みちのわくわくページ

本 本 時間論など

<著者姓あいうえお順>
時間は実在するか(入不二基義)
時間はどこで生まれるのか(橋元淳一郎)
タイムマシンの作り方(矢沢サイエンスオフィス)

時間は実在するか
入不二基義著(2002年)
講談社原題新書
イギリスの哲学者J・M・E・マグタガート(1866-1925)の時間論について説明している。
A系列、B系列、C系列を用いて、マクダガートが提示した「時間の非実在性」について、その議論を丁寧に追って、検証を試みている。それぞれの系列につい てまとめると以下のようになる。
<A系列>
・過去−現在−未来からなる時間的な変化・動きを示す。中心には「今」の自分がいる。 
 @出来事Mは、(今は)未来であり、(これから)現在となり、過去となる。
 A出来事Mは、(かつては)未来だったが、(今は)現在であり、(これから)過去となる。
 B出来事Mは、(かつては)未来だったし、現在だったが、(今は)過去である。
<B系列>
・より前、より後という時間的な順序関係を示す。
・出来事MはNより前、出来事NはMより後、という二項関係からなる。
・MからNになったという推移的関係を示すもので、NからMになることはないという反対称的関係および固定的関係にある。
・例として年表が挙げられる。
<C系列>
・時間的な方向性を持たないただの順序。無時間的な順序・秩序。
で、C系列+A系列=B系列という関係が成り立つ。
マクダガートは、以上のうちA系列が時間の本質であるとする。が、A系列は矛盾する。ゆえに時間は実在しない。というのが彼の導き出した答えである。
筆者は、「実在」と「現在」の意味を追及して、マクダガートのいう「矛盾」が本当に「矛盾」なのか、「矛盾」しているから実在しないという展開は正しいの か、を論じる。
前半部分の、3つの系列の説明とマクダガードが唱えた時間の非実在論あたりまでは、とても興味深く読んだ。そのあとの理論つづきの検証に入ったあたりから わからなくなってしまった。理論の上に理論を重ねていく展開についていけない。改めて自分はほんとに理屈に弱いなと思った次第です。(2008.2)


時間はどこで生まれるのか
橋元淳一郎著 集英社新書(2006年)
本書は、時間には物理学的時間と人間的時間が存在するとして、その違いを明確にし、時間の向きや流れ はどこから生まれるのか、過去は変えることのできない確定したものであるのに、未来は何故未知なのかという、謎に挑戦する。
まずは、色と温度を例に、物理学的説明と人間的考察の違いを説明。たとえば、温度計は、水銀の膨張(素粒子の運動量の変化)の程度を見るものであって、暑 さ寒さを直接測るものではない。
暑いとか寒いとかという感知は、人の感覚によるものだけなのである、など。
著者は、時間についても同様であるとし、イギリスの哲学者マクタガートが用いた時間の3つの系列、A系列、B系列、C系列という考え方を紹介する(マクダ ガートの時間論については、上記「時間は存在するか」を参照。)
続いて、時空図の見方や「時間は実数、空間は虚数」という相対性理論における空間と時間の関係を紹介したあと、量子論における時間の非実在性について述べ る。それによると、ミクロの世界(原子や電子の世界)では、時間の経過に密接な関わりのある因果律が成立しない、それどころか、時間を逆行する粒子さえあ るという。
つまり、時間の向きや流れは、無数の原子や分子が集まったマクロの世界から生まれてくる。「エントロピー増大の法則」という自然現象に逆らって秩序を(固 体を、あるいは自分の種を)維持しようとする生物の「意思」が時間の観念を生むということらしい。(この「エントロピー増大の法則」に逆らって秩序を維持 しようとする生物の必死のメカニズムについては、「生物と無生物のあいだ」において生物 学的な見地から詳しく書かれている。)

時間ネタSFを読んでいると、タイムマシンというものがどれほど実現性のあるものか気になってくる。 で、いろいろ時間についての本を読むのだが、読めば読むほどタイムマシンを作るのは無理らしいということが見えてくる。
時間を逆行するということは、原因があって結果があるという因果律を逆行することである。
で、元に戻せる現象、可逆な現象はなにかと考える。「覆水盆に戻らず」というが、厳密に言えばこれは可能と思われる。こぼれた水の分子を集めて盆に戻すこ とは、例えば、塩水を水と塩に分離することが可能なように、技術があればできると思う。
で、次に、どうしたって元に戻せないもの、つまり、不可逆なものには何があるだろうと考える。「種」が思い浮かんだ。子どもが小学生のころに、朝顔やひま わりの観察をするのを見てしみじみと思った。あんな小さな種からこんなに大きく成長して花が咲くなんて改めて考えると驚異だと。茎が伸びて大輪の花を咲か せるひまわりを種に戻すことはできないだろう。同様に、生まれ育った子どもを母親の胎内に戻すことも不可能に思われる。ということを考えると、生物の成長 を戻すことは不可能だ。生物は、不可逆だ。
といったようなことを普段からなんとなく考えていたのだが、この本は、素人の私が抱いていたこの漠然とした思いを、実に明快にてきぱきと理論立てて説明し てくれた。目からウロコが落ちる思いがした。
しかし、現象を元の状態に戻したからといって、時間がもどるわけではない。水と塩から塩水をつくり蒸留して水と塩に戻したとしても、それは、水・塩→塩水 →水・塩という過程をたどったのであって、水・塩→塩水が、水・塩←塩水となったわけではない。現象の可逆性と時間の逆行は全くの別問題で、それを専門家 は「時間の非対称性」と呼ぶようだ。
いずれにせよ、時間を遡ることは、またしても不可能らしいという答えが導き出されることになる。(2008.1)

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