みちのわくわくページ

○ 本 SF 量子論SF

<作家姓あいうえお順>
宇宙消失(クレッグ・イーガン)
神様のパズル(機本伸司)
タイムライン(マイケル・クライトン)
数学的にありえない(アダム・ファウアー)
参考:「量子論を楽しむ本

宇宙消失 Quarantine
クレッグ・イーガン著(1992年)
山岸真訳 創元SF文庫
2086年のアメリカ。
元警官のニックは、入院中の病院から忽然と姿を 消した脳障害を持つ女性ローラの捜索依頼を受ける。この出だしで近未来SFハードボイルドかと思ったが、しかしみるみるうちに矛先が変わり、読み手は量子 物理学の世界へ無理矢理引き入れられていく。実はかなりめちゃくちゃな量子論ネタSFである。
読み進むにあたっては、まず、この時代で起こっていることを二つ前提と して受け入れておく必要がある。
一つは、人々が「モッド」と呼ばれる極小機械を使用していることであ る。
これは、「脳神経をナノマシンで再結線して用途別にコンピュータ化するというもの(訳者あとがきより)」で、つまり、頭の中にいろいろな機能を持つ超 小型のパソコンが入っているようなものであるらしい。頭の中でデータの検索や映話の送受信ができるし、五感を強化したり感情や思考を制御することもでき る。
ニックは、これを利用しまくっている。モッドの感情抑制によって妻の死に対応し、死んだ妻のホログラムを出現させるプログラムを組んでいる。仕事の依頼も頭の中で受ける。
二つ目は、この時代の地球上からは星が見えなくなっているということで ある。
ニックが子どもの頃に、夜空から星が消えるという出来事が起こった。巨大な黒い球体に太陽系が覆われてしまったのだ。その球体はバブルと呼ばれ、正 体は謎のままである。
ローラの行方を追うニックは、とある製薬会社の研究所にたどりつくが、 そこの警備係にスカウトされ、不可思議な実験を知る。
それは、ミクロの世界において重ね合わせの状態にある素粒子を観察者が思い通りに収縮させるというものだった。
被験者の女性錘玻葵(チュン・ポークウイ)の「収縮阻害モッド」と「固有状態操作モッド」に同調したニックは、自ら拡散し収縮して、モッドの設計図を手に入れようとする。
拡散し、「ちがう」バージョンに枝分かれしたニックは途中で消え、収縮 した時点では「うまく」いった方のバージョンのニックになっている。という展開が何回か見られる。
量子論関係の専門用語が飛び交って、元警官がなんでこんなに詳しいのだろうと疑問を抱くが、多くの人間がナノマシンを脳内に取り込んでいる時代にあたっては、それが一般教養なのかもしれない。 ある程度、量子論について知っていた方が楽しめる。原題は「隔離」の意。 波動関数の収縮の話は、やがてバブルの謎につながっていく。

★以下強力なネタばれ!!
人間がいない宇宙では、重ね合わせの状態が普通であり、波動関数を収縮させるのは、人類のみが持つ特殊な能力である。人間が観察することによって、宇宙が収縮 し、重ね合わせの状態で存在していた多くのものが消失する。重ね合わせを常態とする生命体にとってそれは、自らの身体をいきなり輪切りにされるに等しいこ とになる。この殺戮ともいえる暴挙を阻止するため、彼ら(=エイリアン)はバブルをつくって人類による宇宙観察を止めさせ、さらに自分たちの仲間を地球に 送り込んだ。それがローラだったのだ。 (2008.1)

神様のパズル
機本伸司著(2006) ハルキ文庫(角川春樹事務所)
16歳の天才少女と平凡な大学生男子が、宇宙の作り方を研究する素粒子物理学青春SF。
タイトルは、アインシュタインが言ったとされている「私は“神のパズル”を解くのが好きだ」という言葉からとったもの。
就職も卒業の単位も危うい大学4年生の綿貫基一は、苦手な素粒子物理学のゼミに入るが、そこで、担当の鳩村教授から、自宅にひきこもっている学生穂瑞沙羅 華をゼミに参加するよう誘ってほしいと頼まれる。沙羅華は、天才的な頭脳を持つ少女で、飛び級制度により16歳で大学に入学し、大学が加わっている国レベ ルのプロジェクトとして建設中の巨大加速器「むげん」の基礎原理であるクロストロン方式の発案者でもあった。
何年か前はアイドルとしてもてはやされていた彼女だったが、現在は人前に出ることはほとんどなくなっていた。綿貫があった沙羅華は、無表情でつっけんどん で、おじさんのような口調で難しい専門用語を使って話をする少女だった。
「人間は宇宙をつくることができるのか?」というテーマで、綿貫は沙羅華とチームを組んで、他のゼミ生とディベートをすることになった。(そのため、素粒 子、電磁気力と重力、強い力と弱い力、相対性理論、力の統一、宇宙論といった物理学全般についての概略をゼミ生が順に発表していくことになり、これは物理 学を知らない読者にとってはわかりやすくありがたかった。)
ゼミは、建設中の「むげん」の施設内でも行われる。山の中にそびえる巨大な施設は、おそらくノーベル賞を取った小柴博士によって有名になったカミオカンデ のようなものなのだろうと想像する。
穂瑞は、「光子場仮説」という説を考え出し、パソコンを用いて宇宙誕生から終焉までのシミュレーションを行う。一方、世間では「むげん」の不調が取りざた され、基本理論を発案した沙羅華に対してひどいバッシングが行われるようになっていた。
沙羅華は、ディベートをほぼ放棄するような形で敗北を認め、姿をくらます。彼女が「むげん」の設備を用いて世界を終焉に導こうとしていることに気づいた綿 貫とゼミのメンバーは、彼女の計画を阻止しようとするが。
文庫の巻末に載っていた大森望氏の解説によれば、穂瑞沙羅華は、ホミズ・サラカつまりホームズ・シャーロックであり、彼女が綿貫を「綿さん」と呼ぶのは、 ワトソンに 通じるらしい。二人は宇宙開闢の謎解きをする名探偵とちょっと鈍い相棒兼語り手の役回りであると示されていることになる。
学生たちは、宇宙創生という壮大な内容の議論を交わす一方で、恋愛関係や穂瑞をちょっと敬遠気味などといったごくありがちな人間関係を展開する。最先端の 巨大な科学研究施設「むげん」の真下には取り残されたような田んぼが広がり、綿貫はもろもろの事情からゼミの勉強の傍ら、田んぼの主のおばあさんを手伝っ て田植えや稲刈りをするはめになる。こうして、宇宙規模のものと普通の人間くさい営みとが同居して描かれているのが興味深い。
小説のテーマ自体も、宇宙の作り方から、自分はなにかという個人的な問題へと移っていく。自分の出自に苦しんでいた穂瑞は、世界の滅亡を企てるまで思い詰 めるが、やがて生きるための活力を得ていく。その様子が、田んぼにこだわる綿貫が稲を育てていく姿と通じるようでいい。
綿貫は、穂瑞のことを気に掛けながらも結局ヒーローとはならず、最初から最後まで普通の人のままだ。卒論で彼が示した物理の「保証論」は、理系ぽくなくて いい。というか、彼がなぜ理学部の学生なのかは、最後まで謎のままだ。(2008.10)

映画化:「神様のパズル」(2008年、監督:三池崇史、出演:市原隼人、谷村美月)

数学的にありえない Improbable
アダム・ファウアー著(2005年)
登場人物:デイヴィッド・ケイン(数学者)、ジャスパー・ケイン(ケインの双子の兄、元統合失調症)、ナヴァ・ヴァナー(CIA工作員)、ドクター・ト ヴァスキー(謎の人体実験を行う物理学者)、ジュリア・パールマン(トヴァスキーの生徒、愛人、被験者)、ジェームズ・フォーサイス(国家安全保障局科学 技術研究所所長)、スティーヴン・グライムス(科学技術研究所所員、盗聴・監視任務のエキスパート)、トミー・ダソーサ(タワーレコード従業員、ケインの 幼馴染み)、ドク(数学者、ケインの恩師)、ヴィタリー・ニコラエフ(ロシア人の地下カジノ経営者)、コズロフ(ニコラエフの用心棒)、マーティン・クロ ウ(元FBI捜査官、プロの追跡屋)、ジム・ダルトン(傭兵)、エリザベス(ケインが通う病院に入院している少女)
若手数学者デイヴィッド・ケインは、講師という天職を得てギャンブル三 昧の生活を抜け出した矢先、強烈な癲癇の発作に襲われる。教壇に上がるたび異臭とともに幻覚と吐き気を覚え、講師を続けられなくなった彼は、再びギャンブ ルに溺れ、払いきれない多額の借金を負ってしまう。
一方、機密事項を海外の情報機関に売っていたCIAの工作員ナヴァ・ ヴァナーは、北朝鮮海外反探局工作員との取引に思わぬミスを犯し、苦しい立場に追い込まれる。
この二人をメインに、統語失調症の後遺症を残すケインの双子の兄ジャス パー、謎の人体実験を行う物理学者トヴァスキー博士とその被験者となった女子学生ジュリア、宝くじで巨額の富を得たレコード店店員トミー、金になる研究成 果を欲する国家安全保障局下組織科学技術研究所所長のフォーサイス、フォーサイスを毛嫌いしながらも彼の元で働く盗聴・監視任務エキスパートのグライム ス、難病の娘を救うため高額の報酬をとるプロの追跡屋に身を落とした元FBI捜査官マーティン・クロウ、といった多彩な面々が絡む。
ロシア人ニコラエフが経営するバーのカジノで「ありえない」大敗を期した ケインは、またしても強い発作に見舞われる。他に治療法がないと医師に言われた彼は、精神に障害を来す副作用のおそれがあるという新療法を試みるが、これ により彼の内部で、それまで眠っていた「ありえない」力が目覚め始める。
ニコラエフの執拗な取り立てに悩まされるケインは、得体の知れない自分の能力に戸 惑いつつ、借金を返すためトヴァスキーの被験者となるが、やがてトヴァスキーの研究成果を横取りしようとするフォーサイスから追われる身となる。
自分の身を守るため独自にケインを拉致しようともくろんだナヴァは、行きがかり上ケインを危機から救い、二人はともに逃亡することになる。
ケインとナヴァは、クロウと傭兵ダルトンらの追っ手をかわして逃げ続ける が、やがてケインは全ての可能性を見越して追っ手を待ち受け、自ら敵の手に落ちていく。
途中、ジャスパーがケインの能力の謎を解き明かすのだが、その内容は驚愕の ひと言である。
タイトルから、天才数学者が「ありえない」犯罪の真相を論理的に解き明かしていく「ガリレオ」のようなミステリを勝手に想像していたのだ が、実は本作は「ありえない」ことを「ありうる」ものとしてどうどうと語り切ったSFである。
統計学や確率論など数学のうんちくは引き合いに出されるもの の、基本的には量子物理学におけるミクロの次元での理論をマクロ(人間)の世界にもってきた、量子論ネタSF痛快バイオレンスアクションである。(トヴァ スキーの正体について軽いだましがあり、この点はミステリっぽいと言えなくもない。)量子論の入門書に必ず出てくるダブルスリットを使った光の実験のほ か、ハイゼンベルクの「不確定性理論」、「シュレーディンガーの猫」、「ラプラスの魔」といった物理学用語が飛び交う。
専門にやっている人から見るとどう かはわからないが、私のように素人が聞きかじってなんとなく言葉は知っている、という程度だとなかなか楽しい。
殺人・誘拐を専門とする女工作員ヴァナの颯爽とした戦いぶりはかっこよ い。その経歴の凄まじさと人間離れした身体能力、さらにはかなりの美人であることなど、とにかくナヴァは「ありえない」ようなスーパーヒロインなのだがこれが決まっている。
一方、ケインは、頭はいいのかも知れないが、最初はギャンブル好きのだめ青年にしか見えない。が、次第に過酷な状況に適応し、自分の異能を受け入れ、世界のなりゆきを見据えて冷静に最善と思われる道を選んでいくようになる。列車の中でいきなりポテトチップを買い占めて線路にばらまくのはなかなか愉快だったが、追っ手を待ち受ける間に先を見越して二人の人物に メッセージを残す。その内容が明らかにされる段には、おおと感心せずにいられない。
物語の前半にちりばめられた伏線が、後半のノンストップアクションの中 で次々に開花していくのをたどるのは読んでいて痛快。ケインが幼少の頃に聞いた父の言葉や、テレビのクイズ番組の問題などさりげなく書かれていることも実 は伏線だったりするので、細部にも気を配っておくと後々楽しめる。(2007.12)

<以下、ケインの特殊な能力について、私なりに説明を試みています。>
トヴァスキーが研究のゴールとする「ラプラスの魔」の「ラプラス」とは、18世紀末から19世紀初めに活躍したフランスの数学者ピエール=シモン・ラプラ スのこと。
「天体力学」と「確率論の解析理論」で有名な彼は、古典物理学の決定論者としても知られていた。
ケインの講義によれば、「(ラプラスは、)物理 の法則をすべて理解し、宇宙に存在する物質粒子のある瞬間における位置をすべて知っている人間がいれば、その人間にはこれまでに起こったすべてのことがわ かるだけでなく、未来の歴史も完璧に予言できるだろうと考えた」ということらしい。
森羅万象は全て原因と結果からなり、世の中で起こることは全て物理的な 法則に従っているので、過去も未来も世界の事象を全て把握している存在が理論上ありうる、「魔」とは、そうした神のような存在を指す。
この「ラプラスの 魔」は、その後量子論が発展し、「不確定性理論」の登場によって未来の予測は不可能ということで否定されるのだが、本作品ではこの「ラプラスの魔」に、量 子論に基づく枝分かれする未来の考え方がプラスされる。
★以下ネタばれ!!
ケインが得た「魔」の能力は、光速より速いスピードを持つ強力な思考波(アインシュタインの一般相対性理論を踏まえ、光より早いものは未来に行くことができるという理屈らしい)でもって人類が共通して持つ「集合的無意識」(実はジュリアがこれと合体している)にアクセスし、それによって、過去だけでなく無数に枝分かれする未来に起こりうる事象の全てをも把握し、さらに はその中からどれを現実のできごととして起こすかを選ぶことができる。
つまり、ケインは、量子論でいうところの不確定な重ね合わせの状態にある事象を自分にとって都合のよい状態に「確定」することができるのである。
それは、未来を知るだけでなくコントロールすることができるということになる。
「無限の未来を知ってるってことは、なにも知らないに等しいんだよ。」とケインが言う通り、どれを選んでもどこかで不都合は生じる。また、無数に枝分かれした状態の全 てを見るには膨大な時間がかかるので、間に合わないこともある。
そこでケインは腹をくくり、とりあえず自分や周囲の人間にとって最善と思われる道を選ぶのだが、それはあくまでも可能性であり、決定的なものではない。些細なことで未来は方向を変えてしまう。そこに彼の専門分野である確率論が登場することにも なるのだ。
ひと言:「未来を予知することは不可能だ。しかし、現在の状況をしっかり把握していれば、未来をコントロールすることはできる」:ケインが6歳のとき、チェスをしながら父が言った言葉。

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