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○ 本 ハードボイルド(海外5) 2000年~

<作家姓あいうえお順>
台北プライベートアイ(紀 蔚然 きうつぜん チ・ウェイジャン)

台北プライベートアイ  私家偵探 Private Eyes
紀 蔚然(きうつぜん チ・ウェイジャン)著(2011)
松山むつみ訳
文芸春秋(2021)
台北を舞台にしたハードボイルド。
大学教授で劇作家だった50代男の呉誠(ウー・チェン)は、ある出来事をきっかけに突如引退し、台北市南部にある臥龍街の一九七巷という横丁にある中古建てマンションに引っ越し、近所の珈琲店を事務所代わりに私立探偵を始める。
一人称語りの探偵小説は主人公の語りで成り立つので、探偵はえてしておしゃべりな印象をうけるものだが、本作の呉はとにかくひっきりなしにご託を並べている感じである。
インテリなので難しい用語を使い、評論家じみたことを言って台北という都市について語る。日本人や西欧人について語る。脚本家だったので、演劇論も語る。小説や映画についても語る。ホラー映画は苦手で特にソウ・シリーズは受け付けない、探偵の仕事のやり方はほぼ推理小説と007の映画から知識を得ているようだ。宗教、特に後半は仏教についても語る。
自分についても語る。19歳のころからパニック障害とうつ病を患っていて、病気と闘いながら生きてきたこと、バツイチで、元妻はカナダに住んでいること、そして、自分が転身するきっかけとなっ「亀山島(グイシャンダオ)事件」について。亀山島は台北の海鮮料理店のことで、ある芝居の公演の打上げの飲み会で、呉は酔った勢いで、居合わせた友人知人である演劇関係者に対しことごとく辛辣な批判を浴びせ、毒舌の限りを尽くしたのだった。酔いが冷めた彼は、攻撃した人々にお詫びの言葉を送って、ひとり、臥龍街に身を隠したのだ。
こう書くとかなりいやなやつのようだが、これがなぜか憎めない 。新参者の彼をいぶかっていた近所の自動車修理工場主のアシンも、臥龍街派出所の小柄でふっくらした警官シャオパンも、尾行の際に乗り合わせたタクシーの運転手のティエンライも、みんな仲間にしてしまう。
サファリハットにひげ面、青いTシャツに緑のパンツ、移動手段は自転車、武器は懐中電灯で、武芸のたしなみは皆無という素人探偵が、絶えずぐちって、悔やんで、他人と丁々発止のやりとりをする。その様が不思議と味わい深い。
最初の仕事は、夫のことを調べてほしいという人妻からの依頼だった。あるときを機に、娘が夫を避けるようになり、その嫌い方が尋常ではないというのだ。中央健康保険局台北支局の会計監査課長である林氏の張り込みと尾行を開始した呉は、彼がひとりの女性と会ってホテルへ入るのを目撃する。
林氏の件は、真相を突き止めることに成功し、夫と別れた元林夫人のチェンジェル―と呉は、ちょっといい感じの仲になる。
この一件が前半を占め、後半は、これとは無関係の連続殺人事件の話となる。呉が容疑者として警察に連行され、マスコミに報道されて大騒ぎとなる。ただの誤解ではなく、明らかに彼を陥れようとする犯人の意図がうかがえ、はめられたと悟った呉は、これまた敵意の塊であった警官たちの中に割り込んでいって、無理やり捜査に加わる。4人の被害者たちには何のつながりもみつけられなかったが、やがて、第5の殺人が起こり、呉は、自分が事件の中心にいることを知る。
呉は、アジアの国々の中で連続殺人事件の数では日本がトップだといい、横溝正史の「蝶々殺人事件」から探偵由利先生の、「計画的な犯罪があるということは、それだけ社会の秩序が保たれている証拠だよ。」という言葉を引用している。台北のように混沌とした都市では起こりにくいと言っていたそばから、自分がその連続殺人事件に巻き込まれるのだが、前半の林氏の件に比べて、後半の連続殺人事件はやけにつくりものめいて感じられる。監視カメラがいたるところにある台北において、カメラの映像を頼りに犯人にたどり着く過程はなかなか面白いが、事件現場がある図形を形作っていたり、犯人のねらいが偏執的に呉誠にあったりと、サイコミステリとしての目新しさや独自性は特に感じられない。呉探偵の活躍を描くためにとってつけたような事件なのだが、台北に連続殺人はピンとこないという彼の説がそのまま表されているようでもあり、ここではそれでいいような気もする。
全編を通して、呉誠の語り口が好きか嫌いかで評価が分かれる小説ではないかと思う。
彼の台北論とともに、彼を取り巻く人たちや、元気のいい呉の老母が台湾語をよく口にしたり(中国語とのちがいは全くわからないのだが、訳者が丁寧にルビを振ってくれているのでそれとわかる)、猪脚麺線(ジュージャオミェンシェン。豚足入り煮込みそうめん。台湾語でディカミースァ)という厄除けの食べ物や甕の中で紙銭を燃やしてその火をまたぎ越す厄払いのおまじないなどが出てきたりするのも、私としては、興味深かった。(2021.8)

<倒叙人物>
呉誠(ウー・チェン)、
呉誠の母、妹
阿鑫(アシン。臥龍街の自動車修理工場の主)、その妻、
小彗(シャオフイ。アシンの娘、小5)、阿哲(アジャー。 アシンの息子、小2)
小胖(シャオパン。臥龍街派出所の警官。本名陳耀宗チェン・ヤオゾン)
王添来(ワン・ティエンライ。タクシーの運転手。探偵助手志願)
小徳(シャオダー。王の妻。ベトナム出身)
陳婕如(チェン・ジエルー。林夫人。最初の依頼人)
林氏(リン氏。中央健康保険局台北支局会計監査課課長 盆栽が趣味)
邸宣君(チウ・イージュン。病院の会計主任) 
王刑事部長(信義署取り調べ責任者)
小趙(シャオチャオ。信義署刑事。)
翟妍均(チャイ・イエンジュン。信義署巡査部長)
涂耀明(トゥ・ヤオミン。タレント弁護士。)
小張(シャオチャン。若手舞台演出家)
蘇宏志(スー・ホンジー。若手脚本家)

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