故郷の清水で喧嘩をして旅に出て森の五郎親分のところに草鞋を脱いでいる時に、最初の乾分鬼吉と出会うところから始まる。清水に帰った次郎長は、兄弟分の江尻の熊五郎のところに居候をするが、そこに、鬼吉や関東綱五郎が押しかけてくる。やがて、次郎長に剣を教えた小川の武一の紹介で浪人の伊藤政五郎が次郎長を訪ねてくる。次郎長に惚れ込んだ彼は、武士の身分を捨てて次郎長一家に加わり、大政と呼ばれ、以後次郎長の片腕となる。次郎長は、熊五郎宅を出て、自分の家を構える。次郎長の叔父貴、和田島の太左衛門と甲州津向の文吉の庵原川の喧嘩を仲裁し、これによって次郎長の名は博徒の間に知られるようになる。
その後も、次から次へと乾分が加わり、同時に黒駒の勝蔵、赤鬼の金平、甲斐の祐典仙之助、猿屋の勘助、三馬政など敵対する陣営も定まってくる。
裸道中、初めての興行、お蝶を連れての凶状持ちの旅、甲州への殴り込み、石松代参、伊勢笠砥山の出入り(荒神山の喧嘩)などの名場面の顛末が語られる。
新しく登場する乾分の名前によって章立てされているのがいい。
ちなみに、その名は、順に、桶屋の鬼吉(吉五郎)、関東綱五郎、清水の大政、法院大五郎、増川の仙右衛門、相撲常、大野の鶴吉、森の石松、追分け三五郎、 投げ節お仲、三保の豚松、小川の勝五郎、森の八五郎、形ノ原斧八、小松村七五郎、七栗の初五郎、小松村お園、清水の小政、二代目お蝶、神戸の長吉、吉良の 仁吉、天田五郎、神田伯山。
乾分たちだけでなく、彼等に関わる女たち、次郎長の妻のお蝶、鬼吉と関東綱五郎が思いを寄せる料理屋寿々屋のお千ちゃん、女一人で賭場を渡り歩く投げ節お 仲、亭主を尻に敷く大野の鶴吉の妻おきん、亭主の借金を取り立てに来た博徒どもを槍で追い返す大女小松村のお園など、女性キャラクターも多彩で魅力的なの がうれしい。

<主なできごと>
1845年(次郎長26歳):甲州津向の文吉と和田島の太左衛門との喧嘩を庵原川で仲裁。
1847年:江尻大熊の妹お蝶(初代)と結婚。
1858年:祐典仙之助と江尻大熊の間に賭場をめぐる争いが起こり、甲府の隠居こと猿屋の勘助を斬る。凶状持ちの旅の途中、病に倒れたお蝶が名古屋の長兵衛宅で死去。
1859年(次郎長40歳):保下田の久六の裏切りで長兵衛が捕われ牢死。大政・石松等と金毘羅参拝後に久六を斬り、長兵衛の仇を討つ。
1860年:石松代参。参拝後、石松は都田の吉兵衛・常吉兄弟に惨殺される。
1861年:ふぐ騒動をえさに吉兵衛・常吉兄弟を清水に誘い込み、石松の仇を討つ。
1866年:伊勢笠砥山の出入り(荒神山の喧嘩)。桑名の穴太徳・黒駒の勝蔵対神戸の長吉・吉良の仁吉の喧嘩に清水次郎長一家が加勢。
映画化:次郎長三国志シリーズ(1952〜4年全9作・1963〜5年全4作、監督:マキノ雅弘)、「次郎長三国志」(2008年 監督:マキノ雅彦)

暁の旅人
吉村昭著 講談社 (2005年)
幕末の医師、松本良順の半生を追った作品。
良順は、実証的西洋医学を初めて身につけた日本人医師。医学塾順天堂を開設した松本良甫を養父に持つ。(実父は蘭方医佐藤泰然。)
25歳のとき、長崎に設置された海軍伝習所で、オランダ医官ポンぺに西洋医学を学ぶ。言葉の壁を乗り越え、意志疎通を図るまでに双方とも大変な努力を要し た。良順はの長崎滞在中に、ポンぺとともに当時日本ではほとんど行われなかった解剖の実施にこぎつけ、コレラ患者の治療にあたり、長崎に医学所を設立し、 遊女の検梅を行ったりした。
江戸に戻ってからは、幕府の奥医師となり、西洋医学所の頭取を務めたが、戊申戦争後、会津へ赴き、会津藩の負傷兵の治療にあたる。その後、榎本武揚に蝦夷 行きを誘われるが、土方歳三は引き返すよう勧める。あなたはこれからの日本に必要な存在だと説く土方の言葉に感銘を受けた良順はイタリア商人の船で横浜に 戻り、そこで逮捕される。服役後は初代陸軍医総監となって軍医学の進歩に貢献する。
作品は、長崎伝習所で医学にいそしむ様子と会津へ向かったときの様子を中心に、養父、実父、妻登喜、妾なほ、二人の息子など家族との関わりや、新選組の近 藤勇や土方との交流を交えてたんたんと描いている。
下母澤寛の「勝海舟」に登場した良順は、型破りな幕臣勝海舟をも時として唖然とさせる、豪快で頼りになる医者だった。そのイメージがかなり強く、いつ勝と 会うのかとけっこう楽しみに読み進んでいたが、本作では、良順は咸臨丸に乗船せず、勝とも出会わない。どこからが下母澤の創作なのかわからない(勉強不 足)が、勝との交友が皆無なのは残念。(2005.8)

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