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○本 ゲド戦記(アーシュラ・ル・グィン)

<原本出版年順>
影との戦い ゲド戦記T、 こわれた腕環 ゲド戦記U、 さいはての島へ ゲド戦記V、 帰還 ゲド戦記最後の書、 ゲド戦記外伝、 アースシーの風 ゲド戦記X

影との戦い ゲド戦記T A Wizard of Earthsea
アーシュラ・ル・グィン著(1968年)
清水真砂子訳 岩波書店
アースシーと呼ばれる多島海世界を舞台にした、冒険ファンタジー。
アースシーの世界の中心は多島海アーキペラゴ。北、西、南、東は島が途切れた先にそれぞれ大海が広がり、北東には、アーキペラゴに脅威をもたらすカルガド 帝国がある。
ものには、みな本当の名前があり、その名を呼ぶことで魔法が効をなす。本名はごく親しい者にしか明かさない。知られると魔法をかけられてしまう。魔法使 いは、魔法使いの働きを持ち、それぞれの島に赴任している。名のある魔法使いは、高額で裕福な島の領主に雇われる。
北方のゴント島で生まれた少年ダニーは、まじないの力で霧を起こし、島を襲ったカルカド帝国の軍隊を撃退した。魔法使い「沈黙のオジオン」が、ダニーに目 をかけ、彼をハイタカと呼び、本名をゲドと名付け、旅の道連れとした。
ハイタカは、やがてオジオンと別れ、ローク島にある魔法学院に入学する。彼は、そこで魔法の術を学び、師であるロークの九賢人や親友カラスノエンドウ(本 名エスタリオル)と知り合うが、ヒスイという先輩へ抱いた憎悪から、ある夜、黒い「影」を呼び起こしてしまう。
以後、影は、逃げようともがくハイタカについて回ることになる。魔法使いとして最果ての島ロー・トーニングに赴任し、ペンダー島で龍に立ち向かい、北方の オスキル島で太古の精霊を振り払いながらも、影の存在に苦しむハイタカは、オジオンに再会し、影と向きあう決意をする。
多島海を南下し、親友カラスノエンドウが家族と住むイフィッシュ島を訪れ、カラスノエンドウの同行を得たハイタカは、東海域海上でついに影と対決する。影 と同化した彼は、己を全きものとしたのであった。
多島海という美しさと厳しさを合わせ持つ自然や、魔法使いがふつうに存在するファンタスティックな異世界という舞台設定が、豊かなイメージを喚起し、読む 者の想像力をかきたてる。
自分内部の悪の存在である「影」におびえ、逃げ続ける少年。執拗に追い回す「影」だったが、少年が勇気を出して向き合い対決することで、「影」は少年の中 に取り込まれ、少年は自分の中の悪を制御できるようになる。実に抽象的なテーマである。
語り口はハードでそっけない。
映画「ゲド戦記」を先に見た。影におびえるゲドは、映画では王子アレンとなってい る。ハイタカがすでに大賢人となり、ここでいうオジオンのような役回りである。(2006.10)

ちょっとだけ関連:「イシ 北米最後の野生インディアン

こわれた腕環 ゲド戦記U The Tombs of Atuan
アーシュラ・ル・グィン著(1970年)
清水真砂子訳 岩波書店
カルカド帝国の施政下にある聖地アチュアン。その墓所を守る大巫女が死んだ晩に生まれた少女テナーは、大巫 女の生まれ変わりとして、5歳の時に墓所に迎え られた。成人して14歳になると、彼女は墓所に祀られた古き神々に喰らわれしもの、すなわち墓所の唯一絶対の大巫女アルハとしての権限を得た。カルカド帝 国の大王に使える大王の巫女コシルが、いつもアルハを監視していたが、墓所の地下に広がる迷宮に足を踏み入れることができるのは、アルハだけだった。
15歳になったある夜、アルハは地下の迷宮につながる玄室で見知らぬ男を見つける。侵入者は、迷宮の大宝庫にあると言われるエレス・アクベの腕環の片方を 手にいれるため、内海(アーキペラゴ)からやってきた魔法使いゲドだった。
エレス・アクベはかつて内海(アーキペラゴ)からやってきて大王に戦いを挑んだという伝説の魔法使い。彼が持っていた腕輪が、戦いの際に二つに割れ、片方 はカルカド軍の手に残ってアチュアンの大宝庫に収められ、片方は行方知れずになったと言われていた。腕輪の内側には7つの文字が記され、二つに割れたとき 「平和」を表す文字も二つに裂かれてしまった。世界に平和をもたらすため、内海(アーキペラゴ)の人々は、二つに割れた腕輪を見つけ元の形に戻すことを 願っていた。ゲドは、かつて影を追う旅の途中、小さな洲でひっそりと暮らす老いた兄妹に出会った。二人は、エレス・アクベと共に帝国に戦いを挑んだ王国 の王子と王女で、カルカド軍により島流しにされたのであった。ゲドは、王女であった老女から腕輪の片割れを贈られたのだった。
アルハは、地下迷宮に閉じこめられ衰弱していくゲドをコシルに引き渡しこのまま大巫女として一生を送るか、ゲドを助けて迷宮を抜けアチュアンからも脱出し てテナーとして生きるか、という究極の選択に直面することになる。
平穏に奴隷のように生きるか、不安を抱え見知らぬ世界で自由に生きるか。Tでのゲドと同様、今度のヒロインに突きつけられる難題も、かなり観念的でシンプ ルだ。
派手な戦いはない。ゲドは、魔法の力で名も無きものたちの力を押さえるが、その戦いは大地の振動、崩れる石柱として目に映るだけである。怪物も悪い王様も 姿を見せない。悪役のコシルも最後は顔をみせずじまいだ。敵はひたすら、テナーの心の中にいる。自由の重さがひしひしと伝わってくる。 (2006.10)


さいはての島へ ゲド戦記V The Farthest Shore
アーシュラ・ル・グィン著(1972年)
清水真砂子訳 岩波書店
ゲドは、大賢人となって他の賢人たちとともにローク島の魔法学院を治めていた。
ローク島は堅固な魔法の力に守られていたが、多島海世界には不穏が空気がたちこめていた。まじない師は呪文を忘れ、詩人は詩を忘れ、魔法使いは魔法の力を 失い、竜ですら太古の言葉を忘れ獣と化して共食いをする。世界の均衡が崩れつつあった。
ゲドは、北方の王国エンラッドから救いを求めてやってきた王子アレンを伴い、西南の海へと旅に出る。影を追う旅に出たときにも乗っていた船「はてみ丸」に 乗って。
二人は南下し、ワトホート島、ローバネイ島を経て、南の果ての海上でいかだ族に出会い、竜オーム・エンバーの案内で、さいはての島セリダーにいきつく。セ リダーには、不死の身を手にいれようとして黄泉の国にむかい、死んで蘇ったと言われる魔法使いクモがいた。クモは、しかし彼自身が世界の均衡を崩そうと しているのではなかった。永遠の命を熱望するあまり、生と死の境を開いてしまったのだ。ゲドは、開いた穴を閉じることに持てる魔法の力を全て注ぎ込む。
死を恐れることは生を恐れることだという、映画でも取り上げられていたテーマが出てくる。
ゲドの究極の戦いとともに、アレンが葛藤を克服し成長する過程を描いた物語。世界を救う力を持ちうるゲドを敬愛し守り通す決心をしたアレンだったが、しか し彼は旅の途中で何度となくゲドに対し猜疑心を抱く。
荒廃するホートタウンの町、魔法の力を失って身を持ち崩す元魔法使い、奴隷商人に捉えられ船倉に繋がれる奴隷達。ゲドとアレンを救ったいかだ族の人々も、 それなりの人生を送っているようではあるが、貧しい食生活と厳しい生活環境にあって、その生き様はどうにも痛々しい。
物語のトーンは、あいかわらず重苦しく陰鬱だ。
豪快な竜の登場。悩みつつも毅然としたところを見せるアレン。アレンの行く末を予見し、見守るゲド。明るさは、そのあたりにある。(2006.11)
「魔法をかけるということは、実は、それが行われる場所の土や水や風や光が呪文と織りなされるということなんだよ。」(ゲド)
「いいかね、アレン、何かするということは、簡単に石ころでも拾って、投げて、あたるかそれるかして、それでおしまい、などと、そんな、若い者が考えるよ うなわけにはいかないんだ。石が拾い上げられれば、大地はそのぶん軽くなる。石を持った手はそれだけ重くなる。石が投げられれば星の運行はそれに応え、石 がぶつかったり、落ちたりしたところでは、森羅万象、変化が起きる。何をしても、全体の均衡にかかわってくるんだ。」(ゲド)


帰還 ゲド戦記最後の書 Tehanu
アーシュラ・ル・グィン著(1990年)
清水真砂子訳 岩波書店
シリーズ前巻「さいはての島へ ゲド戦記V」と本巻が出される間には18年間という長い月日が流れている が、物語は、前巻から直に続いている。
生と死の境での戦いで魔法の力を失ってしまったゲドは、老竜カレシンの背に乗って故郷のゴント島に向かう。ゴント島では、「腕環のテナー」が亡き夫の果樹 園をきりもりしていた。彼女は親に虐待され辛うじて焼死を免れた少女テルーを引き取っていた。大魔法使いオジオンが死に瀕しているという知らせを受け、彼 女はテルーを連れてオジオンの家を訪れる。オジオンを看取ったテナーの眼前に竜に乗ったゲドが現れる……。
アレンが王となり、アースシー世界は均衡を取り戻しつつあるかのように見えるが、テナーの目を通して語られる世界は暗くて陰惨だ。
テナーの考え方は、とげとげしくて批判的で、何かというと「男は」「女は」と分けて言いたがり、自分の恩人でありあれだけの大仕事をなし遂げたゲドが力を 失くしてちょっと情けなくなっているからと言ってあまりにひどいけなしよう、なのに食器の後片づけをするのを見て見直したりする。自分の息子との再会もひ どく寒々しい。自分で育てた子が食事の後片づけをしないからといって不快に思ってもしようがないだろう、とつっこみたくなる。(フェミニズムの色が濃厚と 言われるが、この狭量さを指しているのなら、フェミニストにはいい迷惑な気がする。)
つまり、読者はずっとテナーの繰り言を聞かされるはめになり、途中で「これ、おもしろいかあ?」と思ってしまう。1,2巻目では「自分の中の光と影」 「自由を得ることの不安」という個人的ながらも深いテーマを、3巻目では「世界の均衡」といった壮大なテーマを扱ってきた本シリーズがここに来て一気に トーンダウンしてしょぼくなった感じ。
世界はこんなに悪意に満ちていて不公平で醜いのよと言っておきながら、最後は実にファンタスティックな展開。
ゲドがあんな扱われようなのに、アレンに対してはすっかり王子様扱い(そのまんまだけど)。これに対し、テルーは痛々しいながらも人を引きつける力を持っ た子どもに描かれているし、女まじない師コケや友人ヒバリなども好感の持てるよい人たちで、女性たちに対する目は温かい。真の名を証している数少ない人 間、それだけでかなりの器量の大きさを持った人物であるはずなのに、でも、とにかく本書のテナーには魅力がない。けなしたくはないのだが、どうしても好き になれない巻だった。(2006.12
)

ゲド戦記外伝 Tales from Earthsea
アーシュラ・ル・グィン著(2001年)
清水真砂子訳 岩波書店
シリーズ第4巻「帰還」と第5巻「アースシーの風」の間に出された短編集。日本では出版順が逆になっている が、こちらを先に読んだ方が物語の時系列に合っていてわかりやすい。
巻末に筆者によるアースシー世界の解説が付いている。
あいかわらず、トーンは暗く、男たちはどこか自信なさげでやさしく、女たちは自信に満ちていて性格は相当きつい。
田園や牧場や森などの描写はゆうゆうとしていてのびやかな気分になる。

☆カワウソ
 「ゲド戦記」が始まる300年前の暗黒時代が舞台。世の中は乱れ、軍閥の首領が割拠し、魔法使いは強い首領に仕えていた。ものさがしの術の才能を持つ若 者カワウソが、魔法の正しい使い方を求める結社「手の人びと」と力を合わせ、ローク島に魔法の学院をつくる物語。
☆ダークローズとダイヤモンド Darkrose and Diamond (1999)
まじない師の少女と歌が好きな少年のラブストーリー。
☆地の骨
ゲドの師オジオンの師ダルスの物語。弟子オジオンに対する老魔法使いの思いと、彼がオジオンの協力を得てゴント島を襲う地震をくいとめる様子が描かれ る。
☆湿原で
セメル島を訪れた旅人オタク。どこか異様で壊れた感じを漂わせていた彼に、寡婦のメグミは宿を提供する。オタクは、まじないの力で村の羊たちの間に蔓延 していた病気の治療をするようになるが、彼は、呼び出しの術のタブーを破ってローク島の魔法学院から逃げた魔法使いイリオスだった。やがて、大賢人ゲドが 彼を追って島にやってくる。
☆トンボ Dragonfly (1997)
第4巻「帰還」の数年後の話。ウェイ島の失墜した旧家アイリア家の娘トンボは、彼女に感心を寄せる魔法使いゾウゲの案内で、ローク島を訪れる。女人禁制 の学院に乗り込もうとしたトンボは一部の長たちに入学を拒まれるが、守りの長や様式の長は彼女を受け入れ、彼女は様式の長が住むまぼろしの森で暮らすこと になる。やがて、二つに分かれて対立する学院の長の一方のリーダーである呼び出しの長トリオンは、過激な行動に出てトンボを島から追い出そうとする。が、 そのときトンボは自分のもう一つの姿を知る。邦題では分かりにくいが、原題が全てを語る。ここでも「女は魔法使いになれないの」とまた女の権利についての 不満がでてくる。
◇アースシー解説
○人と言語:人びと(ハード語圏、カルカド語圏)、竜、言語、文字、文学ならびに歴史の起源
○歴史:起源、アーキペラゴの歴史(エンラッドの王たち、モレド、ハブナーの王たち、マハリオンとエレス・アクベ、暗黒時代・手の人々・ロークの学院)、 カルガドの歴史
○魔法:ロークの学院、禁欲と魔法

アースシーの風 ゲド戦記X The Other Wind
アーシュラ・ル・グィン著(2001年)
清水真砂子訳 岩波書店
「外伝」の「トンボ」に続く話。
ハブナーで王座についたレバンネン(アレン)は、竜が人間の土地を襲いはじめたというニュースに頭を悩ませ、ゴント島からテナーとテハヌー(テルー)を呼 び寄せていた。また、カルカドの王となったソルは娘のセセラクを妃として迎えるようレバンネンのもとに送ってよこし、元大賢人のゲドからの紹介で、死者の 国の夢に悩まされているまじない師ハンノキも王のもとを訪ねてきた。
竜の襲撃、死者と生者を隔てる石垣を越えて呼びかけてくる死者たち、北方の僻地ハートハー生まれの王女が告げる竜と人の根源にまつわる伝説が、やがてひと つのものにつながっていく。
テハヌー、アイリアン(トンボ)、テナー、セセラク、女たちはみな毅然として活気に満ちている。男たちは、やはり生彩を欠いている。レバンネンですら恥を 掻かされることしばしばだし、ゲドは重厚な人間性を見せつつも完全に一介の農夫となっていて出番もわずか。レバンネンの友でもある軍の司令官トスラが歯に 衣着せない物言いをする男として登場してちょっと活気をもたせているが。
で、4巻で全面にあふれていた「男なんて何よ」「女同士でなかよくしましょ」的な物言いはまだ残っていて、筆者は、女たちが、男を、特に若く立派な王レバ ンネンをへこますことにこの上ない快感を覚えているようで、そうした部分については志が低いと思わざるを得ない。
生死を超えるハンノキと死んだ妻ユリの愛、若き王レバンネンと人質同然に異境の地に送り込まれた王女セセラクの初々しい出会い、テナーとゲドの成熟した夫 婦愛、アイリアンと様式の長との友愛、テハヌーと竜の間に交わされる思いなど、美しい心と心の交差が何通りも描かれていて心地よいだけに、狭量さしか感じ られない女の主張はやめてほしい。
議会の場にアイリアンが姿を現す「竜会議」はなかなかユニークな展開だった。アーキペラゴの歴史に残る出来事として年表に「竜会議」と書かれるのかと思う とおもしろい。(2007.2)

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