みちのわくわくページ

○ 映画(2015年)

<主に見た順(降順)>
スター・ウォーズ フォースの覚醒、 はなちゃんのみそ汁、
007 スペクター、 ヴィジット、 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド、 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN、 ジュラシック・ワールドターミネーター:新起動/ジェニシス、 マッドマックス 怒りのデス・ロード、 日本のいちばん長い日、 悪党に粛清を、 誘拐の掟、 チャッピー、 ラン・オールナイト、 バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡、 アメリカン・スナイパー、 ベイマックス、 96時間 レクイエム、 アゲイン 28年目の甲子園

スター・ウォーズ フォースの覚醒 STAR WARS:THE FORCE AWAKENS
2015年 アメリカ 136分
監督:J・J・エイブラムス
脚本:ローレンス・カスダン、J・J・エイブラムス、マイケル・アーント
キャラクター創造:ジョージ・ルーカス
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ハン・ソロ(ハリソン・フォード)、レイア・オーガナ将軍(キャリー・フィッシャー)、ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)、チューバッカ(ピーター・メイヒュー)、レイ(デイジー・リドリー)、フィン(ジョン・ボイエガ)、BB8、ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)、マズ・カナタ(ルピタ・ニョンゴ)、カイロ・レン(アダム・ドライバー)、最高指導者スノーク(アンディ・サーキス)、ハックス将軍(ドーナル・グリーソン)、キャプテン・ファズマ(グウェンドリン・クリスティー)、C−3PO(アンソニー・ダニエルズ)、R2−D2(ケニー・ベイカー)、ロア・サン・テッカ(マックス・フォン・シドー)
★ネタばれしてます! 注意!!★
昨年は、「ターミネーター:新起動/ジェニシス」「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「ジュラシック・ワールド」と、30年前から映画を見続けてきたファンならではの楽しみ方ができる映画の公開が多く、その特権を駆使させてもらったが、これはその真打ともいうべき話題作。
映画は見る端から忘れていく方なのでHPやブログに書き留めているのだが、近年の3作(エピソード1〜3)はほんとに覚えていなくて、なのにHPを始めてから見たエピソード3については、ただ「つながった。」としか感想を書いていないのだった。でも、第1〜3作(エピソードで言うと「4〜6」なんだけど)は、そこそこ覚えていて、しかも第1作はテレビ放映してくれたので、記憶を新たに本作に臨めた。
あれから30年後、宇宙は平和になっていず、ファーストオーダーという軍事組織が幅をきかせている。これは、銀河帝国の残党によって設立され、ダークサイドのフォースの使い手スノークが最高指導者で、彼によってダークサイドに引きこまれたハン・ソロとレイアの息子ベンがカイロ・レンと名乗ってレン騎士団を率いている。レイアは「将軍」となり、レジスタンスの指揮官としてファーストオーダーと戦いを繰り広げている。(「wikia WOOKIEEPEDIA スター・ウォーズオンライン百科事典」より)
レジスタンスのパイロット、ポー・ダメロンは、ジェダイの最後の生き残りルーク・スカイウォーカーの居処を記す「スカイウォーカーの地図」を手に入れるが、ファーストオーダーに追われ、丸いロボットBB8に地図を托す。ファーストオーダーのストームトルーパー(兵士)のフィンは、捕虜となったポーを逃がし、自らも脱走を図る。フィンは、不時着した田舎の砂漠の惑星でその日暮らしをする娘レイと出会う。2人は、BB8とともに、ファーストオーダーの追跡を受け、砂漠に放置されていたミレニアム・ファルコン号を作動させて逃走する。かつての愛機を目にしたハン・ソロとチューバッカが登場、彼らはレイアが率いるレジスタンスの本拠に向う。といった展開。
レイアと別れ、30年経っても借金まみれの冒険野郎ハン・ソロだが、それでもやはり人の親で息子には弱く、レイアのセリフ(後述)は悲しい結果となって現れる。ジェダイの騎士となった息子がダークサイドの父を葬ったルークの場合とは逆に、ダークサイドに落ちた息子が父を手に掛けるという事態になってしまう。
フィンは、故郷を破壊し自分を拉致し無理矢理兵士としたファーストオーダーから逃れたのだが、かつての同僚からは何度も「裏切り者」と呼ばれる。彼の代わりに、マキノ雅弘監督の映画に出てきたセリフ「ちげえや、表返ったんでえ!」と言ってやりたいものだ。
長年の相棒を失って怒り狂ったチューバッカだが、再び宇宙船を操縦するにあたってソロの席にレイがいるのを見てにやけるのは、なんとも立ち直りが早くてよい。
BB8は、丸くてかわいいが、R2D2ほどには気が利いていない。
3CPOは、相変わらずおしゃべりで、久しぶりの再会に感じ入っているソロとレイアの間にじゃまくさく立ち回っている姿が可笑しかった。
個人的にはパイロットに弱いので、ポーが地味によかった。
敵方の争奪戦となる「スカイウォーカーの地図」、受け継がれるライトセイバーなどの「もの」の扱いもよかった。ライトセイバーは、フォースがなくても使えるのだと知る。
ジャケットにこだわる男が2人、自分のジャケットをフィンが着ているのをみて咎めるポーと、昔からずっと似たようなジャケットを着ているソロ。
若い二人とベテランらのほどよい融合。娯楽宇宙SF活劇の妙味がそこここに配置され、なつかしさを煽るファンサービスも適度で心地よかった。 (2016.1)

<セリフ集>(Imdbによる。訳は字幕うろ覚えです。)
フィン:タイ・ファイターを飛ばせる?
ポー・ダメロン:なんだって飛ばせる。
Finn: Can you fly a TIE Fighter?
Poe Dameron: I can fly anything.

ハン・ソロ:帰ってきたぞ、チュウイー。
Han Solo: [stepping into the Millennium Falcon] Chewie, we're home.

ハン・ソロ:いやな予感がする。
Han Solo: I've got a bad feeling about this.

ハン・ソロ:髪形を変えたな。
レイア:同じジャケットだわ。
Han Solo: You changed your hair!
Leia: Same jacket!

レイア:ルークはジェダイだけど、あなたは父親よ。
Leia: [to Han Solo about their son, Kylo Ren] Luke is a Jedi, but you are his father.

<シリーズ作品>
スター・ウォーズ (1977年) /特別編 エピソード4/新たなる希望(1997年)
スター・ウォーズ 帝国の逆襲(1980年) /特別編 エピソード5(1997年)
スター・ウォーズ ジェダイの復讐(1983年) /特別編 エピソード6(1997年)
スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス(1999年)
スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002年)
スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐(2005年)

はなちゃんのみそ汁
2015年 日本 公開:東京テアトル 118分
監督・脚本:阿久根智昭
プロデューサー:村岡克彦
原作:安武信吾・千恵・はな「はなちゃんのみそ汁」
主題歌:一青窈「満点星」
出演:安武千恵(広末涼子)、安武信吾(滝藤賢一)、安武はな(赤松えみな)、吉村奈津子(紺野まひる)、吉田由布子(春風ひとみ)、吉田由季(遼河はるひ)、松永和則(平泉成)、松永喜美子(木村理恵)、松永志保(一青窈)、安武信義(北見敏之)、安武美登里(高畑淳子)、片桐医師(原田喜和子)、加山医師(鶴見辰吾)、松尾陽一(赤井英和)、伊藤源十(古谷一行)

和光市の市民ホール「サンアゼリア」で行われた「シネサロン和光」主催の上映会で見る。
乳がんを患った若い女性千恵が、病気を抱えながら、結婚して子どもを生み、家族と暮らす日々を描く。原作である同名のノン・フィクションは、千恵が綴ったブログがもとになっている。
千恵は、抗がん治療の影響で妊娠は難しいと言われていたにも関わらず、子どもを身ごもる。夫の信吾は妊娠を喜ぶが、病気の再発を恐れる彼女は出産をあきらめるつもりでいた。しかし、長いこと膠原病を患っていた父から、「死んでも産め」と言われ、産む決意をする。父が娘に電話でこれを言うところはとてもいい。しかるべき立場にある人がしかるべきことをしかるべきタイミングでしかるべき人にしかるべき責任を負って伝える、ということが正しくなされた感じがした。
はなが生まれてから、知恵は「食」を大事にし、はなに対しても熱心に食育をする。毎朝みそ汁をつくるのは、はなの役目となる。
やがて病気が再発し、癌は千恵の身体を蝕んでいく。
死が近づいてくる中、千恵は、学生時代にともに声楽を学び、その道に進んだ友人の誘いで久しぶりに舞台に立ち、家族への感謝を込めて歌う。
信吾を演じる滝藤がよい。「ゴールデンスランバー」のラストで初めて見て以降、ほんとうにテレビや映画でちょくちょく見かけるようになったベテラン脇役だが、適度なユーモアと切なさを抱えた、地方の新聞記者の夫をいい感じで演じていたと思う。上映会の観客にはこどももけっこういたが、彼がドジなことをやったり可笑しなことを言ったりするたびに子どもたちの笑いが起こるのだった。(2016.11)



ヴィジット THE VISIT
2015年 アメリカ 94分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ベッカ(オリヴィア・デヨング)、タイラー/自称Tダイヤモンド(エド・オクセンボウルド)、祖母(ディアナ・ダナガン)、祖父(ピーター・マクロビー)、ママ(キャスリン・ハーン)
15歳のベッカと13歳のタイラーの姉弟は、一週間の休暇を過ごすため、ペンシルバニア州の田舎町にある祖父母の家にやってくる。彼らの母は若い時駆け落ちして家を出て実家と音信不通になっていたため、姉弟は祖父母に会うのはこれが初めてだった。でも、やさしげな祖父母は二人の孫を温かく迎え入れてくれるのだった。
映像製作に凝っているベッカは、この機会に母と家族のドキュメンタリーを撮ろうと思い立ち、終始ビデオカメラを回し、映像を撮り続ける。
祖父は、年寄りは早く寝るから夜9時半以降は寝室にいるようにと孫たちに告げる。しかし、二人は、深夜、階下にいる祖母の異様な行動を目撃してしまう。その後、老夫婦は、孫たちの前で数々の奇行を見せるのだが、祖父は祖母を、祖母は祖父を気遣い、奇行は病気や歳を取ったせいだと互いを弁護するのだった。
一方、タイラーは手を洗わないと気がすまない潔癖症で、ベッカは鏡を見ようとせず自分が撮った映像でしか自分の姿を見ることができない。祖父母がそれぞれ相手のことを説明したように、姉弟もそれぞれ画面の中で相手のことを説明し、そしてそれは、父に棄てられたことで二人が心に傷を負っているからなのかなとも思われてくる。
物語はずっとベッカのカメラのレンズ越しに映し出される。いわゆる一人称カメラ(近頃はPOVというらしい)というやつで、母親を始め、ベッカ本人やタイラー、祖父母のインタビューを交え、ベッカがレンズを通して見ているものが映されていく。ベッカが動いているときは画面も移動し、フィックスになると床に置かれるのであおり気味の画面となる。これが幾分息苦しくなくもないのだが、やがて限りなく客観に近い夜空のショットや遠景の場面が入ったり、据え置きの位置も高めになったりして、見やすくなってくる。
シャマラン監督の描く「不穏な空気」は健在である。大仰な盛り上げ方の割に真相はしょぼいというのもお馴染みな展開でうれしい。こんな書き方をすると、YAHOOのレビューなどでぼろくそ言われようが私はシャマランのよさをわかっているからねと言いたがっているように思われるかもしれないが、私は監督を「作家」と呼んだり、「手法」で映画を見たりする方ではなく、独特の「不穏な空気」が見たい、味わいたいだけで、シャマラン監督の映画はそれが楽しみということを、娯楽映画ファンとして言いたいのである。
ホラー映画的に怖がらせ脅かせる場面では、何度となく劇場で笑いが起こったが、これはつまりマンガ「バクマン」でいうところのいわゆる「シリアスなギャグ」とでもいうか、作り手はふざけているわけではなく、真面目にやってこその笑いであり、ホラー映画とはそういうものではないかと思われる。
ハプニング」では環境問題を取り上げていると言われたが、今回は「高齢者問題」を取り上げていると言えなくもない。おむつの件など不快な人には不快この上ないだろうが、しかし、排泄の問題は人間の生理において否が応にも付きまとうものであり、そこには老いに対するブラックなユーモアとともにそこはかとなない悲しさが垣間見えなくもない。
顔面に最悪のものを(彼にとっては特に)押しつけられたタイラーが、立ち直ったぽい感じで最後にラップでまとめる姿に「子どもはたくましい」と可笑しくも心強く思うのだった。(2015.11)


進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド
2015年 日本 公開:東宝 87分
監督:樋口真嗣
原作:諌山創「進撃の巨人」
脚本:渡辺雄介、町山智浩
特撮監督:尾上克郎
主題歌:SEKAI NO OWARI「SOS」
出演:エレン(三浦春馬)、ミカサ(水原希子)、アルミン(本郷奏多)、※シキシマ(長谷川博己)、ジャン(三浦貴大)、サシャ(芋女。矢を使う。桜庭ななみ)、サンナギ(怪力。松尾諭)、ハンジ(調査兵団第四分隊長。石原さとみ)、※ソウダ(ピエール瀧)、クバル(国村隼)、エレンの父/博士(草なぎ剛)、エレンの母(緒川たまき)(※は原作漫画にないキャラクター)
二部作の二作目は、ミステリの謎解き編といった感じ。
ますます原作とは離れた映画独自の展開で、一作目で広げられた風呂敷を上手に畳んだという見方もあるが、説明のための会話劇が多く、また「人間が変身する巨人」の話がメインになってしまったので一作目で押し出された巨人たちが襲ってくる恐怖感や切迫感が薄れたように思う。
すでに巷で言われているが、知性のある二体の巨人の対決は、「サンダ対ガイラ」(小学生のころ映画館で観たが、サンダとガイラが戦っていたということ以外ほとんど内容は覚えていない。)を思い出させて、私としてはそれはそれでよかったのだが、巨人の中に人間がいるのは結局巨大ロボものみたいでなんだかなという感じがした。超大型巨人が実はあの人という設定もさほどよいとは思えなかった。エレンとシキシマの白い部屋での白い服での説明会話シーンも違和感はおいといてそこだけのものとして見てもいいとは思えなかった。ジュークボックスはいいけど、流れる音楽はうっとうしかった。個人的趣味から言えば、どうせならもっと渋いブルースかなんかがよかった。
エレンと彼は兄弟なんだろうとすぐさま推察されるようにできているのに、それが明示されることはなかった。
結局壁を崩して穴を埋めるという前半から引き続く作業で終わるのだが、この内容で映画一本分の時間と料金を取るのはいかがなものかと思った。一作目と合せて一本にしてもっと話を詰めた方がよかったのではと思う。
いつになくほめていないけど、見ている間は楽しみました。(2015.10)


進撃の巨人 ATTACK ON TITAN
2015年 日本 公開:東宝 98分
監督:樋口真嗣
原作:諌山創「進撃の巨人」
脚本:渡辺雄介、町山智浩
出演:エレン(三浦春馬)、ミカサ(水原希子)、アルミン(本郷奏多)、※シキシマ(長谷川博己)、ジャン(三浦貴大)、サシャ(芋女。矢を使う。桜庭ななみ)、サンナギ(怪力。松尾諭)、ヒアナ(子持ち。水崎綾女)、フクシ(渡辺秀)、リル(武田梨奈)、ハンジ(調査兵団第四分隊長。石原さとみ)、※ソウダ(ピエール瀧)、クバル(国村隼)、兵士の一人(高橋みなみ)、神父(諏訪太朗)(※は原作漫画にないキャラクター)
人気漫画の実写映画化二部作の一作目。人を食う「巨人」たちに襲われ、追い詰められていく人間たちの必死の戦いを描く。原作は、娘から借りて4、5巻まで読んだのだが、仲間うちの人間の巨人化とか、三重に壁を巡らせた人間の居住区における国家的な機密とか、話はどんどん込み入っていくようである。
映画は、巷の評判はよくないと聞くが、yahoo!のレビューなどを見ると10人に1人くらいはほめている。原作ファンの娘(20代前半)はおもしろかったそうだが、原作に登場するリヴァイというかなりの人気キャラが出てこず、そのポジションにシキシマという見慣れない人物がいること、アクション中心で感動的な場面が少ないことなどが、評価が低い原因ではないかと言う。
ミカサは漫画では最初からクールだが、映画では割と普通の女の子だったのが巨人に襲われシキシマに助けられてからクールで最強な女兵士になったことになっている。エレンはちょっと血の気が多く、両親については死んだという話しか出てこない。
調査兵団の新米の兵士たちは、端々で迂闊なので、見ていていらつかないでもない。
が、私はおもしろかった。巨人が襲ってくる場面は、怪獣映画を見ているようでわくわくどきどきした。こんなやつらに襲われたらどうしようもないじゃん、という原作のそこはかとなく絶望的な感じが映画でも味わえたと思う。壁もいい。立体機動のワイヤーの動かし方のしくみがもう少しちゃんと映像で分かればもっとよかった。
シキシマは、強いけどいやなやつ、昔の日活アクションに出てきそうなかっこつけのライバルキャラ風で、長谷川博己が好きな私としてはなかなかよかった。石原ひとみのハンジは好評のようだが、素っ頓狂な役を嬉々として演じていてよかった。斧を振り回すサンナギは、張飛(三国志に出てくる豪傑の一人)みたいでよかった。
エレンの目が赤く光って、ぶちっと終わるのもよい。後編が楽しみだ。(2015.8)

ジュラシック・ワールド JURASSIC WORLD
2015年 アメリカ 125分
監督:コリン・トレボロウ
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、トーマス・タル
出演:オーエン(クリス・プラット)、クレア(ブライス・ダラス・ハワード)、グレイ(弟11歳。タイ・シンプキンス)、ザック(兄 16歳。ニック・ロビンソン)、ホスキンス(ヴィンセント・ドノフリオ)、マスラニ(イルファン・カーン)、バリー(オマール・シー)、ウー博士(B・D・ウォン)
「ジュラシック・パーク」から22年後。設立者のハモンドから権利を引き継いだ億万長者マスラニは、同じコスタリカ沖の島イスラ・ヌブラルに、アミューズメント・パーク「ジュラシック・ワールド」を開園する。恐竜の遺伝子操作により、次々に新しいハイブリッド恐竜が作られ、園内は2万人を超える観光客で賑わっていた。監督官のクレアは、甥っ子の兄弟グレイとザックを園に迎えるが、仕事優先で、あまり彼らを歓迎していない。
元軍人で飼育係のオーエンは、4匹のラプトルを手なづけ中であるが、それを知ったやはりもと軍人のホスキンスは、恐竜を強力な兵器として用いることを提案し、オーエンに反対される。
そんな中、新種の恐竜インドミナス・レックスが檻から脱走する。ティラノザウルス他様々な生きものの遺伝子を組み合わせて生み出されたこの恐竜は、超大型で、頭がよく、擬態をし、凶暴である。
グレイとザックは、ボール型ジャイロで園内を回っている最中に緊急帰還の通達を耳にするが、無視して回遊を続け、インドミナスに遭遇し、滝に飛び込んでなんとか逃れ、立入禁止区域に侵入して、22年前のジュラシック・パークの名残りの資材を発見し、古い車を作動させて脱出を図る。
一方、オーエンとクレアは2人を探すため園内に入る。
22年前、「ジュラシック・パーク」を見たときに圧倒されたのは、最初に画面いっぱいに広がった恐竜図鑑の想像図のような映像だった。巨大なブロントザウルスがゆっくり草を食む姿、ティラノザウルスが小さな手を胸の前に下げてでっかい口を開ける姿、小型恐竜ヴェロキラプトルが凶暴に動き回る姿が印象深かった。この映画のせいで、恐竜の名前を覚えたし、爬虫類を見ると和むようになってしまった。続編の「ロストワールド」は実はほとんど覚えていなくて、「V」はコンパクトに収まった良作、ラプトルもプテラノドンもたくさん見られて楽しかった。
で、本作は、久しぶりに見る恐竜の姿にやはり心躍った。インドミナスが擬態をするのがよかった。ラプトルに囲まれて睨みあう状況は、前作を思いださせた。プテラノドンら翼竜の暴走ならぬ暴飛行は、ヒッチコックの「鳥」の恐竜版といった感じだった。水中から飛び出して獲物を飲み込むモササウルスは、ここぞというところでトンビがアブラゲをさらった感じでよかった。ラストに登場するティラノはやはりちょっとなんでここにと思うが、最後に去っていくのを小さなラプトルが追っていったり、ラストカットで崖の上に立つ雄姿が、ちょっと西部劇に出てくる孤高のインディアンみたいでよかった。(2015.8)
<セリフ>
クレア:においと足跡から後を追えない?
オーエン:おれはナバホじゃない。
Claire: So, you can pick up their scent can't you? Track their the foot prints
Owen: I was with the Navy! Not the Navajo!
<関連作品>
「ジュラシック・パーク」(1993年)
「ロストワールド/ジュラシック・パーク」(1997年)
ジュラシック・パークV」(2001年)

マッドマックス 怒りのデス・ロード Mad Max: Fury Road
2015年 オーストラリア 120分
監督:ジョージ・ミラー
出演:マックス(トム・ハーディ)、フュリオサ(シャーリーズ・セロン)、スプレンディド(ロージー・ハンティントン=ホワイトリー)、キャパブル(ライリー・キーオ)、トースト(ゾーイ・クラヴィッツ)、ザ・ダグ(アビー・リー)、フラジール(コートニー・イートン)、ニュークス(ニコラス・ホルト)、イモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)、リクタス(ネイサン・ジョーンズ)、人食い男爵(ジョン・ハワード)、武器将軍(リチャード・カーター)、スリット(ジョシュ・ヘルマン)、ドゥーフ・ウォリアー(ギター弾き。iOTA)

★設定の説明あり★
破天荒な世界観で、かつて一世を風靡した荒廃近未来バイオレンスアクションシリーズの、同監督異主役による、30年ぶりの新作。
どこまでも不毛の砂漠が広がる近未来の世界。マックスは、独裁者イモータン・ジョー率いる軍事集団に捕えられ、“ハイオク”の血液を供給する「血液袋」として利用されていた。ジョーは、岩場に砦を築き上げ、水を一人占めし、子孫を残すため美しく健康な女たちを妻にしていた。ウォー・ボーイと呼ばれる短命で色白で痩躯の青年らは、ジョーのために戦い、名誉の死を遂げることを人生の目標としていた。
ある日、女性大隊長フュリオサとジョーの妻たちが逃亡を謀る。ウォー・タンクと呼ばれるタンク・ローリーで石油の調達に出かける際に、フュリオサは秘かに妻たちを乗り込ませ、途中進路を変えて暴走し、彼女の故郷である「緑の地」を目指す。裏切りに気付いたジョーが放った追手軍団と、逃げるフュリオサらと、「血液袋」として手枷足枷口枷を付けられて同行させられていたマックスが自由の身となり、三者入り乱れた壮絶な戦いが展開する。映画が始まってすぐのノンストップ疾走バトル・アクションに圧倒されるが、実は、ほぼ全編が疾走バトル・アクションなのだった。
マックスとヒュリオサらは手を組み、遂にヒュリオサの故郷に辿り着くが、そこはすでに汚染され不毛の地となっていた。彼らは再びジョーの砦に戻る決心をする。つまり、話としては、砂漠を往復するだけ。その行きも帰りもど派手なアクションが繰り広げられる。
説明はほとんどない。マックスは繰り返し亡くした子どものイメージを幻視するが、旧作を見ていない人や見ても内容をほとんど忘れている人には、だいたいのことしかわからないし、隻腕の女兵士フュリオサについては、少女の頃拉致され何度も逃亡を試みたという話から、その壮絶な人生を想像するしかないようにできている。
普通なら、これだけずっと激しいアクションシーンが続くと、逆に一本調子に感じられて飽きてしまうものなのだが、しかし、今回わたしは全然飽きなかった。アクションを見せるためのあの手この手の30年分のアイデアが、次から次へと披露され、「こう来るか、そんでもって次はこう来るか」と、わくわくどきどきしっぱなしだった。
例を挙げれば、冒頭、口枷を外そうとマックスがヤスリで頭の後ろをごしごしとこすりながら疾走するタンク・ローリーの屋根を走る、この口枷がなかなか外れないのがよい、タンク・ローリーを止めてマックスとフュリオサと美女たちが砂漠で取っ組み合うところも双方の必死さが伝わってきてよかった、ジョー配下の暴走軍団もいろいろ気をてらっていていい、騎兵隊ならラッパを吹くところをずうっとエレキギターを弾いているロック男(ドゥーフ・ウォリアー)がいるのが楽しい。ジョー側がフュリオサらのドライバーに狙いをつけ、いざ撃とうとすると妻の一人であるスプレンディドがばっと後部席のドアを開けて阻止するのも痛快だった(スプレンディドはジョーの子を身ごもっているため、ジョーは彼女を撃つことができないのだ)。車に立てたポールに登って高所からびよんびよんと揺れながら攻撃したり、キャブレターにガソリンを吹き込んでパワーアップしたり、無茶苦茶な攻撃手法を見せるかと思えば、フュリオサがマックスの肩を借りて長距離狙撃をするなど、古典的でちょっといい感じの細部もある。
ハーディのマックスは悪くないが、タイトルロールにしては地味で控え目である。フュリオサの方が目立っているという声も聞くが、しかし主役は、砂漠をひた走るウォー・タンクだろうと思った。
汚い、ひどいと言われようが、スピード感にあふれ、みもふたもなく、おおらかで、豪快、わたしにとっては、ここ最近で最も愛すべき映画である。(2015.7)
<関連映画>
マッドマックス(1979年) 監督:ジョージ・ミラー、主演:メル・ギブスン
マッドマックス2(1981年) 監督:ジョージ・ミラー、主演:メル・ギブスン
マッドマックス サンダ―ドーム(1985年) 監督:ジョージ・ミラー、主演:メル・ギブスン

日本のいちばん長い日
2015年 日本 公開:松竹、 136分
監督・脚本:原田眞人
原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」

出演:昭和天皇(本木雅弘)、阿南惟幾(陸軍大臣。役所宏司)、鈴木貫太郎(総理大臣。山崎務)、迫水久常(内閣書記官長。堤真一)、畑中健二(陸軍少佐。宮城事件首謀者。松坂桃季)
1945年4月の日本。太平洋戦争における戦況が悪化する中、高齢の鈴木貫太郎を首相とする内閣が発足する。鈴木は、かつて侍従長を務めたときに侍従武官だった阿南を陸軍大臣に指名する。
7月、連合国によるポツダム宣言が発表され、これを受諾して降伏するか、本土決戦に踏み切るか、要人らは厳しい決断を迫られ、議論を繰り返すも、結論は出ない。8月に入り、広島と長崎へ原爆が投下される。陸軍の若手将校たちは本土決戦を訴え、阿南は彼らの暴走を押さえることに苦慮する。議論がまとまらない御前会議では、鈴木首相が天皇に聖断を仰ぐ。
「一度始めてしまった戦争を終わらせることの難しさ」を描いたと言われている。血気にはやる若い陸軍の将校らと戦争を終わらせるための道を模索する政治家たちの対比が鮮やかである。終始ちょっと困ったような表情で淡々と語るモッくんの昭和天皇はよかった。
玉音放送の文言をああでもないこうでもないと協議して原稿ができて、録音して、テープ(でっかいやつ)を巡って放送局や宮内庁での攻防があって、8月15日の放送にこぎつけるのは、感慨深かった。
戸田恵梨香が、セリフもほとんどないが、機転を利かす放送局の女性局員を硬い感じで演じていていい。(2015.8)
関連作品:「日本のいちばん長い日」(1967年。監督:岡本喜八、原作:大宅壮一、 出演:笠智衆、三船敏郎、宮口清二、黒沢年男ほか)

誘拐の掟 A WALK AMONG THE TOMBSTONES
2014年 アメリカ 114分
監督・脚本:スコット・フランク
原作:ローレンス・ブロック「獣たちの墓」
出演:マット・スカダー(リーアム・ニーソン)、ケニー・クリスト(ダン・スティーヴンス)、ピーター・クリスト(ボイド・ホルブルック)、TJ(ブライアン・アストロ・ブラッドレー)、ルシア(ダニエル・ローズ・ラッセル)、レイ(デヴィッド・ハーパー)、アルバート(アダム・デイヴィッド・トンプソン)、ジャナス・ローガン(オラフル・ダッリ・オラフソン)
★ネタバレあり!★

元刑事でアル中だった探偵マット・スカダーが、麻薬ディーラーの家族の女性を狙う2人組の凶悪犯と対決する。
原作は、ローレンス・ブロックのスカダーを主人公とするハードボイルド・シリーズ長編10作目「獣たちの墓」。好きなシリーズだが、原作を読んだのはだいぶ前なので、あまりよく覚えていない。前作「倒錯の舞踏」に続き、猟奇殺人を扱った作品で(これとさらにその前の「墓場への切符」を合せて倒錯三部作というらしい)、全体に暗いトーンのシリーズにおいても特にハードな内容の一作だったような記憶がある。原作では、やがてマットの助手となる少年TJが登場する回であり、彼の存在が重たい空気を和らげていたように思う。映画でも、やはり二人の出会いとやりとりにはちょっとほっとさせられたのだった。
スカダーは、AAA(アルコール依存症者の協会)の会合で知り合ったピーターから、弟のケニーを紹介される。ケニーは、妻を誘拐され、犯人に身代金を払ったのに、妻は惨殺死体となって返されてきた。ケニーは実は麻薬仲買人をしているため警察に届け出ることができず、スカダーに犯人を捕まえてほしいと依頼してきたのだ。
スカダーは、警官時代、酔っぱらって強盗犯を追い、自分が撃った銃弾が跳弾となり、たまたま通りに居合わせた少女(原作では、エストレリータ・リヴェラという印象深い名を持っている)を死なせてしまった過去を負っている。私立探偵のライセンスも事務所も持っていなくて、刑事時代の技能を活かして、知人のつてで頼まれた仕事を引き受けるという、商売としてはゆるいやり方をしている。
マットは、被害者の足取りを追い、似たような殺人事件の記事を調べ、捜査を進めていく。やがて、二人組の犯人像が浮かんでくる。そして新たな事件が起こる。ケニーの知り合いの麻薬ディーラーの14歳の娘ルシアが誘拐され、犯人が身代金を要求してきたのだ。ルシアを生かして返すため、マットは犯人との交渉に挑む。この電話での緊迫したやりとりが、大変いい。
続く、人質奪還と銃撃戦は、墓場で行われるところがいい。
最後に、マットとケニーは、TJの機転によって、逃走した犯人の住居を突き止める。マットは生き残った犯人の1人アルバートをケニーに委ねる。が、ケニーは犯人に反撃され、マットとアルバートの対決となる。
銃を持たず、地道な捜査で犯人を突き止めていくマットは、落ちぶれてはいるものの、筋を通し、人の痛みがわかる男として描かれている。犯人らの猟奇的で非道な犯行を知って一度は断った依頼を引き受けたり、宿なしの少年TJを気にかけたり、TJが盗んだ拳銃を横倒しに構えてみせるとダメ出しをするのもいい。映画全体の雰囲気は、渋く、暗く、事件は陰惨であるが、味わい深い作品になっていると思う。 (2015.6)
●原作との違い:
エレインが出てこない。エレインは、マットの友人の高級娼婦で、この回で2人の仲は進展し、やがて結婚することになるらしい。(それがわかる回は未読なので伝聞による。) 原作では、生存している被害者がいることを突き止めたマットが、エレインとともにその女性に会って話を聞くシーンがあった。エレインは女性が自分と同業であることに気づく。
また、映画のケニーはイケメン青年だが、原作ではケニーにあたる人物はアラブ系のもうちょっと年配の男だったように思う。彼は、「目には目を」という信条の下、復讐を果たすためには犯人に妻と同様の苦痛を与える必要があるということで、嘔吐しながらも生きたまま犯人を切り刻んでいく。ハードな展開だったので覚えているし、マットは、どちらかというと、警察や法に委ねず、悪は当事者が自分で成敗するという方向に向いていたように思う。
関連作品:「800万の死にざま」(1986年。監督:ハル・アシュビー、主演:ジェフ・ブリッジス)


チャッピー CHAPPIE
2015年 アメリカ/メキシコ/南アフリカ 120分
監督:ニール・ブロムカンプ
出演:チャッピー(シャールト・コプリー)、ディオン・ウィルソン(デヴ・パテル)、ニンジャ(ニンジャ)、ヨーランディ(ヨーランディ)、アメリカ(ホセ・パブロ・カンティージョ)、ヴィンセント・ムーア(ヒュー・ジャックマン)、ミシェル・ブラッドリー(シガーニー・ウィーバー)

★ネタバレあり★
2016年の南アフリカ、ヨハネスブルク。多発する犯罪の取り締まりのため、市警は軍事企業テトラバール社が開発した警察ロボットを導入、犯罪は減少しつつあった。
ロボットを開発したエンジニア、ディオンは人工知能(AI)の開発に成功し、AI搭載の警察ロボットの製造を提案するが、社長のブラッドリーに却下される。諦めきれないディオンは、激しい銃撃を受けて廃棄処分となった警察ロボット22号のボディをバンに積んで秘かに社外に持ち出し、試作品を作ろうとする。が、その途中で、ストリートギャングの“ニンジャ”の一味に襲われ、車ごと拉致される。ニンジャらは、現金輸送車襲撃を企み、警官ロボットの動きを止めるため、ディオンを誘拐したのだった。ディオンは、ニンジャ一味のアジトで、AIを22号のボディに組み込んでAI搭載ロボット第一号を完成し、ニンジャの仲間で恋人のヨーランディにより、それは「チャッピー」と名付けられる。作られた直後は赤子同然だったチャッピーの“中身”は、急速に成長していく。
一方、元兵士のエンジニア、ヴィンセントは、人間の遠隔操作による大型戦闘ロボットを開発していたが、警官ロボットの起用により、採用を見送られていた。日の目を見たい彼は、コンピュータ操作によりウィルスをばらまき、市内に派遣されている警官ロボットの全てを一度に機能停止するという暴挙に出る。街は大混乱に陥り、ギャングとヴィンセントが操る大型ロボットとチャッピーらの三巴の激闘が展開する。
赤ん坊から幼児、少年、ティーンエイジャーへと急速に成長していくチャッピーの変化が、おかしくも微笑ましい。半日離れていただけで、中身は幼児からティーンエイジャーになっているのに、それを知らずチキンのおもちゃを持ってあやそうとするディオンに対し、思春期のティーンエイジャーっぽく反抗的な態度をとるチャッピーがなんとも愉快でかわいい。歩き方や喋り方をニンジャに教わっているから、なおさら行儀が悪いのがいい。
チャッピーに使われたボディは、銃撃を受けたことで胸部にあるバッテリー装着部分が焼けこげて本体とバッテリーのカセットが融けてくっついてしまったため、バッテリー交換ができなくなっている。つまり、バッテリーが切れると機能が停止してしまうのであり、5日間しか「生きられない」運命にある。
余命を宣告された無垢な子が大人社会のどろどろしたものに遭遇して傷つきながらも、身内のダディ(ニンジャ)、マミー(ヨーランディ)、創造主(ディオン)らを守ろうとする。泣ける話になっている。
チャッピーは、頭部に二つピンと立っているウサギのような耳を含め、造形も無邪気な中身もとてもかわいいし、自分と大切な人たちのために頑張るのもけなげだし、いろいろ思いついて頭もよくて、大活躍である。戦闘シーンも大迫力であり、肉体の変貌とか人間に翻弄される非人間といったことでは「第9地区」との共通性も感じるのだが、しかしインパクトはそれほどでもなかった。AIがどう成長するのか、単に子どもの属性としての無邪気さだけでなく、チャッピーの個性はあるのかということも気になった。エログロが控えめだ(日本公開に当たりカットされている部分もあるらしいが)とかではなく、私としてはもうちょっと手応えのあるドラマが見たかったという思いが残る。(2015.6)
おまけ:ニンジャとヨーランダーは役名そのままの南アフリカの「ダイ・アントワード」というグループのラッパー夫婦だそうで、ニンジャのズボンにあったカタカナ文字「テンション」は、アルバムのタイトルだそうです。


ラン・オールナイト RUN ALL NIGHT
2015年 アメリカ 114分
監督:ジャウマ・コレット=セラ
脚本:ブラッド・イングルスビー
出演:ジミー・コンロン(リーアム・ニーソン)、マイク・コンロン(ジョエル・キナマン)、ショーン・マグワイア(エド・ハリス)、ダニー・マグワイア(ボイド・ホルブッグ)、パット・マレン(ショーンの片腕。ブルース・マッギル)、プライス(コモン)、ジョン・ハーディング刑事(ヴィンセント・ドノフリオ)、レッグス(オーブリー・ジョセフ)、ガブリエラ・コンロン(ジェネシス・ロドリゲス)、エディ・コンロン(ジミーの兄。ニック・ノルティ)
★内容についての言及多数あり!
96時間」で娘を誘拐した悪者たちをやっつける元凄腕捜査官を演じたリーアム・ニーソンが、息子を守るため仲間のギャングをやっつける元凄腕殺し屋を演じるハード・アクション。
初老の男ジミーは、家族と離れ、落ちぶれて飲んだくれる日々を送っていた。マフィアのボスの息子ダニーはジミーを見下しているが、ボスのショーンはジミーを大事に思っていた。ジミーは、憧れの存在であるショーンのために汚れ仕事を請け負い、かつて多くの人間を手にかけた殺し屋だったのだ。
ある日、ジミーを毛嫌いしている息子のマイクが、偶然ダニーの殺人現場を目撃してしまう。ダニーはマイクを殺そうとし、それを知ったジミーはマイクを救うためダニーを殺す。ジミーとダニーは、警察と、ショーンの手下や彼が雇った殺し屋から追われる身となる。
ジミーは、当初はボスであり自分の唯一の理解者であるショーンの気持ちを汲んで説得にあたるが、ショーンは、歴然とダニーが悪いとわかってはいても、自分の息子が死んだのにジミーの息子が生きていることが許せない、ボスであり親である男ならではの理不尽さで、マイクを殺した後でジミーを殺すと言い張る。二人が馴染みのレストランのテーブルにつき、向き合って、この不穏な会話を静かに交わすところはいい。
やがて、ショーンは、クールな殺し屋プライスをジミーとマイクに差し向ける。ショーンの気持ちが変わらないと知ったジミーは反旗を翻す。電話で宣戦布告を聞いたショーンが部下たちに「ジミーが来る」と通達を出し瞬く間に警戒体制を敷くのもいいが、ジミーがそこに単身で殴り込み、瞬く間に敵を倒してショーンを追い詰めていくのもいい。
他もいろいろいちいちいい。
追手とトイレで格闘しているジミーを置いて地下鉄で一人逃れようとするマイクが、相手を倒してホームにやってきたジミーを見かけ、ドアが閉まる寸前にジミーの名を呼ぶところがいい。
ジミーが逃走中、テレビで放映されていたホッケーだかフットボールだかの試合が終わり、会場からぞろぞろと人が出てくる中、試合の半券を拾って忘れ物をしたふりをしてスタジウム内に逃れるというアイデアがいい。
ジミーが、マイケルに「引き金を引くな。」と言って、銃を撃たせないのがいい。
ショーンに買収されている警官が多くいる中、ジミーを目の仇にするハーディング刑事が実はまっとうな警官だというのはありがちな設定だが、ジミーが彼との約束を守って、殺した人間のリストを残すのがいい。
最後に、負傷したジミーがプライスを迎え撃つ際に、山小屋の本棚の裏に隠しておいたライフルを取りだすのだが、これが西部劇でお馴染みの銃ウィンチェスターである。林のなかで、ウィンチェスターに最後の弾丸を込め、杖代わりにして立ちあがり、レバーアクションの操作をして(早くてよくわからないが)、撃つ。これもいい。
エンディング、目撃者の少年レッグスの話で、ハーディング刑事がマイクがまっとうな人間であることを知るのもいい。
というふうに、話自体はあまり新鮮味がないのだが、いろいろ行き届いていてぶれるところのない、良質のアクション映画だと思った。(2015.5)


バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡
BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)
2014年アメリカ 120分
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ
撮影:エマニュエル・リベツキ
出演:リーガン(マイケル・キートン)、サム(エマ・ストーン)、ジェイク(ザック・ガリフィナーキス)、マイク(エドワード・ノートン)、レズリー(ナオミ・ワッツ)、ローラ(アンドレア・ライズブロー)、シルヴィア(エイミー・ライアン)、タビサ(リンゼイ・ダンカン)
★ラストのネタバレありまくり
アカデミー賞受賞作だが、日本でのちまたの評判はそれほどよくない。なんとなくいろいろ聞いて、予めそんなに好きじゃないかもと思って見に行ったせいもあるかも知れないが、“予期せぬ”ことに私はとても面白く見た。いろいろと思いを巡らせることができる映画だった。
か つて「バードマン」というアメコミヒーロー映画で主役を演じ一世を風靡したものの、その後は鳴かず飛ばずの役者人生を送っていたリーガンは、もう一花咲か せようと、全てを投げ打ってブロードウェイの舞台に挑戦する。レイモンド・カーヴァーの短編小説「愛について語るときに我々の語ること」というタイトルか らして文学的な作品を、自らの脚本、演出、主演で舞台化する。
が、公演までは前途多難、男優が怪我で降板し、代わりに見つけた男優マイクは、人気 はあって実力もあるっぽいけどかなり強烈な個性の持ち主でやりにくい。付き人をしている娘のサムは、薬物中毒から立ち直り途中で親子関係はギクシャクして いる。舞台の成功の鍵を握る評論家のタビサは、ハリウッド役者が演劇をやることに対して批判的だ。プレビュー上演ではハプニングが続発、追いつめられる中、 やがて迎えた公演初日で、リーガンは、小道具の拳銃の代わりに本物の拳銃を手に舞台に上がる。
芝居は、リーガン演じる男が自らの頭を撃ち抜いて自殺を遂げるところで幕となる。
続くシーンでは、リーガンは自殺に失敗し、鼻を撃ってしまって入院、芝居はタバサの高評価により大成功、娘のサムとも和解するという意味ではハッピーエンドとなる。
が、 作り手は随所に不穏な細部を撒き散らしていて、観る人が観ればこのラストはリーガンの幻想、リーガンは実は死んでいる、と容易に思えるようにで きている。いわゆる逆夢オチと私が勝手に呼んでいる結末である。(つまり、「すべて夢でした」で終わる夢オチの逆で、それまでの悲惨な展開がすべて夢で あったらいいのに、ということで、「こうだったらいいのにな。」という夢のシーンで終わるもののことである。「20世紀少年<最終章>ぼくらの旗」がその顕 著な例。)それまでも、リーガンはところどころで、空中浮揚をしたり、手を触れずに物を動かしたり、空を飛んだりと役に立たない超能力を見せたり、「バードマン」と話したり歩いたりしているが、 それも彼の幻想と取れるように描かれている。
しかし、映画とは元々夢と幻想。映画の中では、アメコミ原作のヒーローアクション映画に対し て批判的な見方が出てくるが、ハリウッド映画はそもそもは人種のるつぼのようなアメリカにおいて、言語や文化が違っても楽しめる、誰もがなんにでもなれ る、わかりやすくて楽しい映像娯楽を提供してきたものだったはず。現実世界で人間が空を飛んでいるのを見れば、大人はびっくり仰天するが、幼児はなんなく それを受け入れる。映画においては、大人もそれを受け入れる。それが即ち、「無知がもたらす奇跡」なのではと思った。
サムとマイクが、劇場の裏側 にあるベランダで話すシーンが2回ほど出てくる。好きなシーンである。ここで、サムがマイクが言ったことに対して何度も「それは真実? それとも挑戦?」 と尋ねる。なんで「真実」と「挑戦」が二択になるのか違和感を覚えたのだが、家に帰って検索すると、英語では、”Truth or dare?”となっている。dareは、「敢えて〜する」という意味の副詞として使われるというのが私の乏しい英語の知識だが、単語として日本語に訳すと 「挑戦」となるらしい。でもメインで使われる副詞の意味から、「敢えて〜すること」と捉えれば、「それ本当? 無理に言ってない?」と言った意味にならな いかしら。
つまり、ハッピーなラストは「敢えてそうしてない?」とも言えるが、しかし、リーガンの幻想と捉えるのも「敢えてそう解釈できる」とも 言えるわけで、例えば、リーガンがさんざん空を飛び回った後に、タクシーの運転手が「金払え」と追いかけてくる。これを見て、空を飛んでいたのではなくタ クシーに乗って移動したんじゃないかという解釈が成り立つのだが、さんざん空を飛んだあげくに力尽きてとんでもないところに着地してしまい、タクシーで劇 場に来るしかなかったと解釈することもできるのではないだろうか。そのへん、映画は曖昧に曖昧に作られている。で、娯楽映画ファンの私としては、もう一周 しちゃって、あのラストは「挑戦」。親子関係を修復できた娘が、父が空を飛ぶ姿を目にして値千金の笑顔を見せる。ということでいいんじゃないかと、(敢えて)思いたい。
全編1カットという手法が話題になっている。映画を作る人にとってはかなり興味深いだろうし、観る人にとっても物珍しいか もしれないが、肝心なのはそれでおもしろいかどうかだと思う。最初はカメラが頻繁に動くのが煩わしく、特に初めの頃、劇場でリーガンたちが打合せをしてい るシーンではカットを割って切り返さないので、人が喋るたびにカメラが回り込んでその人を写すということになり、ぐるぐる回るカメラの動きに悪酔いしそう になってしまい、こんな感じでずっと続くのは辛いなと思ったのだが、その後あんなにカメラが回ることはないので助かった。
シーンが一つの場所から他の場所へ移るとき、特に劇場内でそれが起こる場合、人が廊下などを移動するのをいちいちカメラが追っていくのだが、それがいいと思ったところが二つ。
前述のサムとマイクのベランダのシーン。ベランダに出る階段をマイクが上る。最初はどこに行くか分からないのだが、二回目は、マイクがそこを通ることで、あ、サムがいるベランダに行くなということがわかってなんかよかった。
そ れと、出番直前に劇場裏口でリーガンが閉め出され、ドアにガウンの裾が挟まって、パンツ一丁で劇場の正面入口まで歩かなければならなくなるという古典的な ギャグのようなシーン。焦っているときに行く、それも路上にいる人々ほぼ全員の注目を浴びながら行く、でかい劇場の裏から表までの道のりがどれだけ遠い か、すごくよく感じられてよかった。 (2015.5)
このひと言(No.66):「真実? それとも挑戦?」”Truth or dare?”


アメリカン・スナイパー AMERICAN SNIPER
2014年 アメリカ 132分
監督:クリント・イーストウッド
原作:クリス・カイル「ネイビー・シールズ 最強の狙撃手」
脚本:ジェイソン・ホール
出演:クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)、タヤ・カイル(シエナ・ミラー)、マーク・リー(ルーク・グライムス)、ビグルス/ライアン・ジョブ(シェイク・マクドーマン)、スクワール(エリック・ラディーン)、ドーバー/ケビン・ラーチ(海軍技術顧問。ケヴィン・ラーチ本人)、D/ダンドリッジ(コリー・ハードリクト)、アル=オボーディ師(ナヴィド・ネガーハバン)、ムスタファ(サミー・シーク)、“虐殺者”(ミド・ハマダ)、ジェフ・カイル(キール・オドネル)
イラク戦争で160余名もの敵を射殺した狙撃手クリス・カイルの人生を描く。
カイルは、少年時代、「人間には、羊と狼と番犬の3種類のタイプがある。おまえは番犬になれ。」と教える父に育てられ、ロデオ・カウボーイを経て、アメリカ海軍に入隊、シールズの兵士として戦場で活躍する。狙撃手として卓越した能力を発揮した彼は、アメリカでは伝説の狙撃手として称えられ、イラクでは「ラマディの悪魔」と呼ばれて賞金首となる。
カイルは、2003年のイラク戦争開始以来4度戦線に赴くが、映画は、その4度に渡る戦闘と、アメリカでの彼の生活、バーで知り合った女性タヤとの結婚、二人の子どもの誕生など彼の家庭の様子を描いていく。同時にそれは、夫と妻の視点が交互に描かれることにもなる。多くの敵の命を奪い、戦友を喪ったカイルは、戦闘に取り憑かれ、心に傷を負っていくが、そうした夫を持ったタヤの心労も並大抵のものではない。子どもを身ごもり出産し育てていきながら、常に孤独と不安を抱えている。妊娠中に戦場の夫と電話をしていたらいきなり銃撃音がして通話が途絶えるなど、妊婦として極力あってほしくない状況だし、戦場から帰国している夫が家に直帰しないでどこかでうだうだしていると知った時だって心配でたまらなかっただろう。
戦争が終わり、帰国したカイルは、家族との生活に馴染む努力をする一方、退役兵たちとともに過ごすことで自分の中での折り合いをつけていく。
淡々として、乾いていて、ひっきりなしに銃撃音が飛び交うにも関わらず、映画の印象はひどく静かである。おそらく伝説の狙撃手についてその都度大騒ぎしたであろうマスコミについての描写も皆無である。無音のクレジットに衝撃を受けた観客も少なくないようである。
見終わったときこの映画をどう消化していいかわからなかった。戦争の悲惨さ、兵士の苦悩や葛藤という現代的なテーマが浮かび上がってくるが、西部劇ファンとして考えると、映画の端々に昔ながらの西部劇の欠片のようなものが見えたと思う。
カイルの戦友の軍葬においてラッパの音が響き渡る中で国旗が畳まれる様子に騎兵隊ものの葬式シーンを思い出したし、棺の蓋に倒した敵の数だけバッジ状の鋲が打ち込まれるのも、父が息子に狩りの手ほどきをするのも、女が戦いに赴く男を止めるのも、殺された友の復讐の念を抱くのも、長距離射撃も、腕利きの狙撃手との1対1の対決も西部劇的だ。彼がふざけてタヤに向ける拳銃は西部を席巻したコルトSAAである。
敵の女性と子どもを狙撃するシーンが話題になっていて、こんなこと古き良き西部劇ではありえないことなのだが、女子供を撃つことをためらうという価値観自体は西部劇的である。(例えば、日本の昔の時代劇では庶民の女性と子供が大事にされているという印象はあまりない。)
そして、「伝説(レジェンド)」である。日本では昨年のオリンピック以後しばらくはマスメディアに乱用されそこら中レジェンドだらけになってしまったが、伝説=英雄というコンセプトはアメリカ西部ではお馴染みのものだ。カイルを殺した男がどういう心情と経緯からそのような犯行に及んだかについては一切触れられていないが、カイルはおそらく無防備だったと思われ、私は額縁を直しているときに仲間のフォード兄弟によって背中から撃たれた西部の伝説ジェシー・ジェームズを思い出してしまった。
乾いた空気感とか空間の広がりとか男が歩いたり銃を持ったりする姿とか、イーストウッド監督が映画を撮る際にはその身に西部劇的手法が染みついてしまっているのじゃないかと思うが、それだけでなく、アメリカという国における思想や文化の根源のひとつとして西部があるのだということも改めて感じた。タイトルの「アメリカン」は単に「アメリカ軍の」という意味ではないと思った。(2015.3)
※シールズ(SEALs)とは、SEがSEA・海、AがAIR・空、LがLAND・陸と、陸海空のアルファベットの頭文字から取られており、そのどれにおいても優れた能力を持った兵士たちによる部隊のこと。

ベイマックス BIG HERO 6
2014年 アメリカ 102分
監督:ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ
出演(声)<日本語吹替版>:ベイマックス(スコット・アツィット)<川島得愛>、ヒロ・ハマダ(ライアン・ポッター)<本城雄太郎>、フレッド(T・J・ミラー)、ゴーゴー(ジェイミー・チャン)、ワサビ(デイモン・ウェイアンズ・Jr)、ハニー・レモン(ジェネシス・ロドリゲス)、タダシ(ダニエル・ヘニー)<小泉孝太郎>、キャスおばさん(マーヤ・ルドルフ)<菅野美穂>、ロバート・キャラハン教授(ジェームズ・クロムウェル)、アリステア・クレイ(アラン・テュディック)
日本語吹き替え2D版で見る。
サンフランシスコと東京を混ぜ合わせた架空都市、サンフランソウキョウを舞台に、孤独な天才理系少年ヒロと、急死した兄タダシが遺したケアロボット、ベイマックスとの心温まる交流を描く。という映画かと思っていたのだが、それだけではなく、戦隊ヒーローアクションでもあることを、観て知った。たしかに原題を見ると“BIG HERO 6”となっていて、ヒロとベイマックスはその主要なメンバーではあるが、他に個性豊かな4人の理系仲間が登場するのだった。
ベイマックスのふわふわしつつも丈夫そうな質感は、思わず触りたくなってしまう。滑舌のよいゆったりした喋り方も、よちよち歩きも、バッテリーが切れてくると酔っ払い同様になるのも、武装が似合わないのも、穴があいて空気が抜けてそれを自分でセロテープ千切って補修するのも、見ていて心が和む。
ヒロが発明したマイクロボットを敵のマスク男が変幻自在に駆使する様子は、迫力があった。
「ベイマックス、僕はもう大丈夫だよ。」というセリフは、伏線も決めも利いていて、もう作り手の狙い通りにじんとさせられざるを得ない。英語では、
“I’m satisfied with my care.”
となっていて、日本語訳よりかしこまったニュアンスであるが、この方が、ヒロは全然満足ではない状況で泣き泣き言っている一方、自分が行ったケアに満足しているベイマックスの気持ち(?)の代弁のようにも受け止められて、深い感じがする。
とにかく目に楽しく、行き届いていて、口当たりというか肌触りがとてもいい映画であった。(2015.2)
このひと言(No.65):「ぼくはもう大丈夫だよ。」


アゲイン 28年目の甲子園
2014年 日本 公開東映 120分
監督:大森寿美男
原作:重松清「アゲイン」
主題歌:浜田省吾「夢のつづき」
出演:坂町晴彦(中井貴一、工藤阿須加<高校時代>)、戸沢美枝(波瑠)、沙奈美(門脇麦)、高橋直之(柳葉敏郎)、山下徹男(村木仁。キャッチャー、少年野球チームのコーチ)、松川典夫/ノリ(太賀)、柳田建司(西岡徳馬)、立原裕子(和久井映見)、高橋夏子(堀内敬子)
野球の話とは言え、鼻っから泣かせるのが狙いのような宣伝に、見に行く気をなくしていたのだが、知人の映画ライターの田中雄二氏が野球が好きなら見て損はないというので行った。
安易な泣かせ話でなく、高校時代の野球仲間との友情や、複雑な関係にある父と娘の心情がきちんと描かれていてよかった。
元高校球児たちが母校のOBでチームを作って甲子園を目指す「マスターズ甲子園」。その事務局を務める神戸の大学の研究室のスタッフである美枝は、両親の離婚によって生き別れた父を震災で亡くしていた。その父は高校野球の名門川越学園で野球部に属していた。美枝は、父の高校時代の野球部のキャプテンだった坂町を訪ね、マスターズ甲子園への参加を勧誘する。が、この代の野球部員たちの間には、複雑な事情があった。甲子園出場を決める県大会決勝前夜に、美枝の父、ノリこと松川典夫が傷害事件を起こし、川越学園野球部は試合出場を辞退、坂町らの甲子園への夢は決勝試合前に断たれてしまったのだ。
46歳の坂町は、実家で独り暮らしをしている。離婚した妻は娘の沙奈美を引き取って再婚していた。が、沙奈美は養父とうまくいかず、実父の坂町には捨てられたという思いを抱いている。大学生になった沙奈美は久しぶりに再会した坂町に対し、投げやりでとげとげしい態度を取る。
映画は、かつての野球部の面々が再会して再び甲子園を目指す中でノリの起こした事件の真相を明かしていくとともに、坂町と美枝の、それぞれの娘と父に対する思いを描いていく。
ノリが事件を起こした経緯については大体予想がついてしまい、若干できすぎの感もしてしまうのだが、毎年出せない年賀状をチームメイトに書いていたことや、年賀状を書く父の姿が美枝にとって数少ない父の思い出であることはよかった。
マスターズの県大会決勝戦、かつてのライバル所沢工業チームの「うちは毎年マスターズで甲子園行ってるから今年は譲りますよ」という申し出を断り、勝負に挑んで、太めのキャッチャーで打者の山下がここぞというところで打つ場面は、すかっとした。
父を亡くした美枝と、娘とうまくいかない坂町が、互いに相手の存在を父と娘のそれに重ね合わせ、心を通わせていく様子が、押しつけがましくなく描かれていてよかった。
ラスト近く、美枝が沙奈美に坂町のことをいろいろ伝えたであろう、二人のやりとりの部分が省略されているのもあっさりしていていい。
チームメイトの高橋が失業していながら妻子とうまくいっているのはほっとするし、山下の太った息子が父の活躍にすぐ涙ぐむのもほほえましかった。
いろいろな部分でいい感じにバランスがとれている映画だと思った。(2015.1)
ポイント:「一球人魂」(「人」の字はまちがいではありません。)
おまけ情報:「マスターズ甲子園」は2004年から実際に開催されている大会で、神戸大学内に事務局がある。http://www.masterskoshien.com/about.html


96時間 レクイエム  Taken3
2014年 フランス 109分
監督:オリヴィエ・メガトン
製作・脚本:リュック・ベッソン
出演:ブライアン・ミルズ(リーアム・ニーソン)、レノーア(ファムケ・ヤンセン)、キム(マギー・グレイス)、スチュアート・セントジョン(ダグレイ・スコット)、サム(リーランド・オーサ)、ケイシー(ジョン・グライス)、バーニー(デヴィッド・ウォーショフスキー)、フランク・ドッツラー刑事(フォレスト・ウィテカー)、オレグ・マランコフ(サム・スプルエル)
シリーズ3作。ずっとブライアンの片思いのように見えていた元妻レノーアとの関係がせっかくいい感じになってきたと思ったら、彼女は何者かによって殺されてしまい、ブライアンは容疑者として追われる羽目に陥る。2作目から既に“96時間”は関係なくなっていたが、今回は原題の“TAKEN”(誘拐、拉致)も関係なく、設定は歴然と「逃亡者」である。追って来る刑事が、有能な奴で途中でひょっとしてブライアンは犯人ではないかもと思い始めるあたりも「逃亡者」っぽい。(フォレスト・ウィティカーは、「フォーン・ブース」でも似たような刑事役を演っていた。)CIA時代の仲間が手を貸し、独りになった娘キムを気にかけるあたりが、「96時間」シリーズであり、「逃亡者」とちょっと違うだろうか。
無敵の父は健在である。ロシア人マランコフという悪役の後ろに隠れていた犯人は、この人がここまで悪いことをするのかと、情容赦のない人物設定にちょっと気の毒な思いすらしたのだが、ブライアンという男を知っているがゆえに彼ならこうするだろうという予想のもとで計画を立て、まんまと彼が暴走するのは、「96時間」らしいと思った。
警察の追跡から必死で逃れる身でありながら、キムに会うため女子トイレで待ちうけているなんて、ブライアンの本領発揮、一人で母の死の悲しみに耐えてきた娘と逃亡中の父が抱き合って泣くところはいい。しかもその後、「妊娠したかもしれない」という若気の至りの相談を切りだす娘とそれになんと応えていいのかわからず戸惑うお父さんという展開、この状況でそれかよという感じが、よかった。 (2015.1)
<関連作品>
96時間」(2009)、「96時間 リベンジ」(2012)

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