みちのわくわくページ

○ 日本映画(2008年)

20世紀少年 第2章最後の希望、 20世紀少年、 K−20 怪人二十面相・伝、 容疑者Xの献身、 次郎長三国志、 おろち、 崖の上のポニョ、 ザ・マジックアワー、 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS、 少林少女、 L change the WorLd、 おくりびと

K−20 怪人二十面相・伝
2008年 ロボット・日本テレビ(公開東宝) 137分
脚本・監督:佐藤嗣麻子
アクション監督:横山誠、小池達朗
ガンエフェクト:ビル・横山
原作:北村想「怪人二十面相・伝」
出演:遠藤平吉(金城武)、羽柴葉子(松たか子)、明智小五郎(仲村トオル)、源治(國村隼)、菊子(高島礼子)、小林芳雄(本郷奏多)、浪越警部(益岡徹)、しんすけ(今井悠貴)、カストリ雑誌編集者(鹿賀丈史)、羽柴(大滝秀治)、南部先生(小日向文世)、仕立屋(嶋田久作)、囚人(松重豊)
第二次世界大戦を回避した1949年の日本の帝都。華族が富を貪る極端な格差社会では、多くの庶民が貧困に苦しんでいた。そんな中、怪人二十面相と呼ばれる怪盗が暗躍。華族からのみ金品を奪う彼を、男爵の私立探偵明智小五郎が追っていた。
サーカス一座の曲芸師平吉は、二十面相の罠に嵌められ、無実の罪で逮捕される。彼は、仲間のからくり師源治らの助けで脱走し、汚名をはらすべく、怪人二十面相に立ち向かう。
レトロなビルや塔が立ち並ぶ町の中を、平吉役の金城武が走って跳んで落下してまた跳んで走る。源治特製ワイヤーを駆使して建物から建物へ飛び移る様は、 バットマンかスパイダーマンのようで、見ていて気持ちがいい。
金城は中国語をしゃべっている時の方が好きだったのだが、今回は日本語でもかっこいい。なかなか「ありがとう」と言わないのもいい。インド人に変装してみせるところはあまりにもターバンがよく似合っていて笑ってしまった。闊達なお嬢さんぶりを見せる松たか子も、からくり師の源治と詐欺師の菊子の犯罪者夫婦 もいい。仲村トオルは、気障な探偵役と平吉が変装している明智という設定の際のギャップがおかしい。
アクション満載で、適度にユーモアがあって、楽しい映画だ。
ただ、最後の二十面相の正体については、原作通りなのかどうかわからないが、あの展開で盛り上がるかというと画面を見ている限りではあまりそうならなかっ た。二十面相と明智と平吉の三者が対立する前半の方がわくわくした。小林少年もこれといった見せ場がなくてちょっと可哀相な気がした。(2009.1)


容疑者Xの献身
2008年 公開:東宝 128分
監督:西谷弘
原作:東野圭吾「容疑者Xの献身」
出演:湯川学(福山雅治)、内海薫(柴咲コウ)、石神哲哉(堤真一)、花岡靖子(松雪泰子)、花岡美里(金澤美穂)、工藤邦明(ダンカン)、富樫慎二(長塚圭史)、草薙俊平(北村一輝)、葛城修二郎(益岡徹)、柿本純一(林泰文)、栗林宏美(渡辺いっけい)、弓削志郎(品川祐)、城ノ内桜子(真矢みき)、 湯川の助手たち(林剛史、葵、福井博章、高山都、伊藤隆大)
物理学者湯川学が犯罪の謎を解き明かしていく東野圭吾作のガリレオ・シリーズをテレビドラマ化した 「ガリレオ」をさらに映画化。原作は、シリーズ初長編で直木賞を受賞した人間ドラマ・ミステリー。テレビドラマで主役をつとめる湯川と内海は今回は脇に回った感じになっているが、それはそれで悪くはない。
(以下多少のネタばれあり)
花岡靖子は、以前錦糸町のクラブでホステスをしていたが、今は隅田川に架かる新大橋の近くで弁当屋を営み、中学生の娘美里と慎ましくも幸せな生活を送っていた。が、彼女らが住むアパートに離婚した夫富樫が姿を現す。職にあぶれ落ちぶれた富樫の執拗で暴力的な態度に耐えきれず、靖子と美里は富樫を殺害してし まう。二人の隣には、高校の数学教師石神が住んでいた。石神は、壁越しに聞こえる物音から事態を察し、かねてから好意を抱いていた二人に協力を申し出る。
石神は、靖子母娘が警察の追及を逃れるための綿密な計画を立てる。死体を処理し、警察官がやってきたときの対応法を考える。一方、湯川は、事件の捜査を行う内海刑事から旧友石神の話を聞いて彼と再会するが、徐々に事件の真相に気づいていく。石神と湯川、優秀な二人によって展開される頭脳戦が大きなみどころとなっている。
希有な才能を持ちながらしがない高校教師をしている不遇の数学者石神を堤真一が好演している。アリバイの証拠の出し方について母娘に細かい指示を出したり、湯川と思わせぶりな会話を交わしたり、話は石神を中心に、スリリングに進んでいく。彼がストーカーまがいの行動をするあたりは、実に微妙でいい。
そして、明かされる意外な真実と、石神の「想定外」の展開。ラストの彼の悲痛な叫びには、観ている側も胸を痛めずにはいられない。
ということで、堤の好演はうれしいのだが、私としては、釈然としない点がいくつか残る。

(以下大きなネタばれあり)
一つは、原作でもそうなのだが、この話が他のガリレオシリーズの作品のように、物理学者湯川の専門知識を特に必要としていない点である。彼が本領を発揮するのは冒頭の、本筋とは関係ない大がかりな実験シーンのみである(そういう意味では、このイントロはロジャー・ムーア が主演だったころの007シリーズ(「007/ムーンレイカー」など)を思い出させる)。
石神にしても、人の思い込みを利用したとんでもないトリックを用いるのだが、それが特に数学的な発想とは思えない。
つまり、今回の謎解き合戦については、頭のいい人間が二人いればいいのであって、あえて天才数学者VS天才物理学者である必要性は感じられないのだ。
そしてもう一つ。これは、それこそ私の勝手な思い込みなのだろうが、しかし、どうしても石神があのような手段をとる人間には思えない。原作小説の石神のイ メージは、もっと強気で幾分高慢で感情より理性を優先させる冷酷な部分が感じられる人物なので、彼ならああいうことをするかも知れないと思えなくはない。 しかし、映画で堤が演じた石神はそうではない。緻密な思考回路を持ってはいるが、気弱そうで、冷酷な感じはなく、そして、すでに証明済みの理論について 「あのやり方は美しくない。」と切り捨ててもっとシンプルで美しいやり方を追究するような人間である(原作でも同じような話は出てくるが、原作の石神は 「美しくない」という言葉を直接口にしてはいない)。その石神が、あのような手段をとるだろうか。たしかにストーカーのくだりなどちょっと危ない雰囲気も あるし、自分のこだわりなど捨て去ってしまうほど靖子を思う気持ちが強かったのだと言われればそれまでだが、しかし、あのような「美しくない」やり方を彼がとることは「ありえない」ように思えてしまうのだ。
(以下は私の妄想です。)ひょっとしてあの結末も実は彼の想定内の結果、石神は本当はあんなことはしていなくて、河原で見つかった最初の死体はやっぱり富樫だったのかもしれない、石神が想定する最悪に近い事態というのはいくつか段階があって、自分がストーカーを名乗って犯人に成り代わるのは最悪に近い第一の段階、そして、靖子が罪の意識に耐えきれなくなって全てを告白し結局石神と二人揃って殺人者となる、これはさらにより最悪に近い次の段階ということだっ たんじゃないか。で、そうなると、最後の最後に引き上げられた死体は誰だったのか。あのホームレスだとすると、彼を殺してはいない(とすれば)石神はその死とどう関わったのか。そして、なぜ富樫の死体は死亡時刻が1日遅く判断されたのかという謎が再び浮上してしまう。なんとかしてこの謎を、できれば数学か物理学の知識を駆使して解きたいのだが、どうにかならないものだろうか。などと勝手に思いめぐらせたくなるくらい、釈然としないのだった。 (2008.10)

このひと言(No.37):「難しくはありません。ただ、思いこみによる盲点をついてい るだけです。たとえば幾何の問題に見せかけて、じつは関数の問題であるとか。」

次郎長三国志
2008年 角川映画 126分
監督:マキノ雅彦(津川雅彦)
原作:村上元三「次郎長三国志
出演:清水次郎長(中井貴一)、お蝶(鈴木京香)、桶屋の鬼吉(近藤芳 正)、関東綱五郎(山中聡)、大政(岸部一徳)、法印大五郎(笹野高史)、森の石松(温水洋一)、小政/追分政五郎(北村一輝)、大野の鶴吉(木下ほう か)、沼津の佐太郎(大友康平)、
投げ節お仲(高岡早紀)、おきん(真由子)、お千(前田亜季)、お園(木村佳乃)、おしま(ともさかりえ)、おきつ(いしのようこ)、おぬい(とよた真帆)、
猿屋の勘助(寺田農)、甲斐の祐典仙之助(高知東生)、赤鬼の金平(蛍雪次朗)、保下田の久六(蛭子能収)、お駒(荻野目慶子)、三馬政(竹内力)、黒駒の勝蔵(佐藤浩市)、
江尻の大熊(春日純一)、小川の武一(西岡徳馬)、津向の文吉(本田博太郎)、大前田の英五郎(勝野洋)、今天狗の治助(六平直政)、和田島の太左衛門(竹脇無我)、その妻(朝岡雪路)、花会の親分(梅津栄)、鬼吉の母(草村礼子)、鬼吉の父(長門裕之)
マキノ雅弘監督が二度に渡って手がけた「次郎長三国志」シリーズを甥の津川雅彦がマキノ雅彦名義でリメイク。
1952〜4年の小堀明主演のシリーズは9本、1963〜5年の鶴田浩二主演のシリーズは4本あり、原作は文庫で上下2巻。無名だった次郎長が、個性豊かな乾分たちと出会い、喧嘩の仲裁や旅をして売り出し、徐々に親分としての貫禄を身につけていく様子が描かれている。それを2時間ちょっとで描こうという意欲作。
映画は、次郎長がお蝶と祝言を上げるところから始まる。乾分たちに祝福されての祝言だったが、捕り方に追われ、新妻を残して旅発つことに。
次郎長はすでに清水に一家を構え、親分としての貫禄もついてきている。売り出すきっかけとなった庵原川の喧嘩の仲裁や、森の石松との出会いは、回想シーンで登場する。
旅から戻った次郎長は、相撲大会と花会という初めての興行を成功させる。が、もめ事から凶状持ちとなり、またしても乾分たちと旅に出るはめになる。今度はお蝶も旅の一行に加わるが、道中のきつさに耐えきれず途中で倒れてしまう。
お蝶との別れに続き、クライマックスでは、裏切り者久六宅への殴り込みと、法院と石松の宿敵三馬政との闘いが描かれる。津軽三味線の豪快な音色をバックに、股旅姿で勢揃いした次郎長一家の道行きは、カラフルで美しい。
中井貴一の次郎長はじめ、配役は悪くない。適度にユーモアを効かせ、男を見せるところは見せて、泣かせるところはたっぷり泣かせて、飽きさせない。
原作では、赤平のところから力士を連れて逃げてくるのは追分の三五郎、密偵が得意なのは森の八五郎、石松の通訳をするのは大野の鶴吉、で、小政こと浜松の政五郎は、人付き合いの苦手な剣客 ということになっているが、本作では、これらの役回りを全て小政が引き受け、追分けの政五郎と名前も変えてある。この小政を、北村一輝が、女好きのする食えない男前に演じて、危ない雰囲気を漂わせる。
が、全体的に、活きの良さということでは物足りなかった。こいつ、めちゃくちゃやりよるとあきれかえるようなやつは出てこない。マキノ雅弘監督による最初のシリーズの田崎潤のイメージが強すぎるのかも知れないが、桶屋の鬼吉には棺桶を担いでほしかった。中井の次郎長はかなりいいが、いざとなったら何をするかわからないといった危険な感じはあまりなく、お蝶とのやりとりはひたすら甘い。お園は、原作では豪快な大女なのだが、ここでは夫の無事を祈る普通の美人妻になっている(原作では佐太郎ではなく、小松村七五郎の妻)。
女たちのシーンは総じて時間を十分に使って丁寧に描かれている。女性客へのサービスなのかも知れないが、個人的には、次郎長と言えば博打と喧嘩。次郎長の乾分はいざとなったらこんなに強いというところをもっとたくさん見てすかっとしたかったし、旅人が草鞋を脱ぐときの軒下の仁義や賭場で行われる博打の様子なども、久しぶりなので、もっとじっくり見たかったと思う。(2008.10)


おろち
2008年 「おろち」制作委員会 公開東映 107分
監督:鶴田法男
脚本:高橋洋
原作:楳図かずお「おろち」(1969〜70年に少年サンデーに連載)
出演:おろち/佳子(谷村美月)、門前葵/一草(木村佳乃)、門前理沙(中越典子)、大西弘(山本太郎)、西条(嶋田久作)
*ネタバレあります*
29歳になると顔や手足に鱗状のものができ、やがて醜く崩れていくという呪われた家系にある門前家の姉妹と、彼女たちを見守る謎の存在、おろち。登場人物 は主にこの3人の美女と脇役の男二人、舞台はほとんどが門前家の屋敷の中である。
時は昭和。話は、有名女優である門前葵(木村佳乃)が29歳の年に始まる。葵には、一草(かずさ)と理沙という二人の幼い娘がいた。嵐の夜、門前家に入り込んだおろちは、二人の姉妹と、 「変化」の兆候が現れ始めた葵の様子を見守るが、突然の睡魔に襲われ、門前家を後にする。
再び彼女が目覚めたのは、それから20年後、佳子という自分と瓜二つの少女の中で意識を取り戻す。佳子は、流しの夫婦に拾われ、盛り場で歌を歌わされて日々を過ごしている不幸な少女だった が(佳子が居酒屋で「新宿烏」という歌を歌うところはいい)、ある目的のため、理沙がお手伝いとして門前家に引き取ったのだった。佳子/おろちは、 母親の葵と瓜二つに成長しやはり女優となった一草が、29歳を迎える恐怖に怯え病んでいく様子を目にする。精神の均衡を崩しつつある一草は妹の理沙を虐待するが、理沙はそんな姉の仕打ちに耐え、献身的につくすのだった。

冒頭、嵐の夜にふいに現れ、「私はおろち。」ときっぱりと名乗る少女。原作を読んでいない私は、話に聞いてはいたものの、それでも「誰。」と思ってしまった。
このおろちの正体は謎のまま。彼女の目を通して描かれる母親と姉妹の話は強烈すぎて、いつのまにかおろちのことを忘れてしまう。佳子/おろちになってからは、なぜおろちが佳子なのかわからないまま話が進み、佳子がのぞき見る門前家というシチュエーションもまた姉妹の話の強烈さにすぐ片隅に追いやられてしまう。やがておろちはおろちとして門前家に現れるが、話の途中で去ってしまうので、彼女はなんなんだという謎はやっぱり残る。赤いコートに黒いブーツというコスチュームが放つ存在感は、おろちが人間ではない何者かであることをあまり感じさせず、確実にそこに在る者でしかもさほどすごいことはできそうにない、ほんとに見守るだけなんだなということを伝えてくる。(それはそれで悪くはないと思ったが。)
で、姉妹の壮絶なやりとりは、おろちとはあまり関係なくエスカレートしていく。
血液交換のシーン。一瞬わからないのだが、すぐに無茶苦茶なことをやってると気づく。「こ、この反応は!?」とあわてふためく西条。医者なら血液型くらい事前にしっかりチェックしろよと突っ込みたくな る、ナイスなぼけぶりだ。
自らを傷つける女。とんでもない秘密を暴露する女。腹を抱えて笑うという仕草をとても久しぶりに見た気がする。ここはとても怖いが、同時にとても痛快だ。特に恨みがあるわけではないのに彼女とともにしてやったりと思う自分の中の心の闇に気づいて愕然としつつも、それでもやっぱり痛快なものは痛快なのだった。
原作では18歳だった運命の年齢を29歳まで引き上げたのは時代に合っているように思えるが、ともにそれぞれの時代において一般に(あるいは世の男性から)考えられている女性の美しさの ピークを表しているのだろうかと思うとちょっと複雑な気持ちになる。美への執着は、今も昔も変わらないのかもしれないが、中でも女優という身上を選んだのはさすがで、何度も繰り返し映写される白黒フィルムの映像は、かたかたという映写音とともに強く印象に残る。(2008.10)


崖の上のポニョ
2008年 スタジオジブリほか 公開東宝  101分
原作・脚本・監督:宮崎駿
音楽:久石譲
歌:「崖の上のポニョ」藤岡藤巻と大橋のぞみ
出演(声):ポニョ(奈良柚莉愛)、宗介(土井洋輝)、リサ(山口智子)、フジモト(所ジョージ)、グランマンマーレ(天海祐希)、耕一(長嶋一茂)
海に住む魚の子ポニョが、海辺の町の崖の上の家に住む5歳の人間の男の子宗介に会いに行くお話。
ポニョは、魚の子といっても、正確には、海の女神グランマンマーレと、人間界に愛想がつきて、どんな手段を使ったかは知らないが、とにかく苦労の末海に住む魔法使いとなった元人間の男フジモトとの間にできた子ども。
もともと魔法の能力を持つポニョは、フジモトが収集していた海の水の力を得ることで、パワーアップする。ポニョは、宗介に会うため、人間となって地上に向かうが、その際大嵐を巻き起こ し、おそらく潮流の関係かなんかで月を地球に大接近させ、あわや世界の危機という事態まで招いてしまう。フジモトはそれを食い止めるため奮闘するが力及ばず、結局は海の女神の登場となる。
まず、予告編を見てポニョのあまりのぶりっこさに引いてしまった。さらにテレビスポットではかなり重要そうなシーンが惜しげもなく流されているし、メイキング番組などもあって事前にだいぶ知識が入って、大体どんな映画か想像がついてしまったように思った。たあいない話なのだろうなとたかをくくっていたのだが、思った以上に見応えのあるもの だった。
嵐の場面がとにかくすごい。魚の形をとって沿岸に押し寄せる波の豪快さに圧倒される。宗介とリサの乗った小型カーと生きているようにうねる巨大な波とのチェイスが、十分な時間をかけてたっ ぷり描かれる。暗い嵐の中で、波の間に見え隠れする真っ赤なコスチュームをまとったポニョの姿。テレビスポットで既に見かけたことのあるシーンだが、それでもここは感動的だ。というか、わたしにとって一番盛り上がったのはここだった。
一貫して周囲の状況には全く無頓着に、自分の欲望のままに無邪気にふるまうポニョ。が、それを取り巻くもろもろのものを目にした大人は、屈託せずにはいられない。
フジモトが水の底に設けた避難所で身体の自由を取り戻してはしゃぐ老婆たちや、大災害の後、海の底に沈んだ町を眼下に船で往来する町の住人たちの陽気さには、一種異様なものを感じる。船の墓場と巨大な月のイメージも不吉だ。グランマンマーレがポニョに示す母性は揺るぎなく頼もしいが、女神なだけに相当大ざっぱで、これに比べると、エキセントリックな中年男フジモトは、娘から嫌われてはいるが、その愛情は小規模で不器用で憎めない。そしてリサという若い母親の存在。作者は彼女に好感を抱いているのか、それとも実はめちゃめちゃ悪意を持って描いているのか、実に微妙だ。
宮崎駿監督作品となれば、もはや、子どもの付き添いでしかたなく見にいったらこれがおもしろくて、というような出会いはほぼ望めないだろう。5歳の子どものために作ったと言われようとも、子どもとともに行く保護者も、単独で見に行くファンの大人もそれなりのものを期待しているはずだ。で、その結果、大人たちからは、話がきちんとしていないという批判が多く見られるようだ。が、ここで想像力を働かせるべきではないだろうか。子どもはよろこび、大人は大人の捉え方でああだこうだと雑念をめぐら せる。そのようにできている映画だと思う。 (2008.9)


ザ・マジックアワー The Magic Hour
2008年 日本 136分
監督・脚本:三谷幸喜
出演:村田大樹(佐藤浩市)、備後登(妻夫木聡)、高千穂マリ(深津絵里)、
鹿間夏子(綾瀬はるか)、鹿間隆(伊吹吾郎)、マダム蘭子(戸田恵子)、長谷川謙十郎(小日向文世)、天塩幸之助(西田敏行)、黒川裕美(寺島進)、太田 垣直角(甲本雅裕)、菅原虎真・会計係(市村萬次郎)、江洞潤(香川照之)、今野貴之介(近藤芳正)
清水医師(浅野和之)、高瀬允(柳澤愼一)
西さん・特撮部(梶原善)、野島・スモーク係(阿南健治)、なべさん・弾着名人(榎木兵衛)、バンビ(堀部圭亮)、ぐちる男(山本耕史)、カメ(市川亀治 郎)、監督(市川昆)、磐田とおる(中井貴一)、ゆべし(唐沢寿明)、ニコ(谷原章介)、小夜子(鈴木京香)、ワンチャイ・バンダラビカル(寺脇康文)、 喪服の女(天海祐希)
ギャングが牛耳る守加護(しゅかご)の街。ボス天塩の愛人マリに手を出したナイトクラブの支配人備後は、幻の殺し屋「デラ富樫」を連れてくることを条件に死の制裁から逃れる。
デラ富樫は、誰も顔を見たことのない凄腕の殺し屋。備後は、5日間という期限内で彼を見つけることは不可能と悟り、売れないアクション俳優村田大樹にありもしないギャング映画への出演話を持ちかけて、彼をデラ富樫に仕立てようとする。
多少の不信感を抱きつつも、備後に言われるままにギャングの衣装を身にまとい、アドリブの台詞で殺し屋になりきる村田。知らぬが仏とばかりに、本物のギャング相手にゴム製の拳銃でにら みをきかせ、港の銃撃戦では実弾の飛び交う中、喜々としてヒーローを演じる。佐藤浩市ファンにはうれしいシーンが目白押しだ。
彼の他にも、妻夫木、寺島、伊吹、小日向、戸田、西田らが好演、映画を裏で支えるスタッフの面々のイキイキとした職人ぶりは気持ちよく、そこかしこにちょっとだけ登場する俳優たちの顔ぶれはゴージャスだ。挿入される「昔」の映画(「カサブランカ」あるいは「夜霧よ今夜もありがとう」風)や市川昆監督の撮影現場(「黒い十人の女」風)も楽しい。
書き割りをバックに語られる「マジック・アワー」のうんちくや、「役者は揃った。」「カットと言っていいのはこの人だけだ!」といった台詞や、伊吹吾郎が叫ぶ「撤収!」などは、絶妙この上ない。
が、それらはあくまで細部だ。物語全体を支える基盤は、ゆるい感じがする。三谷幸喜脚本とくれば、緻密でしっかりした骨組みを期待してしまうが、今回は、あま り突き詰めていないように思える。
美しいセットの中で繰り広げられる映画の中のような話(で実際も映画)。だからといって、あいまいなまま進めていいということにはならないだろう。セットの街を「映画の中の街みたい。」と綾瀬に言わせ、村田を騙す上でどう考えても無理のある設定については「だまし通せるわけないじゃない。」と何回も深津に言わせ、挿入映画についても「ひどい映画。」と深津に批判させる。観客の先手を取るようなこれらの台詞は、しかしユーモアというよりは、言い訳じみていて潔くないとわたしは思っ た。
ということで、気の利いた細部はたしかに愉快でわくわくするのだが、それぞれが断片に留まり、たとえばジグゾーパズルのピースのように、ひとつひとつが全体の絵の中での役割を果たしてきっちり噛み合う、といった具合にはなっていないので、そうしたことから来る恍惚感は得られなかった。何度となく笑い転げながらも、三谷なだけに、 あえてそう言いたくなるのだった。(2008.6)


隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS
2008年 118分 
監督:樋口真嗣
脚色:中島かずき オリジナル脚本:黒澤明、菊島隆三、小国英雄、橋本忍
出演:武蔵(松本潤)、雪姫(長澤まさみ)、真壁六郎太(三船敏郎)、新八(宮川大輔)、、鷹山刑部(椎名桔平)、長倉和泉(国村隼)、本庄久之進(高島 政宏)、佐川出兵衛(甲本雅裕)、宿場襲撃隊隊長(上川隆也)、刑部付侍(KREVA)、軍資金堀の侍(ピエール瀧)、みつ(黒瀬真奈美)、人買い(古田 新太)、博打打ち(生瀬勝久)
1958年の黒澤明監督による同タイトル作品のリメイク。
オリジナルもそうだが、主な登場人物は、侍とお姫様と二人の平民で、「三悪人」は出てこない。隠し砦は最初の方にちょっとだけ出てくる。あまりにかっこいいタイトルなので、内容と違っちゃっても採用することにしたのかと勝手に思ったりする。
しかし今回のリメイクには、THE LAST PRINCESSという英語の副題がつけられ、しかも「ロード・オブ・ザ・リング」や「ナルニア国物語」風のしゃれたロゴが用いられているので、オリジナルとはだいぶ違った、カラフルな無国籍SFファンタジーになっているかもしれないと思ったのだが、軽快な時代劇娯楽アクションとして飽きずに楽しめた。

筋立てはオリジナルのものをそのまま用い、台詞もあちこちに残っている。
秋月、山名、早川の三国が並ぶ戦国時代。山名が秋月を急襲して城を落とす。秋月の世継ぎである雪姫は隠し砦に身を隠す。武将真壁六郎太は、金百貫の軍資金とともに姫を連れて同盟国である早川に逃れようとする。金のことをかぎつけた二人の平民、金堀り師の武蔵(たけぞう)と木こりの新八が金の運び手として一行に引き入れられる。敵国の山名に入り、早川に抜ける四人の脱出行が描かれる。火祭りが出てくるところも、火祭りで歌われる歌もオリジナルと同じだ。
クライマックス、建設中の山名の砦で繰り広げられる姫の救出劇がだいぶ違っているが、オリジナルの農民とは大きく変わった武蔵の役回りを考えれば普通に想像できる 展開である。それは、今リメイクされたらこうなるだろうという改変であって、特に目新しいものではない。
むしろ、今わたしたちがオリジナルを目にすると、その徹底した身分制度のありようというか、階級社会における農民兵の扱いに違和感を覚えるのではないだろうか。侍や姫君など身分の高い者たちと「下賤な」民たちのあいだには歴然とした隔たりがある。
農民二人組はほとんど人間扱いされず、笑いを誘いはするが、活躍はしない。彼らをモデルにしたと言われる「スター・ウォーズ」のロボット二人組の方がよほど気がきいているし、みんなの役に立っている。
つまり、オリジナルで二人の農民を演じた千秋実と藤原釜足は素晴らしく、見ていて愉快この上ないが、しかし、下賤な者はあくまで下賤な者として描かれることに、ちょっと慣れない部分があった。わたしは、憎めないキャラが出てくれば、いつこいつが活躍するだろうと期待する。本作における新八のように、金に目がくらんでいるけちな奴でも、いざとなれば石つぶてを持って助けにかけつける。お約束とわかっていても、そうした展開に爽快感を覚え、ほっとする。
ぎょろりとした目でにらみをきかす阿部の六郎太も、松潤演じる向こうっ気の強い若者武蔵も、悪くない。松潤が、六郎太に託された小柄に気づいて心を決めるところなど、ふつうにいいと思う。が、六郎太と武蔵には、雪姫を巡ってもっとぶつかりあってほしかった気がする。せっかく 身分の低い者が高い者と張り合っていいとこをみせるのなら、思わずにんまりするような身分を超えた男と男の認め合いが見たかったし、姫との身分違いの恋ももう少しぎく しゃくと展開してほしかったように思う。
男装の雪姫を演じる長澤まさみはなかなかりりしく、椎名桔平は悪役のダースベイダー侍がよくはまっていた。建設中の砦で協力する武蔵の坑夫仲間たちもよかった。
ただし、「うらぎりごめん」は、わたしはだめだった。オリジナルを見ていると、二度に渡るこの台詞の使い方にはがくがくとならざるを得ない。オリジナルの「裏切り御免!」が、侍の豪快な捨て台詞だったのに対し、こっちのは敢えて字で表せば「うら切り・・・ゴメン。」てな感じだろうか。青春ドラマにおいて男子と女子が交わすような切なくもちょっとこそばゆい会話の一部となっている(このひと言:No.35)。太平と又七は武蔵と新八に、田所兵衛は鷹山刑部に、といったように役回りが大きく違った人物についてはわざわざ役名を変えた制作者側の配慮を思えば、この台詞もいろいろ考えたあげくにこうなったんだろ うが、でもやっぱ、わたしは、ちょっと待ったと思った。(2008,5)

関連作品:「隠し砦の三悪人」(1958年)

少林少女
2008年 「少林少女」制作委員会 107分
監督:本広克行
アクション監督:野口彰宏
エグゼクティブプロデューサー:チャウ・シンチー
出演:桜沢凛(柴咲コウ)、大場雄一郎(仲村トオル)、ミンミン(キティ・チャン)、ティン(ティン・カイマン)、ラム(ラム・ジーチョン)、田村龍司 (岡村隆史)、岩井拳児(江口洋介)
中国の少林拳武術学校で三千日の修行を終えた桜沢凛は、日本に少林拳を広めるという夢を持って帰国する。が、凛の修行中に死んだ祖父の道場は廃墟と化していた。かつての師匠岩井は中華料理屋の主人となり、少林拳には興味を示さなかった。途方にくれた凛を、中華料理店で働くミンミンが、自分の所属する大学のラクロス部に誘う。凛は、ラクロスをやりながら、部のメンバーに少林拳を教えることを思いたつ。
ラクロス部がある国際星館大学は、スポーツに力をいれているマンモス大学だった。が、学長の大場雄一郎には裏の顔があり、彼は凛の道場の閉鎖にも関わっていたのだった。
主演の柴咲コウがいい。元気があってきりっとしていて、ポニーテールがよく似合う。少林拳の動きも見ていて気持ちがいい。
中国娘のミンミンを演じたキティ・チャンと中華料理屋店員(実はカンフーを広めるために日本に来ている)の二人組ティン(めがねの方)とラム(太った方)もいい。日本人では、教務課事務員 (実はカンフーの達人)の岡村が笑いとカンフーでみせてくれる(映画館で私の隣に座っていた小学生の男の子は、岡村が出てくるたんびに笑い転げていてかわ いかった)。ラクロス部部員の女の子たちも華やかでにぎやかでよかった。
最強悪を目指す巨大スポーツ大学の学長と、少林拳を日本に広めたい達人の美少女、ラクロスを知らないまま大学側の方針で部に編入させられた女の子たち。こうしたとりとめのなさとかみあわな さが、パワーにまで昇華してほしかったところだ。が、チャウ・シンチーの映画「少林サッカー」や「カンフー・ ハッッスル」に見られるような大陸的なみもふたもなさはやろうとして得られるものではなく、本広監督作品の場合、洗練されてる分だけそれぞれの要素が上滑りしてしまった気がする。仲村トオルももっとすごい悪役になれたんじゃないかと思えて惜しい。(2008.5)


L change the WorLd
日本テレビ 2008年 128分
監督:中田秀夫
原作:大場つぐみ、小畑健
出演:L(松山ケンイチ)、久條希美子(工藤夕貴)、二階堂真希(福田麻由子)、駿河秀明(南原清隆)、松戸浩一(平泉成)、BOY(福田響士)、三沢初 音(佐藤めぐみ)、ワタリ(藤村俊二)、的場(高嶋政伸)、二階堂公彦(鶴見辰吾)、タクシーの運転手(田中要二)
「デスノート」で一躍人気者になった松山ケンイチ演じるLが、世界的規模のウィルス・テロの阻止に挑むスピン・オフもの。
常にパソコンの前に座り、画面を見ながら指示を出していたLが、自ら行動に出てアクションを披露。さらに残された時間が限られているということで、Lのファンにとってはみどころ満載の一遍となっている。
事件は、キラこと夜神月との戦いに決着が着いた直後に発生。Lは、休む間もなく新たなる世界の危機を知ることになる。
地球の環境を守るため、人類削減を図る環境保護テロ・グループが、強力なウィルスを世界各地にばらまこうとしていた。このウィルスは、インフルエンザのウィルスと凶悪さで知られるエボラ菌を掛け合わせてできた最強のウィルス。 感染者は、全身から出血して苦しみながら絶命するというおそろしい生物兵器である。
ウィルスの実験場所となったタイ奥地の山村で唯一生き残った少年は、「F」によって、ワタリのもとに届けられる。死亡したワタリにかわって少年を引き取ったLのところには、さらに細菌研究学者二階堂の娘真希が父に託された謎のカ プセルを持ってやってくる。Lは、抗ウィルス剤を手に入れるため、少年と真希を連れ、追っ手を交わしながら二階堂の友人である教授のもとに向かう。
テログループの一員となる細菌学者九條を演じる工藤夕貴がいい。彼女は、Lとはかねてよりの知り合いであり、Lの苦手分野も知っている。真希を演じる福田麻由子はきりっとしていてかわいい。また、テレビドラマ「池上署」などですっかりいい人のイメージが定着した高嶋政伸が悪役の実業家を演じているのだが、灰色ににごった片目がなかなか似合っている。
が、やはりここはLの独壇場である。ぼさぼさの髪に青白い顔、目の下にはくまをつくり、袖が長い白いTシャツにGパンに裸足、串刺しにした菓子をほおばり、両膝を立ててパソコンの前に座る。なのに天才的な頭脳を持ち、世界的な犯罪をことごとく解決に導く。Lの特異なキャラクターは、あいかわらず不思議な魅力を放つ。
敬語を用い妙なところで言葉を切る独特の喋り方や、ものを下げて持つ幽霊のような手の形でキーボードを打つ仕草などに、おめおめと魅力を感じてしまうのは、どういうことなのだろうか。
原作漫画では、Lはテニスをしたり、夜神月と殴り合いの喧嘩をしたりなどアスリートの一面を見せるのだが、映画のLは、ほとんどそうした面を持たず、九條に言わせれば「とっても苦手」ということになっている。それだけに、猫背で 手をぶらぶらさせて走り、テログループと真希の乗った飛行機を追うLの姿に、あっさり感動させられてしまうのだった。(2008.2)

おまけ:「デスノート」でバスの運転手を演じていたボバこと田中要二が、なぜかタクシーの運転手となって登場。消息筋によれば、「デスノート」でのバスジャック事件のことをあまりにあちこちに吹聴しすぎたために上司に嫌われて解雇され、タクシーに転職したという裏ストーリーが存在するらしい。
このひと言(No.33):「やはり苦手分野のようです。」
関連作品:映画「デスノート」 「デスノート the Last name
漫画「DEATH NOTE デスノート」(大場つぐみ/小畑健)、小説「ロサンゼルスBB連続殺人事件」(西尾維新)

おくりびと
2008年 日本(松竹) 130分
監督:滝田洋二郎
出演:小林大悟(本木雅弘)、小林美香(広末涼子)、佐々木生栄(山崎努)、上村百合子(余貴美子)、山下ツヤ子(吉行和子)、平田正吉(笹野高史)、山下(杉本哲太)、大悟の父(峰岸徹)、遺族・死者の夫(山田辰夫)
大きな話題になり、知人からもいい映画だから見なさいと勧められていたのだが、死者を扱う職業の話ということで、なかなか見る気になれないでいた。テレビ放映したのを録画してやっと見た。
プロのチェロ奏者をやめて妻とともに故郷の山形に帰ってきた大悟は、新聞の求人広告を見て新しい会社に就職するが、そこでの仕事は、遺体を清めて棺に納めるというかなり特殊なものだった。
事前に情報が入りすぎていたので、こんな感じの映画かなと想像していたのだが、ほぼその通りのものであった。もっくんはとてもよかったし、作り手の心遣いが隅々まで行き届いた丁寧なつくりの作品だったと思う。
個人的には、父が亡くなった後に見てよかったと思った。死者が以前よりだいぶ身近に感じられていたからで、この映画はそのような気持ちで見るとより感動的なのではないか。(2010.6)

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