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本 本 ノンフィクション 手記・伝記

<著者姓あいうえお順>
警視庁捜査一課刑事(飯田裕久)、  回想の「風立ちぬ」(伊集院通)、
どこかで誰かが見ていてくれる−日本一の斬られ役福本清三−(小田豊二)、
事件現場清掃人が行く(高江洲敦)、 昭和キャバレー秘史(福富太郎)、 
流しの公務員の冒険 霞が関から現場への旅(山田朝夫)、  獄窓記(山本譲司)

警視庁捜査一課刑事
飯田裕久著(2008年) 朝日新聞出版
元警視庁捜査一課殺人捜査係担当の 著者が語る刑事の話。
著者は、警察学校を出た後、警視庁 南千住警察署に配置され、交番勤務(警ら課)、警務課看守係、同署刑事課盗犯捜査係を経て、本庁刑事課の捜査第一課に配置換えとなる。
トリカブト事件、地下鉄サリン事 件、音羽女児殺人事件など、私たちの記憶にある事件について捜査する側から語られているのも興味深いが、なにより地道で相当きつい捜査一課刑事の捜査の様子や、警察という組織の構造、複雑な階級と役職の関係や部署での人間関係など、具体的に説明されているのが面白い。
先日、朝日新聞に、著者が、不況のせいで公務員という安定した職であることに惹かれて警官になる若者が増え、無差別殺人の現場から一般人を押しのけて逃げた警官がいたという事実を嘆き、希望があるとしたらそれは仕事熱心な女刑事たちに見いだせるかもしれないといった内容の原稿を寄せていた。
著者は私と同年代である。警官になったのは昭和50年代。いろいろなことが不便で、女性の社会進出は今と比べればだいぶ困難だったころである。記事と合わせて読むと、ぎんぎんの男性社会だったであろう刑事課で約20年間仕事を続けてきた著者の誇りと悲哀のようなものが感じられる。 捜査でひとところに何日も詰めなければならず着替えもままならない状況で、女性捜査官がその場で下着を洗って干しているということに対して、ひとかたならぬ感心を示しているのが、微笑ましく思えた。

著者は、テレビの刑事ドラマの監修をしている。
被害者を「ガイシャ」と呼ぶのはドラマだけ、実際は「マルガイ」と言うなど、ドラマとの違いがところどころで語られるのが楽しい。ドラマ「ゴ ンゾウ」の監修で知られているが、渡瀬恒彦や井ノ原快彦が出演している「捜査一課9係」で「マルガイ」という用語や上司を「主任さん」「係長」と呼んでいたのが印象に残っていて、これも監修しているのではないかと思ったのだが、今期の放映で確認できた。
「踊る捜査線」シリーズで、従来の刑事ドラマと一線を画すためにいくつかの方針を決めたという話を新聞記事で読んだことがある。「あだ名で呼び合わない」 「聞き込みや尾行や張り込みなど捜査シーンに音楽をかぶせない」「7人で捜査会議をしない」と言ったことだったと思う。これはこれでとても興味深かったが、実際には、刑事同士、あだ名で呼ぶこともあるらしい。(2009.7)


事件現場清掃人が行く
高江洲敦著(2010)
幻冬舎アウトロー文庫(2012)

学生時代のサークルの先輩が孤独死をした。知らせは、6か月後に、彼とは疎遠だった家族から届いた。誰にも看取られずに死ぬということについて考えさせられたこともあり、本書を手に取った。
現場清掃人の目から、様々な孤独死の状況が語られる。もっと凄惨なものを覚悟していたのだが、割とやんわり書いている。字を通しての情報なので、現場のすさまじいにおいについては想像するしかない。畳の下にまで溜まる体液のシミと強烈なにおい。長く放置された死体ほど、そのふたつを消すのがかなり困難だそうだ。(2021.11)


昭和キャバレー秘史
福富太郎著(1994年) 河出書房新社
昭和30〜40年代に大衆キャバレー・チェーン「ハリウッド」を展開し、「キャバレー太郎」の異名をとった著者による日本キャバレー史。
カフェ、キャバレー、アルサロ(アルバイト・サロン)、ピンサロ(ピンクサロン)など時代とともに移り変わる東京の「社交業界」の盛衰を追う。
著者に寄れば、キャバレーとは、
「正式には、お客とホステスが踊れる踊り場がなくてはいけない。〜(中略)〜十組が正式なダンスをぶつかり合わず踊れるためには〜(中略)〜少なくとも20〜30坪は必要になる。また、ダンスをするためにバンドを入れるので、バンドステージもつくらなければならない、さらにショーもできるという社交場」
のことをいうそうだ。
アルサロは、昭和30年前後に流行った、女学生や主婦など素人の女給を採用したお店。東京のアルサロ仕掛け人根尾一郎という人の展開した店が、「明日ではおそすぎる」「エデンの東」「赤い風車」「お気に召すまま」など、洋画のタイトルを店名にしたというのが興味深い。
昭和30〜40年代は、大衆キャバレーチェーンが拡大。著者の福富氏は、カフェ「新橋処女林」、「神田処女林」、「マンモススタンド不夜城」(川崎市)から、「踊り子喫茶・ハリウッド」(蒲田駅西口)、「踊り子喫茶・新橋ハリウッド」、「池袋ハリウッド」「銀座ハリウッド」など「ハリウッド」チェーンを展開し、昭和44年には都内・近県で12店舗を数えたという。
昭和39年の東京オリンピックの後、「社交係」の女性は、「女給」から「ホステス」と呼ばれるようになったが、キャバレーが誇った情緒や風格が徐々に失われてきたのもこのころからだという。
昭和40年代中頃から、安価で過剰なエロサービスを提供するピンクサロン(「ハワイ」など)が台頭してきた。ピンサロは、団塊の世代たちの性のはけ口となったとも言え、警察の取締まりもゆるかったが、筆者はピンサロのせいでキャバレーのイメージが悪くなったといい、キャバレーとピンサロが混同されることを遺憾に思っているようだ。
戦後キャバレーが繁盛したのは、戦前戦中の男女別教育で女性と親しく接する機会があまりなかった男子が、神秘的な存在である綺麗な女性と話したり踊ったりすることのできる場に流れ込んだためで、大正生まれと昭和1けた生まれの人が客として来ていたときがキャバレーの全盛時代であり、かれらが客として来なくなってからキャバレーは衰退期に入った、というのが著者の分析である。ちなみにキャバレーでは、お客さんを名前で呼ばず「キーさん」(木村さん)、「スーさん」(鈴木さん)などと呼ぶ。このことは、子供の頃に大人たちがおもしろおかしく話すのを聞いて知っていたが、それは終戦直後のキャバレーの客に闇商売絡みの人が多く、本名を知られるとまずいからそのようになったのだということは初めて知った。(2011.3)


流しの公務員の冒険 霞が関から現場への旅
山田朝夫著(2016年)
時事通信社

地方自治体での現場の仕事に惹かれ、霞が関を出た元キャリア官僚の仕事談。
著者の山田氏は、東京大学を出て、1986年に自治省に入省し、まもなく鹿児島県に出向した。2年後に霞が関に戻り、衆議院法制局から自治省選挙課へ。その後大分県に出向し、久住町の「地球にやさしいむらづくり」担当となる。96年に東京に戻り、自治大学教授となるも、1年後には再び久住に戻り、キャリア官僚として初めて町の一般職につく。そこから市町村を渡り歩く自称「流しの公務員」となる。
本書は、氏が4番目に赴任した自治体、愛知県常滑市での市民病院再生の話から始まる。市の財政難にあって、赤字の最大の原因となっていた病院は、新病院設立か廃院かの岐路に立たされていた。氏は市の職員の給与をカットしつつも病院スタッフの賃金は据え置いてスタッフのモチベーションを高め、100人会議を開いて住民と病院側との話し合いの場をつくっていく。ファシリティター(調整役)として両者の間に入って、「コミュニケーション日本一の病院」を目指すのである。氏は、常滑市民病院再生の仕事中に、総務省を辞職し、常滑市の副市長となる。さらりと書いているが、これはかなりの決断だったのではないかと思う。
難しいことや簡単なことを難しく言うのはけっこう簡単だけど難しいことを簡単に言うのは難しい、また事実とはなかなか小説のようにすっきりせず、込み入っているものである。が、山田氏は、さぞややこしかったであろう話を、実におもしろく明解に語ってくれる。
本書の半分は常滑市民病院再生の話であるが、他に、霞が関の自治省選挙課での激務の日々の様子(海部俊樹内閣時の小選挙区比例代表制導入のための公職選挙法改正に関わるが、この法案は提出後廃案となる)や、久住町での失敗談やワークショップ(参加体験型グループ協議の場)を取り入れたバイパスルートの決定や温泉のある公民館建設の話などがあり、どれもみんな興味深い。
さて、ここからは、本書のメインの内容とは直接関係ないのだが、映画ファンの立場からちょっと書く。本書には3回、映画の引用が出てくる。「流しの公務員」の立場について述べるときに、最初は「第1章病院再生」の終わりの方で「七人の侍」のラストシーンを引き合いに出しているが、後の2回、「終章」と一番最後の「おまけの物語」部分では「七人の侍」を元ネタに作られたアメリカの西部劇「荒野の七人」を引用している。わたしに言わせればこれはけっこう大事なことである。特に最後の引用では、「クリス(ユル・ブリンナー)とヴィン(スティーブ・マックィーン)は村を去る。」と、役名(役者名)を書いている。これは、つまり、「荒野の七人」のそれなりのファンであるという証。というか、山田氏は1961年生まれで、私とほぼ同年代、おそらく小中高生のころにテレビで毎晩(毎週ではない)のようにやっていた洋画劇場を見て育ち、心あるアクション映画ファンなら「荒野の七人」は好きになるはずで、7人のガンマンの役名と役者名くらいはこの歳になっても憶えているはずなのだ。そして、わたしがそうであったように、映画を見終えてそのおもしろさに興奮さめやらないでいるところを、「七人の侍」を評価してやまない親たちの世代から、「黒沢の安易な物まねだ」とか「アメリカの西部に置き換えるのは無理がある」とか「武士だから最後の言葉に重みがあるのだ」とか、さんざんな言われようをされ、せっかくの幸せな気分をぶちこわされるという苦い経験をしたかもしれない。しかし、「荒野の七人」はこれはこれでよくできた活劇で、7人のガンマンたちはそれぞれに事情を抱えた個性的な面々だし、山賊の頭カルベラ(イーライ・ウォラック)も自分なりに筋を通すし、アメリカ映画らしいよさがあった。ということはさておき、ここ、この本では、侍はそぐわない。侍が「勝ったのは我々ではない。百姓たちだ。」というのは、上の者が下の者に対していう言葉。でも、西部はみんないっしょである。ガンマンは強いし憧れる子どももいるが、侍と農民ほどの隔たりはない。現場に魅せられ、霞が関を捨てた「流しの公務員」山田氏には、さすらいのガンマンの方が似合っていると思うのだった。(2016.11)

獄窓記
山本譲司著(2003年)
ポプラ社
秘書給与詐欺事件で実刑の有罪判決を受けた元衆議院議員が事件の経過と獄中生活を描いた手記。
「寮内工場」と呼ばれる刑務所内の作業場で障害を抱えた同囚たちの世話をすることになった著者は、障害者の囚人たちにひどい言葉をあびせる元看護人の同僚 に非難の気持ちを抱きながらも、自分がためらうような汚い仕事を彼がきちんとこなしていくのを見て忸怩たる思いを抱く。
それまでも専門としてきた福祉に対する思いを強くしていく過程が描かれるとともに、辻元清美氏の秘書給与疑惑で再び自分の名が浮上し、不本意な報道がされ たときのことについても言及している。
余談だが、議員時代に後援会の後の二次会でカラオケに行って「みちのく一人旅」を披露するという件りがちょっとおかしかった。あ、やっぱりと思った。 (2005.5)

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