みちのわくわくページ

○ 本 児童書・ヤングアダルト

<作家姓あいうえお順>
ARRIVAL(アライバル)(シュウ・タン)、 天と地を測った男 伊能忠敬(岡崎ひでたか)、 
オオカミが来た朝(ジュディ・クラーク)、 チョコレート・ウォー(ロバート・コーミア)、 穴(ルイス・サッカー)、 
宇宙への秘密の扉(ルーシー&スティーヴン・ホーキング)、 
トムは真夜中の庭で(フィリパ・ピアス)、 ルート225(藤野千夜)、
ゲド戦記>シリーズ(アーシュラ・ル・グィン)

ARRIVAL(アライバル) 
Shaun Tan(シュウ・タン作 2007年) Arthur a Levine books
絵本も最近はほんとにいろいろあって、子ども用だけではもったいないような凝ったものも、たくさんつくられている。だが、私は、これはもう完全に個人の嗜好というか、感じ方の問題なのだが、大人のための絵本とか、大人も読める絵本とか、最初から大人ねらいの絵本づくりという姿勢には、どうにも違和感を覚える。やはり、絵本は基本的には、子どものためのものであってほしい。
例えば、歯医者の待合室かなんかで、子ども用に置いてある絵本を、ひまつぶしにたまたま手にとってみたら、これがなんだかよくて。というのが、大人とよい絵本の、正しい出会い方のひとつであると、そんなふうに思っている。
それと、根がどんくさいせいか、趣味がよすぎるもの、おしゃれなもの、洗練されたものというのもどちらかというと苦手だ。「ほんとにいいものは、どこかどんくさい」というのが、私の中では、いろいろなジャンルの作品の善し悪しを判断する上での基準になっているといってもいい。
ところが、上記の二つの点から外れていると思えるにもかかわらず、というのは、歯医者の待合室でなくアマゾンで見つけてしまったことと、どうもおしゃれなんじゃないかということなのだが、それにもかかわらず、やけに気になってしまったものがある。
アマゾンの「今年売れた本」洋書の部で見つけた、「ARRIVAL」という絵本である。
2007年、アメリカで出た本で、作者はショーン・タン。
妻と幼い娘を置いて異国に出稼ぎに来た男の話。
異様な建築物が立ち並ぶ街、意味不明の文字、得体の知れない食べ物、そのへんをうろちょろする変な形の小鳥や小動物などが、彼を圧倒する。
おじさん(といっても30代前半くらいか)が、言葉も文化も違う国でとまどいながら、仕事を見つけ、少しずつ町になじんでいく様子が、言葉はいっさい使われずに、セピア調の絵だけで描かれていく。
主人公が知り合う移民の人々も、それぞれ苦労してやってきた人たちで、その回想も絵のみで記される。
地味な主人公と、奇妙な動植物や町並みの造形は、幾分、諸星大二郎を思わせないでもない。(そのあたりはちょっとどんくさいといえるかもしれない。)
異国感というか、見知らぬ土地にたったひとりで来てしまったという、心細い感じがよく出ていてよい。
日本語版もあるが、字がないので、英語がわからなくても、原書でOKである。
(ハードカバーでしっかりしているし、原書の方が、日本語版より安い。)(2011.11)


天と地を測った男 伊能忠敬
岡崎ひでたか著 くもん出版(2003年)
江戸時代に全国を測量して回って日本地図を作ったことで知られる伊能忠敬の生涯を描く。
「大日本沿海輿地全図」など忠敬の測量に基づく地図の写真や、測量のルートを示す地図や測量の様子がわかる資料などが豊富に載っていてわかりやすい。
1745年、千葉県九十九里の漁村に生まれた忠敬は、子供の頃から算法が得意で、算法で世の中の役に立ちたいと考えていた。が、佐原村の伊能家に婿 養子として迎えられ、地主であり豪商である同家の跡取りとして稼業に励む。名主となった忠敬は、天明の大飢饉や伝染病などの危機から村を救うが、49歳のとき息子に後を継がせて隠居する。が、それは穏やかな老後を過ごすためではなく、子供の頃からの夢であった算法を活かした仕事をするためであった。
忠敬は、江戸に出て天文暦学を専門とする学者高橋至時(よしとき)に師事する。
忠敬は、至時から緯度一度分の子午線の長さがわかれば地球の大きさが算出できるという話を聞く。門前仲町の自宅から至時の詰める天文方歴局(現浅草橋3丁目)まで歩測しながら通った。距離が短すぎて子午線の長さを出すのは無理だったが、これが忠敬の最初の測量と言える。
やがて、至時の交渉により幕府から蝦夷地測量の許可を得た忠敬は、1800年、第一次測量の旅に出る。これを皮切りに、測量に明け暮れる日々が始まることになる。
彼が東北への測量の旅をしながら測った数値をもとに算出した子午線の緯度1度分の長さは、当時発表されたフランスの学者ラランデによるものと殆ど変わらなかったという。(忠敬が算出した緯度1度分の長さは、二十八里二分、110.74898kmで、現在東京付近(緯度35度)の緯度1度分は 110.952kmとされているそうなので、驚くべき精度だったということだ。)
東北、蝦夷、関東、中部と測量を重ねた忠敬は、「日本東半部沿海図」を完 成。これにより幕府も彼の測量技術を高く評価するようになる。
それまでは幕府天文方の仕事とはいえ忠敬個人が行う測量を幕府が許可して若干の援助をするというものだったのだが、西国を対象とした第五次測量からは、幕府が命じる国の測量事業となる。
第一次測量の旅では歩測で測量し、泊まる宿もなく寒さに震えていた測量隊は、幕府の御用を仰せつかった大所帯の一行となり、行く先々で歓待され、作業も地元の協力を得て進められるようになっていく。
一方で、幕府から派遣された役人と昔からの弟子との間での確執などの問題も生じてくる。また長い旅の間に故郷で家族に不幸があったり、高齢になるとともに健康が損なわれ旅の過酷さが増してきた。そうした辛い状況の中でも彼は測量を続けるが、二年半に及ぶ二度目の九州地方の測量を最後に、忠敬は旅から旅への生活を終える。
蝦夷地の未測量の部分は間宮林蔵に託し、伊豆諸島の測量を弟子たちに任せる。
彼自身による最後の測量は、江戸の町なかの測量だった。測量の旅では、いつも 江戸の外れから地方へ行く街道を測っていたので、江戸市中の測量が最後に残ったのである。
膨大な記録を元に地図の製作作業が行われ、忠敬が命をつぎ込んだ 測量の結晶である「大日本沿海輿地全図」が完成したのは、彼の死後、3年が経過した1821年だった。(2009.2)

<伊能隊による測量の旅>
○第一次測量:1800年。180日。蝦夷・奥州街道。主に歩測。
○第二次測量:1801年。230日。伊豆、関東沿岸、東北地方東海岸(蝦夷地の残り西北部は断念)。測量には縄を使用。
○第三次測量:1802年。132日。東北地方西海岸。測量には鉄の鎖を使用。
○第四次測量:1803年。219日。駿河から尾張に至る沿岸、日本海へ出る道筋と日本海沿岸。
○第五次測量:1805年〜。640日。幕府の測量事業として西国を回る。
○第六次測量:1808年〜。377日。四国沿岸。大和(奈良県)。幕府方の絵師が参加。
○第七次測量:1809年〜。忠敬64歳。631日。九州。
*間宮林蔵に蝦夷地測量を依頼。1811年出発。
○第八次測量:1811年〜。914日。九州の残りの部分を測量。
○第九次測量:1815年〜。350日。伊豆七島と八丈島。永井甚左右衛門が隊長。忠敬は不参加。
○第十次測量:1815年。17日。江戸町なかの街道を測量。(更に江戸府内図作成のため1816年、74日。)
☆「大日本沿海輿地全図」。1821年完成。(忠敬は1818年死去。)


オオカミが来た朝  Wolf on tha Fold
ジュディス・クラーク著(2000)
ふなとよし子訳
福音館書店 世界傑作童話シリーズ(2019)
オーストラリアのある一家の4世代に渡る連作短編集。辛い境遇にあってなんとか前向きにがんばろうとするこどもたちの姿がけなげである。(2021.1)
<シンクレア家の人々>
・トマス・シンクレア(1900-1935)、妻アイダ・コンロイ(1902-1973)
・ケニー・シンクレア(1921-1992)トマスの長男、次男ダン、三男ジョーイ、長女ドリー、四男トム 
・クライティ・シンクレア(1942-)ケニーの長女 
・フランシス・シンクレア(1946-)ケニーの次女
・ジェシー・グレース(1970-)クライティの長女
・ガブリエル・コーエン(1987-)フランシスの息子
・ジェイムズ・ライト(1991-)ジェシーの長男
・デイビッド・ライト(1996-)ジェシーの次男

○オオカミが来た朝  
<1935年:ケニー>
父が急死し、長男のケリーは学校をやめて働かなければならなくなる。彼は、クリケットのボールが口に当たって前歯を4本折ってしまい、若いのに入歯を入れている。
世の中は恐慌の真っただ中、大人でさえ仕事を見つけるのが難しいのに、ケリーのような子どもが仕事を得るのはかなり難しそうだった。仕事を求めて工場に行く日の朝、自転車で家を出るケリーを母が見送る。このときの光景をケニーは大人になってもずっと覚えている。母というと、家の戸口に立って彼を見送る姿が目に浮かぶという。そこがとてもよかった。
タイトルは、「アッシリア人は羊の群れを襲うオオカミのごとくやってきた」という、ジョージ・ゴードン・バイロン卿の「センナケリブの破滅」という詩の引用。旧約聖書列王記18-19章の記述を素材とした詩で、学校で無理やり覚えさせられた詩を、ケニーは、怪しい男に捕らえられそうになったときに大声で暗誦して難を逃れるのだった。母のくだり以外、とくにおもしろみは感じなかったが、このとき自転車で家を出るケニーの姿があとで出てくる。
○メイおばさん 
<1957年:クライティ、フランシス>
  
高齢のメイおばさんが訪ねてくる。ぼけていて、言ったことは忘れるし、どこに行くかわからないし、一家は彼女に振り回される。しかし、神経の細いフランシスが家族や友人や周囲の知人の身を思うあまり、お祈りの文句がどんどん長くなって夜も眠れないでいたところ、おばさんは「天使さまと慈悲深い方々、わたしたちをお守りください!」というたった1行のお祈りで全部大丈夫とおしえてくれて、フランシスの肩の荷が下りる。おばさんは死んだ友人のエセルを訪ねると言ってきかない。フランシスは、彼女は念願のパリへ行ったといっておばさんを安心させてやる。
○字の読めない少女
<1954-1959年:フランシス、ボニー・クーニー>
極貧で字の読めない大柄な少女ボニーとフランシスの話。嫌われ者のボニーだが、フランシスは彼女の貧しい家庭事情を知る。エリート校に入学したフランシスは、大きな店の化粧品売り場で働くボニーに再会する。店頭でけんかになるが、売り場責任者がくると、フランシスはボニーの境遇を思い、彼女を「ともだち」と説明する。
○想い出のディルクシャ
<1975年:ケニー、カンティとラージ(ウガンダ難民、元は裕福なインド人医者一家の子たち)>
主人公はカンティとラージ。カンティとラージの兄弟は、ウガンダから一家で避難してきた。逃れる途中で、4歳の妹レッカは、列車に乗り込んできた軍隊の兵士のひとりによって母の手から奪われ、窓から放り投げられて死んでしまう。父は医者、母も教養のある女性だが、一家はオーストラリアではいちからの出直しで、ミルクバーを営みながら貧しい生活を送り、インド人ということで差別され、さげすまれている。ラージは乱暴者として嫌われていた。かれはなぜか赤いものを嫌がった。
タイトルのディルクシャは、ウガンダで彼らが暮らしていたおおきな屋敷の名前。つらい毎日をおくる彼らに、ケニーは、やさしく接してくれる唯一の大人だった。
母もカンティもレッカの話をしない。ラージは小さかったので覚えていないが、話せば思い出してしまうかもしれないから。でも、ラージが赤い色を嫌うのはそれがレッカが着ていた服の色だったからということが判明する。
○冬のイチジク
<1991年:フランシス、ガブリエル>
フランシスは結婚して夫と3歳の息子ガブリエルとイスラエルに住んでいる。戦争が起こりつつある中、ガブリエルは広場でやっている市場にいってイチジクを買ってとせがむが、季節外れのくだものだし、市場はアラブ人たちのものだった。が、電話でクライティと喧嘩をしてしまったフランシスは、やけくそな気持ちになり、ガブリエルを連れて広場に行く。戦争になれば敵となるアラブ人たちの中に入っていきながら、ガブリエルは、ともだちが言っていた言葉を意味もわからず楽しそうに大声で繰り返す。「サダム・フセインは大まぬけ!」。恐怖に襲われるフランシス。しかし、広場の人たちは笑い飛ばし、ガブリエルの顔なじみの露天商の老人はいつものようにイチジクを売ってくれるのだった。
○チョコレート・アイシング
<2002年:ジェイムズ、デイビッド、ジェシー>
毎晩のように喧嘩をする両親の声が子供部屋にまで聞こえてくる。ジェイムズにとって「いやな音」だ。弟のデイビッドになんとか聞かせないように努める。ある日、けんかのあと、父が出て行き、そのあと母のジェシーも外に出た。ジェイムズは、窓から、母が海に向かったのを見る。海の中に入っていく母を止めようとするが、母は戻ってくる。飛び出して母にだきつきたいのをこらえるジェームズ。でも、母が戻ってきたことで心は歓喜にあふれる。そのとき彼は、朝、自転車で工場へ向かう少年ケニーの幻を見る。
不憫すぎてつらかった。親の立場から言えば、こどもにこんなに気を使わせるなんてなんて親なんだと怒りを覚えた。ジェームズ、そこはお母さんにだきつきなさい、と思った。


チョコレート・ウォー The Chocolate War
ロバート・コーミア著 (1974年 アメリカ)
北澤和彦訳 扶桑社ミステリー
アメリカの私立男子高トリニティ学園では、学園存続のため、生徒は毎年チョコレートを売ることが義務 づけられていた。フットボール部に入った新入生のジェリー・ルノーは、たったひとり、チョコレートを売るのを拒み続けた。チョコレートの販売を取り仕切る教師ブ ラザー・リオンの反感を買い、学院を裏で牛耳る組織「ヴィジルズ」を敵に回したジェリーは、窮地にたたされてゆく。
頭の回転が速く悪意の固まりのようなヴィジルズの指令アーチー、フットボール部のスターで唯一アーチーに対抗できるカーター、アーチーに反感を抱きつつそ の才覚に一目おいているオウビー、粗雑な乱暴者のジャンザ、一歩引いて状況をうかがうチョコレート会計担当のブライアン、周囲の悪意にうちのめされていく 善意の人グーバート(南京豆)など、心のほんの片隅で疑問や不安を抱きつつ、チョコレート戦争の勢いに流されていく男子生徒の様子が丁寧に描かれる。
結局問題は解決せず、状況は変わらない。痛快さとか達成感は得られないのだが、十代の人間の心の暗い部分を淡々と描いていて、若い時ってこうゆうことある かも、と妙に納得させられる。(2004.10)


 Holes
ルイス・サッカー著(1998年)
幸田敦子訳 講談社
先祖代々不運な家系に生まれた少年スタンリー・イェルナッツは、スニーカー泥棒とい う無実の罪で、テキサスのグリーン・レイク・キャンプ少年院に送られる。
そこは砂漠のど真ん中。少年たちは、来る日も来る日も水の干上がった固い湖面に直径1.5m、深さ1.5mの穴を掘るという作業を強いられていた。
X線、イカ、脇の下、ジグザグ、磁石、ゼロと言ったあだ名で呼ばれる同じ班の少年たち、所長、ミスター・サー、ミスター・ペンダンスキーらスタッフの大人たち、一癖も二癖もある人々に囲まれ、スタンリーは、過酷な自然条件のな かで重労働をして日々を過ごしていく。
同班のゼロに読み書きを教えるうち、スタンリーは彼と仲のいい友人となっ ていくが、ある日、ゼロはキャンプを脱走する。彼の後を追ったスタンリーはゼロとともに、かつて砂漠で遭難したひいじいさんが身を寄せたという<神の親 指>とおぼしき岩山を目指すことに。
ゼロという友人を得て、グリーンキャンプに送られた不運を幸運と感じられ るようになったとさえ言い切るスタンリー。彼の成長ぶりは、さわやかな感動を呼ぶが、この物語の面白さはそれだけではない。
遠い昔、ジプシー女との約束を破って呪いをかけられたと言われるスタンリーのひいひいじいさんの物語。
100年前、グリーン・レイクがまだ水を湛え青々としていたころに起こった、美しい女教師キャサリンと玉ねぎ売りの黒人サムとの悲しい恋の物語。
無法者<あなたにキッスのケイト・バーロウ>に身ぐるみ剥がれ、砂漠の真 ん中に置き去りにされながらも生き延びたスタンリーのひいじいさんの物語。
そして、恐ろしい女所長が少年達に穴を掘らせる理由とはなにか。
秘密のたまねぎ畑、毒を持つ黄斑とかげ、スパイスのきいた桃のジャム、 Stanley Yelnats という名前、アルファベットを習いたてのゼロといった数々のデティールにも注意が必要。 それら随所にちりばめられた物語と細かい要素が、終盤に向かって、 かちっ かちっと組み合わさっていく様は、実に見事で気持ちがよい。(2006.11)


宇宙への秘密の鍵 George’s Secret Key to the Universe
ルーシー&スティーヴン・ホーキング著(2007年)
さくまゆみこ訳 岩崎書店
小学生のジョージは、両親がともにエコロジストのため、電気製品や自動車や加工食品とは無縁の生活を送っていた。
ある日、飼い豚のフレディを追って隣の家に入り込むと、空き家だったはずの家には、風変わりな科学者エリックと娘のアニーが引っ越してきていた。エリック は、世界一パワフルなコンピュータ、コスモスを使ってジョージを宇宙の旅に誘うのだった。
車いすの理論物理学者ホーキング博士とその娘ルーシーが、こどもたちのために書いた宇宙冒険科学小説。物質の構成要素、素粒子の話から、星の誕生、太陽系 の天体、ブラックホールの誕生と消滅など、最新の情報を含めた物理学の考え方を組み込み、環境問題も交えながら、科学の大切さや面白さについて熱く語って いる。物語の合間に囲みの形で入る解説の内容は、夜の空、月、光と星、粒子、物質、温度、冥王星(格下げに言及)、質量(相対性理論のエネルギーと質量の 等価や時空の歪みについて言及)、彗星、太陽系、木星、小惑星帯、大昔の大気、ミラーとユーリの実験(有機物の生成)、太陽系外惑星、火星、ブラックホー ル、中性子星、地球など。火星探査車スピリット撮影による火星の地上からの風景写真を始め、惑星や衛星、銀河、星雲のカラー写真も多く載っていて楽しめ る。
文明の利器を嫌うジョージの両親、地球と同じ条件の惑星を求めて宇宙の旅を続ける科学者エリック、夢見がちで勝ち気で心やさしい少女アニー、エリックと因 縁のある不気味なジョージの担任教師リーパー、人と違う生活をするジョージを標的にするいじめっ子のリンゴとその仲間の少年たち、エリックの家に集まって 議論を交わす学者たちなど、ユニークな登場人物たちもなかなか愉快だ。(2008.11)

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