みちのわくわくページ

○ 本 ミステリ(海外) まやらわ行

<作家姓あいうえお順>
キングの身代金(エド・マクベイン)
殺す者と殺される者、 幽霊の2/3(ヘレン・マクロイ)、 ある日どこかで、 深夜の逃亡者(リチャード・マシスン)、 高速道路の殺人者(ウィリアム・P・マッギヴァーン)、 フランクを始末するには(アントニー・マン)、 殺人者の顔(ヘニング・マンケル)、  汚れた雪(アントニオ・マンジーニ)、
もつれ一抹の真実怒り(ジグムント・ミウォエシェフスキ)、 
ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(スティーグ・ラーソン)、 時計は三時に止まる(クレイグ・ライス)
ボストン、沈黙の街(ウィリアム・ランディ)、クライム・マシン(ジャック・リッチー)
その女アレックス(ピエール・ルメートル)、 ブルーバード、ブルーバード(アッティカ・ロック)

キングの身代金 87分署シリーズ King’s Ransom
エド・マクベイン著
井上一夫訳
ハヤカワ・ミステリ文庫(1977) キンドル版
スティーヴン・キャレラほか87分署の刑事が活躍するシリーズ第10作。
「誘拐 P分署捜査班」を読むにあたって久しぶりにこのシリーズを読んだ。黒澤明監督映画「天国と地獄」の元ネタになったことでも知られる。(2022.5)


殺す者と殺される者 THE SLAYER AND THE SLAIN
ヘレン・マクロイ著(1957年) 
務台夏子訳 創元推理文庫(2009年)

★ネタばれあり!! この作品はネタばれが、読む意欲に大きく影響するので注意!!
マサチューセッツ州で大学に勤務している心理学者のハリーは、おじから多額の遺産を相続した直後、道端で転倒し頭部を打って意識を失う事故に遭う。
無事回復した彼は、大学を辞し、亡き母の故郷クリアウォーターに移り住む。
思いを寄せていた女性シーリアが、知人のサイモンと結婚したことを知ってショックを受けるが、彼女と再会し、乗馬や読書をして穏やかな日々を過ごす。
が、彼の身辺で異変が生じ始める。最初は、運転免許証が紛失したり、謎の手紙というかメモがいつのまにか机の上に置かれていたりといった些細なことだったが、やがて正体不明の徘徊者の噂が立ち、シーリアが侵入者と間違えて夫を射殺するという悲劇が起こる。
自分とそっくりな年上の従兄レックスに疑惑を抱き始めたハリーだが、やがてレックスも、自動車事故を装った殺人事件の犠牲者となる。
謎は募っていくが、しかし、ハリーの一人称の語り口により、ヒントはあちこちにちりばめられている。最初の事故後の年齢についての言及で、分かる人には、大体のからくりの予想がつくようになっている。
しかし、そうしたことがなぜ起こり得るのか、またそうした状況になった経緯についてどのような説明がくだされるのか、ということに興味が行くので、読む気が失せることはない。
起こり得るのかという疑問は、舞台となるのが1938〜48年であることで一応説明される。テレビはまだなく、ハリーは新聞を読んでいない。(それでも、10年のギャップには無理があるように思えなくもないが。)
昨今は、多重人格について多くの書物が出回り、小説や映画にもそうしたものを扱った作品が見受けられるが、それでも、副人格という真相は衝撃的だった。筆談による人格と人格のやりとりは、緊迫感に満ちている。
同じ人間でも、内部に共存する人格のどちらが出てくるかで、顔つきが大きく変わってしまうのだろう。ヘンリーが転倒したのはつい最近なのに、意識が戻ったときに出てきたのは10年ぶりに覚醒したハリー。ハリーにすれば、自覚がないまま10年が経っている。つまり実際は36歳なのに、自分は26歳だと思っている。鏡を見て、ショックを受ける。が、周りの人には、若返ったように見える。屈託だらけのヘンリーと、屈託のないハリーでは、別人のように見えるのだろう、と想像がつく。そうした描写がいちいち巧みだ。新訳を出すだけの価値がある、見事な一品だと思った。 (2013.9)

幽霊の2/3 Two-Third of a Ghost
ヘレン・マクロイ著(1956年) 駒月雅子訳
創元推理文庫(2009年復刊)
コネチカットの田舎にある出版社社長宅で開かれた内輪のパーティで、人気作家エイモス・コットレルが毒殺される。会場に居合わせた精神科医のペイジル・ウェイリング博士が捜査に乗り出す。
エイモスの別居中の妻ヴィーラはハリウッドの女優だったが、仕事を止めてエイモスの元に戻ろうとしていた。エイモスは、アル中から立ち直った過去を持つ が、彼女と結婚し同居していた3ヶ月の間は再び酒を飲み、執筆作業を全く行わなかった。
そこでエイモスの出版元の社長トニー・ケインとエージェントのガス・ヴィージーは、ヴィーラをエイモスから引き離す算段をし、ヴィーラをトニーの自宅に招待することにしたのだった。パーティ会場では、二人の批評家、エイモスの作品を絶賛するレプトンと、痛烈に批判するエイヴァリーが期せずして顔を合わせるはめになった。一方、ヴィーラと再会したエイモスは、断っていた酒を飲み、泥酔した状態でパーティ会場に現れる。
ガスの妻ヴィジーが、エイモス宛の手紙を間違えてヴィーラに送ってしまう最初の1章で、それぞれの関係を一気に説明してしまう手際のよさに驚く。以後、前半はガスとメグ、トニーとフィリパ、エイモスとトラブルメイカーで憎まれ役のヴィーラ、ベイジルとギゼラという4組の夫婦と、二人の独身批評家といった主要人物らが入れ替わり立ち替わり登場し、伏線をばらまきながら話を進めてゆく。トニーの妻フィリパは、富裕階級出の、個性的ではあるが趣味のいい装いに身を包んだ、魅力的な女性として描かれている。外見よりも知的な男性に弱いというのも、なかなかユニーク。
後半は、ウェイリングの犯人捜しとなるが、彼が最初に直面したのは、文字通りエイモスの「知られざる」過去だった。彼は、わずかな手がかりからエイモスの秘密を突き止め、彼の著作の内容から謎を解き明かしていく。
小気味のいい、上質のミステリ。アメリカの出版業界の様子や、それに対する皮肉めいたユーモアも楽しい。
奇妙なタイトルは、作中に出てくるゲームの呼び名を指す。親が参加者一人一人にクイズを出していき、1問答えられないと「幽霊の1/3」、2問答えられな いと「幽霊の2/3」となり、答えられない問題が3問目になると、「幽霊」となって死ぬ、つまりゲームから外される、というもの。しかし、当然、このタイ トルには二重三重に意味が含まれているのである。(2010.1)


深夜の逃亡者 Fury on Sunday
リチャード・マシスン著(1953年)
本間有訳 扶桑社ミステリー
ある事件がきっかけで精神病院に入院していたピアニストのヴィンスは、愛する女性ルースを救うため、脱走を決行する。
男色の看護士ハリーの誘いに乗る振りをして病室から抜け出たヴィンスは、隙を見てハリーを襲い、夜警から銃を奪って深夜のニューヨークの街に出る。
ルースの夫ボブを殺し、ルースを自由の身にして二人でどこかへ逃げようと思い詰めていた彼は、ボブとルースの家へ行こうとするが、地下鉄で警備員と揉めて負傷し、乗客の目を気にしてとっさに下りた駅から、知り合いの音楽マネージャー、スタンとその妻ジェーンが住むマンションに向かう。
やがて、ボブが、スタンから電話で呼び出され、そのあとをルースが追う。マンションの一室で過去の因縁のある者たち全員が顔を合わせ、壮絶な駆け引きと命の奪い合いを繰り広げる。
登場人物たちがひとりひとり実にくっきりと描かれていてわかりやすい。同じ場面で視点はころころと変わるのに、混乱することがない。
広告会社に勤めるボブと清楚な妻ルースという理想的な夫婦と、気弱な中年男のスタンと夫を軽蔑し無視し続ける淫乱な妻ジェーンという壊滅寸前の夫婦。
映画やドラマであれば主人公となるのは善玉夫婦ボブとルースなのだが、本作では、彼ら以外の、破綻した性格の持ち主たちの方が、強烈な印象を残す。臆病者である自分を責め続け、愛する妻の気持ちをなんとか自分に向けようとあがくスタンと、いわゆる悪女(バンプというのか)でありながら最後にいいところを見せるジェーン。そして、一丁の拳銃を頼りに、たった一人で彼らと対決する狂気のピアニスト、ヴィンス。死してなお彼の心を支配する亡き父親ソールの存在もまた怖い。
午前1時から5時までの4時間の間に展開するドラマは、スピーディで緊張感に満ちていて、はらはらどきどきさせられっぱなしだ。(2010.7)


高速道路の殺人者 KILLER ON THE TURNPIKE
ウィリアム・P・マッギヴァーン著(1961)
笹倉潤吾訳
ハヤカワ・ポケット・ミステリ(1963)

○高速道路の殺人者 Killer on the Turnpike
ある夜の高速道路を舞台に、逃げる殺人者と追う警官との攻防をスリリングに描く中編サスペンス。
○祈らずとも Without a Prayer
○ウィリーじいさん Old Willie
若い女性を襲った悪漢たちに、同じアパートに住む老人が立ち向かう。ウィリーじいさんと呼ばれる老人の名は、ウィリアム・ボニー。それは、アメリカ人ならみんな知っている西部のヒーロー、ビリー・ザ・キッドの本名だった。
○デュヴァル氏のレコード The Record of M. Duval
○ベルリンの失踪 Missing in Berlin
東西に分かれたベルリンで、西から東へ逃れようとする女性に、アメリカから来た男が救いの手を差し伸べる。
(2021.4)

フランクを始末するには Milo and I
アントニー・マン著(2003年)
玉木亨訳 創元推理文庫

気の利いたミステリ短編集かと思ったら、奇妙な味わいのしゃれたショート・ショート集という感じだった。こういうテイストは、最近はあまり見かけないのではないかしら。
★マイロとおれ Milo and I
「天真爛漫計画」というよくわからない当局の方針で、生後14ヶ月の赤ん坊を連れて捜査に赴く刑事の一人語りの事件記。赤ん坊のマイロは、殺人現場で、関係者の居室で、床を這い回っては、重要な手がかりを発見する。
★緑 Green
庭の芝生がきれいに刈られた閑静な住宅街で、唯一庭の手入れをしない「ぼく」は、屋根裏で密かに、「雑草」を育てていた。
★エディプス・コンプレックスの変種 The Oedipus Variation
プロのチェスの指し手を目指す「ぼく」は、新しく師事することになったチェスの師である博士から、勝負に勝つためには父親を憎めというアドバイスを受ける。父親とたいへんいい関係を保ってきた「ぼく」は、心の痛みを覚えつつ、父親につらく当たるようになり、チェスの腕はぐんぐん上達していった。
★豚 Pigs
主人公の「わたし」は妻とともに、風変わりな夫婦と知りあいになる。彼等はペットの豚をとてもかわいがる一方、「愛玩用」の若者を同居させていた。豚は心臓を患っていて、彼等は臓器移植を試みる。豚に心臓を提供したのは誰かという、ブラックな話。
★買い物 Shopping
独り暮らしの男の日々の買い物メモだけが続く一編。想像力をかきたてる、ブラックな実験的ショート・ショート。
★エスター・ゴードン・フラムリンガム Esther Gordon Framlingham
ミステリ作家を志望する「わたし」は、奇抜な探偵のアイデアを出しては、それはすでにある、とことごとくエージェントの女性に却下される。彼女は、「ルーファス神父」シリーズを書いている作家エスター・ゴードン・フラムリンガムが極秘のうちに死去したが、出版社はシリーズを望んでいるということで代筆者としての仕事を進める。「わたし」は気が進まないでいたが、やがてライバルらしき男が「わたし」の命をねらってくる。
★万事順調(いまのところは) Things Are All Right, Now
「わたし」は、かつて娘を死に追いやった麻薬中毒の男と偶然再会する。相手が誰か気づかないまま、男は他愛ない世間話を続ける。「わたし」は復讐のための行動に出る。
★フランクを始末するには Taking Care of Frank
スターのフランクは長生きしすぎて、みんなが困っていると、「わたし」のところにフランク殺しの依頼が来る。出版社もプロダクションもフランク追悼のための作品をこぞって用意しているのに、本人はいっこうに死にそうにないのだ。フランクのファンである「わたし」は気が進まないながらも、仕事をするためフランクの家に侵入するが、フランクの方が一枚上手なのだった。
★契約 The Deal
隣人のロン・クイントーンとその妻ジルは、入れ替わり立ち替わり「わたし」に契約の話をもちかけにやってくる。が、「わたし」は、がんとして受け付けない。事件を売り物にしようとするメディアとそれに抗する老人。殺人事件の被害者、こどもを殺された親の心情をたんたんと綴った、硬質な一遍。
★ビリーとカッターとキャデラック Billy. Cutter and the Cadillac
仲間うちでの賭の話。リーダー格でちょっと狡猾なビリーは、伯父から譲られたキャディラックを売りに出すという。仲間のひとり、でぶのカッターは、そんなに貴重な車を売ってはならないと訴える。ビリーは、カッターの持っている高価そうな時計に目をつけ、1週間のうちに5ポンド痩せたら、キャディラックをカーターにやる、だめだったらビリーがカーターの時計をもらう、という賭をする。どうしてもキャディラックを手に入れたいカーターは、驚愕の手段をとる。
★プレストンの戦法 Preston’s Move
チェスの解法を発見したという男の悲劇。「わたし」のチェス相手だったプレストンは、無名からどんどん勝ち進んで、チャンピオンを打ち負かすまでのプレイヤーになるが。
★凶弾に倒れて Gunned Down
七歳のとき堕胎医だった父を間近で殺された「ぼく」は、犯人の元狂信者カール・ヘンデンが、更正し、運動家として名を挙げていく様子を追い続けている。ある日、本のサイン会で、彼はヘイデンに再会する。(2012.11)

殺人者の顔 MORDARE UTAN ANSIKTE
ヘニング・マンケル著(1991年)
柳沢由実子訳 創元推理文庫
スウェーデン南部のスコーネ地方の小都市イースタの警察署に勤務する中年の警部クルト・ヴァランダーを主人公とするミステリ・シリーズの第1作。
農村に住む老人夫妻が、自宅で惨殺される事件が起こる。瀕死の老婦人が遺した「外国の」という言葉から、警察は犯人は外国人である可能性が高いと見て捜査を進める。が、極秘のはずの情報が漏れてしまい、移民逗留所の近くを散歩していたソマリア人が射殺されるという事件が新たに起こる。ヴァランダーらは、移民排斥運動家の犯行と見て、捜査を始める。
ヴァランダーは、二つの殺人事件の捜査に忙殺される一方で、家出した娘の心配をし、ぼけの症状が出てきた一人暮らしの偏屈な老人である父の心配をし、離婚を言い渡された妻に未練を残しつつ、新任の美人検察官に心惹かれたりもする。家庭の崩壊に悩み、酒を飲んで酔っ払い運転をしているところを部下の警官にみつかるが、部下は彼を見逃してくれる。家庭では不遇で、勤務は過酷だが、同僚や部下には慕われているようだ。彼が絶対的な信頼を寄せている鑑識のリードベリは、哀愁が漂っていていい。
派手なアクションも、胸のすくようなどんでん返しも、意外な真相の暴露もない。地味なおじさんが地道に捜査をするだけで、この釈然としない感じ、伏線だと思ったことが放置されたままの感じは、イギリスやアメリカのミステリだと消化不良になりそうだが、なぜか北欧の田舎町という背景にはしっくりくるようで、不思議な余韻を残す。(2012.12)



汚れた雪  PISTA NERA
アントニオ・マンジーニ著(2013)
天野泰明訳
創元推理文庫(2020)

<登場人物>ロッコ・スキャヴィーネ(アオスタ警察本部副警察長)、イタロ・ピエロン(ロッコの部下)、ディティーノ(同)、デルータ(同)、カテリーナ・リスボリ警部(同)、コルシ警察長、マルリツィオ・バルディ司法官(判事)、アルベルト・フマガッリ監察医、マリーナ(ロッコの妻)、セバスティアーノ(ロッコの親友)、レオーネ・ミッチケ(被害者。山荘のオーナー)、ルイーザ・ベック(ミッチケの妻)、ルイージ・ビヨーナ(スキー場スノー・キャット班チーフ)、オマル・ボルゲッティ(スキースクールのインストラクター)、アメデーオ・グネッリ(スキー場整備係)、アンナリータ(スポーツ用品店のオーナー)
アルプス山麓、スイスとの国境に近いイタリア北部の町アオスタを舞台に、ローマから左遷されてきたばかりの副警察長ロッコ・スキャヴォーネが殺人事件の犯人を追う。スキー場のゲレンデから戻る途中のスノーキャット(圧雪車)が男を轢いてしまう事故が起こる。被害者が雪に埋もれて倒れていたことから殺人の可能性が浮上する。寒冷地にはふさわしくないスーツと靴をまとったローマっ子のロッコは、寒さに毒づき、どんくさい部下に苛立ちながら、捜査を開始する。
イタリアと言えば地中海の陽光まばゆいイメージがあるが、それとはかけ離れた雪山の田舎町が美しく、新鮮だ。住民がほぼみんな知り合い同士というコミュニティで起きた殺人事件。ロッコは、口が悪くて、女好きで、警官のくせにマリファナたばこを吸って、悪事にも加担するが、捜査官としての腕はたち、なぜか憎めない性格。ぼやきながらも監察医のフマガッリや、バルディ司法官や、部下のイタロやリスボリ警部と仲良くなって、仕事をこなしていく。老後は南仏で妻とふたりのんびり過ごすことを夢見ていたが、その妻はもういない。愛妻マリーナが登場するのは彼の頭の中だけ、彼女が登場したの後の人気のない居室のシーンはいつも切ない。
ロッコは、最近あまり見かけなくなった魅力的なキャラクターだ。アマゾンのレビューなどを見る限り、無礼で型破りなところが昨今の読者にはいまいち好かれていないようだが、わたしとしては、次回作が出るのが楽しみである。(2020.11)



もつれ ENTANGLEMENT
ジグムント・ミウォエシェフスキ著(2007)(英語版 2010)
田口俊樹訳(英語版の翻訳) 小学館文庫(2018)

中堅の検察官テオドル・シャッキを主人公としたポーランドのミステリ・シリーズ第一弾。
ワルシャワ市内の教会で、右目に焼き串を刺された男の死体が発見される。被害者のヘンリク・テラクは、印刷会社の経営者で、精神科医のツェザリ・ルツキが教会の部屋を借りて泊りがけで主催していたグループセラピーに参加中だった。セラピーの参加者である男女3人とルツキが容疑者となり、シャッキはワルシャワ市警のオレグ・クズネツォフ警視とともに捜査を進める。ヘンリクの両親は既に亡くなっていること、娘のカーシャは自殺し、息子のバルテックは心臓病で余命いくばくもないこと、妻バルバラとの関係は冷えていたことなどヘンリクが不幸な状態にあったことがわかってくる。行われていたセラピーは、対象となる人物を中心に、他の参加者がその家族の役を演じるが、誰をどこに配置するかで、本人の家族との関係があらわになるという。心療セラピーの記録映像により、家族を演じるセラピーの参加者たちの言動を目にし、家族の役を演じた参加者に彼の家族の憎悪が乗り移って殺したのではないかという可能性も出てくるが、シャッキには信じられなかった。診療セラピーによる不可思議な現象の説明が興味深い。
そんな中、シャッキは、プライベートでは、妻ヴェロニカと幼い娘ヘレナと暮らす日々に倦怠を覚え、若い女性記者モニカに惹かれ、彼女とデートを重ねるようになる。
シャッキは、自分をくたびれた中年親父のように言うが、まだ30代半ばである。すでに白髪であるが、それはヘレナが病気にかかったときに心配のあまり一夜にして白髪になってしまったという経緯があるからだ。おしゃれで、見た目もかっこよさそうで、頭の回転も速く、なかなかいい男だという設定になっている。その彼が、おばさん化する妻にうんざりし、若い娘に夢中になりつつもそんな自分の不徳に思い悩む様子は滑稽なんだろうが、勝手にやってろという気がしないでもない。
ヘンリクの過去を追っていくうちに、話は、思いもかけない方向に向かう。ポーランドの歴史的事情に疎いので知らなかったが、ポーランド共産党の秘密警察や“d組織”など、歴史の暗部をみた思いがした。うたい文句では「予想の斜め上を行く」とあるが、真相は、もつれどころか、ウルトラC的なひねりを見せる。ミステリとしておもしろいかというとちょっと疑問だが、斬新なドラマだった。(2020.2)

一抹の真実 A GRAIN OF TRUTH
ジグムント・ミウォエシェフスキ著(2011)(英語版 2012)
田口俊樹訳(英語版の翻訳) 小学館文庫(2019)

敏腕だけど、白髪でぼやき屋で 浮気な検察官テオドル・シャッキを主人公としたポーランドのミステリ・シリーズ第二弾。
日本では、第3作の「怒り」がもっとも早く出版され、ついで第1作の「もつれ」、第2作の本編は一番最後の出版となった。つまり、3→1→2という順番で出版されているのだが、順番通りに読みたいと思い、「もつれ」のあと、「怒り」を読むのを控えているうちに、本作が出たのだった。
前作で妻ヴェロニカとの関係がぎくしゃくして若い女性記者モニカと浮気していたシャツキは、離婚し、モニカとも別れ、ワルシャワを出て、古都サンドミエシュでさびしい独身生活を送っていた。サンドミエシュは歴史ある美しい町だが、大都会ワルシャワとはちがい、大事件はめったに起こらず、人々はほぼ知り合い同士、誰かが何かをすればすぐに知れ渡るような田舎だった。そして、ユダヤ教徒迫害という暗い歴史を持っていて、今回の事件にはその歴史が絡んでくるのである。
公文書館となっている元シナゴーグ(ユダヤ教の教会)の近くの茂みで、女性の遺体が発見される。被害者は、市議会議員ゼゴシ・ブドニクの妻で、慈善事業家として知られていたエルジビエダ(エラ)・ブドニクだった。彼女は、のどを何重にも切り裂かれ、全身から血液を失った真っ白な裸体で発見される。すぐ近くで発見された凶器らしき刃物は、ユダヤ教徒が教義に則って動物を解体するときに用いる、でっかい包丁のような特殊な刃物だった。
サンドミエシュ地方検察局の同僚検察官バルバラ(パーシャ)・ソビエライと、サンドミエシュ警察の老警部レオン・ヴィルチュルとともに、シャツキは捜査を始める。
凶器や殺し方から反ユダヤ主義者による犯行という説が出てくるが、シャツキはそれはみせかけであるとして、エラの夫ブドニクを疑うが、その矢先、彼が死体で発見される。それもまた、ユダヤ教の血の儀式に見立てた異常な犯行なのだった。
シャツキは、著名な実業家でポーランド人会の名誉会員であるイェルジ・シレルが、エラと不倫の関係にあったことを突き止め、彼にも疑惑の目をむけるが、監視中にも関わらず、シレルは行方不明となってしまう。
エラが握りしめていたバッジの記号。ブドニクの死体の近くに血で書かれていた謎のアルファベットと3列の数字。市内の名所バシリカ大聖堂に展示されているユダヤ人による残酷な虐殺の絵画の数々と、その1枚に書きなぐられた「目には目を」という赤いラテン文字。謎の記号や数字という古典的な推理小説のなぞときあり、モーゼの五書からナチスによるホロコーストまでユダヤ人の迫害を呼び起こす歴史ミステリの趣あり、2つ目の死体、3つ目の死体と復讐鬼による連続殺人の様相あり、最後は、不気味なうめき声と野獣の遠吠えが聞こえる市街の真下に張り巡らされた地下道の冒険から、まさかの大惨事が待ち受けている。真犯人の正体は伝統的なミステリっぽい。しかも、その間に、検察官として他の担当事件があり、本筋とは全く関係ない案件、暴力夫を殺した女や妻を侮辱した父を殺した男など、やむにやまれず罪を犯してしまった人たちの話が差しはさまれたりする。「もつれ」でも思ったが、単にミステリというより、ごった煮のような、暗黒娯楽検察ドラマである。
主人公のシャツキについて書くと、彼は今回もいろいろぼやいている。女性に対してはまずその容姿について辛辣に評価し、関わると中身についてもなんだかんだ口うるさい。でも、評価を翻すのも速い。お、けっこういい娘じゃんと思うと、すぐエッチなことを想像したりする。同僚となったパーシャを散々けなしておきながら、割とすぐ彼女を見直し、結局いい感じの仲になる一方、最初に知り合ったクララについても自分から誘っておきながらバカ女とけなしまくるが、実は彼女が見た目だけでなく中身もしっかりした女性で、街の男たちのあこがれの的だったことを知り、別れた後で後悔したりする。こう書くと間抜けなセクハラ野郎のようだが、どこか憎めない。たとえばマイクル・コナリーの小説に出てくるハリー・ボッシュも惚れっぽい点では似ているが、最近の彼は女性に気を使いすぎるように見えて、そこまで気にしないでもいいのにと思うことがあり、シャツキのようなやつがけっこう新鮮だったりする。
シャツキは、またマスコミ嫌いである。反ユダヤ教がらみの犯罪と決めつけるマスコミ団の一人を怒鳴りつけ、それが取りざたされて町の有名人となり、道行く人に英雄視されて、嘆く。彼の理想は、ヒーローでなく「ゴールキーパー」だ。「スターは好きになれない。めだつことはなくても、着実に自分の仕事をこなす人間の方が好きだ。すぐれた捜査官は堅実なゴールキーパーのようでなくてはならない。セーヴするのが不可能なシュートは決められてしまうかもしれないが、クズみたいなシュートを逃すことはない。」のだ。
シャツキは40歳くらい、わけあって白髪だが、スーツがにあうそれなりのイケメンらしいことは、第1作でも示されていたが、今回は、彼のファンとなった家系調査人のミシンスキが、彼のことを「誇り高き保安官」といい、「ゲーリー・クーパーとクリント・イーストウッドのようだな感じだ。」とまで言って称賛している。
ついでに言えば、この小説には、他にもアメリカ映画のタイトルや俳優などに例える表現が頻繁に出てくる。ドブニクのことを「指輪物語」のゴラムのようだと言ったり、バシリカ大聖堂の司祭と助祭は「ハイランダー 悪魔の戦士」のショーン・コネリーとクリストファーランバートのようで、ユダヤ教のラビは、「ハリー・ポッター」のダンブルドアと「ガンジー」のベン・キングズレーを足して2で割った老人を想像していたら、実際は元ボクサーのイェエジィ・クレイ(ボクシングにに詳しくないので、この人だけわからなかった)に似た35歳くらいの男だったそうで、クララの兄マレクは若いころのポール・ニューマンに似ているらしい。(2020.3)

怒り RAGE
ジグムント・ミウォエシェフスキ著(2014)(英語版 2016)
田口俊樹訳(英語版の翻訳) 
小学館文庫キンドル版 上・下(2017)
最初に出たシリーズ3作目を、満を持して最後に読む。
シャツキは、ボーランド北部ヴァルミア・マズールィ州オルシュテイン市の検察官となっている。娘のヘレナと、恋人のゼニアと3人で暮らしているが、女二人にけっこう手を焼いている。
ある日、市街の地下の防空壕で白骨死体が発見される。戦時中のドイツ人の遺体と思われたが、死者はピヨトル・ナイマンという旅行代理店の経営者で、10日前まで生きていたことが判明する。それだけの短期間で遺体が白骨化することは考えられない。シャツキは、大学病院のフランケンシュタイン博士(という名前である)の調査実験から、ナイマンが大量の顆粒の排水管洗浄剤により生きたまま溶かされて殺されたことを知らされる。さらにナイマンは生前片方の手の指が2本なかったにも関わらず、遺体の手の指はすべてそろっていた。このことから、博士らはさらに調査を進め、手の指のほかにも、耳の内部の小さな骨など、ナイマンを含め計5人の男女の骨が集められて一人分の白骨死体として並べられていたことを突き止める。シャツキは他の骨の持ち主を探し始める。
と、かなり異様な犯罪にぐいぐいと興味を引かれつつ読み進んだが、このあたりまででも、シャツキは相変わらずいろいろぼやき続けている。検索局の女上司にむりやり広報係にさせられ、地元の高校の暴力追放イベントでスピーチをやる羽目に。前向きなことを言うべきと思いつつ、現状の犯罪の多さから悲観的な話をして教員ににらまれ、コンテストに優勝した女子高生ヴィクトリアの質問にも、そっけない答えを返す。家に帰れば、娘と恋人が彼の気を引こうと張り合っている。新米検察官ファルクはなにかと理詰めで正論を言ってきてシャツキに反論する。
そんななか、夫のことで相談に来た女性をシャツキはすげなく追い返してしまうが、彼女は夫に虐待を受けていたのだった。翌日、夫は別れたいと言う妻に逆上し、妻を襲った後、逃走する。ファルクに言われてしぶしぶ彼女の家を訪ねたシャツキは、泣き叫ぶ幼児と倒れていた彼女を発見する。彼女は一命をとりとめるが、ファルクはシャツキを激しく批難する。
ナイマン殺人事件も被害者への恨みの強さを示す残虐な殺し方の裏に、虐待が関係していたことがわかってくる。犯人に近づきつつあるシャツキだったが、やがて娘のヘレナに犯人の魔の手が伸びてくる。
ヘレナと久しぶりに二人で合ってゆっくり話をしたときに、シャツキは、自分の本質は「怒り」だと娘に指摘される。それは、犯人の状況も含み、本作を通して、一貫したテーマとなる。
結末の苦さはそんじょそこらの小説にはないものだ。アメリカの小説と違ってこの作家はなにをしでかすかわからないというはらはら感はずっとあったので覚悟はしていたが、こう来るかと思い、力が抜けた。のほほんと終わるよりはいいかもしれないし、だからと言って駄作だと言うことではなく、かなり読み応えのある小説なのだが、しばらくは感想を書く気にならないくらいやりきれないラストなのだった。1作目、2作目と順を追って読んできたから、よけい喪失感が大きいが、でも、この3作目を最初に読んでしまったら、ほかの2作は読む気にならなかったかもしれない。(2020.5)
追記:かなり個人的な思いだが。「セブン」という映画が思い出される、あの映画で最後に示される「怒り」はそれまでの一貫した流れから外れてどぎつくこすからい展開だとわたしは思っていてそれで映画の評価が下がったのだが、本編においてその影響がうかがえる部分があり、それが少々残念なところだ。


ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 Millennium MAN SOM HANTAR KVINNON
スティーグ・ラーソン著(2005年)
ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳 早川書房(上・下 2008年)
ベストセラーとなったスウェーデン製のミステリー三部作の第一作目。ハリウッド映画化にあたって、原作を読み、スウェーデン版の映画を見た。
失意にある中年男性ジャーナリストと、背中に龍の刺青を彫った若い女性調査員が、スウェーデン、ノールウェイ地方の孤島で40年前に起こった美少女失踪事件の謎を追う。
経済ジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストは、大物実業家の不正を訴えた記事を書き、名誉毀損で訴えられ、有罪となる。彼は、禁固3ヶ月の実刑執行を控え、共同経営していた経済誌「ミレニアム」の編集部を退く。
ミカエルは、ノールウェイ地方の孤島ヘーデビー島に住む、大企業グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルから、ある仕事を依頼される。表向きは、ヴァンゲル一族の家族史の執筆だが、真の狙いは、40年前に失踪したヘンリックの甥の娘ハリエットの行方を改めて調査することにあった。島へ渡る橋で事故が起き、密室状態にあった島で、彼女は忽然と姿を消した。ヘンリックは、ハリエットは何者かによって殺害されたと考え、40年間、調査を続けてきたのだった。
ミカエルが、裁判で有罪判決を受け、「ミレニアム」の共同経営者であり愛人であるエリカと今後のことを話し合い、ヘンリックの依頼によってヘーデビー島に滞在し、調査を開始する様子が、比較的のんびりと描かれる一方、セキュリティ会社で非常勤の調査員として働く風変わりな若い女性リスベット・サランデルが置かれている孤独で過酷な事情が示される。彼女は、身体のあちこちに刺青を入れ、ピアスをつけ、革ジャンを着てカワサキのバイクを乗り回す。パソコンを自在に使うハッカーでもあるが、何か相当辛い過去を持っていて、後見人制度によって後見人をつけられている。
調査において新たな手掛かりを得て、助手を必要としたミカエルは、ヴァンゲルの弁護士フルーデが、自分を雇う際に身上調査を依頼したリスベットの報告書を見てその有能さを認め、彼女に調査の協力を依頼する。
前半は、40年前の事件の説明と遅々として進まないミカエルの調査の様子に加えて、エリカとのちょっとうっとうしい愛人関係や島にきてから一族の一人セシリアとすぐさま深い仲になるといったミカエルの女性関係がえんえんと描かれたり、中途半端なところで3ヶ月弱の収監が差し挟まれたりなど、割ととりとめなく進む。
後半、リスベットとチームを組み、40年前の写真からハリエットが「見たもの」を探りあて、ハリエットが書き記した謎の番号から極悪な連続殺人を解き明かしていく段になると、ミステリの醍醐味が出てきて、犯人との対決まで一気に読み進める。
謎や謎ときの方法としては、さほど目新しくはなく、真相も途中から予想できないでもないのだが、リスベットとミカエルの、水と油のようでいて、意外としっくりいくチームがなかなかよく、楽しめる。
スウェーデンのノールウェイ地方という、あまりなじみない北欧の田舎の風景や雰囲気の描写が、新鮮でもあった。零下20〜30度という極寒の季節に調査が始まり、暖かい季節の訪れとともに、謎が解けていくというのもいい。(2012.2)

おまけ:ミカエルは、その取材力から「カッレくん」というあだ名をつけられていて、本人はこれを嫌っているということになっている。「名探偵カッレくん」は、子どものころ、夢中で読んだ。たいへんおもしろかった記憶があるが、娘が小学生のころ図書館で借りてきたので、読み返してみたのだが、おもしろさは全く色あせていなかった。私は、極上の娯楽ミステリのひとつであると思う。
映画化:「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(2009年 スウェーデン/デンマーク/ドイツ)
ドラゴン・タトゥーの女」(2012年 アメリカ)


時計は三時に止まる  8 Faces at 3
クレイグ・ライス著(1939年)
小鷹信光訳 創元推理文庫(1992年初版。2018年復刻版で読む)
(※1987年光文社文庫より「マローン売り出す」の題で刊行)

ある夜、富豪の老女アレクザンドリア・イングルハートが屋敷で殺される。車いすに座ったまま、何者かに刺殺されたのだ。
死体のそばに倒れていた相続人の姪ホリーが容疑者として逮捕される。
しかし、彼女は無実を訴える。眠っていた間に狭い空間に閉じ込められた夢を見たこと、深夜に自室のベッドで目覚まし時計のベルで目覚め、時間を確かめようとしたら、屋敷中の時計がすべて3時で止まっていたこと、伯母の部屋に入って死体を発見し、失神したことを話すが、警察も周囲の人たちも彼女は気が変になって殺人を犯したのではないかと疑うのだった。しかし、ホリーは、叔母の反対を押し切り、人気バンドのリーダー、ディック・デイトンと密かに結婚していた。殺人は、彼女がディックと駆け落ちしようとした晩に起こる。莫大な遺産の相続権を失ってでも彼と結婚したいホリーには伯母を殺す動機はなかった。
一方、伯母の死体と近くに倒れていたホリーを発見したホリーの双子の兄グレンと執事のパーキンスは、夜、外出先からホリーが事故にあってけがをしたから病院に迎えに来てほしいという電話をかけてきたため、二人して車ででかけたが、ホリーはみつからず、屋敷に戻ってきたと言うのだった。
まるでパラレルワールドのようにかみ合わない双方の証言の真相を追うのは、愉快な3人組である。
ディックのバンドマネージャー、ジェイク・ジャスタスは知りあいの弁護士ジョン・ジョゼフ・マローンに助けを求め、ホリーの隣人で友人である娘ヘレン・ブランドも加わって、事件の真相を追う。能天気で楽観主義だが人を見る目はあるジェイク、見た目はよくないが腕はいい弁護士のマローン、青いパジャマがお気に入りで大の酒好き、運転は暴走気味の破天荒な金持ち娘ヘレン、3人それぞれニークでおもしろかった。
この後、マローン・シリーズとして、何作かあるらしい。(2018.1)

ボストン、沈黙の街 Mission Flats
ウィリアム・ランディ (アメリカ2003年)
東野さやか訳 ハヤカワ文庫
湖岸の小屋で殺された検事補の事件を追って、ボストンを訪れた田舎町の若き警察署長ベン・トルーマン。
殺人事件に不慣れなベンは、元ベテラン刑事ケリーの助けを得ながら、大都市の無法地帯で、海千山千の刑事たちを相手に犯人を追及していく。
という謳い文句に誘われて小気味のいい警察小説を期待して読むと、ちがう。
読んでいるあいだじゅう、気になっていた思わせぶりな一言一言が周到な伏線になっていて、途中から他の登場人物だけでなく読んでいるこっちもベンが信じられなくなってくる。この居心地の悪い、不安定な状況は、法には限界があるということを身を以て知っている元検事補である作者の主張を如実に表しているのかも知れない。が、やっぱり納得できない。エンディングのサプライズをどうとるかが問題と「このミス」には書かれていたが、頭が固いといわれても、私はフェ アじゃないと思う。(2004.2)


クライム・マシン The Crime Machine
ジャック・リッチー著 
好野理恵他訳 河出文庫(2009)
<※ネタバレ多少あり!>
犯罪絡みのちょっとひねった展開が楽しめる、粋でブラックな短編集。
☆クライム・マシン The Crime Machine(1961)  好野理恵訳
殺し屋の「おれ」は、タイムマシンで殺人現場を目撃したという男の訪問を受け、口止め料を要求される。タイムマシンの存在など全く信じない「おれ」だったが、男が「おれ」の犯行現場の詳細を知っている理由が他に考えられないのだった。一方で「おれ」は、美しい妻の行動が気になり、監視のため、探偵を雇っていたのだが、そのことがタイムマシンの謎とつながってくる。
☆ルーレット必勝法 Where the Wheel Stops(1958)  好野理恵訳
カジノで勝ち続ける男。店のオーナーは、男の必勝法を探ろうとするが、そこで意外な事実を発見する。男は毎回勝っていたのではなく、勝ったようにみせかけていたのだった。
☆歳はいくつだ For All the Rude People(1961) 藤村裕美訳
癌の宣告を受けた男が、町で出くわす礼儀知らずの人間どもをやっつける。邦題は、男が無礼な相手に声をかけるとき、最初に問う言葉。
☆日当22セント Twenty-Two Cents a Day(1966)  好野理恵訳
冤罪で刑務所に入っていた男が出所する。彼は、役に立たなかった弁護士や、嘘の証言をした証人たちを訪ねる。男の復讐を案じた刑事は、彼を監視するが。タイトルは、刑務所の労働は日割り計算すると日当22セントという意味。
☆殺人哲学者 The Killing Philosopher(1968) 谷崎由依訳
小屋に一人で住む男をスーツ姿の男たちが訪ねてくる。男は、刑事らしき二人に、生活の心配もなく誰にも邪魔されずに思索に耽るには、死刑判決を受けて刑務所の独房に入るのが一番ということで、通りがかりの少女を殺したのだと、自分の計画実行の様子を得意げに語るが。
☆旅は道づれ Traveler’s  Check(1962) 谷崎由依訳
飛行機で隣同士に乗り合わせた二人の婦人は、おしゃべりをするうちに、二人の夫が同一人物であることに気づく。夫は、やっかいな女を同時に消す計画を立てていたのだった。
☆エミリーがいない The Absence of Emily(1981)  好野理恵訳
妻のエミリーが失踪したという夫の怪しげなそぶりに、エミリーの姉は、妹は夫に殺されたのではないかと言う疑いを抱く。妻殺しの犯人らしき夫の一人称で描かれる、小粋なミステリ。
☆切り裂きジャックの末裔 Ripper Moon(1963) 藤村裕美訳
妻がやがて相続すると思われる財産を目当てに結婚した精神科医の男。が、財産は妻の妹が相続することが判明する。彼は、自分を切り裂きジャックの末裔だと信じる患者を利用して、妻殺しを企む。
☆罪のない町 Lily-White town(1960) 谷崎由依訳
噂話の会話だけで、平和な町に隠された犯罪を見事にほのめかすショート・ショート。
☆記憶テスト Memory Test(1965)  谷崎由依訳
動物虐待をする人を何人も毒殺した罪で服役していた老婦人が出所する。仮釈放審議委員の博士は彼女を自宅の使用人として引き取るが、そこには隠された目的があった。
☆記憶よ、さらば Good-by, Memory(1961)  好野理恵訳
記憶喪失の男は、召使いだという男から自分が妻を殺したと知らされる。口止め料を要求してくるその召使いを殺してしまうが、妻は生きていたのだった。男は、プライドが高く、馬鹿にされるとその事実から逃避するため一切の記憶を失うという都合の良い習性を持っていた。
☆こんな日もあるさ Some Days Are Like That(1979)  藤村裕美訳
身元不明の男の死体を自分の叔父と認めて引取りにきた姪。後から死体は、違う男であったことが判明する。ヘンリー・S・ターンバックル部長刑事は、そこに殺人事件の臭いをかぎつける。名推理をしたつもりが、自分の思惑とは全く関係ないところで事件解決に重要なヒントを与えていた、というちょっとずれた刑事の迷走がおかしい。
☆縛り首の木 The Hanging Tree(1979) 藤村裕美訳
捜査の帰り、寂しい村に紛れ込んだ二人の刑事。村の小学校の校庭の木には、絞首索結びのロープがぶら下げられていた。1847年、村の人々によって処刑された魔女によって、村には呪いがかけられていた。ミステリというよりは、恐怖譚。
☆デヴローの怪物 The Deveraux Monster(1962) 藤村裕美訳
古い屋敷にまつわる怪物の伝説。屋敷の主人ジェラルドは、祖父から父を経て一通の手紙を受け継いでいた。それには毛むくじゃらで黄色い歯をもつ怪物のことが記されていた。殺人事件は、本当に怪物が犯人なのか。ホラーの様相を呈した時代を超えたミステリ。

その女アレックス  ALEX
ピエール・ルメートル著(2011年)
橘明美訳 文春文庫(2014年)
★ダイレクトではないけれど、なんとなくわかってしまうかもしれない感じでネタばれあり★
「週刊文春2014年ミステリーベスト10」などで1位を獲得した、話題のフレンチ・ミステリ。
猟奇的な内容あり、作者による画策ありで、賛否両論、駄目な人は駄目らしい。アクションやハードボイルドは好きだけど、猟奇殺人や監禁ものにさほど興味があるわけではないので読もうかどうかちょっと迷ったのだが、これはこれで面白かった。アレックスが強烈だった。
一部では、アレックスという30歳の美女が突然誘拐され、窮屈な木製の檻の中に監禁される事件が起こる。警察は、目撃情報をもとに捜査を進めるが、犯人はおろか被害者の身元をつかむこともできない。やがて犯人が特定されるが、被害者のアレックスは自力で脱出を図ったあとだった。
二部では、一部の内容を受けた、猟奇的連続殺人の様子が、犯人側と警察側との両方から交互に描かれる。
三部では、警察により、一連の犯行の謎解きが行われる。
語り口は一方的で、作者のやりたい放題である。これを公明正大さに欠くということで批難するミステリファンもいるようだが、本格推理とは捉えず、小説は作家のもの、錯覚やミスリードを招くのもねらいのうちと思って読めばいいかと思う。本の紹介文やアマゾンなどの書評を読めば、騙しがあることはわかるので、最初から地の文を鵜呑みにせず警戒しながら読み始めたのだが、途中から勢いに押されてほぼ流れに身を委ねてしまった。例えば犯人は、なぜ、トゥールーズへ行き、パリに戻り、ドイツ行きトラックに乗り、そしてまたパリへ戻ってきて、スイス行きの航空券を買ったのか。読みながら感じた違和感をきちんと突き詰めれば、途中で真相は予測できるかもしれない。痛いのや苦しいのが苦手だと辛いかもしれないし、酷い話ではあるが、勢いがあって力強かった。善悪とか道徳観念とかお構いなしに、強烈なキャラクターとサスペンスでぐいぐい押していく感じがよかった。
ただ最後は、捜査陣がああいう人たちだったからいいものの、身も知らぬ警官に大事な結果を委ねすぎではという気がする。
そのパリ警視庁犯罪捜査部の捜査陣が個性的。班長のカミーユ・ヴェルーヴェン警部は、有名な画家を母に持ち、しかもその母が妊娠中に禁酒しなかったせいで発育不良となり身長が145センチしかない、さらに最愛の妻を誘拐殺人事件で亡くして心に傷を負っている。その彼を気遣う部長のジャン・ル・グェンは肥満の巨漢、部下はおしゃれで人好きのするイケメン富豪刑事ルイ・マリアーニと貧乏人根性丸出しの刑事アルマン。この4人の組み合わせはマンガみたいだが、そのおかげで話の悲惨さが緩和されているように思う。カミーユが最後に「正義」を口にすることに異議を唱える声があるようだが、いやいや、ここで正論を持ち出すのは野暮な話、してやったりの感情論で構わないだろうと私は思った。(2015.4)

ブルーバード、ブルーバード BLUEBIRD, BLUEBIRD
アッティカ・ロック著(2017)
高山真由美訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ(2018)

テキサス州の田舎町ラークのバイユー(湿地の川)で、死体が2つ相次いで発見される。最初は、シカゴから訪れていた黒人弁護士マイケル・ライト、二番めは地元の白人女性ミシー・デイル。停職中の黒人のテキサスレンジャー、ダレン・マシューズは、FBIの白人の友人グレッグ・ヘグランドから、事件を探ってほしいと頼まれ、単身、現地に赴く。
黒人で初めてテキサスレンジャーになったおじの影響を受け、ロースクールを卒業しながら弁護士や検事にならずレンジャーになったダレン。知り合いの黒人が白人の殺害容疑をかけられた事件に関わったことから停職処分をくらっている。レンジャーという職をよく思わない妻リサとの仲も危機に瀕している。
白人女性が殺された後で、犯人の疑いをかけられた黒人男性が殺される、ということは南部では起こりうるが、今回は順序が逆であることから、捜査はなかなか進まない。地元の警察はダレンの介入を歓迎せず、死体発見場所の近くにあるカフェの女店主ジェニーヴァもダレンをなかなか受け入れようとしない。テキサスレンジャーは、テキサス州内の郡を越えて捜査権を持つ捜査官で、州内では一目置かれているようだが、ダレンは、黒人のレンジャーであることの有利さ(黒人の協力を得やすく、レンジャーとしての敬意を払われる)を得るより、むしろ、白人からは差別対象となり、黒人からは敵(白人)の味方と思われるという、不利な扱いを受ける。マイケルの妻ランディは、カメラマンで都会的な黒人女性であり、夫の死の知らせを受けてラークにやってきて犯人知りたさにダレンと行動を共にするが、南部における黒人に対する差別的な扱いに不慣れなせいもあって、ダレンにいろいろと迷惑をかける。
人種的偏見に囚われつつも、みんながどこかで結びついて大きな家族のような存在となっているラークでは、白人たちは距離を置くべきはずの黒人と密接につながり、それを受け入れられずにいる。ジェニーヴァは地元の有力者ジャファソン家の先代と男女の関係を持っていたが、カフェを訪れたミュージシャンのジョーと電撃的な恋に落ち、先代との交情は終わりを告げる。事件の背景には、そこに源を発する、隠された血縁関係と男女の愛憎が入り混じった複雑な関わりあいがあった。
ダレンは、レンジャーであることに誇りを持ちつつも、妻との関係悪化に鬱々とし、身勝手なランディに振り回され、どうにも覇気がない。物語全体が陰鬱な雰囲気に包まれていて、読後感もすっきりしない。
タイトルは、ブルースの王様ジョン・リー・フッカーの歌の歌詞から引用されている。ジュニーヴァの店の雰囲気は好きだし、マイケルが死んだ叔父に託されたギターを持って店を訪れるのもいいと思ったが、彼のその後の運命を思うとやはり気が滅入るのだった。(2019.4)

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