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○ 映画(日本) 20世紀少年

20世紀少年/最終章 ぼくらの旗、 20世紀少年/第2章 最後の希望、 20世紀少年

20世紀少年<最終章>ぼくらの旗
2009年 日本(東宝) 155分
監督:堤幸彦
原作:浦沢直樹
主題歌:T・レックス“20th Century Boy”
出演:遠藤ケンヂ(唐沢俊一)、オッチョ(豊川悦二)、ユキジ(常磐貴子)、ヨシツネ(香川照之)、マルオ(石塚英彦)、ケロヨン(宮迫博之)、フクベエ (佐々木蔵之介)、コンチ(山寺宏一)、カツマタ(中学時代は神木隆之介)
カンナ(平愛梨)、キリコ(黒木瞳)、春波夫(古田新太)、ビリー(高橋幸宏)、万丈目(石橋蓮司)、高須(小池栄子)、敷島教授(北村総一郎)、ヤン 坊・マー坊(佐野史郎)、13番/田村マサオ(ARATA)、神様(中村嘉葎雄)、蝶野(藤木直人)、磯野サナエ(福田麻由子)、猟師(遠藤賢司)、地球 防衛軍隊員(高島政伸、田村淳)
★ネタばれあり★
同名漫画を原作とする3部作の完結編。
第2作のラストで世界中に殺人ウィルスがばらまかれてから2年後。「ともだち」は世界大統領となり、年号はともだち暦3年(西暦2017年)となってい た。東京は巨大な壁で取り囲まれ、人々は厳しい統制の下で昭和に戻ったような生活を強いられていた。やがて「ともだち」は、来る8月20日に宇宙人の襲来により人類が滅亡すると宣言するが、実は、完成した巨大ロボットと殺人ウィルスをばらまくUFOを使って、人類を滅す計画を企てていたのだ。秘密基地の仲間たちは、「ともだち」への反旗を翻すべく、それぞれに動き出す。
逃亡していたオッチョと、行方不明だったケンヂが東京に戻り、マルオはケロヨンに再会し、殺人ウィルスの研究を続けていたキリコはワクチンを開発する。 ユキジは、親から受け継いだ道場を閉鎖して戦いにのぞむ。一方、カンナは温厚なヨシツネ一派と袂を分かち、「氷の女王」と呼ばれる過激なレジスタンスグ ループのリーダーとなっていた。
ケンヂが巨大ロボットを倒すときに、少年時代に最強の双子ヤン坊とマー坊を倒したときのことを思い出し、さらにそのときユキジからもらったアドバイスを思い出したことも思い出し、駆けつけたオッチョも同じ記憶をたどって、二人で巨大ロボットをやっつける。ここはなかなかいいと思った。
カンナが戦いに持ち込むのを止め、野外コンサートで東京の住民を救うというのも悪くない。ケンヂと他の面々との再会も感動的だ。
ここかしこに顔を出す有名人端役の中では、猟師の遠藤賢司とケンヂのバンド仲間だったというビリー役の高橋幸宏が渋かった。
が、基本的には、釈然としない映画というのが正直な感想だ。

(以下は、ちょっと長く愚痴ってます(^^ゞ)
「ともだち」の正体は、原作ではちょっと曖昧らしいのだが、映画ではさんざん引っ張った末にはっきり明かされる。彼が、 なぜ「ともだち」になってしまったのかという少年時代の原因らしきものも示される。
着地点としては、現在の青少年にとってもすこぶる身近でわかりやすく、話としてもまとまりがつく。が、釈然としない。
世間では、原作にはないらしい映画のラスト10分の評価が高い。あの画面から得られるのは、やさしさや救いだが、しかし、あれで過去が変わったわけではな い。あく までもヴァーチャル空間でのこうなればよかったという仮想であって、現実は、ともだち暦3年のままである。見た目には心地がいいかもしれないが、実はとてつもなく苦いラストだ。その上で感動的だということならいい。しかし、それにしたって、子ども時代の誤解やいじめを乗り越えて大人になる人はたくさんいる だろう。ある瞬間にある人に声をかけられなかったからと言って、人類滅亡の原因にされてはたまったものじゃない。
この結局いじめに行き着くという結論はいかがなものか。自殺しようとしたその瞬間に、足下からTレックスの「20世紀少年」が大音響で鳴り響いてきて自殺を思いとどまるという、かなり得難い経験をしたにも関わらず、負の方向に疾走し続けた彼は、相当強い個性の持ち主ではないのか。「悪者になるにはパワーがいる。正義の味方の方が楽だ。」とケンヂが言ったが、まさにその通りで、「ともだち」になるには計り知れないパワーが必要なはずだが、正体を明かした「と もだち」からは、そうした力が感じられない。
さらに、昭和30〜40年代に少年時代を送ったということがポイントになってしかるべきであるのにそれがない。なつかしい映像の再現だけに終わり、その映像も「オトナ帝国の逆襲」や「ALWAYS 三丁目の夕日」ですでに何度となく目にしているせい か、もはやあまり新鮮みがない。活気はあるががさつで暴力的で、添加物のばんばん入った食べ物が流通し、大人の男は茶の間でも職場でももうも うと煙を出してたばこを吸い、多くの人にとって海外旅行は遠い夢で欧米人に対するあこがれとコンプレックスを強く抱いていた時代、子どもはそれなりに大事にはされたのかも知れないが、子どもということで一把ひとからげに扱われ、親や教師からは怒鳴られたまにはたたかれ、「学校に行かな い」という選択肢などほとんど許されていなかったような時代だ。幾分私情をはさんだ物言いになってしまったが、いやな時代だったと言っているのではなく、 良くも悪くもそうした時代ならではの環境があったわけで、そんな中で育ち、世界征服を本気で考えるようになった彼の経緯が示されてこそ「20世紀少年」なのではないか。が、そうした内容をきちんと描いているとはいえず、万博への異常な執着も、万丈目の話でほんのちょこっと示される子どもの頃の彼の悪意も、 表層にとどまる。

第1章でも感じたことだが、私たちの年代にとってなじみ深い昭和の過去と、荒唐無稽な冒険ファンタジーのよ うな近未来世界は、私の中では最後まで乖離したままだ。それをつないでいるはずの「ともだち」の描き方が浅すぎるのだ。1作目からずっと、ケンヂたちの活躍を期待して見続けたのだが、むしろ、ケンヂ一派が出てくると、この映画は釈然としなくなる。第2章のカンナから見た世界、昭和は自分が生まれる前のことで、物心がついた頃から「ともだち」が世界を支配している、そこで、おぼろげな記憶にあるおじちゃんを信じて「ともだち」を疑い、戦いを挑む、こうした視点が最もしっくりくるように思えた。(2009.9)

20世紀少年 第2章 最後の希望
2008年 日本 公開東宝 139分
監督:堤幸彦
原作:浦沢直樹「20世紀少年」
出演:オッチョ(豊川悦司)、遠藤カンナ(平愛梨)、小泉響子(木南晴夏)、ユキジ(常磐貴子)、ヨシツネ(香川照之)、サダキヨ(ユースケ・サンタマリ ア)、ケンヂ(唐沢寿明)、モンちゃん(宇梶剛士)、マルオ(石塚英彦)、フクベエ(佐々木蔵之介)、
ともだち(?)、高須(小池栄子)、万丈目胤舟(石橋蓮司)、春波夫(古田新太)、
蝶野(藤木直人)、マライア(前田健)、ブリトニー(荒木宏文)、仁谷神父(六平直政)、角田(森山未来)、神様(中村嘉葎雄)、キリコ(黒木瞳)、ジジ ババ(研ナオコ)、蝶さん(竜雷太)、山さん(光石研)、敷島ミカ(片瀬那奈)、斉木刑事(西村和彦)、東野刑事(田中要次)、
ホクロの巡査(佐藤二朗)、13番(ARATA)、DJ(山寺宏一)、
チャイポン(サーマート・セーンサンギアム)、王(チェン・チャオロン)、珍宝楼の店主・珍(小松政夫)、七龍の店主(西村雅彦)、歌舞伎町警察署長(石 丸謙二郎)、山根家の隣人(佐々木すみ江)、オデオン座の老人(梅津栄)、漫画家金子と氏木(手塚とおる、田鍋謙一郎)、カンナの担任(甲本雅裕)、式典 司会(徳光和夫)、ブラハルツ事務総長(フレッド・マックィーン)
<子ども時代>ケンヂ(西山潤)、ユキジ(松元環季)、マルオ(安西壱哉)、モンちゃん(矢野太一)、ヤン坊・マー坊(山田清貴)、フクベエ(上原 陸)、 オッチョ(澤畠流星)、ヨシツネ(小倉史也)、ドンキー(吉井克斗)、ケロヨン(森山拓哉)、コンチ(清水歩輝)、ヤマネ(安彦統賀)、サダキヨ(藤原 薫)
「血の大晦日」から15年後。ケンヂの姪、遠藤カンナは、高校生になっていた。
高校の歴史の教科書には、「血の大晦日」は、テロリストであるケンヂの一味が巨大ロボを使って人類を滅亡させようとしたのだが、「ともだち」がそれを阻止 したという出来事として載っていた。
ケンヂを敬愛するカンナは問題児として扱われ、矯正のため同級生の小泉響子と「ともだちランド」へ送られる。ディズニーランドのようなともだちランドでは、ともだちに忠誠を使う従順な信徒がつくられていた。
カンナはそこで清掃員として潜入していたヨシツネに再会する。一方、刑務所に収監されていたオッチョは、漫画家の角田ととも脱獄を敢行する。他にも、モンちゃんやマルオなどちりぢりになっていた秘密基地の仲間たちが身を隠しつつ独自に動いていたことがわかってくる。
やがて、「よげんのしょ」に続く「しん・よげんのしょ」の存在が明らかになる。そこには、救世主の暗殺と新たな万博開催が記されていた。
まさに、ともだちらは、1970年の万博を再現したような万博の開催を計画していた。その開会式を翌日に控えた日、ともだちは、派手なパレードと大勢の見物客を伴って、無法地帯である歌舞伎町の教会を訪れる。その教会では、カンナが知り合いの神父に相談をしていた。かくして、場末の小さな教会で、ともだち、カンナ、秘密基地のメンバーたち、そして暗殺者が、顔を揃えることとなる。
話は、カンナを中心にぐいぐい進んでいく。中華料理屋でバイトをしながら一人暮らしをしている彼女は、タイのマフィアと中国マフィアの戦いの仲裁をやってのけるような、強くて元気な女子高校生である。彼女と、同級生の小泉が、いい。小泉は、原作漫画のキャラクターにそっくりらしいが、脳天気な彼女の存在は重たい状況を軽く楽しいものにしてくれている。木南晴夏は、現在放映されている土9(日本テレビ土曜9時からのドラマ)「銭ゲバ」で、顔に痣がある陰気な大金持ちの家の次女を演じているのだが、二つの役柄が実に対照的で興味深い。
藤木直人の地味な新米刑事、ユースケ・サンタマリアの大人になっても根暗のサダキヨ、小池栄子の底抜けにハイテンションな教団ナビゲーターなど、新しい顔ぶれもよい。画面の端々で知った顔がちょこちょこと見られるのは、前作と同様、ゴージャスだなあと思いつつ、いささか食傷気味でなくもない。
教会での銃撃、続く万博開会式というクライマックスで、幾分もたついているなと感じたのは私だけだろうか。特に開会式での群衆の高揚は、あの場にいたらああもなろうかという風にはどうも思えない。ともだちの作戦がもっと周到に語られていれば、あるいはもっと盛り上がったかも知れないと思うと、ちょっと残念 だ。
若い二人の女の子が中心にくることで、映画は明るさと元気のよさを取り戻したように思う。舞台は近未来となり、昭和への郷愁は、懐かしむ行為自体だいぶ生彩をなくしているように感じられる。それはいい。しかし、いい年こいた同年代のおじさんたちが冒険をするのを見てこっちもいっしょにわくわくしたい、とい う個人的な期待はまだ持っているわけで、最終章に託したい。(2009.2)


20世紀少年
2008年 製作委員会(公開東宝) 142分
監督:堤幸彦
原作:浦沢直樹「20世紀少年」
出演:ケンヂ(唐沢寿明/子ども時代・西山潤、中学時代・田辺修斗)、ユキジ(常磐貴子/子ども時代・松本環季)、マルオ(石塚英彦/子ども時代・安西壱 哉)、モンちゃん(宇梶剛士/子ども時代・矢野太一)、ヤン坊・マー坊(佐野史郎/子ども時代・山田清貴)、フクベエ(佐々木蔵之介/子ども時代・上原 陸)、オッチョ(豊川悦司/子ども時代・澤畠流星)、ヨシツネ(香川照之/子ども時代・小倉史也)、ドンキー(生瀬勝久/子ども時代・吉井克斗)、ケロヨ ン(宮迫博之/子ども時代・森山拓哉)、コンチ(子ども時代・清水歩輝)、ヤマネ(小日向文世)、
遠藤チヨ(石井トミコ)、キリコ(黒木瞳)、カンナ(平愛梨)、
万丈目胤舟(石橋蓮司)、神様(中村嘉葎雄)、
チョーさん(竜雷太)、ヤマさん(光石研)、諸星(津田寛治)、敷島ミカ(片瀬那奈)、田村マサオ(ARATA)、教団から脱走してきた男(遠藤憲一)、 ピエール一文字(竹中直人)、漫画家・角田(森山未来)、
1997年。元ロックシンガーのケンヂは、コンビニの店長をしながら、失踪した姉の娘カンナと年老いた母とともに暮らしていた。
ケンヂは、小学校の同窓会で、世間を騒がせている怪しげな教団と、子ども時代に自分たちがやっていた遊びとの関連性を指摘される。人差し指を立てた手が目から出ている図柄の教団のマー クは、昔、ケンヂたちが使っていたものに酷似していた。謎の教祖「ともだち」は、彼等の「秘密基地」にいた誰かなのか。仲間の一人ドンキーの死の知らせが届き、やがてケンヂは国内外で次々に勃発する細菌テロや爆破事件が、昔、自分が遊びで書いた「よげんの書」の通りに起こっていることに気づく。
政党とつながりを持った教団は、日増しに強大な力を持つようになっていく。ケンヂたちは、世界を救うために団結し、「ともだち」に対抗しようとする。やがて、「よげんの書」が大惨事を預言する2000年12月31日が訪れる。
原作の漫画は、連載当初にほんのちょっと読んだだけなので重要な展開はほとんど知らない。ただ、原作者とは同年代なので、1969年の小学生の様子はほんとによくわかる。秘密基地をつ くったのは男子だけではない。私は女子だけで原っぱの草をかき分けて秘密の部屋を作った記憶があるし、やっぱりなんか団を結成して、共通のマークはなかっ たけど、金紙や銀紙を張ったメンバーの証のバッジなんかを作ってみんなで持っていた記憶がある。
普通に生活しているおじさんたちの前に、いきなり少年時代の冒険ごっこが現実となって現れ、いい年こいて世界を救うために立ち上がる、という話とくれば、まずは痛快さを味わいたいところだが、これがなかなかそうはいかない。
前半、不穏な空気がじわじわとせまり、どうやら人類の滅亡を招く発端は自分にあるらしいとケンヂが気づくまでの展開はかなりおもしろい。唐沢のケンヂは、いい。
しかし、ケンヂの仲間たちが日常から冒険の世界へ足を踏み入れる、その移行は少々ぎこちない。仲間の一人であるオッチョは、タイで危険な仕事を請け負っている様子が紹介され、冒険活劇 の世界の人であることが示される。彼が帰国し、ケンヂたちと再会し、昔馴染みであることで、あっちとこっちの世界の橋渡しになるかというと、そうでもな い。オッチョはかっこいいが、それだけに、浮いている。少年のころとすっかり面変わりしてしまったオッチョとケンヂの間に信頼関係が復活する には、それなりのプロセスが必要な気がする。そして、これまでの生活を捨てていくことに対して彼等が味わうはずの喪失感や、同時にきっとあるはずの高揚感のようなものが、ケンヂ以外のメンバーからはあまり感じ取れない。
しかも、ケンヂが決心し、仲間が集まった直後から、話はとびとびになり、瞬く間に歳月は流れてしまう。これからいよいよ冒険という段になって大幅な省略が始まるのだ。彼等が追われる身となりながら敵との戦いに備える具体的な状況はまったく語られない。2000年の大晦日が来るまで、ケンヂ一派は何をしようとしていたのか、画面を見る限りじゃわからない。
三部作とはいえ、冒険に旅立つところで終わらせず第一部で「血の大晦日」(というらしい)まで描くという製作側の意図はありがたいし、そうすると尺の問題はかなり大きいだろうが、それ でも地下に潜ってからの彼等の姿をもうちょっと細かく追ってほしかった気がする。
冒頭の2015年の刑務所の様子からして、今のところ物語には悲壮感の方が大きく漂っているよ うに思う。「本格科学冒険映画」として、この先、わくわくさせてくれる展開があることを期待する。(2008.9)

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